この冬もインフルエンザの流行がかなりあって、数万人の死者が出る なんて報道がされてます。マスコミはどうして我々を脅かす様な事ばかり報道するのでしょう。「悪いニュースは よいニュース」とばかり気の弱い民衆の恐怖感をいたずらに煽るのです。
とは言いながら結局の処 心配ですから、今日予防接種を受けてきました。 毎年 接種を受けて居ますが、毎年インフルエンザに罹ってます。39度の熱が出て、家がグルグル廻って苦しくて堪りません。座って居ることも、寝て居ても目が廻って気持ちが悪くてどうしようも眠れません。ヤケクソで、♪マツケンサンバ♪を唄ったら不思議と眠れました。
医者に文句を言いましたら、「それは ダイエットのし過ぎだよ」と言われました。確かにその時は55.5kgでした。今年はその点を注意しまして今は59.0kgにしてます。今年はどうか♪マツケンサンバ♪を唄わずに済みます様に・・・
2008年10月31日金曜日
インフルエンザ
2008年10月28日火曜日
パソコンを新しく買い求めました。
水戸から帰ってパソコンに色々なソフトをインストールしましたら、重くて動作が妙に遅くなっちゃいました。 たまたま家電量販店のチラシを見ていましたら、パソコンの大安売りがありました。
某有名メーカーの製品が七万円を切る価格で出ていました。
仕様は ☆Windows Vista。エクセル。ワード。Offiss付き。メモリー1ギガ、HD250ギガ 17インチディスプレイ。
「此れは買いだ!!」と思ったら、幸い我が家の大蔵大臣閣下のお許しが出ましたので、気が変わらない内にとばかりに買ってきました。 今は そのパソコンのセットアップをセッセとやっております。以前のパソコンからデータをイッパイ移すのが思ったより大変な作業です。でも あと1日くらいで終るつもりで頑張ります。尚 以前のパソコンは大蔵大臣閣下が使うと言うので其の侭置いています。
2008年10月25日土曜日
水戸黄門さま
黄門さまが藩主の座を譲り、隠居の身として住んだ別荘です。広い敷地の中にポツンと建つ質素な建物で、目下修復工事中でした。敷地には池があり、その畔に黄門さま作の歌を書いた立て札がありました。
「ただ見れば 何の苦もなき水鳥の 足にひまなき わが思いかな」
静々と水面を滑るように浮かんでいる水鳥も、水面下では忙しく足を動かしているのだ と言った思いでしょうか。 それにしても徳川御三家の水戸藩の大殿様が余生を過ごした別荘にしては、余りにも粗末なのには驚きました。此処で藩士達に手伝わせて「大日本史」の編纂をしたのだなぁ・・・と感慨ひとしおでした。
もし 出来る事なら、今の世にあって官僚や政治家達の腐敗ぶりに、「此の紋所が目に入らぬか!! その方たちの悪行の数々 この光圀がしかと見届けたぞ。!! きっと成敗してくれるに拠って、観念致せ!!!」とやって欲しいものです。 でも 越後屋とか悪代官などの悪者が多すぎて黄門さまも手に余るかな??
2008年10月24日金曜日
水戸の朝
水戸の千波湖近くにあるホテル(画面右側のトンガリ屋根の建物)と、息子一家の住むマンション(左側の扇形15階建)です。
ホテルはビジネスホテルでした。 以前泊ったシティホテル満員で、他のホテルも全然駄目でしたので仕方なく此処にしたのです。 部屋に入って驚きました。タバコの匂いが酷いのです。フロントに部屋の交換をお願いしましたが、「ツインルームは全室喫煙可、になっておりますので・・・」と言う返事でした。慌てて他のホテルに当たってみましたが、全部満室でどうにもなりません。フロントでは「強力な脱臭をしますので2時間程部屋を空けて下さい」と言いますから、食事方々外出をしました。 外出から帰ってみますと見事に脱臭されてましたので、最初からチャンと脱臭しておけばいいのに、と思った次第でした。
翌朝 水戸中のホテルが満室の訳が解りました。ロビーで新聞を読んでいましたら、茶髪・モヒカンなどの物凄い髪型のオニーチャン・オネーチャン達がゾロゾロ部屋から出てきて送迎のバスに乗り込んで行きます。私は気が小さい癖に好奇心が旺盛なので、その怖そうなオニーチャンの一人に決死の覚悟で聞いてみました「いったい何のイベントが有るのですか??」するとそのオニーチャンが見かけによらず優しい声で「ハイ 理容師コンクールの全国大会があるのです」と教えてくれました。 ナルホドホテルが一杯になる訳だ。ヤレヤレ!!
