菅さんも小沢さんも人間として小さすぎます。やる事がセコイので、国民から失望感が湧きあがって来て止まりません。<不況対策><円高・株安対策><失業対策>と何をやっても小出しで対策と言える程のものとは言えません。其れでも思い切った手が打てない此の人達の発想の貧困、度胸の無さは、世の女性達から「今の男の情けなさ!頼りなさ!」と言う台詞がため息交じりに吐かれます。本当にいいのか!男共!!もっと腹を据えて仕事をしろ!!
2010年8月31日火曜日
2010年8月30日月曜日
至福の時
2010年8月28日土曜日
口蹄疫
口蹄疫 の終息が宣言されました。四か月の永い・悲しい戦い、お疲れ様でした。酪農家には天から降って来た様な災難で被害は過酷と言う他はないでしょう。何よりも我が子同然に可愛がり、愛情をそそいで来た牛さん達を、病気の蔓延を防ぐ為に我が手にかけて殺す、なんて残酷な事をしなければならなかった胸中を思い遣る時、まさに断腸の思いだったでしょう。牛さん達はものを言えず、唯々諾々と死地に向かったのです。何も悪い事をしてないのに・・・
宮崎県の東国原知事は、苦労人で、優しい人です。だから 知事の耳には牛さん達の悲鳴・泣声が今尚こびり付いて居て堪らないでしょう。人間の言うなればエゴイズムで、心ならずも命をながらえる事も出来なかった牛さん達の無念を思い、安らかな冥福を祈ります。そして経済的にも精神的にも多大な損害を蒙った酪農家の方々、一日も早く立ち直りが出来ます様に祈ります。
2010年8月27日金曜日
税金の還付
今日 静岡市役所 納税課から物々しいお手紙が届きました。ビックリして開封してみますと「過誤納金還付・充当通知書」と印刷されてまして、「何だろう?もしかしてアレがばれたかな?」残念ながらばれて不味い様な悪事を出来る程の身分じゃ有りません。
取り敢えず文書の中身を読んでみますと、「あなたが納付された市税等のうち、納め過ぎとなった金額を次の通り還付・充当しましたので通知します。」とありました。
シメタッ!と思って金額の所を見ましたら『還付金額 ¥1,000』でした。ガッカリー!たった千円ポッチの事で大げさな事をするものだ、と思いましたが、役所としても此の侭に出来ないのでしょう。だったら最初から徴収するな!此れこそ経費の無駄遣いです。
2010年8月26日木曜日
電気事情
我が家の電気の電圧が下がって居る様に思えます。夕方の6時頃になると家の中の照明(蛍光灯)が点灯するのに時間が掛かる様になったのです。最近 御近所に新築の家が4軒程建ちまして、電力需要が増えたのと、最近流行の<オール電化>をする家庭が多くなったらしくて、其れ等の家庭が一斉に電気を使い始める時間になると電圧が下がると思うのです。何しろ この地区は40年以上もトランスの増設とか電気設備の更新はされてません。
電力会社は自分勝手ですから、此の処電気が余り気味なので<オール電化>とか<IH>クッキングとか言って何かと電気を沢山使わせようとの魂胆です。然し 其の供給設備の方はお粗末ですから、今回の様な不祥事が起きるのです。
其処で電力会社に連絡をして、調査をして貰う事にしました。一昨日来てテスターで測定しましたが、日中では電気の使用量の集中しませんから、其の現象は出ませんでした。だから「別に問題は有りません」と言って帰ろうとしましたから「ちょっと待て!!肝心の現象が出る時間帯に来て測定しろ!!」と言いまして彼等3人の保守要員を呼びとめて叱り付けました。其処で一週間の連続測定が出来る記録電圧計を設置して、様子を見る事になりまして、電力会社が機器を設置して帰りました。8/31に結果が出るでしょう。
2010年8月25日水曜日
大胆不敵!
