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2007年10月31日水曜日

守屋武昌!!

こんな奴記事にするのも汚らわしいのですが、どうしても怒りが治まらないので・・・

讒官汚吏(ざんかん・おり)→「偽りばかりで、汚れ塗れの役人の事」この言葉は知ってましたが、まさか生きた本物が現れるとは思いませんでした。此れほど職権を乱用してタカリを欲しい侭にした奴は近来稀でしょう。江戸時代や、明治時代には記録が有りますが、女房も娘も含めてタカリ捲くったとは呆れてものが言えません!!。

宮城県・塩釜市の出身で、父は国会議員だたそうですが、父の名も、家族の名も、塩釜市の名も全部汚してその汚名を未来永劫に留める事にしました。

タカッタ金額は数百万でしょうが、これから失う金額は果たして幾らになるでしょう数千万?数億?

計り知れないものでしょう。そんな事、初めからわかって居なかったのかなぁー!?!

2007年10月30日火曜日

お母さん・・・頑張れ!!



ゆうせい君(1歳)とお母さんです。いつもの公園で出逢いました。もう可愛い事は例え様がありません。

でも たぶん、子育て真っ最中のお母さんには、この可愛らしさをジックリ味わえる程のゆとりは無いでしょう。授乳やら、おむつやら、あらゆるお世話で精一杯・無我夢中の奮闘で、この純粋無垢な可愛い表情を満喫する暇が無いほど忙しいのです。お母さんは本当に大変です。だから この激務は男では到底出来ません。やはり女性にはかないません。!

私も 正直に言えば、この様な幼児を心から可愛いと思えるようになったのは、自分の子供達が独立してからです。子育てを卒業して子供を見る目に余裕が出来てからでした。私も妻も、子育て真っ最中にはそれ所じゃありませんでしたから・・・
今の世の中は 私達の時代よりも余裕が無い様に思います。だから 今の若い人達は気の毒だと思います。特に女性が・・・若いお母さん達 頑張って下さい。!!!

2007年10月29日月曜日

ドクトル・ジバゴ



エスパルスドリームプラザの陸橋ドームから覗いた富士山です。いつも広々とした景色ですが、こんなアングルも一興でしょう。

今日は 1957年、ドクトル・ジバゴの作者、ポリス・パステルナークがノーベル文学賞を贈られたのに、ソ連(当時)共産党の圧力で辞退をさせられた日です。ソ連では発表出来ない原稿を極秘に持ち出して、イタリヤで発表しまして、たちまち世界中から絶賛され、遂にノーベル賞を贈られる事になった訳です。

ソ連当局から問題視されたのは、ロシヤ革命を批判した内容だったからです。医者ユーリ・ジバゴと恋人ララが第一次大戦から、ロシヤ革に至る激変期の運命に翻弄される物語ですが、革命によって人間は決して幸せになったのではないと言う部分がソ連当局の逆鱗に触れて、ノーベル賞を辞退するか、国外退去をせよ。と迫ったのです。

パステルナークは、「祖国を離れるのは死を意味する」と言ってノーベル賞を辞退しました。当時の情勢では、たとえ国外に逃げても、いずれ国家警察によって消されると承知していたからです。彼は この三年後に亡くなりましたが、ノーベル賞委員会は、彼の遺族にノーベル賞を贈ったそうです。

あの吉兆までが・・・



今年の初夏に行った 京都吉兆の前です。丁度外人女性が人力車に乗り込んだ所に声を掛けて写真を撮らせてもらいました。

この吉兆までがケーキ等の製造年月日の改ざんをしていたそうです。もう やめてぇーっ!!!と言いたくなります。老舗と言われる処が次々と音を立てて崩れて行きます。未だ々々出て来るのじゃないかと疑心暗鬼です。

最近の人は、歴史とか伝統と言った事柄を軽く考えてしまうのでしょうか? 食品にしろ、相撲にしろ先人達が何百年もかけて汗と涙でやっと繋い来た重い々々ものを、いとも易々と捨ててしまうのでは、余りにも勿体無いと同時に哀しみすら覚えます。

あの赤福などは、「その日限り」の三百年の伝統を守るのに、先々々代が独特の生産管理方法を作ったと言う門外不出の神話すらあったのです。或る経営コンサルタント等は「赤福こそ、生産管理の真髄だ!。見習うべきだ!」なんて言ってました。

それがインチキだったとは!?!・・あのコンサルタントは今頃どうしていますかねぇ。? お気の毒なのは、真面目にちゃんとやってらっしゃる老舗の皆さんです。今や 老舗と言われている処全部が疑われて居ますから・・・。