2008年10月23日木曜日
2008年10月22日水曜日
2008年10月18日土曜日
孫に会いに行って来ます
今日から水戸の息子の所へ八月に生まれたばかりの孫の顔を見に行ってきます。
初めての女の子の孫ですから・・・可愛いだろうなぁ~
21日に帰ります。其れまでしつれいします。
ラベル: 孫に会いに行って来ます
2008年10月17日金曜日
振り込め詐欺
一昨日は年金の支給日で、「振り込め詐欺」撲滅運動がありました。
それでも静岡県では三件の被害者が出たそうです。此れは犯罪者達が余程巧妙な手口を駆使したのでしょう。 いくら何でも被害者の人達が此れだけ厳しく警戒されていれば易々と騙されるとは思えません。
犯人は二十代の男性らしいのですが、相当な知恵を搾り努力をしていると考えられます。何しろ今月に入って被害総額が七億円と言いますからおどろきます。 また 東京では此の二週間で十六件の犯行が警察官の目の前で行われたそうで、其れこそ「怪盗ルパン」もビックリでしょう。中には警官が注意をすると「家庭内の問題だから放っといてくれ!!」と 静止を振り切って振り込む人も居たとか・・・よくも此処までマインドコントロールが出来たものです。感心してる場合じゃありませんけど・・・気を付けましょう!!
2008年10月16日木曜日
日本サッカー 絶望!?!
まったく 何をしてるんだ。!!!
岡田監督の更迭ばなしが出たりしてますが、これは監督の問題ではありません。!!選手のモチベーションの問題です。 彼らはお金を貰ってサッカーをさせて頂いて居るのですから、もう十年以上も前からいわれつづけている「決定力不足」が未だに日本サッカーの不名誉なキャッチフレーズで、全然改善が出来て無いと言うの事はいったい練習で何をしているのか??? もっと言えば「プロなんだから、日の丸をつけた名誉有るプレーヤーなんだから、それに恥じない工夫をした独自の練習方法を創造してほしいのです。そして、自分しか出来ないプレーを創出しなければ真のプロじゃないのです。」 コーチの作った練習メニューを只漫然とこなして一流選手になったつもりじゃいつまで経っても「決定力不足の日本」と言う汚名は晴らせません。
成績は振るわないと直ぐ監督の首を挿げ替えて済ますから、選手たちは安心して従来通りの漫然練習をして、相変わらず「決定力不足」の看板をぶら下げてピッチに立つのです。おそらく 今度のワールドカップには行けないでしょう。残念だなぁ~!!
ラベル: 日本サカー 絶望!?!
2008年10月14日火曜日
小和田教授の講義3
今日は静大の小和田教授の第二回目の授業がありました。その中で面白かったポイントを書きます。
『静岡県は東西に長いので、県を東部・中部・西部と三つに分けてみると、昔からその気質が三つとも違うと違うと言われて来ました。 もし飢饉になったら「中部の人間は乞食になる」、「東部の人間は餓死する」、「西部の人間は強盗になる」そうです。中部や東部の人々は諦めてしまうが、浜松を中心とする県西部の人々はポジティブに何としても生き延びようと努力する事を例えた話です。これには江戸時代の幕藩体制の影響が有る・・・と思われます。
江戸時代 県の中部と東部は天領でした。その為 天災などで問題が発生した場合は「お代官様 お助け下さい」と泣きを入れれば何とか助けて貰えました。然し 県の西部は大名領でしたから助けてはくれません。自分で何とかしなければ餓死します。 だから県中部と東部はお上への依存心が強く、県西部は自立心が強いのです。』
そう言えば トヨタの創業者も、ホンダも、ヤマハも、スズキも み~んな県西部の人達です。「ヤラマイカ精神!!」でこんにちの偉業を成し遂げたのですね。
2008年10月12日日曜日
三浦元社長 自殺!?!
驚きました。あのロス事件で、自分が経営する雑貨店が行き詰り、保険金目当てに妻を殺した容疑で再逮捕された男が、突然の自殺です。当然「何故だろう!?!」と思っちゃいます。無罪を確信したかの様に自信満々の表情をテレビで見た限りではとても想像出来ません。
それがロスの独房でシャツを紐にして首吊り自殺とは・・・
いったい 彼に自殺をする気持ちに追い込む何事があったのでしょう???
