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2012年3月31日土曜日

 「バリヤフリー」 妻の退院に伴い 自宅の内外をバリヤフリーにする為の工事をしました。昨日朝から大工さんが左官屋さんと一緒に来て、一日で瞬く間にやって呉れました。
 妻が退院する前から現場のスケッチをして、寸法取りもして有り、作業は誠にスムーズで手際は見事でした。さすがプロの仕事と言えます。
 まず玄関の門扉・石段に手摺りを着けて、それから屋内の廊下・風呂場・階段に手すりを着けました。此れだけの大仕事を何とたった一日で完成させて呉れたのです。
 何しろ 退院して来た妻が一刻も早く生活が出来る様に、と言う配慮から材料手配から、据え付けの段取りまで、全く無駄が無く、見て居て惚れ惚れする程の鮮やかなもので、普通 作業を進めながら、「あれはどうしましょう?此れはどうしましょう?」といちいち相談をしながらやるのが当たり前ですが、そんな煩わしい事は一切なく、以前の打ち合わせ通りに勧めて呉れました。
 私は 手持無沙汰でする事も無く、テレビの高校野球を見て居まして、時々作業の進み具合を覗いて居ました。そして夕方五時頃「終りました。此れで失礼します。外の作業のコンクリートの固まり具合を明後日に点検に来ます」と言って颯爽と帰りました。プロの職人はこうで無くてはいけませんねぇ~!!恐れ入りました!!



2012年3月29日木曜日

介護保険2

「介護保険2」私達が強制的に加入させられて居る介護保険ですが、簡単に利用できる と思って居ましたが大間違いでした。
 先ず 此の介護保険を利用させて貰うには、大変な段取りを経なければなりません。
1.市町村の窓口へ申請。
2.調査員の訪問調査。此処で役人ぶった横柄な調査員の不愉快な調査を受けます。
3.コンピュータに依る一次判定。調査員と医師の意見書をコンピュータで判定します。
4.介護認定審査会に依る二次判定。此の認定審査会での会議で、介護保険の利用が可・不可が決められます。
 其処で 要介護1~要介護5迄、其の下のランク要支援1~2迄のランクに分別されて、介護保険の利用出来る金額が<本人の意思>には関係なく決められるのです。然し 介護保険料は一律に負担させられて居ます。なにか矛盾を感じます。
 私の妻の場合は、ケア・マネさんの推測では<要支援1>と言う一番軽いランクになるだろう と言う事でした。だから 大した金額の利用は出来ないでしょう。介護保険料は全額払って居るのに。
 何だか納得出来ませんねぇ~

2012年3月28日水曜日

介護保険1

介護生活を始めました。当然の事ながら初めてですから、戸惑う事ばかりです。先ず<介護保険>の利用申請から始めなければなりません。 それで区役所の窓口へ行きまして、申し込みをしました。此れで申し込みが済んだ途思いきや、此れは序の口でした。後日 区役所の介護保険の担当者が入院中の病院に調査に来まして、ゴチャゴチャと患者の状態を聴きまして(かなり突っ込んだ内容で答えにくい質問もスケズケ無作法に聴かれた)最後になって「此れで調査が終りましたので、あとは適当なケア・マネージャーを探して下さい」と言いましたのでビックリしました。
 「エッ!ケア・マネージャーを自分で探すのですか!?!何処に聞けばいいのですか?誰か紹介して呉れませんか?」と聞きますと、「私は ケア・マネの紹介はしません。介護保険の申請窓口業務をするだけです」と ケンモホロロの応えです。余りの酷い態度に遂に私はキレまして、「あんたは一体なにをしに来たんだ!!そんな無礼な仕事をする為に来たのなら、不愉快だ!カエレッ!!」と怒鳴りつけて仕舞いました。
 其の区役所の窓口担当者(中年のオバサン)はそう言う事に慣れて居るらしく、泰然自若ビクともしませんで悠々と大きな尻を振りながら帰って行きました。
 幸い ケア・マネージャーに知り合いが居ましたので、何とかコンタクトが出来まして、懇切丁寧な対応をして貰いました。此方はもう 丁寧過ぎてまだろっこしい位でして、高齢者やその家族を相手にするので、敢えてユックリと丁寧に喋るのだそうです。全く 区役所の担当者(多分派遣社員でしょう)と比べると、閻魔大王と観世音菩薩の違いでした。所詮はお役人根性って奴ですか!