世の中には物凄い度胸の座った人が居るものです。我が町内から約2km程離れた所の高級住宅に<空き巣>が入ったそうです。其の高級住宅と言うのは何と<暴力団>の親分の邸宅だったのです。
勿論 閑静な場所に如何にも<お金持ち>と言った広い敷地に広いお庭が有り、お屋敷の中の様子は外から窺い知ることは出来ません。まぁ状況的には空き巣には絶好の狙い目だったのでしょう。
然し 相手は御当地でも<物凄く恐いと評判の暴力団の御邸宅>です。もしも侵入して、中で若い衆にムンズと取り押さえられたら、恐らく永久に邸宅の外へ出る事が出来なかったでしょう。先ず 肉はミンチにして犬の餌に、骨は粉砕機にかけて粉末にして茶畑の肥料にされ、そして何も無かった事として邸内は静まりかえっているでしょう。然し今回は警察に届けて居ますから、此の「空き巣君」は消されては居ないらしいのです。もし闇に葬るつもりなら警察に届けたりしないからです。
でも 安心は出来ません。彼等が本気になって探せば数日を待たずに捜し当てられて恐怖の処刑がされるでしょう。だから一刻も早く警察に捕まって、刑務所に入れば一応身の安全は保てます。が 問題は刑期を終えて出所した時です。其の時こそ待ち構えて居た彼等に<犬の餌・茶畑の肥料>にされる段取りになります。可哀想な「空き巣君」は此れ程大変な事態になろうとは思っても見なかっただろうね。
2010年8月24日火曜日
奇跡の33人
2010年8月23日月曜日
アメリカ素描 其の3
司馬遼太郎の「アメリカ素描」から 未だ書き足りない処が有りまして、続きを書きます。何と言っても司馬さんは、アメリカに就いてこれ程辛辣に、然も臆する事なく書きこんで居るのには、アメリカに対して「好き」とか「嫌い」と言うのじゃ無くて、アメリカと言う人工的に作られた文明国の非文化的な部分を、単刀直入・自然現象的に曝け出そうと言う意途が有る様に、文面から窺えて、それが面白くて堪らないのです。其の主な処・・・
『アメリカは、大統領が就任時に国民に対して「貴方を必ず儲けさせます」と言う約束をします。つまり 此の約束(マニュフェスト)がアメリカ国民の全てで、其の目的を達成する為に<戦争でも、侵略でも何でもやれ!!>と大統領を攻め立てるのです。』それで大統領は国民との約束の為に、『意に反して居ても仕方なくヴェトナムやイラクやアフガニスタンで戦争をするのです。そして空しく多くの人命が失われ、肉親・家族を失って不幸のどん底に突き落とされた人達を踏み台にしてアメリカ国民を儲けさせようとするのです。』
そして『アメリカは、1776年7月に独立するまでイギリスの植民地でした。植民地の時は、イギリスから迫害・弾圧の限りを尽くされました。例えば 製鉄をする事を禁じられて<馬蹄の釘一本>すら作る事を許さないのであった。其の植民地時代にイギリスから散々辛酸を嘗めさせられて居ながら、ハワイを植民地にし、フィリピンも植民地化したのです。』
日本に就いては『日本がましな国だったのは、日露戦争までだった。あとは・・・特に大正七年のシベリヤ出兵からは・・・キツネに酒を飲ませて馬に乗せたような国になり、太平洋戦争で負けてキツネの幻想は潰えた』キツネに酒を飲ませるとどうなるのか?判りませんが、兎に角ムチャクチャ馬鹿狂いをしたと言う比喩でしょう。
司馬さんの文章には、読み手である私に一々頷ける説得力が有り、ユーモアがあります。
ラベル: アメリカ素描 其の3
2010年8月22日日曜日
大快挙!興南高校
未だ 興南高校の快挙に拘って浸って居ます。何しろ こんなに強い高校野球チームを見たのは久し振りです。 水野・畠山中心の山びこ打線と言われた蔦監督率いる「池田高校」。清原・桑田のKKコンビで中村監督率いる「PL学園」以来でしょう。これ等の2校とも超高校級と言われ、抜群の力量を持った選手達が期待通りの活躍をして、更に蔦・中村と言う両名監督の指揮の下思う存分持てる力を発揮しました。
興南高校は沖縄にあります。当然の事ながら、本土の高校の様に、有望な選手を引っ張って来て集めてチームを強化する事は出来ません。我喜屋監督は、「いい選手を本土から引っ張って来られない代わりに、本土へ引っ張って行かれないメリットもある」と仰ってます。この考え方です。此の何事も前向きに考えて行動する姿勢こそ今回の快挙の原点です。あっ晴れ!お目出度う御座います!!貴方達こそ日本一です。!!
ラベル: 大快挙!興南高校!!
2010年8月21日土曜日
興南高校 優勝!
