今日 妻の入院していた病院に、帯状疱疹の定期検診に行って来ました。 もう殆ど治癒して居ますが、もう少しの所に僅かに残っているとの事での検診でしたが、今日の結果「もう薬は飲まなくてもいいです。でも 完全に治るまで確認した方が安心ですから、もう一カ月後に診ますか?」と先生に言われて「ハイ」と答えてきました。
其のついでに 入院中に知り合った御婦人のお見舞いに行きましたら、元々立派な体格が益々立派になってました。先生から「肥満体は 大腿骨に負担になるから痩せなさい!!」と キツーイと指令が出て居ますが、仲々痩せられません。
本人は 「見舞客が、次から次へと食べ物を持って来るんだもん!」と言ってますが、どうも 其れだけでは無さそうです。ベッドの周りにはお菓子類がイッパイ積み上げてあります。そして それへのべつ手が伸びて止まりません。然し 当人はそれ程物事を深刻に捉えて居ません。此の人は「挫屈骨折」で、上体の重さを大腿骨が支えきれなくて骨折した訳ですから、ダイエットは必須事項なのですが、呑気なもので、「食べる事が唯一の楽しみだも~ん!!」と言ってはバリバリ・ムシャムシャとやっては呵々大笑して居ます。 どうも 一階の売店にコソコソ行っては「悪い事?」をしているらしいのです。だから 今度行く時には「絶対に食べ物を与えないで下さい!」と言う看板を作って持って行ってやりましょう。
2009年6月30日火曜日
ダイエット指令!!
2009年6月29日月曜日
百人一首 本歌取り
今日の 静大・岡崎先生の講義は百人一首「本歌取り」の勉強でした。
「本歌取り」と言うのは 万葉時代から、古今集までの作品の内からいい作品を踏まえて、その作品を活かして一首詠むと言うもので、 私の今迄の認識では、「何て事は無い!その様な真似作・パロディーじゃないか!? 百人一首の撰者の 藤原定家ともあろう者が、何故その様な歌を選んだのだろう?」と言う程度のものでした。その為 今日の講義は実に興味深く聴きました。
九十番 「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず」殷富門院大輔
(私の涙で色の変わった袖を見せたいものよ 雄島の漁師でさえ海水に濡れに濡れた袖の色は変わらぬというのに)
『本歌』「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか」 源 重之
(松島の雄島の磯に 漁をしていた漁師の袖もこの様に濡れたのだろうか)
九十番の歌と「本歌}を比べて見れば、九十番の方が、恋の切なさ、苦しみ、其の流す涙の紅色まで詠んで居る所に「本歌」を凌ぐ強い意味合いが有ります。つまり 「本歌」を踏まえて「本歌」を凌ぐ良い歌でないと全く価値がありませんから、「本歌取り」も容易ではありません。
此の「本歌取り」が流行したのは、平安末期から鎌倉にかけてです。どうしてか?と言えば、岡崎先生はマンネリ・ネタ切れだろうと言うことでした。
成るほど!! と 納得しました。
2009年6月27日土曜日
キリストの墓!?!
青森県 三戸郡 新郷村にキリストの墓と言うものが有るそうです。其れは円形の盛土に十字架を建てた簡単な物で、昭和の初め頃 土地の人が言いだしたらしく、「十字架で磔になったのは、キリストの弟のイスキリで、キリスト本人は日本に逃れて此処で天寿を全うした」というもののようです。
キリストに弟が居たのか?ではマリア様は二人目の子供を産んだのか?そしてその父親は?なんて野暮なツッコミは止めときましょう。 何しろキリストですよ!いいじゃないですか!! 希有壮大な空想を大真面目でやり続ける努力!涙ぐましいでは有りませんか!!
でも 此の道路標識は国道454号線に立っているのですが、管理者は国土交通省でしょうが、洒落の分からない真面目な人からクレームが出なかったでしょうか?
