今日の小和田先生の講義からです。
『応仁の乱 普通はそう言いますが、歴史研究家の間では「応仁・文明の乱」と言います。 と言いますのも この乱は応仁1年(1467)にはじまり文明8年(1478)の11年間続きましたが、応仁年間は2年で文明年間の方が9年間と、永く続いたからです。』
以下は私の個人的感想です。 時の室町幕府は無為無産で政治力も権威もなく、各地で台頭して来た土豪、地侍たちに完全に舐められていました。そこへ八代将軍足利義政の跡目争いが元で京都の街中を破壊し尽くした騒乱が起きたのです。東に細川勝元、西に山名宗全が陣取り11年も続いきました。その間将軍義政は何もせず、何も出来ず、全く他人事のように放置して、お茶、庭園と言った風流の道に熱中していたのです。
その所為で人民の苦しみは極限に達して、人殺し、略奪をしなければ生きてはいけない状態にまで追い込まれて仕舞った訳です。丁度芥川龍之介の羅生門の世界です。此れって今の日本の状態に似て居ませんか!?!親が子を殺し、子が親を殺し、無差別殺人が横行する今の日本と同じに思えてきます。政治家も、役人も、企業家も 何にもしませんから・・・
2008年11月11日火曜日
応仁の乱
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