今日の 静大・岡崎先生の講義は百人一首「本歌取り」の勉強でした。
「本歌取り」と言うのは 万葉時代から、古今集までの作品の内からいい作品を踏まえて、その作品を活かして一首詠むと言うもので、 私の今迄の認識では、「何て事は無い!その様な真似作・パロディーじゃないか!? 百人一首の撰者の 藤原定家ともあろう者が、何故その様な歌を選んだのだろう?」と言う程度のものでした。その為 今日の講義は実に興味深く聴きました。
九十番 「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず」殷富門院大輔
(私の涙で色の変わった袖を見せたいものよ 雄島の漁師でさえ海水に濡れに濡れた袖の色は変わらぬというのに)
『本歌』「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか」 源 重之
(松島の雄島の磯に 漁をしていた漁師の袖もこの様に濡れたのだろうか)
九十番の歌と「本歌}を比べて見れば、九十番の方が、恋の切なさ、苦しみ、其の流す涙の紅色まで詠んで居る所に「本歌」を凌ぐ強い意味合いが有ります。つまり 「本歌」を踏まえて「本歌」を凌ぐ良い歌でないと全く価値がありませんから、「本歌取り」も容易ではありません。
此の「本歌取り」が流行したのは、平安末期から鎌倉にかけてです。どうしてか?と言えば、岡崎先生はマンネリ・ネタ切れだろうと言うことでした。
成るほど!! と 納得しました。
2009年6月29日月曜日
百人一首 本歌取り
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