2009年6月26日金曜日
般若心経
瀬戸内寂聴尼の本 「般若心経」を読みました。瀬戸内さんは出家したお坊さんです。寂庵の庵主であり、岩手県の天台寺の住職でもあり、れっきとした俗世から出家したお坊さんですが、我々俗世の凡人の生臭さよりも遥かに生臭い言動の人です。と言っても昨今の新人女性作家の様に、生臭い性描写で悪臭が漂うばかりのモノと違いまして、品格がありほど良い生臭さが女性フアンに人気があるのです。
その瀬戸内さんが「般若心経」を私の様な仏教に全く初心者にも分かり易く噛み砕いて書かれた本が中公文庫から出て居ます。
私は勿論 お経を其の内容まで理解しようと言う目的を持って読むのは生れて初めてです。だから 「般若心経」がどれ程の深い意味がも知らず、それを自分がどれ程理解できるかも分からずの侭、此の本を読んだのです。
結論から言えば 「大変良く分かりました!!。そして般若心教が単なるお題目くらいにしか意識してなかったのに、こんなに深い意味が有ったのか!と目から鱗が落ちた思いでした。
本の内容は 寂聴尼の本拠 寂庵で説話の様子からリラックスした話で書かれています。だから読んで面白くてドンドン先に読み進みます。時々クスッと笑ったりして・・・勿論真面目な所は真面目に。
『人生は苦である。苦の根本原因は煩悩です。此の煩悩こそあらゆる苦労の大元です。煩悩を無くせば全ての苦労は消滅する。(そんな事は絶対に不可能ですが・・)「四苦八苦」と言いますが、これは仏教の言葉だったんですね。
四苦とは 生・老・病・死の四つの苦の事で、生は生れて生きる事。老は老いて衰え行く事。病は病み苦しむ事。死は死ぬ事。これ等の苦は煩悩を捨て去れば苦では無くなるのだ!と言う有難い教えです。 が 瀬戸内さんの説話に依れば、博多の聖福寺の第123世住職の書画で有名な仙崖和尚が、天保八年(1837年)八十八歳で愈々御臨終を迎えようと言う時、お弟子達がズラリと取り捲いて、何しろ偉い禅宗のお坊さんですから、死ぬ時に何かカッコいい遺言を言って呉れないかな?と思って、「まさにお死にになりますが、いかがですか?」と聞くと、和尚さん曰く「死にたくない!」。弟子が困ってもうちょっといい事を言って貰いたいので、もう一回「いかがで御座いますか?死をどうお思いになりますか?」と聞くと、和尚さんは又「死にたくない」そして又聞かれるとうるさいと思って、つづけて「どうしても、どうしても死にたくない」と仰ったそうです。有名な 偉い偉いお坊さんでも此様ですから、我々凡人が煩悩に悩むのは当たり前です。大いに遠慮なく「四苦八苦」しましょう。
2009年6月25日木曜日
他人の不幸は蜜の味!?!
妻が 今迄通って居た婦人体操クラブを手術後の養生の為に今はお休みをしてます。それで「好奇心」に燃える人々が、妻と仲の良かった人に「どうしてるの?」と頻りに聞いて来るそうです。
いちいち面倒なので適当に「好く分かりません」と答えると、ガッカリした様子で引き下がると思いきや、もっと悪い状況になっている(寝たきりじゃないか?等)の話を期待する追い打ちをかけて来て、仲々諦めません。そんなに「他人の不幸」を楽しみたいのでしょうか!?!
私にも経験がありまして、今から十数年前、リンパ腫の手術で入院した時、会社内で噂が飛びました。 最初は 「腫瘍は軽くて良性のものだから、二~三週間もすれば退院出来る」と言うものでしたが、段々話に尾ひれが付いて「悪性の腫瘍で大変らしい」になり、とうとう「余命幾ばくも無いらしい」となってしまいました。
退院して出社して見れば、何だか空気が変です。「今にも死にそうだ」と言う人間がニコニコして元気に出て来たからです。みんなも驚きましたが、一番驚いたのは私自身でした。
早速デマの発信元を調べました。社内で一番のお喋りで一番怪しい女子社員を調査員に任命しまして調査させた所、喜び勇んで活動を始め、半日を待たずして犯人を突き止めました。
犯人は或る男性社員が「腫瘍と言うものは、良性ならいいけど、もし悪性だと大変で、最悪の場合余命幾ばく・・・」と話して居たのを、漏れ聞いた女子社員が黙って居るのが我慢出来ずに「ネェ 聞いて!聞いて!・・・」と耳打ちして廻り、「余命幾ばく・・・」の部分だけが大きく伝わった訳です。
「他人の不幸は蜜の味」と言いますが、「壁に耳あり」とも言います。気を付けましょう。
ラベル: 他人の不幸は蜜の味!?!
2009年6月24日水曜日
ダメ トラ!?!
阪神タイガースが低迷してます。去年の独走して もう絶対優勝!と思われた勢いから急降下した、あの不様な姿其の侭に、横浜とビリ争いをして居ます。
それでも 阪神ファンは可愛いですね。負けても、負けても口汚く罵り罵倒しながらも、甲子園には二万五千人もの「虎キチ」達が足を運んで呉れるのです。そして 試合が終わればガックリ肩を落として飲み屋に行き、やけ酒を煽っては泣き、「もう 絶対に阪神なんか応援せーへんで!!」と怒鳴って家路に付くのですが、翌日 チャンと甲子園のスタンドに居て、声を枯らして阪神を応援して居るのです。 そして又 肩を落としてやけ酒を飲んで・・・これは 若しかすると「病気」でしょうね。
或いは こう言う「不甲斐ない奴を応援する」事に一種の恍惚感を味わうマゾ的喜び?に浸って居るのでしょうか?