興南高校 余りの凄さに只呆れるばかりでした。13対1 此れが全国高校野球選手権大会の決勝戦のスコアです。相手は神奈川県180校の超激戦区を勝ち抜いてきた東海大相模、大物ピッチャーと前評判の高い、一二三投手を擁し、優勝候補の筆頭と言われたチームです。
東海大相模は、全国から優秀な選手を集めて来て、巨人の原監督以来の甲子園出場で、あの時も「優勝する為に来た」と当時の監督の原貢が豪語して居ましたが、当時も今度も野球は仲々思い通りには行きません。矢張り 沖縄の「ナンクルナイサァ~!」をいい意味で叩き直して来た我喜屋監督の指導力と、従順に監督を信じて従って来た、素直な選手達の言葉に尽せない努力・精進が遥かに上回って、此の情けない程の大差の試合になったのです。
技術的にも、精神的にも興南高校の方が勝り、其の差はスコアが示す通りでした。
2010年8月20日金曜日
2010年8月19日木曜日
興南高校
甲子園の高校野球は、沖縄の興南高校がベスト4に進出しました。其の強さは抜群で、テレビ観戦をして居ても全然負ける気がしません。投手の島袋君の活躍だけで無く、打線も15安打の猛攻で、全く相手チームを寄せ付けません。多分 順当に行けば興南高校が優勝して、春・夏連覇をするでしょう。選手達の他を圧する能力の高さもさる事ながら、此のチームの指導に当たって居られる我喜屋監督の指導力には、目を見張るものが有ります。
春の選抜大会で優勝した時の監督のコメントは「ナンクルナイサァ~はいい言葉だ。でも 甲子園では通用しない」でした。このコメントに深ぁ~い御苦労の重い意味が込められていました。其れは沖縄人の風土的な気質です。
1975年7月 沖縄海洋博が開かれました。其の時 本土から安い賃金の労働力を求めて多くの中小企業が進出を図りました。沖縄県も、本土政府も沖縄の発展に繋がればと、大いに乗り気でしたが、残念な事に其れは全部駄目になってしまいました。
原因は「ナンクルナイサァー」でした。つまり 現地の沖縄人は、本土の人と全く感覚的に別で、<時間を守らない>、<納期を守らない>、<品質を守らない>と会社として基本的な事柄を経験した事が有りませんから、其の<重要性>も<必要性>も知識として皆無なのです。
だから 仕事に遅刻しても、納期が遅れても、品質が悪くても<其れが何故悪いのか>と言う事を理解出来ないのです。それで 其れを管理者から叱られても「ナンクルナイサァ~!」と捨て台詞を残してサッサと帰って仕舞うのです。納期が遅れて居ても5時になれば帰っちゃって焼酎を飲んで踊り捲って居るし、不良品が出ても、何を注意してもいつも「ナンクルナイサァ~!」です。本土から沖縄進出を目指して行った人達はカンカンに怒って撤退して来ました。
でも 其れは風土・文化の違いで有って、沖縄の人達が悪いとか言うのでは無くて、本土との余りの違いの激しさがこう言う事になったのです。だから 我喜屋監督が甲子園の選抜大会で優勝出来るまで、<選手達の意識改革>の努力は並大抵のものでは無かったのでしょう。其処に興南高校の成績に、深く思うものがあります。
2010年8月18日水曜日
2010年8月17日火曜日
アンケート
アンケートの危険性を全く無頓着に乱用されて居ます。早い話が「内閣支持率」です。此の頃では新聞各社の他、NHK迄が熱中しています。
問題は、 アンケートの設問方法と、サンプリングの数及びサンプリングの抽出方法です。例えば「内閣支持率」と言った国民の殆どの層からのサンプリングが必須のカテゴリーは、良く言う<コンピューターが無作為に抽出した方式で2000人から得た回答をもとに・・・>なんてイージーにデータを発表しています。
此れでは問題の捉え方と言い、結果の集計の仕方も、全然信頼に足りるものとは言えません。総人口を対象にした民意を調査するアンケートをたった2000人ばかりの人数で、如何にも正確なデータで有るが如くにメディアで発表して、結果を<金科玉条>とばかり大得意になるのは、プロパガンダです。不正確なデータを押しつけられる視聴者・読者は大迷惑ですし、データを取られて変な形で勝手に発表されるサンプル要員も大迷惑です。
アンケートを否定するつもりは有りません。只 やり方が稚拙で、安易で、質問を作成する者が、礼儀知らずの無礼者だと言いたいのです。
アメリカでは、アンケート全盛で、競争も激しいから、其のルールも発達していて、相手を不快にしたりして失礼の無い様に細心の配慮がなされて居るそうです。其処へ行くと我が国のメディアは、アメリカの猿真似で、データを集めるのに<雀の涙程>の謝礼で行いますから、データが<出鱈目>とは言いませんが、<似て非なるもの>でしか無いのです。