2012年3月27日火曜日

仮病患者?

「偽 病人?」 昨日アップした認知症の老婆の話です。実はこの婆さんは認知症らしいのですが、どうも様子が怪しいのです。医者や看護師が「今日は何月何日ですか?」と聞きますとトンチンカンな事を答えます。そして「私の主人が先程見舞にきたけど・・・何処に行っちゃったの?」とか 言いますが、此の人のご主人はもうとっくにお亡くなりりなって居まして、見舞いに来る筈は有りません。そして夜なかにベッドから抜け出して病院の内外を徘徊して廻るのです。然も 翌朝にはチャンと元のベッドに戻って居て何事も無かった様に涼しい顔をして居ると言うのです。
 ところが 此れがどうも演技らしいのです。今迄 何度かそう言う事が有って、医師や看護師に厳重注意をされても<認知症>を装って居て全然効きません。病院の担当者が自宅を訪問して退院もしくは転院の話をしましたが、息子さんの嫁さんが、逆に病院側の不備な点を近所中に聞える大声で喚き散らして話し合いにならないあり様で、スゴスゴと引き上げざるを得なかったそうです。
 此の話をして呉れた某主任看護師が想像するのには、此の患者さんは、此の嫁さんに酷い仕打ちを受けて居て、家には身の置き処が無いので、可哀想に認知症と言う<仮病>を演じて居るのです。今迄に二度も病院側でタクシーに乗せて、自宅迄送りましたが、二度とも即座に救急車を呼んで病院に送り返して来たそうで、もう病院側もお手上げ状態です。
 然し 息子の嫁さんにこれ程<厄介者>扱いにされて居るお婆ちゃん、哀れですねぇ~

2012年3月26日月曜日

病院の窮状

「病院の窮状」 此の度 妻が入院して居た静岡市立病院では、大きな問題が有りました。其れは医師・看護師・更に病室が決定的に不足している、と言う事です。
 静岡市には 六ヶ所ほどの大きな総合病院が有りますが、其の何れもが同じ悩みを抱えていると言う事です。特に妻が入院していた病院の、脳外科病棟は、其の状態は深刻で、病室の不足は酷いものでした。勿論 医師や看護師の不足も大変で、土曜日曜の休日返上は珍しく有りませんでしたが、病室が無い為に<入院待ち>の患者がおおぜい居るそうでした。
 私の妻の場合は 緊急の手当てが必要との医師の判断で、強引に入院をさせて貰ったと、あとで聞きましたが、其の為に看護師長や医師のご苦労も有ったとの事で、其れは本当に感謝に堪えません。其処で他の病院に廻されたり、入院待ちにされた要りしたら此の様に速い回復は出来なかったかも知れません。
 入院して見て分かったのですが、脳外科病棟の入院患者の70~80%は高齢者の女性です。然も其のみんなが認知症で、食事もトイレも自力で出来ない寝たきり老人です。
 本当は こう言う人達は介護付き養護老人ホームへ転院させるべきなのですが、何処もも満員で3カ月待ち、半年待ちは当たり前です。其れと入院費用が大幅に違います。市立病院では4~5万円月ですが、養護老人ホームでは20万円以上/月と、介護保険を遣っても家族の負担が桁違いになるのです。
 だから其れ等の患者は市立病院に強引に居座るのです。「退院・転院の勧告は無視」で、酷い家族は病院には全然顔を出さないで、患者をホッタラカシして居て、病院からの呼びかけにもまったく応じないと言います。 また病院側がタクシーを用意して退院させたら、直ぐに救急車を呼んで病院に戻って来ちゃったと言う凄いのが居たそうです。どうしてそんな事をするのかと聞けば、「市立病院だから、市民の病気の看病をするのが当然ではないか!我々は税居金を払って居るんだ!!何が悪い!!」と 開き直り平然として居るのです。
 どうも これ等の患者達は家では厄介者で病院を姥捨て山にしているらしく、他の大勢の市民の事を全く考えないエゴイストで困ったものです。

2012年3月25日日曜日

妻が退院!