その昔 大阪に勤務して居た時、超超虎キチのオッサンの知り合いが居ました。其の人の奥さんが、「阪神が負けると、酔っぱらって泣いて帰って来ます。そして直ぐに寝てしまい、手がかかりません。滅多にない事ですが、勝った時には、もう 大声で『六甲おろし♪』を歌って寝かせて呉れません。御近所にも御迷惑だし、本当に困ります。」と言う事で、奥さんは 旦那が甲子園に行く時は、神棚に手を併せて「どうか 今日も阪神が負けます様に!!」と小声で祈るのです。其れを見た旦那は「あぁ~さすがは俺の女房や、阪神の必勝を祈って呉れとる!!」と喜び勇んで出かけます。
そして 其の夜遅く肩を落とし、泣いて帰って来るのでした。メデタシ!メデタシ!
2009年6月22日月曜日
才女 続々
岡崎真紀子教授は御自分が才気煥発であらせられますので、百人一首に登場する女性の中でも、才能が溢れ、時の高貴な地位で、才能が有ると言われた男を、見事に凹ませてしまう才媛がお気に入りの様で、今日の講義もその流れに沿ったものでした。
小式部内侍 かの有名な和泉式部の娘です。母親が歌人として有名なあまり、世間には、小式部内侍の詠作も本当は母親の代作に負っているのではないか?と言う噂がありました。 それを 当時歌人として名高い中納言藤原定頼がからかった事に対する小式部の見事な「切り返し」ぶりが今日のテーマでした。
母の和泉式部が、夫の保昌が丹後に赴任するのに伴われて丹後に下って居た頃、京で歌合(うたあわせ)が催され小式部も詠者として召される事になりました。其処で中納言定頼が「丹後の母上への依頼はどうなりましたか? 文を持った使者は間に合いますか?」とからかいますと・・・小式部は通り過ぎようとする定頼を引き止めて、即座に此の歌を詠み下して見事に一本取った訳です。
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」=「母の居る丹後の国までは、大江山を越え、生野を通って行く道が遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだ事もないし、母からの文も見ていません」
此の鮮やかな切り返しに中納言定頼は、直ぐにでも此の歌に負けない「返歌」を詠もうと必死に頑張りましたが、出来ないので 小式部内侍に掴まれた袖を振り切って逃げました。
中納言藤原定頼の完敗です。 何だか女の賢さは、現代も平安時代も同じでしょうか??
2009年6月21日日曜日
父の日
父の日のプレゼント 娘からは洒落たTシャツを、息子からは皮製のバッグを贈って貰いました。自分では「父の日」なんか忘れて居ましただけに嬉しさ一塩です。
普通 母の日はデパート等の宣伝も力を入れて喧しい限りで、何かしないと悪いみたいな雰囲気に追い込まれてしまいますが、「父の日はついでに有る」くらいの情けないものでしかありません。
それが 二人の子供達が 申し合わせたかの如くに贈り物を呉れたなんて初めての事ですから、親馬鹿を承知で喜んで居ます。
おまけに 息子からは、去年生れた孫娘の可愛いアルバムまで添えて、憎いばかりの演出で祖父さんを泣かせるではありませぬかそして バッグは、先日妻の見舞いに来た折に、私が今迄使い古してくたびれたバッグを見兼ねて新しく立派な物を贈って呉れた様です。
今日ほど「子供を持って好かった!!」と思った日はありません。幸せ!!