だから アンケートを安易に遣りたがるメディアに、敢えて言いたい「もっと研究・勉強して、礼儀を以って正しい方法を身に着けなさい!!」
2010年8月16日月曜日
続続 アメリカ素描
司馬遼太郎著「アメリカ素描」の続々編です。此の中で司馬さんが指摘している事柄で、面白いのは、『日本人は、外国から与えられた大きな衝撃的出来事を、情緒的に捉えるが、アメリカ人は、徹底的に実利的に捉える』と言う所です。
つまり 幕末 ペリーが浦賀に来て、脅迫によって開港を迫った事、或いは第二次大戦で負けて、マッカーサー元帥が占領軍を率いて来た事、等を見ても、ペリーを「開国の恩人」と言い、マッカーサーにも民主化日本の恩人と言います。
其れは 言うなれば日本人の勝手な思い込みで、肝心のアメリカ人にして見れば、飛んだ勘違いで、彼等は只「目的を達成する為の行為」をしたに過ぎないのです。ペリーは捕鯨船の補給基地として日本の開港をさせただけですし、マッカーサーは連合戦勝国として、敗戦国日本の自暴自棄的暴発を鎮めて、ソフトランディングをせしめる目的で占領・戦後処理をしたのです。
ところが 戦後の日本国民は、マッカーサーを日本再建の恩人と捉え、10万通を超える手紙をマッカーサーに寄せ、其の内容は殆どが「閣下は 日本再建の大恩人で、閣下の採決は、些かも誤る処が無く、日本がこんにち有るのは、将に閣下の御英慮、御英断に依るものであります」で有ったと言われます。さぞかしマッカーサーも苦笑を禁じ得なかったでしょう。戦争で命を奪った憎むべき相手に対して、此の「お追従」をして来る日本国民は、いったい底抜けの馬鹿じゃないか!?!其れとも何かアメリカ人の考え付かない程の「恐れしい魂胆」があるのか?と不気味なもの」を感じたではないでしょうか。
何しろ アメリカと言う国の成り立ちからして、殺し合い、騙し合いでしたから。先住民が平和に暮して居た所へ、喰うに困った難民達が無理矢理割り込んで来て、略奪・殺人の限りを尽くして打ち立てた国なのです。だから 今でも他国を信用しません。日本も勿論警戒されてます。
然し今では そんな魂胆が無いと判って、完全に舐められちゃって居ます。政権が短期でクルクル代わるし、自動車はリコールの連続だし、其の所為で国民までが馬鹿にされて居ます。
2010年8月15日日曜日
続 アメリカ素描
司馬遼太郎のアメリカ素描の続き
『文化とは、 基本的には大勢の人間が他人と共に暮らす為の行儀や、規範の事で、母親の子宮内では養われず、出生後の家庭教育や村内での教育に依ります。此れを井上ひさし氏は、他の哺乳類が持たない<第二の子宮>と見事な表現で、此れを煮詰めて言えば此れこそ文化である。』
以下は私の意見です・・・
アメリカでは、他民族の貧困層の不法流入が続き、此の頃では此の第二の子宮を経験して居ない者達が多くなり、益々増えつつある様です。第一不法流入した民達は、食べる事が出来なくなり、生き残るには他に道が無くてアメリカに不法侵入して来たのですから、行儀とか規範、モラルなんて言ってる場合じゃ有りません。だから 押し並べてアメリカ人のモラルの低下は甚だしく、此の国が世界一の軍事力を有して居る、そして個人としては、銃を以って我が身を守るのが正当な道だと信じて居るなんて恐ろしい限りです。アメリカは、人口の5%に満たない極僅かなセレブな人達が政治と経済の実権を握って居る超格差社会です。其の格差は益々広がって居ます。其れが国内中のストレスとなって溜まって居ます。間も無く其の飽和点に達すると爆発しますが、アメリカ社会は全て自己責任で始末を付ける国ですから、爆発が連鎖的になり、収集が付かなくなるでしょう。
私は 此のアメリカを敢えて「野蛮国」と呼びます。此の「野蛮国」と<安全保障条約>を締結して居る日本も、政治家が間抜けですから「野蛮国」の煽りを喰らわないか?と心配します。
2010年8月14日土曜日
夜店市
昨夜 静岡市の繁華街で年に一度の催し「夜店市」に行って来ました。一昨年は行きましたが、昨年は行きませんでした。と言うのも、一昨年に行った時は人出が少なくて、此の寂しさはきっと此の催しの終焉も近いな!?と思ったからです。
然し或るお店から今年は招待状が来ましたので、 昨夜行って見てビックリしました。予想を遥かに上回る大繁盛ではありませんか!!何処からこんなに人間が湧いて来たのか!?と思う程物凄い人で、仲々前に歩けません。「静岡にこれ程に人が居たのか!!」とビックリするやら嬉しいやら・・・