2007年10月28日日曜日

台風一過



昨日一日沢山の雨が降りました。だから今日はきっと富士山には新しい雪が積もっているだろう、と期待して清水港に行って見ましたら、見事に期待通りの姿が見られました。

此れを見ると 静岡に住んでいてよかったなぁとシミジミ思います。

2007年10月27日土曜日

吉田松蔭の命日

今日は 明治維新に大きな影響を与えた吉田松蔭の命日です。幕府の大老井伊直弼の安静の大獄で投獄され1859年の今日処刑されました。遺骸は小塚原刑場に埋められたのですが、1863年 高杉晋作等が掘り出して、今の世田谷区に墓を作りました。これが松蔭神社となってこんにち残っています。実は 私は何十年も前、此処で結婚式を挙げました。

さて 吉田松蔭ですが、この人の偉大なのは、死後148年を経た今も尚、日本人の心に影響を及ぼし続けている事です。松蔭が開いた松下村塾の塾生達から多くの人材が輩出したのは衆知の通りで、伊藤博文をはじめとして多数の総理大臣も出てますが、彼等の尊敬する人物は口を揃えて吉田松蔭と言います。

彼は非業の死を遂げたのですが、そのお陰で明治維新が成ったと言えるでしょう。 辞世の詩

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちるとも 留め置かまし 大和魂

2007年10月26日金曜日

NOVA・・・

とうとう破綻しました。そもそも此処の経営形態は、所謂ねずみ講と同じでした。新しい会員を入れて、其処から揚る入学金・月謝を運営資金にする。だから新しい会員をドンドン増やして行かないと何処かで行き詰るのです。更には 会員が増やすには、新しい学校を作り続け無ければならない・・・この悪循環の形態がねずみ講と同じなんです。言い換えれば新興宗教にも似てます。英語とか宗教とか形の見えない権威に弱い人達の泣き所を刺激する商売はあとを絶ちません。
英語も宗教も決してインチキではありません。それなりに役に立ってる人が居て、救われて居るひとが居ますから、その人達には有意義です。

でも被害者が出ます。何故でしょう。不思議です。その原因の殆どの要素は英語塾や宗教団体に頼りすぎなのです。

NOVAに入れば英語が出来るようになる。とか 教会に入れば救われる と 全く何も考えずに思い込んでしまい、本来自分がすべき努力を怠った結果、「だまされた」と言って泣くのです。

いったいどちらが悪いのでしょう???。

2007年10月25日木曜日

島原の乱



いつもの散歩道の公園にある池と四阿(あづまや)です。穏やかな夜明け 朝日が少し顔を出しました。

今日10月25日は島原の乱が勃発した日です。1637年 島原で一揆が発生、此れを称して島原の乱と言い、幕府がキリスト教を弾圧したのに反発した住民の老若男女が、天草四郎時貞を盟主として原城に籠城、幕府軍と戦って三万七千人全員が殉教したと伝えられる事件です。幕府軍が突入した時、城内は老人から女子供までみんな屍骸となっていて生存者は一人も居なかったと言われています。幕府は公式には宗教一揆と記録してますが、実際には藩主の圧政(年貢の過剰な取立てに、飢饉が重なった)に追い詰められた農民達が已む無く蜂起したものです。その中に沢山のキリスト教徒が居まして、天草四郎をデウスの生まれ変わりとして盟主に祀り上げたのです。 藩主 松倉勝家と支藩主寺沢竪高は自分の失政を隠すため農民一揆を宗教一揆にすり替えてしまったので、こんにちその様に伝えられてます。

然し 生存者が一人居ました。 幕府軍と内通していた山田右衛門作です。幕府軍の総攻撃の情報を得るとコッソリ城を脱出しました。城内の全員が死んだと聞いて良心の呵責はなかったのでしょうか 卑怯者!!

2007年10月24日水曜日

商社の接待

防衛省の元事務次官の汚職振りがボロボロと出てきました。一応 永年商社に勤務した者として告白しますと、商社は接待費なしでは商売が出来ません。!!