2009年6月19日金曜日
桜桃忌
太宰 治と言う小説家をを知ったのは確か高校生の頃だったと思います。「走れメロス」を読んで、其の篤い男の友情と責任感にいたく感動したものです。「男は斯くあるべし!!」と肝に命じて太宰の本を片っ端から読みました。
所が 「人間失格」「斜陽」と読み進み、その人物描写の退廃的と言うか、無気力、無責任、無感動と言う、今風に例えれば「絶望した団塊の世代」と言いましょうか、「此の人の心は、何故こんなに暗くて絶望的な方向ばかり向くのだろう?」と思い太宰 治が嫌いになってしまいました。また その生き様を見れば心中・自殺を四回もして居て、物凄い「死にたがり屋」です。
最初はカフェの女給の田部シメ子と、鎌倉の腰越の海に身投げ、田部シメ子だけが死亡して太宰は生き残りました。
次に 都新聞社の入社試験に失敗して自殺未遂。 そして 小山初代と心中未遂。 最後に山崎冨栄と玉川上水に入水心中。今度は見事?に死ぬ事が出来て、その遺体が発見されたのが6月19日、奇しくも39歳の誕生日でした。それを記念して「桜桃忌」。
彼は 強度の鬱だったのでしょう。瀬戸内寂聴師の「般若心教」と言う本に依ればこう言う人は所謂「煩悩」の激しい人で、自分に対しての不満、自己嫌悪、周辺の人・事柄に対しての不満・嫌悪と言った「煩悩」が始終激しく頭脳の中を駆け巡って居て、耐え難い状態と戦ってい居たのでしょう。
そして 苦しみぬいてとうとう負けたのではないか?と思いますが・・・死ぬなら一人で静かにヒッソリと死ねばいいのに・・・
2009年6月18日木曜日
妻の経過報告
妻の手術から ほぼ一カ月になりました。 それで術後の検診に行って来ました。
結果は良好で、「レントゲン検査で、頸椎に挿入している人口骨の接着具合も実に良い」、とのお医者様のお言葉でした。それで一先ず安心しました。何しろ手術後の一カ月が特に危険だから充分注意する様に、と言われて居ましたからです。
「現状で大丈夫ですから、あとはもう二カ月程大事にしなさい」と先生に仰られてホッとしました。其れにしても、此の先生は有名な名医ですから、仲々診察の予約を取る事が出来ません。予約が取れても通常だと2時間以上も待たされるのですが、今回は特別に有力な患者さんの予約に便乗出来ましたのでスンナリと診察を受けられました。
此の患者さんは余程強いコネと言うか、力をお持ちの様で、大したもので感心致しました。お陰様で私達は大助かりで、おまけに結果が好かったからヤレヤレでした。感謝!!感謝!!
2009年6月17日水曜日
清少納言
6月15日の岡崎先生の講義です。百人一首 六十二番 清少納言の歌
清少納言と言えば「枕草子」の作者で、「源氏物語」の作者紫式部と同時代に活躍した才媛として双璧です。
第62番の歌 「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
此れは清少納言と大納言藤原行成との当意即妙の遣り取りです。歌の前半の「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも・・・の部分は、中国の古典「史記」に出て来る函谷関の故事と逢坂の関を結び付ける機知によって、大納言行成を言い負かしたとされるものです。言い負かされた大納言行成は、余りに見事な清少納言の才能に感服して、此の歌を宮中に居たみんなに見せて回ったので、清少納言の広く称賛される所になりました。
函谷関の故事は漢文が読めて、此の故事の知識がなければこの様に歌に引用して大納言を凹ませる事は出来ません。当時の女性は平仮名をつかい漢文が読み書きできる人は稀でした。それで 大納言は「清少納言は凄い凄い」とばかりに触れまわったのでしょう。
ただ 当時のライバル紫式部は「女のくせに 漢文が出来る事をひけらかして なまいきだわ」と言って居ます。 もし 今の世に二人が居たらテレビで討論会をさせたら面白いでしょうね。
2009年6月16日火曜日
弘法大師
昨日は弘法大師の誕生日とされて居る日でした。今から1235年前、四国の香川県善通寺市の佐伯氏に生れ幼名は「真魚」、幼時から神童の呼び声が高く、其の神がかり的優秀さを伝える逸話が多く有ります。
804年 30歳の時、仏教の勉強の為、遣唐使団に希望して参加、嵐の為に船が目的地では無くて福州と言う所に漂着して、海賊と間違えられて拘束されてしまったのです。言葉が全く通じないから、手の施しようが無くて、遣唐大使が困り果てて居ると弘法大師が代わりに嘆願書を書いて交渉し、窮地を脱したと言われています。其の時の唐の役人は嘆願書の文面の見事さと文字の素晴らしさに感動したそうです。何しろ 後世 平安の三筆(嵯峨天皇・橘の逸勢・空海)の一人と言われた弘法大師です。
806年8月に唐の青龍寺・恵果和尚から「遍照金剛」の称号を与えられ「密教」の経典を授けられました。此れは500人を超す現地の中国人を差し置いて、外国人である弘法大師に与えられたと言いますから 如何に弘法大師がずば抜けて優秀であったかが考えられます。
他に 弘法大師が掘ったと伝えられる各地にある温泉、灌漑用水とか、まさにスーパーマンとしての活躍は我々凡人の想像を絶するものが有ります。実は昨年の四月、弘法大師の開山した金剛峰寺にお参りした時に、大師の入滅(生きたまま仏になった)の地を奥の院に拝観して来ました。苔むした鬱蒼たる気配に弘法大師の有難さを噛みしめた次第です。
2009年6月14日日曜日
2009年6月13日土曜日
頑張れ!独居老人!