此の処 静岡には明るい話題が有りませんでした。新聞やテレビで報道されるのは暗く、不景気な話ばかりで、日銀の支店長とか、地銀の店長の情報に依れば、「静岡は、国内で一番最初に不況の影響に見舞われて、一番遅く好況の恩恵を受ける。だから 景気が良くなるのは未だ未だだ!」と聞いて居ましたから、当然 暗い夜店市を想像して居ました。 が 行ってみたらこは如何に!!驚くやら嬉しいやら!特に 若い女性達が元気で「銀行なんかが何言ってんだ!!」と ばかりに元気を貰って来ました。
2010年8月13日金曜日
アメリカ素描
司馬遼太郎の著書「アメリカ素描」(新潮社 昭和61年)を読みました。何度目かの読み返しです。どうも私の文明と文化と言うものの認識の原点は、此処に有ったとつくづく思いました。
司馬さんは「アメリカには、文明は有るが文化は無い!」と力強く言い切ります。文明とは、合理的で、便利で、普遍的なものだから、どの民族にも、人種にも容易に受け入れられ、広まって行きます。一方 文化は不合理で、不便で、或る民族・人種独特で、容易には他民族に受け入れられないものです。
例えば、文明は、多数の人口の食料を確保出来るシステムや、道具を作る技術とか、戦争をして勝つ武器を作るとか、物を早く運ぶ装置を作るとか、兎に角 便利で、人間の能力を遥かに高める為に考え出したものです。でも 結果は殆ど人間の意図した事とは逆の事を齎して居ます。大量破壊兵器や、核兵器です。
文化は不合理で、不便で、無駄です。が 人間の心を豊かにして、潤いを与えて呉れます。音楽とか、絵画・芸術、伝統、習わし,しきたり風習等と言う何百年、何千年と永い時間と無駄と思える努力を重ねて出来上がったものです。
司馬さんは、アメリカの独立以降の200年程度の歴史を見て、アメリカ人達・特にアングロサクソンやユダヤ人達が、執拗に追い求めて来た高能率と、飽く無き強さの先には、弱小国(日本・北朝鮮・アフガニスタン・イラク等)に対する<弱い者虐め>の暗くどす黒い影が有り有りと見えるのでしょう。然も 如何にも「親切ごかし風」に見せて…また其の<弱い者虐め>は、他国に対してだけでなく、アメリカ国内に対しても激しいものが有ります。人口のたった5%にも満たないセレブ層が、他の層に蠢いて居る95%の人達に向けて、其の格差を更に更にと広げて居るのです。此の侭行けばアメリカは内部から大爆発して、崩壊するのではないかと心配します。日本は巻き込まれない様にしなくては!!
2010年8月12日木曜日
日航機事故
1985年8月12日夕刻6時半過ぎ、日本航空123便が群馬県の御巣鷹山に墜落しました。そして乗客・乗員524人が貴い命を奪われました。原因は、「貨物室を塞ぐ圧力隔壁の修理したボーイング社の作業不良である」と結論付けられました。然し 今尚此れには、米空軍の<中性子爆弾による攻撃>との噂が絶えません。真剣にBlogに書いて居る人も居ます。然しそうだとすると、其の攻撃の目的が判りません。だから 多分憶測に過ぎないでしょう。
其の時のボイスレコーダーの録音再生フィルムを見ましたが、余りの迫力、何とか524人の乗客・乗員の命を助けようと必死の努力をする姿が、生々しく再現されて居て、とても堪らない気持ちになりました。
丁度 お盆の時期で、帰省される人も多く、中には、普通は新幹線を利用するのだけど、お盆なので特別に生まれて初めて飛行機を利用した人も居たと言う事です。何と言う不運な事でしょう。其の中には歌手の坂本九さんが居ました。また たった一人奇跡的に助かった12歳の女の子も居ました。死ぬ直前まで<何とか助かりたい>切実な思いを、手帳に書きの残した人も居ました。きっと 乗客・乗員の全員が同じ思いを必死に神に願い、仏に祈願しても届かず、空しく死んで行ったのでしょう。
然し あの事故以来、飛行機の安全面での技術的進歩は、殆どと言っていいほどに進歩が有りません。相変わらず離陸・着陸の瞬間には、操縦士の固有の技量(訓練された感覚)だけが頼りです。言うなれば野球のピッチャーのコントロールの様に微妙で、繊細な感覚を要求される訳で、その瞬間の人間の状態が必ずベストである保証は有りません。また 機体の状態が、万全かと言う心配が常に有ります。
日本航空123便の事故は、機体の修理をした、大勢の人の内の一人が手を抜いた、或いは其れを検査した大勢の人の内一人が手を抜いたと言う、傍目には些細な事で此の様な大事故になったのです。此れも 修理点検の体制的には経営状況の悪化で、リストラ攻勢が影響して満足な状態では無いでしょう。
暫らくは、日本航空にはなるべく乗らない方が安心だと思いますが・・・
2010年8月11日水曜日
海外旅行