商社が商売をするには、情報・知識・人脈と言ったものが武器です。この内 情報・知識と言うものはITが発達した今日、それを独占するのは困難ですから、最後に頼れるのは人脈という事になります。その人脈作りに最も有効な手段が接待です。それには金がかかります。際限なく必要なのです。然し 交際費には予算という枠があります。税金もかかりますし、何と言っても領収書が必要です。それを逃れる方法として裏金をつくり、それで領収書の必要無い事柄(ゴルフ・飲食・諸々・・・)に使うのです。そして抜き差しならぬ人脈をつくります。

私は 官公庁の担当では有りませんでしたが、官公庁を担当すると、大変らしいと聞きました。 何しろ お役人様の接待は向うから公然と要求して来るそうです。例えば ゴルフに接待しますと、スーツにネクタイで道具も何も持たずに来ると言います。つまり ゴルフセットからシューズ、ウエアから帽子・靴下・バッグと何から何まで一切合財を買い与えて、おまけにプレー代、夜の飲食代、そして帰りのお車代まで・・・占めて50万から100万位かかる事がある、と 或る担当者の友達の友達の友達から聞きました。それでも何千万・何億の商売が出来れば安いもんだそうです。 勿論領収書はとれませんし、お金は交際費の枠からは出ません。つまり裏金です。

その裏金の作り方が問題です。全部仕入先に出させるのです。「その一 仕入れ価格に裏金分を上乗せして、後でそれをバックさせる。」「その二 今 大きな商談の取れそうなのがある。それを取れたら払うから・・」と人参をチラつかせて出させる」取れなきゃパーです。

一時 商社は諸悪の根源だと言われて私も肩身の狭い思いをしました。ちょうど田中角栄・日商岩井のロッキード事件の時です。それでも商社はその遣り方は変えませんでした。他に生き残る方法がないからです。今後も多分変えられないでしょう。

魚心あれば水心ですから・・・。

2007年10月23日火曜日

赤福の工場長 哀れ・・・

赤福の工場長が「一連の偽装工作は、全て私の一存でやりました」と言って涙の記者会見をしていました。 絶対にそんな事は有り得ません!!!。

老舗の凡庸なお坊ちゃまを庇って番頭さんが犠牲になる その古風なお芝居が見え見えです。

あれだけの大掛かりな偽装システムを工場長の一存で出来る筈はないし、第一300人もの従業員が知っている事を社長が知らないなんて奇跡としても存在しません!。もし そうだとすれば、社長は飛んでもないボンクラ!と言う事になり、かえって恥の上塗りじゃありませんか。気の毒ですが、工場用が わが身を犠牲にしてまで会長・社長の濱田家を守るのは間違いです!。 今 本当に守るべきは従業員300人の生活です!。濱田家なんかどうなってもいいじゃないですか!!。

だから 一日も早く赤福の信用を取り戻し、従業員が安心して働けるようにするのが、本来の工場長の責務です。頑張って下さい!!!。

2007年10月22日月曜日

母子家庭

厚生労働省の把握している母子家庭は全国で123万世帯といいます。そんなに有るのか!とビックリしました。問題は その母子家庭の援助体制です。当然ながら働かなければ生活出来ません。幼い子供を抱えての就労は世の男たちの想像を絶するものがあります。私の娘も教員として働いています。家事の一部は旦那が手伝ってくれる様で、助かってますが、それでも「大変だぁ!疲れたぁ!!」と愚痴ります。そうでしょう母・妻・教員の三役をこなすのは楽ではないでしょう。

母子家庭は母と会社員を兼任です。旦那が居ませんから妻の仕事はないので気楽だ、と言う人も居ますが、子供にしてみれば父が居ないというのは実に心細いのです。父親参観日とか運動会とか学校の催事、町内の催事などに父親が居ない為に引け目を感じたり、虐められたりして大人が思うより遥かに深刻です。

子供にはその様なストレスがありますが、母親には会社の仕事や人間関係で様々なストレスがあります。 それらが毎日ぶつかり会っていると、つい 言葉が荒くなったりして益々親子のストレスが膨張して行きます。 然し 現在の日本社会ではどうにもなりません。

厚生労働省は母子家庭への支援は、児童扶養手当と就業支援事業をしていますが、これは母子家庭サイドだけを見ていて片手落ちです。職場の方に有る問題を解決しなければいけません。

先ず 子供はよく突然病気をします。本当に呆れる程に病気に罹ります。勿論放っておけませんし、子供一人で病院に行けませんから、母親が会社を休んで病院に行きます。行けば半日か一日仕事になります。会社では、リストラを遣りすぎて人員はギリギリで動いてますから余裕はありません。結局周辺の人達がカバーに廻りますから負担になります。度重なればつい「またか」と言う声が出てしまいます。これでは本人も、周囲の人達も堪りません。が これが日本社会の現状であり、諸悪の根源です。!!

