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2007年8月31日金曜日

強情な車椅子

今日は定期健診に行って来ました。それ自体は何の問題も無くて良かった訳ですが、その時の目撃談です。

丁度救急車が入って来まして救急患者がストレッチャーで運ばれて来ました。心臓マッサージをしながらの搬送ですから一刻を争う状態と見て取れました。

それが丁度反対側から来た車椅子と衝突してしまったのです。緊急処置室までの通路は幅2メートルほどの広いもので充分すれ違いを出来るのですが、どう間違ったのかガチャンとぶつかってストレッチャーに車椅子がめり込んだ形になってしまったのです。

車椅子をバックさせれば直ぐ外れて問題無いのに、車椅子に乗ったお婆さんはガンとして退きません。病院中に響き渡る大声で「お前らがぶつかって来たんだ!!。お前らが悪い!!」と叫んで動きません。

然し 事は一刻を争う緊急事態です。救急隊の人はお婆さんを車椅子ごと持ち上げて除けると患者を緊急処置室に搬送して行きました。心臓マッサージを続けながら それに向かってお婆さんは「バカヤロー!あやまれぇー!」と怒鳴り続けて居ました。 私はそのお婆さんに「あやまるのは お前だろ!」と言ってやりたかったのですが、出来ませんでした。物凄く恐い顔をしてましたから・・・

2007年8月30日木曜日

沖縄は買わされたのだ!!

沖縄は返還されたのじゃなかったのだ。!!

30日付けで公開された外交文書で明らかになりましたが、あまりの事にビックリするやら、情けないやらで言葉もりません。つまり五億ドルで買取らされたのです!!。名目は資金供与と言う事で、1967年11月当時のジョンソン大統領が、佐藤栄作首相に「沖縄を返すから、五億ドルの資金供与をせよ」と執拗に迫ったと言うわけです。

こんな卑怯な話がありますか!! 元々沖縄は日本固有の領土です。それを戦争で強奪しておいて、あとで「五億ドルで買い取れ!」なんてこれ以上の卑劣はないでしょう。強盗と同じか、それ以上のワルです。越後屋もビックリです。!!

佐藤首相は、最終的にアメリカの理不尽な要求に応じてしまった訳で、当時の日本の外貨準備高は20億ドルしかない中から血の出る様な5億ドルを出したのです。 然も国民に内緒で・・・。

日本の外交が屈辱外交とか平身低頭外交と軽蔑されるのは当然です。特にアメリカから。

2007年8月29日水曜日

ネットカフェ難民!?!

厚生労働省の調査で、ネットカフェ難民が5,400人居るそうです。驚いた事に、20歳代の若い人ばかりじゃなくて50歳代の人が1,250人も居ると言うからビックリです。いったいどう言う人達でしょう。??

勿論 中には同情すべき気の毒な人も居るでしょうが、その他の人々は、此れまでの50数年間の人生をどんな形で送って来たのでしょう。 定職もなく、帰る家もなくカップラーメンを食べて、一泊¥1,500でジッとパソコンだけを相手に暮らす生活は、若しかすると気楽で楽しいものかも知れません。妻や家族の生活を心配しなくてもいいし、辛い仕事や、嫌な上司に気を使わなくてもいいし、昔はやった歌「ははルンペン呑気だねー♪」を思い出します。

ただ 其処にはネット犯罪などの陰湿な臭いがします。 人殺し・自殺・嫌がらせメール等の発生源になっているのも事実ですし、そんなエリアに50歳代の分別盛りの人間が20%も混じって居るとすると、呆れてしまいますが、その年代は三無主義と言われた団塊の世代とそれに繋がる世代だから、仕方が無いのかなぁ・・・(この言い方何処かで聞きましたねぇ)!?!

2007年8月28日火曜日

梯子を外された安倍晋三チャン



可哀相に 無理やり二階に上がらされて梯子を外されちゃった安倍晋三チャンです。小泉さんが遣りたい放題やってサッサと辞めちゃいましたから、自民党はボロボロの泥船状態でした。でも 誰かを無理やりにでもこの泥舟の船頭にしなければなりません。そこで選ばれたのがお坊ちゃまの安倍晋三チャンでした。なまじ能力があったり、ポリシーやフィロソフィーを持っているとジタバタと悪足掻きをして、却って自民党の傷口を広げるので、そんなもの何も無いお坊ちゃまの晋三チャンが選ばれて担ぎ上げられてしまったのです。つまり 晋三チャンなら、一人静かに泥を抱えて沈んでくれるだろう。と言うのが自民党幹部の老獪な作戦です。悪い奴らですねぇ!!