私の独断と偏見に基づいた勝手な想像を赦されるならば、「弁護士に見捨てられた」のではないか?・・・と思うのです。 アメリカの弁護士はハッキリ言って「金次第」です。金さえ払えば黒も白と言い包めてしまうのは朝飯前なのです。逆に言うなれば、金の無い奴なんか鼻も引っ掛けないのです。最初弁護士はセンセーションな事案だけに売名になるとばかりに弁護を引き受けたものの、三浦元社長は財産ゼロどころか日本で詐欺罪の被告人と言う誠に情けない男である事が判って、「こんなオケラ野郎に用は無い!!」とばかりに捨てられたのでしょう。だから、あれ程強硬に反対していた身柄の「ロス移送」をアッサリ受け入れた弁護士の変貌も頷けます。 そして ロスへ移送してから三浦元社長は弁護士から「お前を見捨てる!!」旨の引導を渡されたのではないかと思います。そして彼は絶望そして自殺!!
以上が私の勝手な想像です。
ラベル: 三浦元社長 自殺!?!
2008年10月11日土曜日
緒方拳さん
先日 お亡くなりになりました。71歳とは未だ若いのに・・・肝臓癌だったようですね。今どき貴重な名優が一人鬼籍に入ってしまわれて惜しいことです。
確かに演劇界に大きな足跡を残した演技力と、人格者でありました。此の立派であった役者にも、大きな悩みが有ったようです。 それは新国劇の恩人であり、師匠でもある辰巳柳太郎師への裏切りをした事です。それに対しての悔恨の思いです。色々な事情があったのでしょうが、辰巳さんの方から言うと、「最初 弟子にして下さい。何でもします。命がけで頑張ります。と泣いて頼んで来たから、俺の後継者と思って育ててやった。それが テレビで売れて来たら、サッサと新国劇を捨てて行っちまいやがった。 もう 何と言って誤って来ても絶対に赦さない」と言う事です。
結局 師匠が死ぬまで赦されなかったそうで、それが 緒方さんの一生の悔恨だったでしょう。 もしかすると今頃あの世に行って辰巳師匠に詫びを入れてるかも知れません。もう赦してもらえるじゃないでしょうか。
小和田教授の講義2
第一回の講義が余りにも面白く、内容が豊富だったので、その続きをもう一度書きます。
『有名は武田信玄の事を書いてある「甲陽軍鑑」ですが、昔からあれは「偽書である」と言われてきました。その根拠は、あの中に重要人物として登場する重臣山本勘助が架空の人物で、他の歴史の一級資料には出てこないので、学者や研究者の間では実在しなかったと考えられてきました。NHK の大河ドラマの主役になったりしましたが、ドラマですから実在しようとしまいとどうでも良いのです。
然し 学者はそうはいきません。 そこを丹念に辛抱強く検証して事実を掘り起こし、後世に伝えていかなければならないのです。これも最近、地方の或る旧家から武田信玄の手紙が発見されまして、その中に菅助と書いた文字がありまして、此れが山本勘助のことだからやはり実在したのだ。と言う説が浮上しましたが、いやそれは別人だ。と唱える人もあります。今後の研究で徐々に明らかになるでしょう。』
こう言う話は面白くて堪りません。!!