我が家の東北方向にお住まいの男性の話です。
年齢は74歳?くらい、6年前に奥様を癌で亡くされてから男ヤモメ暮らし。世間とのお付き合いは全くありませんから、最近越して来た人は いったいどんな人が住んで居るのか全然知りません。
元々 奥様が御健在の頃から近所付き合いが嫌いな人でして、此方から「こんにちは」とか声を掛けない限り向こうから挨拶をしないで、返事も下俯いたままか細い声でボソッとする人です。
東北地方の御出身で、ズーッと造船所の現場で定年まで黙々と働いて来られたとの事ですから、人付合いは大の苦手なのです。
そんな人が奥様に先立たれて一人暮らしをしている・・・然も 子供は居ませんし、彼の故郷は遠い東北地方なので身寄りも友達も居ません。奥様の実家が近くに有りますが、何か訳あって没交渉でしたので所謂正真正銘の「天涯孤独」の独居老人が出来上がっちゃった訳です。
そんな状態ですから、奥様が亡くなられた直後は心配しました。とは言え まるで牡蠣の様に閉鎖的な生活をしている人ですから、声をかけたり、様子を覗ったりする事は出来ません。だから 少し離れた所からソッと見ているだけです。何しろお葬式の時、業者が運営する葬祭場で、見た人の話に依れば、その落胆憔悴振りは尋常では無かったと言いますから、「あの人は死ぬかも知れない!?!」と囁く人も居ました。 心配なのは其の事でした。「気弱な内気な人が、思い詰めたら何をするか?分からない」と言う恐怖です。
毎朝雨戸を空ける音がすれば「あぁ生きてる!!」とホッとしますが、朝寝坊をしたりして遅い時は「どうしたんだろう? まさか!?!」と気を揉んだりしました。 一人で静かに死んで呉れても近所の住人としては迷惑しますが、自棄のヤンパチで自殺の上放火までされたら堪りません。ともかく「何事の無く平穏に生き延びて下され」と内心祈るような気持ちでした。
其の人を昨日近くのスーパーで見かけました。食料品の買い物をして居ましたが、驚いたのは其の姿形です。別人か!?!と思いまして良く見直しましたが、間違いありませんでした。!!
先ずその目つきが全然違います。眼光輝き顔色生き生き艶々で、背筋ピンピンの素敵なオッサンが其処に居たのです。アッと見取れて居る間に足取り軽く行ってしまいましたが、「好かったぁ!! 元気になって、此れで余計な心配をせずに済む」とホッとする気持ちで嬉しくなりました。
2009年6月12日金曜日
梅雨の晴れ間の夕焼け
2009年6月10日水曜日
爆笑の人生相談
今日の午前中に床屋さんに行って来ました。そこで頭を刈って貰いながらラジオを聞いて居ましたら、「お悩み相談室」をやってましたが、此れが大爆笑でした。
神奈川県にお住まいの40代の女性からの御相談・・・
「私は 子育ても一段落して、毎日相変わらずの日々に退屈な生活をして居りました。先日 街で或る男性に声をかけられました。其れが何と二十数年前に交際して居た彼だったのです。偶然の再会に驚きましたが、込み上げて来る懐かしさについ「お茶でも・・・」と言う訳で昔話に花を咲かせてしまいました。それからはもうズルズルと・・・溺れてしまい、今では彼の事をいっときも忘れられ無くて、私どうしたらいいでしょう?」
勝手にしやがれっ!!と怒鳴りつけてやりたい所ですが、我慢して聞いてましたら、相談員の先生は「貴女の気持ちは良く分かります。ところで 相手の男性の気持ちはどうなんですか?」と聞きますと「勿論 彼は私に夢中です。逢う度に熱っぽく『僕は昔の気持ちとちっとも変って無い。』と言って呉れますから・・・其の言葉を聞くたびに段々溺れて行く自分をどうしようもありません」
相談員「それで 貴女はどうしたいのですか?」
彼女「・・・」
相談員「彼の気持ちは本気だと思いますか?」
彼女「絶対に本気です!! どうしてそんな事を聞くんですか!?!」
相談員「イヤ 一応念の為に・・・」
彼女「アンタ失礼よ!! 彼に逢った事も無いのにィ!!」 あとは口角泡を飛ばしての激論ですが、あんまり面白かったので、大爆笑が止まりませんでした。でも 此の女性の旦那は此の事も知らないで、リストラに怯えながら一所懸命に働いて居るのでしょうね。
2009年6月9日火曜日
恋の作戦?
