今日は播州赤穂の浪人が、江戸本所の吉良上野介邸に討ち入り、見事 吉良上野介の首を討ち取った日と謂われて居ます。元禄十五年(1702年)十二月十四日(現在の暦では1702年2月10日未明)漸く夜の明け始めるころやっと吉良を発見、首を取り主君の無念を晴らしたと言うドラマチックな話は、其れから300年以上経ったこんにちでも色褪せる事無く語り継がれて居ます。
此の話は 元禄時代と言う平和で退廃的な時代で、徳川幕府の政治に対する庶民の不満・ストレスが溜まった処に発生した集団テロ事件だったのです。
だから幕府としても此れを利用して庶民の不満のガス抜きにしたのです。時の幕府の最高実力者 老中 柳沢吉保は彼等テロリスト達の動向を早くから把握して居り、大石内蔵助を始めとする主要メンバーが、江戸に集結して着々と準備をして居る事を、手に取る様に知って居たと思われるふしが有ります。と言うよりわざと討ち入りをし易い様に、吉良の屋敷を警戒厳重な江戸城近くから、警戒が手薄な本所松坂町に移住させて居ます。
ですから「打ち入り成功!」の一報を聞いた時、柳沢吉保は「快哉なり!」と 手を打ったと伝えられて居ます。ガス抜き成功です。
勿論 江戸庶民達の喝采・喜びは物凄く、赤穂浪士を英雄として讃える声は大変なものであったでしょう。幕府内からもかなり「助命嘆願」も有りましたが、然し 天下の御法度で「集団テロ事件」「凶器準備集合罪」で全員切腹になりました。
2011年12月14日水曜日
忠臣蔵
2011年12月13日火曜日
絆
今年の漢字 「絆」と決まりました。毎年恒例の京都の清水寺 森 清範貫主が墨痕鮮やかに「絆」の一文字を書き上げました。
今年は天災・人災の大被害の発生した年でした。其の被害に遭われた人達に救いの手を差し伸べた「絆」。逆に 自分を正当化する事だけに「一所懸命」な電力会社や、専門家達、政治家達。
今年は 日本人を暖かい「絆」を持った殆どの人達と、権力欲と金欲しか念頭に無い極一部の人達とハッキリと顕在化されました。
「絆」を持った暖かい人達の優しさ・慈悲深差は、神様や仏様にも劣らぬありましたが、権力と金に執着した見苦しい阿修羅どもは、今尚 自らの醜態に気付かず、己の欲の向かう処しか見えません。お釈迦さまも、キリストさまも、モハメッドさまも、人間達が斯様に醜態を演じ続ける様では、最早救いようが無いのかも知れません。
2011年12月12日月曜日
スパムメール
目下のところ悪質な「スパムメール」に迷惑して居ます。多い時は1日に150通も来ます。一々対応して居るのは面倒ですが、通常のメールと混在して居ますので、一括消去が出来ません。
其れも ハンドルネームを見る限りでは、少なくとも4~5人が関与して居ると思われます。今年の10月頃から始まりまして、今月に入って仕業が激しくなりました。
最初は<Tomorrow>、次が<HAPPY>,そして<情報.com>更に<ナッツ>です。特に酷いのは<ナッツ>で、<nuts>、<☆ナッツ☆>、<■ナッツ■>、<□ナッツ□>、など手を替え品を替えてやって来ます。
此方はメールリジェクト機能を駆使して、受信拒否設定をしても、直ぐ次にネームを替えて攻撃してきます。物凄い努力ですのでホトホト感心します。今まで7ツのネームに拒否設定をしましたが、未だ新しいネームを用意して続けて来て居ます。
余程暇なんでしょう。でも 此れは所詮「イタチゴッコ」ですから、相手がくたびれて諦めるまでやる気でしょうが、本当にごくろうさまです。その涙ぐましいばかりの努力に敬意を払いますし、其れをもっと他の事に傾注すれば、素晴らしい事柄を成し遂げられるのに・・・もったいない。
2011年12月10日土曜日
千波湖の黒鳥
水戸の千波湖の黒鳥です。水戸市の真ん中に位置する所に美しい千波湖が有りまして、市民の憩いな場所になって居ます。其の周辺をジョギングをしたり、ウオーキングをする人達が沢山居ます。
そして この湖を住み家にする水鳥達も沢山居まして、鴨や白鳥に交じって黒鳥も居ます。随分人間になれて居まして、餌をねだって集まって来ます。
それが 2年ほど前に、心無い人間(子供らしい)に突然襲われて殺される事件が有りました。だから鳥達も人間を恐れて暫くの間は近付きませんでしたが、今回行った時はもう慣れたのか、ユーモアたっぷりの歩き方で、ヒョコヒョコ寄って来ました。そして人間達の与えるポテトチップスを喜んで食べて居ました。
街には道路などに大震災の傷跡が残って居ましたが、千波湖の周りは穏やかでした。
2011年12月8日木曜日
水戸へ行って来ました
水戸の息子の処へ行って来ました。昨夜 つつがなく帰宅しました。水戸は朝晩の冷え込みがやはり静岡に比べて寒く、夜の街歩きには厚めのコートが必要でした。
JR水戸駅南口に 新しいショッピングセンタービルが完成して居まして、昨年訪れた時に比べて一層明るく華やかになって居ました。
3.11大地震の時の爪痕が所々に残って居まして、其の激しさ・恐ろしさが想像出来ました。宿泊したホテルも被害に遭ったと言う事で、今年の九月までの半年間は閉鎖状態だったと聞きました。今ではすっかり修復された建物を見て、さぞや大変な復旧作業だったのだろうと思いました。
震源地からかなり離れた水戸でさえ此の被害ですから、福島・宮城・岩手といった震源に近い所は想像を絶するものだったと、今更ながら恐ろしさを改めて感じました。
そんな所から 不撓不屈の精神で再び立ち上がろうと頑張って居る皆さんの強さ・逞しさ、そして助け合う優しさは、日本の歴史に残るでしょう。
お陰さまで息子一家は 皆無事でした。
ラベル: 水戸へ行って来ました
2011年12月5日月曜日
2011年12月1日木曜日
破戒坊主
昨日の静大 湯の上教授の講義は「禅宗」に就いてで、大変面白く拝聴しました。
禅宗が日本に渡来したのは平安時代の初期と言われて居ます。そして日本から多くの僧が勉強・修行の為に中国に渡りました。
十三世紀になると逆に中国から日本への渡来僧が、記録に残っているだけで29名も居ます。恰も十三世紀は渡来僧の世紀と言える程頻繁に禅僧が来ました。そして 様々な文化(良い事も、良くない事も)伝えて呉れたのです。
禅宗には厳しい戒律が有ります。<魚>などの生き物を殺して食べてはいけない。<酒>を飲んではいけない。と 言われて居まして、犯せば<破戒行為>として<破門>と言う罰則が有ります。
処が 中国の禅僧達は其処に抜け道を作りました。
魚===水咲花
酒===般若湯
と言う隠語を作りまして、白昼堂々と飲み喰らって居ました。
其れを日本から、真面目に禅宗の修行に遥々海を渡って行った純真無垢な少年達が見て、度肝を抜かれる思いだったでしょう。
「悪歌は良歌を制す」で悪い風習は忽ち世に広まります。が然し 日本に帰国した留学生たちは、中国での其の「悪習」に染まる事無く、まじめに修行をして来たと言いますから(なかには多少染まって来た奴も居たでしょうが)、当時の日本人は真面目だったんでしょうね。エライ!エライ!