此処を改善しない限り根本的解決はありません。  日本式の徹底的に無駄を排除すると言う会社経営を改めて余裕を持たせた経営が出来る環境作りこそが、根本的且つ恒久的解決策です。経営者達がもっと知恵を絞りあってお互いに余裕を持てる努力をする事、そして 厚生労働省はその経営者達を支援・教育する事が急務に必要です。そうしないと 女性が子供を産めなくなり、少子高齢化は進み、GDPは減り、深刻な不況が永く続き、犯罪が増えて想像もしたくない世の中になるでしょう。!!

2007年10月21日日曜日

フリーマーケット



今日はお天気に誘われて清水港に行きましたら、フリーマーケットをやってました。画面奥の方に薄っすらと富士山が見えます。普段ひとけの少ない埠頭に大勢の人が集まって居るのを見ると、何だか嬉しくなりました。 日頃からつくづくこの街の寂れ行くのを嘆いて居る者としては、人通りが少なく、灯かりも少なくて暗い街が、年々歳々寂しく暗くなり、お店が次々と閉店になって行くありさまは辛いものです。コンビニもスーパーも次々とつぶれて夜も7時を廻れば街は真っ暗です。いったいこの街の住人達は何処へ行っちゃったのでしょう?。この街はどうなっちゃうのでしょう!???

今日 このフリーマーケットを見て、少し安心しました。何処から湧いて来たのか人が大勢居ます。ヤレヤレ未だ々々この街には人が住んでました。

2007年10月20日土曜日

吉田 茂 の 命日

今日は 戦後の1947年 内閣総理大臣になった吉田 茂の命日です。敗戦後の絶望的な日本を何とか復興させる事が出来たのは、良くも悪くも、やはり吉田 茂の力が有ったと言えるでしょう。敗戦国の首相として、戦勝国のGHQマッカーサー元帥とのやり取りは、決して怯まず、臆する事無く、五分と五分の立ち回りをしたのでうす。この人は やはり只者ではなく、現在の政治化達は足元にも及ばないでしょう。英語が堪能だった彼は、GHQの理不尽な要求を断固として退かず、国民の危機を何度も救ったと言われています。

一方 吉田 茂は、その力が有るが故に強引な政治運営をして、ワンマンと言われました。最大の汚点と言えるのは、造船疑獄と言う汚職事件で、時の幹事長佐藤栄作(のちの首相)が東京地検に逮捕されそうになった時、法務大臣に命じて「指揮権発動」させ、操作打ち切りをさせてしまった事でしょう。もし この時佐藤栄作が逮捕されていたら、彼はのちに総理になる事も、ノーベル平和賞を貰う事は無かったかも知れません。

そして 有名な「バカヤロー解散」です。右派社会党の西村栄一議員が国会本会議で、「総理の国際情勢の見方は楽観的過ぎるのじゃありませんか」と質問したのに対して、吉田総理は「アイゼンハウアー大統領も、チャーチル首相も同じ考えであります」と答えました。  然し西村議員は更にしつこく「あなたの考えを聞いているんだ」と食い下がりましたので、遂にアタマにきた吉田 茂は「バカヤロー」とやってしまったのです。それが問題になって衆議員解散となった訳です。

それでもこんにち吉田 茂が偉大な存在と言われるのは、やはり現在の政治家達が小さくて情けない人達ばかりだからでしょうか!?!

2007年10月19日金曜日

父兄参観日



昨日 孫(小1)の父兄参観に行って来ました。この写真は 授業が終わって親と先生の懇談会に出ているお母さんを待っている子供です。廊下に座って熱心に読書をしていました。

孫を我が家に連れて来て、宿題をして、食事をして、テレビを見て、7時まえになったら突然孫が慌てだしました。訳を聞いたら、先生が夜は八時に寝なさいと言ってるからだと言うのです。

つまり、宿題をちゃんとして、夜は八時に寝て、忘れ物をしないと、先生がおりこうさんシールをくれるのだそうです。「ボクは まだ3枚しかないの。多い子は30枚以上も持ってるョ。だからガンバラナキャ」と言って家に帰って行きました。自己申告ですから多少の遅れが有ってもいいのじゃないかと私が聞きましたら、「ダメッ 一分でも遅れちゃダメなの。ボクは先生にウソは言えないんだから・・・」と言われました。トホホホ恥ずかしい 子供は天使ですね。どこぞの国のお役人さん、会社の経営者さん 少し見習ったら!!!