妻が退院しました!。脳梗塞で倒れ 入院生活55日、永い永い闘病生活でした。と言っても未だ全快した訳ではありません。これから自宅での闘病生活が続く夫ですから、やっと一区切りと言う所です。然し 此れもお医者さん、看護師さん達の献身的な看護のお陰と深く感謝して居ます。有難う御座います!!
 昨日 病院から帰宅しまして、入院中に病室に持ち込んだ諸々の品物、洋服やら生活物件を今日整理しましたが、まぁ有るゎあるゎ!一体此の物を何処から持ち込んで、何処に仕舞って居たのか!?!と途方に暮れる程の量に呆れるばかりでした。女の持ち物とは男の感覚では理解できないものです。今日はその為に丸一日を費やしてクタクタになり、入院生活の如何に大変な事かを感じ入った次第です。
 妻の入院中に、色々な感じた事や、出逢った人達の面白いエピソード等が沢山ありまして、此のブログに直ぐにでもアップしたいと思いますが、今日は大変疲れて居ますので、あす以降に致します。

2012年3月10日土曜日

妻の闘病記 5

「妻の闘病記 5」私は 毎日病院まで妻の付き添いで行きます。と言っても看護師さんが付いて居ますから大した事はしませんが、其れでもリハビリステーション迄の送り迎えとか、売店まで飲み物やオヤツを時々買いに行ったりして、出来るだけ妻の傍に居て時間を伴に過ごす様にして居ます。
 病人は 只寂しくて 誰かに何か相手をして欲しいものです。其れくらいの事ならと、毎日セッセと病院に行って話し相手をしてやります。冗談を言ったり、思い出話をしたり、他愛の無い事ですが、これがケッコウ薬になる様で、先生も頻りと励ましてくれます。お世辞でしょうが「ご主人の熱心さが奥さんの力になります」と言われて そうかな?と思います。
 そう言えば 入院患者の中には 誰も全然見まいに来ない人も居ます。色んな事情が有っての事でしょうが、なんだか哀れで気の毒です。そんな患者さんが食事の盆を引っ繰り返したり夜なかに喚いたりして医者や看護師の手を煩わせるのです。きっと寂しくて 誰かにかまって欲しいのでしょう。

2012年3月8日木曜日

妻の闘病記 4

「妻の闘病記 4」 妻が入院して40日なりますと、色々の事が耳に入って来ます。驚いたのは昨日の朝退院して行った患者さんが、昨日の内に又救急車で運ばれて病院に戻って来たと言うのです。然も 此の患者さんはそう言う事が初めてじゃ無くて、今までに二度も有り、今度で三度目だと言いますから呆れて仕舞います。
 此の人は 認知症でおまけに重度の糖尿病で、病院側としても完治の見込みが無く、徘徊はするヮ食べ物を引っ繰り返すヮで、医者も看護師も手に負えずに困っているのです。勿論 家族も厄介者扱いで、病院を<姥捨て山>にしているらしいのです。何度も退院のために患者の引き取りを要請しても家族は顔も出さないといいます。やっと昨日病院側で車を出して自宅へ送り返したら此のザマで、どうにもんりません。
 病院としても困りますから、「退院勧告」をして養護施設などへの転院の要請をするのですが、養護施設と市立病院とでは入院費が格段に違いますから、無理矢理退院させても今回の様に救急車を呼んで病院に逆戻りさせて仕舞うのです。
 看護師長も「こう言う場合 どうしたらいいのか?困って仕舞います」と嘆いて居ました。市立病院ですから 市民の税金で運営して居る訳で、市民が病気で困っている場合は入院医治療を拒否できません。然し こんな形で病院を利用されたのでは、善良な一般市民としては誠に困った事です。

