今日の静大・岡崎先生の講義は『漢文の長恨歌と其れを解釈した平安時代時代の日本人』です。
「長恨歌」は九世紀の漢(中国)の詩人「白楽天」の作った漢文の詩です。 此の詩が西暦844年「白氏文集」として留学僧 恵萼に依って持ち込まれた67編の中に在り、たちまち当時の平安文化人達に大人気となったそうですから、其の時から日本人の文化レベルは相当高かったと言えます。
ただ 其の解釈の仕方が如何にも日本独特の叙情的で、主人公の感情を大きく膨らませています。
1.例えば 原文 『養在深窓人未識 (養われて深窓に在れば人未だ知らず)』を 平安人が解釈して和歌に詠めば 源 道済『玉垂の 簾も透かぬ 閨の内に 君ましけりと 人に知らすな (大切に育てられて 深窓の奥深くに居る姫の事を余り他人に知らせるなよ)』
2.原文 『三千寵愛在一身 (三千の寵愛一身に在り)』
和歌に詠めば 源 道済『ももしきの 君が朝寝の 移り香は 浸みにけらしな 妹が沙衣(帝が朝起きたく無くて朝寝坊して居ると 妃の香が移って浸みついてしまった)』
此の様に 中国の漢詩は、発生した出来事を余り感情を込めず淡々と書いて居ます。其れに対して日本の和歌は、まるで漢詩の主人公になり切ったが如くに、情緒タップリに想いを膨らませて詠い上げて、謂わば情緒過剰とも言えるのが、平安期からこんにち迄綿々と続く民族性ではないでしょうか?
でも 此れこそが日本民族の美点であり、此れ有らばこそ美しい「源氏物語」をはじめ数々の日本文学が生まれたのでしょう。
2009年12月10日木曜日
源氏物語 その九
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