2007年10月17日水曜日

まずい米 おいしい米

先日 安売りのチラシ広告につられて買って来たお米が超まずいのです。! 関東地方の某県産で、兎に角 10kg¥3,900でしたので ホイホイ喜んで買って来たのです。  何しろ私は お米大好き人間で、ご飯さえあればおかずなんか要らないのと言うスコブル付きのお米好きです。

ところが この米が超まずいのです!!。噛めども、噛めども飲み込めません。喉が拒否反応を起こします。参りましたぁー!  なんせ10kgも買っちゃったんですぅ観念してセッセと食べましょう。

今までに食べたお米で特筆すべきおいしい米は宮城県産のササニシキでした。
息子が高校生の時、仙台の東北学園にサッカーの遠征に行きまして、その帰りに買って帰った本場のササニシキですこれは美味しかったなぁー!!。

2007年10月16日火曜日

団塊の世代

昨日 以前の部下だった人が遊びに来ました。三十八年勤めて部長職になり、先月目出度く定年退職して、今は家で毎日ブラブラしてて暇で暇で困っているそうです。

私が現役時代 彼の上司として色々指導をして来ましたが、所謂団塊の世代で、指示された事はするが、自分から発案・行動する事は出来ないで、いつもそれを私に叱られていました。他力依存症ってヤツで、問題が起きた時の対処能力が欠如していますので、その度に相談に来ては私から「君ならどうするのが最善か?、次善は?」と提起されて苦しんで居たのを思い出します。    三無主義 無気力・無関心・無責任と言われた彼等にはホトホト手を焼いたものでした。それが部長まで昇進出来たのは日本式年功序列の賜物でしょうか?

それでも彼は、会社が再雇用とか、雇用延長をしてくれる様望んでいたのですが、経営者は甘くはありません!。私も一応経営者を経験した事から言わせて貰うと、団塊の世代の人達には一刻も早く辞めて欲しいのです。そして若い世代と交代させて会社を活性化したいと切実に考えているのです。

今の30代・40代の人達は、団塊の世代よりも遥かにモチベーションが高く、考えも柔軟で素晴しい能力があり、更にそれを伸ばそうとしています。それを阻害しているのが他ならぬ団塊の世代です!。だから一刻も早く辞めて欲しいのです!!。

2007年10月15日月曜日

赤福が誤魔化し!?!

赤福は1707年お伊勢参りの人々の真心を尽くしてみんなの幸せを喜び合う⇒赤心慶福に由来して売り出された300年の伝統を誇るお伊勢名物でした。

その300年の伝統と名誉をアッサリ捨て去る事をやってしまいました。二つの誤魔化しをしたのです

一つ目は 製造年月日の誤魔化し。

二つ目は 原材料表示の誤魔化し。

両方で 300年の重い々々歴史と伝統をいっぺんに吹き飛ばしてしまいました。今迄 営々と築いて来た先人達の汗と涙の努力を、300年分の努力をこんな風にブッ飛ばされては、多くの先人達は泣いても泣き切れないでしょう。可哀想でなりません。!!

何より驚いたのは、冷凍保存をしていた事です。それも消費者に黙って35年も以前から。それに原材料表示の誤魔化しなんて呆れてものが言えません。  濱田益嗣会長 あなたは何をしていたんですか信用を築くには何十年と言う永い時間がかかるが、失うのは一瞬だと言う諺がありますが、300年もかけた、掛替えのない尊いものを失ったのです。
思い出すのは 出張で伊勢市に行った帰り、夕方の赤福でお土産を買おうとしたら売り切れでした。お店の人に聞いたら「赤福は300年も前からその日限りで商売しています。今頃来ても ありませんよ!」とピシャリと言われて何だか惨めな思いをした事です。 でも 今から思えば、あの時 既に冷凍保存をしていたじゃないですか!! 嘘吐き!!

2007年10月14日日曜日

強打者!?!



今日 孫のソフトボール試合の応援に行ってきました。この写真の打者は対戦相手チームのトップバッターです。身長は140?位でしゃがんだキャッチャーと同じくらいの高さです。だからピッチャーが必死に投げてもストライクが取れません。二打席とも四球で出塁しました。そして出塁したら走るヮ走るヮ チョコチョコ二塁まで行ったかと思ったら、すかさず三塁までチョコチョコっと走ります。更に二度とも味方の内野ゴロでホームインして見事2得点です。 イチロー選手も顔負けの大活躍でした。

2007年10月13日土曜日

テロリストだけが悪か!?!