此の頃 プロポーズの出来ない男が増えて居ると言われます。まさか!?!信じられません!!。
原因は 「切欠がが掴めなかった」と言うのが共通している理由の中で最も多いものだそうです。何と言う意気地なしでしょう! 「男だろう!?!シッカリせんかい!!」とドヤシツケてやりたい気持ちです。要するに決断力と勇気が無いだけでしょうが!! それをグダグダ屁理屈こいて尤もらしく言い訳をして「格好付けるんじゃねぇ~!!」
自信が無い奴に限って その場のムードとかシチュエーションがとか何かと非現実的な状況に浸りたがるけど、要はプロポーズなんだから、「相手と結婚したい」と言う目的を単刀直入に言えばいいのに「話の順序」とか「其処へ持って行く段取り」とか普段あまり使わない脳味噌を必死に使おうとするけれどもそんなものは無駄です。物事は段取り通りには進みません。だから 軽い乗りで「オゥ!暇か?暇だったら結婚しようぜ!!♪」ってな具合で充分でしょう。今の時代 中世ヨーロッパの様な長ったらしい殺し文句でコロリとなる女性は居ません。此方が喋って居るところへ携帯が掛ッて来て「モシモシ アッ御免 直ぐ行く じゃぁね~」と 間抜けで哀れな男を残して彼女は足取り軽く去って行く♪
さて 以前のはなしです。某アイドル女性タレントがテレビのトーク番組で喋って居た事です。彼との交際もかなりのものになり、「そろそろ結婚してもいいかな?」と思って居た時、とある公園にデートをしました。人通りも少なく静かで、明かりも薄明かりで何処からか静かな音楽が聞こえて来る、と言う最高のシチュエーションの中で、急に彼が黙り込んで一点を見つめて考え込んで居ます。
彼女は「愈々来たな? いったいどんな形をして彼の言葉を受け止めようかしら?しおらしく泣いて見せようかしら?」と 胸の高鳴りを覚えながら「其の時」を待ちました。 と 其の時「ブォ~~ェ!!」と天にも響く大音響で彼がオナラをしたのです。彼が一点を見つめて考え込んで居たのはプロポーズでは無くてオナラの発射準備だったのです。可哀想な彼女!!でもそれは彼の作戦だったのかも知れませんね。勿論 それっきり二人は別れたのであります。
2009年6月8日月曜日
男の悔しさ!?!
今日の岡崎先生の講義です。
百人一首 第五十三番 右大将道綱の母
「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」 作者はかの有名な本朝三美人と言われる才色兼備の人、「蜻蛉日記」の作者です。
夫 摂政関白藤原兼家が身分の低い「町の小路の女」の所に通い詰め、ちっとも自分の所へ来て呉れない嘆きを読んだ歌です。
或る夜 久しぶりに訪ねて来た兼家が作者の門を叩いたが、怒って居る作者は直ぐには門を開けて迎え入れようとはせず、此の歌を詠み送ったと言われるものです。「嘆き 嘆き一人寝る夜の 其の明けるまでの時間がどんなに長いものか分かりますか?分からないでしょう。!」と突き付けられた兼家は其の歌の見事さに「いと 興あり!」=「仲々やるワイ!」と言い、返歌しました「げにやげに 冬の夜ならぬ槙の戸も 遅くあくるは 苦しかりけり」=「ワァ~ お前の言う通りじゃ! 然し 締め出しは辛かった 堪忍どすェ」ってな所でしょうか?
でも 此の兼家さんは許せません!本朝三美人で才色兼備な人をを第二夫人としながら、「町の小路の女」に浮気をするなんて、男として羨ましいし悔しいから断じて許せません のどすェ!
2009年6月7日日曜日
女房の入浴?