アメリカ・ユタ州で観光バスが横転、日本人観光客が3人死亡した、と伝えられています。遠く離れた異国の地で不慮の事故に遭い、命を落とすなんてとても悲しい事です。本人はさぞや無念の事でしょうが、残された家族の心情は如何ばかりでしょう。
一報を貰って、現地へと向かう飛行機の中、乗り継ぎで待たされている時間、心配、焦り、苛立ちなど、言葉に出来ない程の堪え難い苦渋を抱えての現地行きでしょう。
思い出しますが、我が息子が、大学を卒業して、当時の学生の憬れのJ○○に入社して、添乗員になりました。何年か勤務した時、或る先輩が海外旅行の添乗員として行って、現地でお客様の数人が交通事故で怪我をしました。普通こういう場合は、現地の駐在員と連絡を取り、出来るだけの方法で、怪我をされたお客様に心細い思いをさせない事を優先にするのです。然し 此の時は、現地の駐在員が不在で連絡が取れません。困った先輩は仕方なく本社へ救援の要請をしました。自分一人では手が足りないと思われたからです。
本社の応答はにべも無く、「経費を節約する為に応援は出さない。ガンバレ!」と言うものでした。「ガンバレ!」とは良く言うヨ!と腹が立ちましたが仕方が有りません。幸いお客様の怪我は自力で歩ける程でしたので、「会社の対応の不備」を平謝りで兎に角帰国をしました。
問題はそこからです。怪我をされたお客様の怒りは治まりません。其の人達へのお詫びを「お前が添乗員として同行して居たので、お前が行って謝って来い!」と上司から命令されたのです。此れで先輩はキレまして退職したそうです。私の息子も此の時に退職を決意しました。今では外資系の会社に転職していますが、あの会社の事は言いたくない様です。今尚 あの会社は文系大学生の就職希望の第一位ですが、外から見るのと中から見るのは、こんなにも違うのですね。
2010年8月10日火曜日
異常気象
中国甘粛省で記録的集中豪雨が発生、土石流で300人以上が生き埋めになったそうです。地球の異常気象で、世界各地で発生している異常現象です。モスクワでは35℃の高温続きだし、中国の西域は開発し過ぎて、砂漠化が激しく進んでるそうです。南米のアルゼンチンでは逆に超低温で凍死者が大勢出るあり様と言われて居ます。
これ等の原因は、一つの単純なものとは言えないでしょうが、でも矢張り大きな要因は、人間の勝手な開発の所為で有る事は否定出来ないでしょう。
人類は、数万年の中で、勝手気侭に好き放題に自然を弄って来ました。そして其の為に他の動物・植物がどんなに犠牲を強いられてるか、を 全く考えないで来ました。だから いま此処へ来て大自然の報復を受けて居るのかも知れません。
人類の思い上がり、奢りを謙虚に自ら反省して改めないともっともっと酷い罰を受ける事になるでしょう。
2010年8月9日月曜日
犬の散歩
今朝の富士山です。嵐の前の不気味な夜明けを迎えて、雨の中をウオーキングをして来ました。さすがに歩いて居る人は少なかったのですが、気温が低くていい気持ちでした。
ショボショボ降る雨の中、ヤッパリ犬はお散歩を休む訳には行かないらしく、濡れながらトボトボと歩いてました。ペットとして犬はこの上なく可愛いのではありますが、こう言う雨の日なんかは犬に向かって「今日は止めようよ」と言いたくなります。 が 犬にも色々都合が有ります。先ず生理現象で、出すべきものを出さないといけません。そして外の空気を吸いながら歩く事でストレスの解消をさせないと、庭の土を掘ったりして悪さをします。今は夏ですから、雨でもそれ程苦痛では無いのですが、冬など冷たい雨に濡れながらの散歩は如何に可愛いペットの為とは言えども難儀な事です。どなたか<雨降り専門>の犬の散歩係をしてくれませんかねぇ~
2010年8月8日日曜日
奈良の大仏様
大仏様が、お盆を迎える為に綺麗に洗って貰ってます。
奈良の大仏様(盧舎那仏)は西暦758年 聖武天皇が幼くして亡くなった皇子の菩提を弔う発願で建立されました。其れの為に要した費用は莫大で、当時の民衆の疲弊ぶりは想像を絶するものが有ったと言われます。其の為に食べ物に有り付け無くて餓死者は出るし、絶えられなくて逃散する者も出るし、弱者の人民達は塗炭の苦しみに見舞われたのです。
今では観光客や、修学旅行の生徒達に「ウワァ~大きい!」「スゴォ~イ!」などと言って感動を与えて居ますが、今から1252年前に建立された時には、強制労働させられるは、重い租税を取られるはで、人民は悲惨な目に遭ったんですね。此れは聖武天皇と、光明皇后と言う独裁者の甚だしい公私混同です。大昔はこんな事が有ったのですが、今でもどこぞの国でやってる奴が居るのでしょう。