日本平動物園の虎です。陸上の哺乳類では最も強いと言われているそうです。

昨夜 テレビで「太田総理・・・」と言う番組を見ました。お笑いタレントがマニュフェストを提起して討論するのですが、何処までが真面目で何処までがお笑いなのか解りませんから、たかがお笑い芸人が、何をコイテ ケツカルと思って何気なくみていました。

昨夜のマニュデストは「私は テロリストを攻撃しません」と言うものです。その論拠に「一理あり!」と感じました。 それは テロは悪であり、何が何でも根絶しなければいけない と言うのは アメリカの勝手な理屈であり、テロリストには彼らの信念があって、アメリカこそが悪であると確信して戦っていると言うのです。

これには私も賛成します。 9.11同時テロでアメリカはテロリストに報復すると言う口実を正当化して、アフガニスタンに侵攻しました。次に 大量破壊兵器を保有していると言いがかりを付けてイラクに軍事侵入しましたが、アフガニスタンではお目当てのビン・ラーディンを取り逃がし、イラクには大量破壊兵器はありませんでした。然し これ等の侵攻で犠牲になった何の罪も無い一般市民の数は、アメリカは敢えて発表しませんが、何十万とも、百万を越すとも言われています。 こんな事をしたアメリカの何処が正義でしょう。此方の方が悪じゃありませんか!!!
ビン・ラーディンがテロをした原因は、アメリカの強引で独善的なアメリカ式民主主義の押し付けに反発した為です。そこに考えを致そうとせず、それを絶好の口実として戦争を始めるアメリカ人は、例えようも無い馬鹿で悪魔だと言えるじゃないでしょうか???
だから テロリストよりもアメリカの方が悪です!!!

2007年10月12日金曜日

男と女



今朝は秋の朝の富士山が久し振りに見えました。
さて 今日は御伽噺です。
 人類誕生の時、創造の神様は男と女をお造りになりました。そして 男には馬鹿力を、女には狡猾な知恵をお与えになりました。
 男は馬鹿ですから、喧嘩・争い・戦争をします。
 女はそんな男を上手におだてたり、宥めたりと、知恵を遣ってコントロールして何とか平和を保って来ました。

ところが この所 女が忙しくて男の面倒を見て居られなくなってしまいました。つまり、女が「自立する」と称して仕事をバリバリやりだしたのです。仕事なんか男に目イッパイやらせておいて、自分は楽をして居ればいいのに・・男のケツを引っ叩いて「あなたは有能なんだからもっと働けぇもっと働けぇ」とおだてて追い立てまくれば男は馬鹿ですから頑張っちゃいます。 もし 疲れ果てて病気で死んじゃったらサッサと新しい男と再婚すればいいんです。
だから 女は自分でシャカリキに働く事はないのですが、どうして神様が与えて下さった「狡猾な知恵」を遣って男を操らないのでしょう?。勿体無い!!

2007年10月11日木曜日

素敵なお婆さんの死



黒米です。草薙神社の近くの田圃で今年もたわわに実りました。神社の神事にお供えするのでしょう。

今朝 ご近所の訃報を聞きました。八十七歳になられたお婆さんが昨夜12時に亡くなられたそうです。   この方は、上品で、いつもニコニコとして此方の挨拶に、ゆっくり丁寧にお辞儀をお返しになり、あとで何とも言えない穏やかな空気を残して下さる素敵なお婆さんでした。
そんな素敵なお婆さんが五年程まえ、突然認知症になられて入院されました。我々外部から伺う限りでは全然その様には見えませんでしたが、入院される半年前、デイ・ケアサービスへ通院を始められた頃、外でお逢いした時のご挨拶や、言葉の受け答えなど誠にしっかりして居られたので、まさか認知症だなんて信じられませんでしたが、娘さんの話では色々ご苦労が有ったようです。そして 食事のそしゃくや嚥下が困難になり、昨夜お亡くなりになりました。 今でも あの上品な笑顔が忘れられません。 合掌。人として、亡くなっても何かそんな風に他人の心に残る様な生き方をしたいと思います。

2007年10月10日水曜日

チェ・ゲバラ



今年もお茶の花がボチボチ咲き始めました。

昨日10月9日は 革命家チェ・ゲバラの命日でした。アルゼンチンの比較的裕福な家庭に生まれながら、キューバのカストロ議長と協力して独裁者バティスタを追放してキューバ革命を成功させた英雄です。然し 革命成功後は、彼の理想主義と実践主義、更には修道僧の様な潔癖主義が周囲の人達に受け入れられず、キューバを去り、アフリカのコンゴやボリビヤと自分の働き場所を探しましたが、いづれも現地人達のモチベーションの無さに失意の日々を送り、最後には見方の裏切りで、政府軍に逮捕されて、処刑されたのが1967年10月9日で、丁度40年になります。彼が英雄と称されるのは、その悲劇的最期であるとともに、彼の行動が率先垂範で道路を作るための土運び、とか農業の開墾などを先頭に立って働いた事です。でもそれが却って彼の周囲に居る偉い人達には鬱陶しくて次第に孤立していったのです。偉い人達は楽をしたがりますから・・・