介護用の椅子です。アームが起こせるようになって居て、座る所が90度回転して楽に立ったり座ったり出来ます。
昨夜 初めて女房をお風呂に入れました。
狭い浴室に介護用の椅子を持ちこみまして、何十年振りかで女房の背中を洗いました。先ず 半身欲で温まって居る間に、私が自分の体を洗い、女房が交代して上がって椅子に座ってから、背中の手術痕に気を付けながらソーッと背中を洗いました。他の部分は自分で洗えるように看護師さんに指導して貰ってましたから、頭の先から足元までシャワーで洗い流して出来上がりです。
未だ慣れない所為か狭い中で時間が掛りましたが、慣れて来れば手際も良くなり楽に出来る様になるでしょう。
また 昨日は女房の布団を二階から一階に抱えて降りたり、食料品の買い出しをしたり、折り畳みのベッドを買いに行ったりでクタクタになりました。折り畳みベッドや、介護用の椅子にしても仲々遣い易い物が無くて、退院前に結局それぞれ三軒づつ廻って下見をしてやっと見つけた物です。
たった三カ月くらいの必要の為に買うのは勿体無いし、将来 「自分が介護をされる時に必要」と考えて「其の時にも使える様に」と品物を選びましたが、仲々苦労しましたが、先ず先ずの物を見つける事が出来ました。介護用の製品は買えばべら棒に高価で、レンタルだと安いのですが、介護認定を受けないと安く借りられないのです。だから今回は将来も使える物だけに絞って買いました。
2009年6月6日土曜日
冤罪
足利事件の菅家利和受刑者が無期懲役で17年余も服役して4日無罪放免になりました。
いったい此の責任は誰が取るのでしょう? 先ず 菅家さんが奪われた(失った)数々の事柄。「社会的地位、普通に働けば得られた筈の資産、人間関係、精神的苦痛、未だ未だイッパイあるでしょう。それらを 誰がどう言う形で責任を取るのでしょう?
菅家さんは 「警察も検察も裁判所も絶対に許せない! 間違えました!では済ませない! 謝って貰いたい!!」と言ってますが、17年と言う歳月を心ならずも「無実」を叫び続けながらも堪え忍び、47歳の人生の盛りを17年間も奪い取られた無念さを、どの様に表現したらいいのか?怒りの余り、言い尽せなかったのでしょう。
一方 此の事件が既に時効が成立しているので、真犯人はもう逮捕出来ない事に就いて、此の責任は誰がどのようにして取るのでしょう? 今迄 こう言うケースで検察も裁判所も責任を取ったと言う話は聞いた事がありません。菅家さんが言う「許せない!」と言う意味は其の事も含めて言って居るのではないでしょうか? 検察も裁判所も何も罰せられ無いなんて・・・此れでは 被害者も、遺族も救われません。真犯人の薄笑いが聞こえて来るようです。許せません!!! こう言った重大な犯罪は時効を無くすべきです。
そして 此の冤罪を作り上げてしまった警察も、検察も、裁判所も関係者全員を「弾劾裁判」にかけて厳しく罰するべきです。そうしないと警察、検察、裁判所もマンネリ化してしまって頼りになりません。だから 何処かで一発「喝!!」を入れないといけなくなってしまったのでしょう。
2009年6月5日金曜日
妻が退院しました。
妻が 延べ22日間の入院生活を完了しまして本日退院しました。 お陰様で回復経過が順調で、先生も予想外の回復振りに驚いて「こんなに早い回復は珍しい!」と言って居ました。単純動物ほど生命力が強いと言いますから・・・
それにしても 入院中は色んな事がありました。様々な患者さんが居ましたから夫々の個別の要求を病院側にぶっつけて、看護師さん達を振り回して居ましたし、同室の患者さんも迷惑しました。見てますと 高齢者の女性は自分の主張を言いまして、相手の意見は全く聞こうとしません。看護師が来る度に同じ事を繰り返し述べて、其れに対して相手が何か説得をしようとしても全く聞かず、又同じ事を繰り返し喋るのです。ボケてる訳じゃありません。只 話相手になって欲しいのです。看護師さんは 其の同じ話を我慢強く聞いて上げて居ます。大変なお仕事ですねぇ~。孫の話、息子の話、嫁の話と、自分がもう何度も話した事は忘れては居ません。言わば「偽装認知」です。それでも誰かに相手をして欲しいと言う切実な気持ちがそう言う空しく、悲しい行動をさせてしまうのです。そして 其れが息子や嫁や孫達から煩がられてスポイルされる要因になるのです。もっと自分の周りの人達の意見を聞くとか、姿勢を見るとかして、自分磨きをしないともっと酷い孤独状態になるでしょう。
色々勉強になった入院生活でした。
2009年6月4日木曜日
静岡空港 開港
本日 静岡空港が開港しました。
然し 誰がどう考えても静岡に空港は要りません。直ぐ西にセントレア有り、東に羽田空港が有ると言うのに3,000億円もかけて、色々な問題を抱えた侭の強引に迎えた静岡空港の開港です。何しろ現在予定されている全便が、全部満席になったとしても赤字が年に3.8億円になると言うのです。何と言う馬鹿げた話でしょう!!。此れは全部県民の税金で賄われるのです。おまけに搭乗率補償と言って搭乗率が70%を下回った場合には、県民の税金から一人当たり¥15,000を航空会社に払うと言う条件付きで飛行機に飛んで頂くのです。どうして こんなに迄して無用な飛行機をとばすのでしょうか?? 全く理解出来ません。みんな・みんな県民の血税です。これ等は全部石川知事と其れを取り捲く利権者達です。いったい静岡県民にこの様な負担をさせる権利が知事にあるのでしょうか? 静岡県民は「物言わぬ県民」です。公の場や、表立った場所では意見が有っても言いません。然し時間が経つとジワリと出て来ます。其れを察知した石川知事は大問題・大騒ぎになる前にサッサと辞めてしまいました。何たる卑怯者でしょう。こんな奴 絶対に許せません。!!