2008年10月10日金曜日
小和田教授の講義1
一昨日 パソコンがダウンしてしまい、どうにも立ち上がらない状態になってしまいました。仕方なくOSを再セットアップして立ち上がりましたので、その続きを書きます。
『歴史の記録は「勝者が自分に都合のいい様に脚色して書いた部分」があります。また 「中央から見た歴史」と、「地方に伝わる歴史」とありますが、「中央の歴史」の方が「地方の歴史」より資料的価値が上と言うことは無いのです。つまり 地方に伝えられる民話とか、民謡、古来の伝聞の中にも、従来の歴史書として存在してして来た文書には無い事柄があり、従来の定説が覆ることもあるのです。
例えば 織田信長の比叡山延暦寺焼き討ち事件です。此の記録は公家の山科言継という人の日記に基づいて歴史に残ってます。山科言継と言う人は1527年~1576年迄の50年間、当時の京都周辺で起きた事件、京都の人々の暮らし振りを言刻銘に日記を書いていまして、その信頼性は極めて高いものとされています。だから此の事件は、歴史的事実として疑う余地はない と 思われてきました。
よころが 最近になって滋賀県教育委員会が比叡山の発掘調査をしましたが、「全山数百の僧坊を全焼させて、女子供を交えた三千人を惨殺した」と 伝えられて居るのに、いくら発掘しても焼け跡が見つからなかったのです。いくら四百年以上も前といってもこれは変だ、と言うことで、その後色々調べたら、山科言継は、事件があった日には現場には居なくて京都の町に居た事が判りました。つまり 現場近くから逃げて来た人々から聞いた「伝聞」だったのです。ひょっとすると比叡山焼き討ちはなかったかも知れません。だから 歴史を勉強するには、そういうこともあるので、すべての事柄を丸呑みにしてはいけないのです。』
俗説では その時比叡山はカラッポだった。坊さん達は堕落の極みにあって、僧坊は荒れ放題、坊さん揃ってみんなで長浜の町へ行って酒と女で乱痴気騒ぎをしていた、と言う説もあるくらいです。歴史は面白いですね。!!
2008年10月7日火曜日
静岡大学・市民開放講座
静岡大学に行って来ました。市民開放講座の生徒として今日から毎週火曜日に通います。
受講科目は「日本史 持論」。 先生はあの小和田哲男教授。皇太子妃の伯父さんです。それだけじゃなく、NHKの大河ドラマの時代考証や、「その時歴史が動いた」などで有名な先生です。だから教室には学生が一杯で入れるだろうか?と心配しましたが、思った程でも無くて席に着く事も出来ましてヤレヤレでした。
小和田教授は 来年三月に定年だそうで、これから三月までが最後の授業になるのでラッキーだと学生さんが教えてくれました。先生の講義は良く透る声で、聞き取り易くその内容の面白い(興味深い)こと、例えば「歴史は勝者の都合の良い書き方をしているので、敗者の側の事も考証しなければいけない」と言った具合で、これから歴史の裏側の話なども聴けそうで楽しみです。
今日の面白い講義の内容は明日纏めた上でブログアップします。
ラベル: 静岡大学・市民開放講座
2008年10月6日月曜日
禁煙 十周年!!!
禁煙しておよそ十年になります。我ながら 辛い長い道のりだったと痛感しています。
タバコを吸い始めたのは、大きな声では言えませんが、未だ二十歳前だったと思います。初めて吸った時「こんないい気持ちになれるのか!!」と衝撃的な感動をしたのをありありと覚えています。
それから四十年間、「この様な素晴しいものを止めてたまるか!!たとえA 子チャン(当時付き合ってた彼女)が『お願いタバコを止めて』と言っても絶対に止めないぞ!!」とばかりに、吸って吸って吸いまくりました。最高で一日100本に達する事もあり、自他共に認めるヘビースモーカーの名を欲しいままにしたのであります。だから私の体は「歩くニコチン」状態でした。
それが十年前、何故「禁煙」しようと思い立ったのか?と人様に言えるほどの立派な理由はありません。ただ「何と無く漫然と」と言った方が正確な表現です。
「禁煙」は、周囲には発表ぜず、コッソリと始めました。私の周囲には意地悪な「悪友」が多くて必ず有りとあらゆる妨害工作をされるのが分かっていましたから・・・。でも数日後にはバレまして、ワザワザ傍に来てタバコを美味そうにプカプカやったり「一本どうぞ」とか 何とかして決心を崩そうと波状攻撃しきりでした。
私の尊敬する医者なんぞは「今更 禁煙したって大した効果は無いよ。然も 最低でも十年間は禁煙しないと体内からニコチンの気が無くならないんだ。お前の様な意志の弱い奴が出来る筈が無いから無駄な努力は止めとけ・・アッハッハ」と 満座の中で言われたのです。