ゲバラが英雄と言われる様になったのは、彼の死後で、ジョン・レノンなどは彼の事を「人類で一番かっこいい男」と称えたそうです。いつの時代も英雄が認められるのは死んでからですね。

2007年10月9日火曜日

美しい朝



今朝は薄曇りでしたが、雲間から朝日が覗いて明るくなった瞬間です。美しい景色の中ににアオサギ一羽が背筋をピンと伸ばし、毅然とした姿で佇んでいます。穏やかで静かな朝でした。

2007年10月8日月曜日

呆れた店員の対応!!

今朝 どうしても必要な事があって、ジャスコ清水店に行きました。フローリングを拭くウエットシートが欲しかったのです。確か一ヶ月程前にも言った時には品切れで、店員さんが「申し訳ありません。取り寄せしておきます」と言ってましたので、今度は有るだろうと思って行ったのですが、ヤッパリありませんでした。!

傍に居た店員さんに聞きましたが、開店間際の忙しい時で、商品を並べるのに夢中で此方に顔も向けずに「商品棚に無かったらありません!」と言い放つなり、忙しそうに行ってしまいました。まったく取り付く島が無いってヤツですか!?!。

別の少し年配の店員さんが来ましたので、同じ事を言いましたら、「申し訳ありません。直ぐ取り寄せします。入り次第お電話しますので番号を教えて下さい」つまり入荷したら連絡するからもう一度来てくれ!と言ってるのです。約一ヶ月前に取り寄せすると約束しておいてこの対応です!。雨の中を濡れながら行ったのに!!!・・・

この店では 品切れは今まで何度もありました。沢山商品は並んでますが、肝心の欲しい物がありません。そしてこの店員の対応ぶりです。丁度ダイエーの破綻する前がこれと同じ状態だったと聞きます。どうやら此処も先が見えて来ましたね。

原因は人材不足です。全国に大型店をドンドン建てたけど、その店を管理出来る管理職の人材がそんなに沢山居ないのです。又 それだけ多くの人材を集める能力が社長以下のトップに無いのです。消費者は気付いて来ました。此の侭では行き詰るでしょう。ダイエーの様に・・・

2007年10月7日日曜日

秋茄子は嫁に食わすな!?!



今が旬の茄子です。今年は豊作の様でわりと安く買えます。

茄子にまつわる古くからの諺に、秋茄子は嫁にくわすな!?!と言うのがあります。この意味が色々あるようで、余りにも美味しいので、姑が意地悪をして「嫁になんかやるもんか」と言うのと、茄子は体を冷やす作用があるから、嫁が食べて体を冷やすといけないので、守ってやろうと言う思い遣りだ、と全く相反するものがあります。どっちも本当らしく思えますが・・・

また親の意見と茄子の花は、千にひとつも無駄がない。と言うのもあります。この方がシミジミと身につまされます。 あぁ もっと親の言う事を聞いとけば好かったなぁ!! 

2007年10月6日土曜日

空き巣 泥棒!!



朝日の中でコスモスが満開です。

今日もパトカーが来ました。今度は空き巣だそうです。我が家の周辺は、この街でも高級住宅が多い地区でして(我が家を除く)、外観上は仲々のお金持ちが住んでる様に見えます。だから狙われるのでしょう。

バブルの頃までは、この辺りは一面のお茶畑でしたが、それが瞬く間に家が建ち、わりと富裕階級のサラリーマンらしき人達が移り住んで来ました。と言うのも この辺りの土地は、私達が購入した時の十倍も値上がりしましたので、此れを買って一戸建ての家を建てるのは普通のサラリーマンでは不可能でしたから。

各家には高級自動車とセカンドカーの2台づつが並び、奥様かお嬢様がお弾きになるピアノの音がいつもしてました。そして大手百貨店の営業の車が走り回り、中元・歳暮の時期には山の様な荷物が配達されるのを私は指をくわえて見ておりました。

時が移り バブルが弾け、その家のご主人達も仕事をリタイヤされまして、お坊ちゃまも、お嬢さまもそれぞれ独立されて巣立って行かれたあとは、いつしか車も無くなり、ピアノの音も途絶えて静寂の極みとなりました。然し 立派な家だけは残ってます。そこで泥棒さんの活躍が始まったのです。

お巡りさんのお話では、この辺は重点警戒地区に指定されたそうです。ヤレヤレ・・・

2007年10月4日木曜日

車上荒し!