2010年8月7日土曜日
傲慢婆さん
年に一度の町内の夏祭り子供神輿です。みんな現一杯大声でワッショイ!ワッショイ!とやってます。此の頃 此の町内の子供の数が増えた様に思います。どうも若い御夫婦が自分の実家へ帰って来て、親と同居する傾向にある様です。此れは 此の所の不況が長引いて若い夫婦の所得が厳しくなり、マンション暮らしが出来なくなって来たらしいのです。だから 此の町内の老夫婦宅へ戻って来て居るのです。それには 若奥様が「舅・姑との同居は嫌だ!」などと激しく我が侭を言ったらしいのですが、生活が成り立たないのですから仕方が有りません。お陰で此の町内が賑やかになって誠に結構な事です。
ところで 今日 此の神輿が掛け声も大きく隊列を組んで進んで居た所へ、車が1台侵入して来ました。見れば町内でも<意地悪ばあさん>と呼び声高い婆さんが運転して居て居ます。此の婆さん 少し車を脇へ避けて神輿の行列を通過させてやればいいものを、其の侭行列のド真ん中へ突っ込んで行きました。子供達は大慌てで神輿を担いだまま狭い道の隅に押しつけられて悲鳴を挙げて居ました。それでもお婆さんは傲然として通り過ぎました。
おとななんだから、譲り合う事を子供に教えなければならない立場です。其れなのに此の傍若無人振りは「アンタ!恥ずかしく無いか!!」と言いたくなります。
2010年8月6日金曜日
原爆の日
広島に65回目の原爆投下記念日が来ました。今尚 其の時の後遺症で苦しみ続け、死亡する人達が絶えません。死亡者の数は、延べ二十七万人になります。
こんな酷い目に遭わせたアメリカは、呆れた事に、此の時 原爆を投下した爆撃機G-29を、スミソニアン博物館の野外展示場に展示して、事もあろうに「アメリカが広島と長崎に原爆を投下した事に依って、戦争を早く終結出来て、多くのアメリカ人の命が救われた」なんて、とんでもない碑文を掲げています。此れに就いて日本政府は、一言の抗議もして居ません。また マスコミもこの事実を只ニュースとして報道しただけで、何も抗議めいた記事を出して居ません。
アメリカでは、此の爆撃機の機長を英雄として扱い、爆撃機の名前を<エノラ・ゲイ>と機長の母親の名前を付けて、まったく二十七万人の命をなんと心得て居るのでしょう? 尤も この名前は<悪魔の名前>として永遠に後世に残るでしょう。
アメリカ人は、9.11テロの時に、三軍を総動員してアフガニスタン全土を焦土にした、あの愚か極まりない報復攻撃をした、いや未だ続けている事に、省みて 広島や、長崎の多くの犠牲者の無念で、言葉に出来ない悲しみを思い至らないのでしょうか?
何かと言えば<報復攻撃>しか思いつかないアメリカ人の情けなさ、愚かさ、銃でしか身の安全を保持出来ないと思い込んでいる馬鹿さ加減を思い知らしめるには、オバマさんでは無理でしょう。
2010年8月5日木曜日
可愛~い!!
2010年8月4日水曜日
嫁と姑
妻が購読して居る「婦人公論」の投書から・・・嫁と姑の問題で、姑の嘆きの投書です。
『息子の嫁は、30代で小学生の一人息子が居る極普通の家庭の主婦です。此の嫁が、私の感覚では全く理解できないのです。孫の為に、とか 息子や嫁の為にと思い遣り、時々色々な送り物などをするのですが、送っても「届いた、とも何とも」連絡が有りません。それで「別にお礼を言わなくてもいいから、届きましたと一言の連絡をするのが常識でしょう!」と嫁に連絡しましたら、此の様な手紙が来てショックで言葉を失いました。「別に 欲しくも無いものを勝手に送って来て迷惑です。もう 送って来ないで下さい! 孫の顔が見たいと仰るので、行きたくも無い其方へ嫌々行けば、<沢山食べないと、大きくなれない>と、無為りやり食べさせられて子供も嫌がって居ます。躾の押し付けは止めて下さい! 今後 私達の家庭に余計な干渉をしないで下さい!」』
此の嫁さんは、自分が何でも出来て、他人の協力や、援助は全く要らないと自信満々なのでしょう。未だ此れから先、何が有って周囲の人の助けが必要になるシチュエーションが考え付かないのでしょうけど、此の幼稚な自信の鼻っ柱を折られる時がいつかは来ます。其の時は、必ず周囲の人々の協力・援助が無いと乗り越えられません。孤立した自分の姿に愕然として、慌てた時は遅いのです。でも 今はそれが理解出来ないでしょう。
其の時 この手紙を姑から見せられたら、自分の思い上がり、世間知らずの馬鹿さ加減に、思い知らされるでしょう。其れとも 固意地張って今度の大阪の下村早苗の様に、二人の幼子を飢え殺しにする、恐ろしい母親になるのでしょうか?
2010年8月3日火曜日
甘ったれるな!