此の一言は効きました。残念ながら意思が弱いことは認めます。でも悔しいじゃありませんか!!みんなに笑われて挫折したとあっては男が廃ります。(大した男じゃありませんが・・・)
それから十年、山あり谷あり タバコ渇望人間の自分とあの憎き気医者の一言との戦いをして来ました。 漸く 最近になって「タバコが吸いたい」気持ちが涌かなくなりましたし、タバコを吸ってる夢も見なくなりました。
矢張り 彼の言うとおり 本当に禁煙出来るには十年かかりました!!。
2008年10月5日日曜日
美輪明宏さん
昨夜のテレビでオーラの泉を見ました。此の人は姿かたちでは伺えない仲々の骨太です。 以前 中曽根元総理を凹ませた事がありました。 中曽根氏は旧海軍の出身である事が自慢のタネで、酷い時代錯誤の人ですが、自分に異を唱える人を見ると「君は海軍の精神を知っているか!?!」と言っては相手の発言を捻じ伏せて来ました。
それに対して美輪さんは中曽根氏に「貴方は原爆の被爆体験はありますか!?!此れが私の被爆者手帳です。此の手帳を持ってる人の気持ちが解りますか!!」と言ったら黙ってしまったそうです。
昨夜の番組で美輪さんは『今の女性は結婚に対する夢・憧れ・希望が強すぎる。だから 結婚してから失望して離婚だの、裁判だのと言う事になる。自分が勝手に過大な憧れをもって結婚したのだから失望するのは当たり前だ。第一 結婚と言うものの本当の姿は、薔薇色に輝くユートピアでも何でもなくて、ドロドロした汚くて辛いものなのだ。昔の女性はお嫁に行くのは地獄の様な戦場に行く覚悟を持って行った。だから実際に行ってみるとそれ程でもなくて、ささやかな喜び事でも幸せを感じる事が出来て、周りに感謝して優しく出来た。 今の人は 自分の期待を裏切られたとばかり、相手を攻めて愚痴を言い自分を自分で不幸にしている。』
まったく いい事言いますね。!! 女性の中には 男が女を幸せにするのが男の責任だ と いまだに勘違いしている者がいます。 だけど 男にはそんな能力は有りません。!! 特に今の若い男には!! 可哀想だけど今の世の中は厳しすぎて女の面倒を見ている余裕はないのです。 だから 女の幸せは女自身で掴み取って下さい。お願いします。
2008年10月2日木曜日
鼻取地蔵
今日の古文書勉強会で聞いた地元に伝わる民話です。
駿府の國(今の静岡)丸子宿と言えば今でも「とろろ汁」で有名ですが、其の西に宇津野谷峠と言う難所があります。今では明治時代にトンネルが出来て、此の峠を越える事はありません。然し 江戸時代は此の峠越えは相当難儀をしたそうです。其の峠に「鼻取地蔵」という変わった名前のお地蔵さんがありました。
昔 此処に真面目で正直で働き者のお百姓さんがいました。毎日セッセと農作業に励んで居りましたが、ある時、体をこわして寝込んでしまいました。折りしも田起こしの時期で、どうにもならずに困っていましたが、気は焦れどもままならずと言う状態でした。翌日になって、気懸かりなので田圃を見に行くと、お地蔵さんが、牛の鼻を取って田を耕して呉れていたのだと言う話です。 それで「鼻取地蔵」と名付けられて、今では峠の麓の寺に移されて地元の人々に崇拝されて居るそうです。
やはり 真面目に正直に一所懸命に働いて居れば、きっと神様・仏様が報いて下さるのでしょうね。 でも 今の日本人の多くは、真面目に地道に働かず、投機と言う麻薬の虜になっちゃって村上ファンドとか、ホリエモンとやらを持て囃す情けない人間に成り下がってしまいました。
2008年10月1日水曜日
金融安定化法案 否決!!
アメリカでは 金融恐慌を回避しようと大統領が必死に訴えた「金融安定化法案」を下院議会が否決してしまいました。大統領の面目まる潰れです。 ただでさえ権威も威信も無くなって仕舞っているブッシュさん、泣きっ面に蜂と言う所でしょう。
然も ブッシュさんの与党の共和党から、事前に因果を含めて此の法案に賛成する様に根回しをして置いたにも拘らず、いざ議決の段階になって「反対」に廻った造反者が大勢出ての否決です、あのブッシュの8時20分の泣き顔が7時25分になった事でしょう。何とも情けない大統領です。
反対の理由は「散々いままで儲けていい生活を楽しんで来た連中が、今になってピンチだからと言って国民の税金を遣って救済するのは怪しからん。と言う国民の声が多くて、偶々大統領選挙と同時に行われる下院議員選挙に影響すると判断をしての行動しいですね。金融恐慌の問題より、自分の選挙の方が大事とは粗末です。いかにもアメリカらしいね。!!日本もね・・・
ラベル: 金融安定化法案 否決!!