本当に久し振りに快晴の朝です。富士山も嬉しそうに弾んでます。

先ほど パトカーが来て近所が騒がしいと思ったら、車上荒しが有ったのです。ご近所の方が、自宅前の駐車場に止めて置いた車の窓ガラスを割られていました。盗難被害は無かったのですが、ガラスの修理代の方が大変で被害甚大です。どうやら助手席の外から見える所にバッグを置いたまま一晩放置したらしいので、それを狙われたのでしょう。

其処の奥さんは、お巡りさんに注意されてましたが、それに反論して「だってぇ! バッグの中には大事な物は入ってないから大丈夫だと思ったんだもん!」 お巡りさんに「泥棒さんは、そんな事は解りませんょ。兎に角盗む為にこう言う事をするんですから・・・」その奥さん「だってぇー!」 まだ解って無いようです。

2007年10月3日水曜日

優勝記念せーる???

ジャイアンツが優勝したらしいですね。今年のセ・リーグは近来にない三つ巴の優勝争いで面白い展開だったのに、結局ジャイアンツが優勝しました。が テレビ中継も無く、寂しい終末でした。

でも 静岡では伊勢丹と、松坂屋が優勝記念セールをする、と言うのでよせばいいのに行って来ました。 伊勢丹はジャイアンツの優勝記念で、これは判りますが、松坂屋は優勝してないのにドラゴンズの記念セールをやってました。いったい何なんでしょう。!?!

両店とも、予想通り大した品物の安売りとか、目玉商品は無く、言っちゃ悪いですが売れ残り品に値札だけ付け替えたような品物ばかりで、ガッカリして、何も買わずに帰りました。あぁー疲れた!!

2007年10月2日火曜日

古典の女たち その2 女の浮気!?!

私は つい最近まで、浮気は男がするもので、ご婦人は決してなさらないものと硬く、かたぁーく信じて居りました。そのため今までに幾度も有ったチャンスを勿体無くも逃してまいりました。(嘘つけ!!)ところが 最近 古典を読むに付け、ご婦人も浮気をなさるのだと言う事に気が付きました。

以前に流行った「昼メロドラマ」とか、やたらと貞淑ぶった奥様が男の強引な誘惑に負けて、遂に不倫を犯してしまい「あぁ 私はいけない女・・・ョョョ」と泣き崩れるのがありましたが、あれはドラマの世界であって、現実にはあんな事があってはならない!! なんて愚かにも思い込んで居りました。だからあの時、もう一押ししておけば・・・残念と悔やまれる事が今になって・・・アッ!!イヤイヤ決してその様な事は有りませんでしたょハイ!有りませんでした。フゥー!!

古典に拠れば 一番古いご婦人の浮気の記録は今から約1,500年前、万葉集に出てくる額田王(ぬかたのおおきみ)でしょう。

最初 天武天皇と恋仲になり、十市皇女を産んで、その後天武天皇の兄の天智天皇と結婚します。それには藤原鎌足の暗躍があったとか言いますが、それでも、前の恋人の天武天皇の事が忘れられなくて、天武天皇に「相聞歌」を贈っています。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

それに対して 天武天皇の返歌

紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋めやも

おぉ 切ないですねぇー でも いけない いけない!!

2007年10月1日月曜日

究極の思い遣り

午前中 何気なく見たテレビで、思いっきり胸を打たれました。

小児病院での話。二人の五歳の男の子。素平君と司君、二人は仲良しで、同じ病室でお互いに励ましあって闘病生活をしていました。素平君は癌でもう脳に転移していて、目が見えなくなってしまいました。司君は足が悪くて、ギブスを嵌めて車椅子で移動してます。目の見えない素平君の為に自分の行動や、周囲の状況を全て声に出して教えてやります。本を読み聞かせたり、自分が今何処に居て、何をしているかを・・・まるで素平君の目の代わりをしているのです。

何と言う優しさ・思い遣りでしょう!!。たった五歳の子供ですょ!!。 更に感動したのは、目の見えない素平君も、足の悪い司君を気遣って、司君が動く時「気を付けて」と声をかけるのです。きっと素平君は、司君は足がわるいから、移動するのは大変な動作だろうと思い遣って、自然に「気を付けて」と声をかけるのでしょう。でも 素平君はとうとう天国に召されたそうです。

二人の若干五歳の男の子。この優しさ、思い遣りぶり・・・言葉になりません。泣けました。