「赤字空港」は遠からず消えるでしょうが「石川知事の汚名」は永遠に残る事でしょう。
2009年6月3日水曜日
北朝鮮!?!
北朝鮮が荒れ狂ってます。 核実験はするわ、ミサイルの発射実験を連発するはでもう「やけくそのやりたい放題」ってヤツですか。 アメリカを始めとする大国達は「国連・安保理決議」だとか「議長声明」なんて言ってワァワァ騒いでますが、北朝鮮は平気の平左を決め込んで、大国の皆さんの慌て振りを面白がって笑ってます。
評論家の先生方は「金正日が体制作りに焦って居る、とか 後継者に禅譲するのに悩んで居る、とか外から見えない北朝鮮内部の事を色々憶測して尤もらしく仰ってますが、当らずしも遠からずでしょうが、所詮は憶測に過ぎません。
然し 金正日は痛快でしょうねぇ! アメリカもロシアも中国も言葉では「遺憾の意」は言うものの、直接には何も制裁等仲々出来ないから、「フン!馬鹿な奴等がゴチャゴチャ言ってるけど 何にも出来ねぇくせに!!」
つまり 北朝鮮を制裁するには武力では出来ない事、また 他の制裁と言えば経済制裁でしょうが、経済制裁なんかされても金正日とその一族、そして何時も公式の場で、勲章を胸一杯にぶら下げて金正日の周りを取り捲いて居る軍の長老達は「痛くも痒くもありません。 彼等特権階級にはどれだけ物資が不足しても必ず潤沢に廻る様に仕組まれているのです。悲惨な目に逢い困るのは一般国民です。
だから「やるなら やってみろ!そうすれば北朝鮮国民はヤケッパチになって大暴れするから何が起きるか分かんねぇ~ぞ!!」と 人民を人質として開き直っていますから、今の所 有効な方法が見つからないのです。
仕方が無いからもう暫くまちましょう。金正日が死ぬか、軍の長老達が死に絶えるまで。とどのつまり 軍の長老達の方が早く死に絶えそうです。そうなれば金正日体制は自然に崩壊するでしょう。其の時 金正日もその一族は今迄の仇を打たれる事になるでしょう。血生臭い恐怖の復讐劇が始まります。でも それは仕方が無いでしょう。今迄酷い事を遣り過ぎたんですから・・・この所の核実験も、ミサイル発射もその末期的危機感の現れと言えるのではないでしょうか?
2009年6月1日月曜日
秘めたる恋の歌
今日の静大 岡崎先生の講義より
古来「恋は 秘めたるをもって最善と為す」と申します。百人一首のなかで、「秘めたる恋」を詠った歌の双璧と言われる二首にまつわる逸話を勉強しました。
四十番 平 兼盛 <しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思うふと 人の問ふまで>
「心の内に秘かに忍びこめて居た恋が、顔色や態度に出てしまった。私の恋は人が怪しみ尋ねる程まで・・・」
四十一番 壬生忠見 <恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか>
「恋をしていると言う私の噂が早くも立ってしまった。誰にも知られないように、心密かに思いそめたのに・・・」
これ等の二首の歌はどちらも「心密かに恋焦がれて居る 忍ぶ恋」の歌です。その遣る瀬無さが堪りませんが、此れは 天徳四年(960)村上天皇の御前で開催された歌合(歌の良しあしを争う団体戦)でお題は「忍ぶ恋」。後世これは歌合の範と仰がれました。歌の優劣を判定する判者には左大臣藤原実頼は、此の二首を比べて 余りの素晴らしい歌なので、判定に困って村上天皇に「両者とも甲乙付け難く引き分けにしたいと存知ます」と言上しましたが、村上天皇が「勝負をつけなさい」と言われたので左大臣藤原実頼は困ってしまいました。 そこでふと天皇の方を盗み見やれば天皇が「しのぶれど・・・」と呟いておいでになって居るかの様に見えたので、「平 兼盛!」と判定をしたと言う話です。
其れを聞いた平 兼盛は嬉しさの余り 手の舞い 足の踏む所を知らず 踊りながら帰ったと言う逸話が残っていると言う 面白い講義でした。