毎朝 ウオーキングをして居ますと、住宅団地の方から車が全速力で走って来ます。これは御主人の出勤する為に、自宅からJRの駅まで送る為の様です。大体歩けば15分程ですから、健康の為には丁度良い距離です。車の助手席には、40歳代の働き盛りの男性が、眠そうな顔をして踏ん反り返って居ます。年代的には所謂<団塊ジュニア世代>でしょう、だから我が侭・甘えん坊でしょうがない人達です。きっと毎日「ボクチャン 駅まで送って呉れなきゃ会社休んじゃうも~ん!」なんてダダをこねて居るのでしょう。仕方なく奥さんが送ってやって居るのでしょうが、何かと言うとすぐ母親に泣きつくので困りものです。
余計なお世話ですが、「こいつ等 会社へ行ってチャンと仕事が出来るのかな?」なんて心配して仕舞います。因みに 此処から小学校に通う児童達は歩いて通学して居ます。雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日もお父チャンと殆ど同じ距離をです。「オハヨウゴザイマース!」と元気な声で挨拶をしながら・・・
「お父ちゃん達も見習え!!甘ったれるんじゃないぞ!!!」
2010年8月2日月曜日
日米安保条約
日米安全保障条約と言う条約が有ります。これは日本が外国から攻撃を受けて、存亡の危機になった時は、アメリカが日本を守って呉れる、筈だと言う条約です。此れは1951年サンフランシスコ講和条約締結の時、まるでドサクサに紛れて締結させられたものです。アメリカとしては、「講和条約締結」でアメリカの占領下に有った日本の独立を認めてやる代わりに、此の「安保条約」を飲め!と迫られたのです。日本は占領国アメリカの蹂躙から逃れて独立を一刻も早く獲得したい一心でした。其の弱みに付け込まれたのです。
其の時の首席全権 吉田茂はこの条約の文言を見て、「此れは占領国に依る不平等条約だ」と直感して、同行の重光葵に「これはあとで問題になるから、私一人がサインする。君はサインをするな」と言ったそうです。
最大の問題点は、アメリカ軍の駐留を、日本から希望する事。そして外国からの教唆・干渉に依る内乱・争乱が起きた場合のアメリカの援助は、内政干渉に当たらない。またアメリカ以外の第三国への基地使用を認めない事。そしてアメリカ軍基地内は日本のあらゆる権利・権限は認めない事。また 日本のアメリカ軍基地から、他の国への出動は(ベトナム・アフガニスタン等)自由であること。 その他諸々の占領国としての優先権があり、それが今尚、沖縄を始め日本中の基地の街を苦しめて居ます。然も 「いざという時にはアメリカ様が守って下さる」と言う未だ一度もその証拠を見せて貰って無い約束にしがみ付いて居る、日本政府は、他国からは「何と言うオバカな政府だ!」と大笑いをされているでしょう。吉田茂が心配した通りになりました。そしてあれから60年経たこんにちでも、此の不平等条約を、日本政府は<改正>或いは<破棄>と言う動きを全くしません。つまり日本政府は未だにアメリカの精神的占領下にあります。「日本人は、大声で一発恫喝すれば直ぐ引き下がる」と言われます。
もしも 日本が何処かの国から攻撃されて、「アメリカ様!お助け下さい!」と言っても、アメリカは自国の防衛に精一杯です。とても日本を守るなんて余裕はありませんし、元々そんな気は無いのです。アメリカは日本列島を、アメリカ本土の防衛前線と認識して居るだけです。其れでも国民の税金を何千億円とアメリカの為に遣って居る日本政府は何と言うオバカでしょう。「日米安全保障条約」なんて破棄すればいいのです。それでもアメリカは何も出来ませんし、今までと何も変わりません。沖縄の問題も、全部片付きます。其の時 初めて世界から日本が独立国として認められるのです。
2010年8月1日日曜日
残酷!
大阪市西区南堀江のマンションで、自分の子供二人(3歳と1歳)を自宅に放置して、餓死させたと言う容疑で、母親が逮捕されました。こんな事が現実に有るなんてとても信じられません。
容疑者の下村早苗(23)は、昨年離婚、一人で子育てをしながら風俗で働いて居た様ですが、最近では「子育てに疲れた」と周辺に漏らして居たそうです。当然でしょう。未だ23歳の若さで、桜子ちゃん(3歳)と楓ちゃん(1歳)を抱えて精神的にも、経済的にも想像を絶する大変な苦労が有ったでしょう。
今となっては、二人の幼児を放置して餓死させた、と言う最も残酷な方法で殺人をして仕舞った罪は余りにも重いものですが、然しながら、一方で早苗容疑者を此処まで追い込んで仕舞った背景に、思いを致さずには居られません。
早苗容疑者には、両親・兄弟・親戚と言った、彼女に救いの手を伸べる人は居なかったのでしょうか? 或いは、離婚した元夫の方に、彼女と子供達を心配する人は居なかったのでしょうか? これから女性週刊誌等が、この辺の肉親・親類縁者、近隣住民、公的機関等を興味本位で、根掘り葉掘りほじくり回るでしょう。そして 幾つかの事実が出て来て、無責任なテレビのコメンテーター達が、色々喋るでしょうが、ひもじさに泣き叫びながら助けを求めて力尽きて死んで行った桜子ちゃん、楓ちゃんの苦しみ、悲しみは永遠に消えませんし、二人はもう二度と戻っては来ません。合掌!