2012年3月7日水曜日

妻の闘病記 3

「妻の闘病記」 妻が入院して居る病院に物凄~クく可愛い看護師さん>が居ます。決して美人じゃありませんが、いつもニコニコして居て、なでしこジャパンの宮間あや選手の雰囲気を持った可愛い子ちゃんです。
 まだ正看護師になって一年だそうで、何を頼まれても決して嫌な顔をせず、ナースステーションと病室をコマネズミの様に飛び回って居ます。矢張り 患者さん達からも大変愛されて居て、未来(はるか)ちゃん、未来ちゃんとお声が掛かりますと「ハイ!」と大きな声で返事をして、鼻の頭に汗をかきながら走って行きます。
 彼女の其の姿と明るい笑顔を見て居ると、其れだけで元気が出て来て病気が治りそうな気持になります。
 患者さんの下(しも)の世話から食事の世話まで大変な仕事です。其れでも嫌な顔ひとつせず、「食べたら 出て来るのは自然の摂理ですから・・・」と言いながら淡々と作業を進めて居ます。患者にして見ればさぞ恥ずかしい思いをしている事でしょうが、その様に笑顔で淡々とされるとホッとして、救われた気持ちになるのでしょう。
 他にもベテランの看護師さんや、頗る美人の看護師さんも居ますが、もしも自分が患者になったら、美人の看護師さんには恥ずかしくて下(しも)の世話なぞして貰えません。ヤッパリ未来(はるか)ちゃんにお願いします。偉いですねぇ~未来ちゃん 尊敬します。

2012年3月6日火曜日

妻の闘病記 2

「妻の闘病記 2」病気との闘いは 結局の所本人の<生きたい!>と言う執念と言うかモチベーションの勝負だと思います。
 いくら医学が発達しても、いい薬が出来ても、所詮は本人が<生きたい!>と望んで<生きる事>を努力しなければ全てが無駄になる、と 今回の妻の入院でつくづく思い知らされました。
 其れが顕著に感じたのが、体の機能回復の為に行うリハビリをして居る人達を見て居て、其処で励んでいる姿を観察しながら痛感しました。
 リハビリはしんどい、とか 痛みを伴うとか、決して楽なものでは無く辛いものです。然し 誰の為でもなく、自分の為だけの物です。だから 理屈もヘチマも無く、ただ黙々と歯を食い縛って続けるしかないのです。其の結果 徐々に機能の回復が見えて来た時に<生きたい!>と言う悲願が向こうの方に微かに見えて来るのです。
 然し 聞く処に依れば 途中で「リハビリはもう嫌だ!」と言って投げ出す人が多いそうです。折角<もう少し頑張れば・・・>と 願って先生方も励ましますが、モチベーションを失って仕舞った人は万事窮すと言う事です。折角 神様から与えられた命なのに、勿体ないと思いますが<生きたい!>と言う執念を持ち続けられないのでしょう。

2012年3月5日月曜日

妻の闘病記

「妻の闘病記」 私の妻が脳梗塞で倒れてから早くも36日になりました。倒れた場所が誠に幸運にも、病院に向かう途中で、そして偶々病院の当直医の先生が脳外科の専門医で、直ぐ緊急手当をして直ぐ入院と言う、まさに奇跡的幸運とも言える初動処置が素晴らしかったので、今では医者も驚く程の回復をして居ます。
 入院当初は ベッドに縛り着けられて、身動きも出来ず、薬の所為で幻覚をみて、有らぬ事を口走り、その様子を見て私は途方にくれました。「家に帰る!」と言ってベッドから降りようとしたり、「どうして自分が此の様な目に遭うのか!?!」と喚いたりして、医者も看護師も手を付けられず、私に落ち着くまで病院に泊まり込んで欲しいと要望されました。
 仕方なく 私と娘と交代で六日間程止まり込みました。然し 付き添い様のベッドは狭く、寝返りも打てませんし、一時間おきに妻が何か言いますので、とても熟睡は出来ませんでした。
 七日目にようやく落ち着きましたので、漸く我が家に帰り寝る事が出来ましたが、其の間は疲労困憊で大変でした。と言っても当の本人は其の事を全く覚えて居ないのです。
 今年の冬はとくに寒くて、毎日病院迄通うのは誠に辛いものが有りましたが、妻はもっと辛い思いをして居るのですから愚痴は言えません。
 二月の下旬からリハビリが始まりまして、みるみる体の機能が回復して来ました。此れはリハビリの先生が熱心で、非常に上手に指導して、患者のモチベーションを高めて下さったお陰です。本当に有り難く感謝して居ります。お陰さまで今では車椅子を卒業して、歩行器で歩く練習が出来る処まで来ました。
 此の侭順調にいけば、三月十五日に脳のバイパス手術をして、三月末頃に退院出来る見通しになりました。以上が「妻の闘病記」の中間報告です。