晋三チャンは期待通り、泥を抱えて静かに沈みつつあります。可哀相に!

さて 晋三チャンをまんまと沈めてしまえば、もう禊(みそぎ)が済んだと言うもの、「我こそは 自民党の救世主なり」と言って本当の悪い奴が踏ん反り返って出てくるでしょう。さぁそれはいったい誰でしょう。!?!

2007年8月26日日曜日

朝日新聞の後出しジャンケン

今朝 朝日新聞が首相へ贈る「五つの反省」と言う社説を掲載してますが、これは後出しジャンケンです。以前にも ブッシュ大統領がイラク攻撃を表明した時、小泉首相が「ブッシュを指示し、自衛隊を派兵する」言い切ったその翌日の社説で「イラク派兵に反対する」言いました。この時 何故ブッシュ発言にすぐさま反対の社説をしなかったのか 小泉首相が言明してしまってからでは、その価値は全然無いのです。ただ 「あの時本誌は反対したのだ」と言う後日の言い訳作りで、これも後出しジャンケンでしかないのです。
今回も 明日内閣改造を発表する、と言う土壇場にこの様な社説を出されても、安倍さんはどうする事も出来ないでしょう。国民の納得する様な人材を閣僚に登用すると言っても、今の自民党にその様な人材が居ますかもう 安倍さんは内心「なんで もっと早く言ってくへんかったんや あの大敗した時に言ってくれたらスンナリ辞められたのに・・・」と忸怩たる気持ちで居るでしょう。

安倍さんは 大敗した時 周りの取り巻き達に辞めない様に懇願され、また 栄光の安部一族からは辞めるなと言われ、特に女帝から「辞めたらいかんぜよ」と一喝を喰らって、本心は早く辞めて楽になりたい気持ちはやまやまなれど、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、四面楚歌の中を今日まで息も絶え絶えやっとたどり着いたのです。  然し 打つ手は無く八方塞りです。元来安倍さんは心身ともに強くありませんから・・・もっと酷い事になりそうです。!?!

2007年8月25日土曜日

美人長命!?!



芙蓉の花が咲いていました。この花 見た目はたおやかで弱々しい女性を連想させますが、意外にも強くて長生きするんですね。

昨日 故郷の悪友(ダチコウ)から、斉藤正子先生が亡くなられたと連絡がありました。享年89歳だそうです。 斉藤先生は 私の中学の国語の先生で、街中で美人の評判が高く、今の女優では高島礼子さんのかなりやつれた感じをご想像下されば良いと思います。と言うのも 先生は婚約者を戦争で亡くして、その悲しみが全身に溢れて居て、先生が居る処たちどころに真っ暗になるという人でした。口を開けば「死にたい」「死にたい」と繰り返し、昼間でもその姿は幽霊みたいで、生徒達は恐がっていたものです。

その先生が 89歳まで長生きされたのです。結婚されたと言う話も聞きませんでしたから、たぶん独身のまま生涯をおくられた事でしょう。昔は美人薄命と言いましたが「死にたい」が口癖で暗く無気力に生きた美人が天寿をまっとうされたのですから、人間の寿命とは解らないものです。

結局の所は 人間の寿命は神様がお決めになるのでしょう。

2007年8月24日金曜日

三井越後屋

三越と伊勢丹が合併します。三越と言えば江戸時代1673年、江戸日本橋本町(今の日銀新館あたり)で間口9尺(約3メートル足らず)の仮店舗をオープンさせた三井越後屋呉服店から、330年の歴史を経て来た我が国最老舗の百貨店です。

何と言ってもこの店の創業者三井高利(たかとし)と言う人が偉大でした。彼は伊勢・松坂の人で、52歳で江戸に来てこの店を立ち上げた訳ですが、当時の江戸の呉服・反物の販売は、店の者が見本品をお客の屋敷に持って行って見せ、注文を貰って後日商品を届けると言う屋敷売りで、その客筋の大名屋敷や大店などは既に前から有る大店が全て抑えていまして、三井越後屋の入り込む隙はありませんでした。普通ならここで尻尾を撒いて松坂に帰るところですが、三井高利は違いました。大名や大店ではなく江戸の庶民を客層にしようと考えたのです。

そこで その当時では、全く常識破りの新しい販売システムを考え出しました。「店前正札現銀無掛値」「小裂何程承候」つまり 店先にある商品は正札通り、いっさい掛け値をしておりませんので、いくら値切られても値引き出来ません。したがって現金でお買い上げ下さい。またご希望に応じて如何様にも切り売り致します。

当時は 商品に正札を付けるなんて有り得ませんでした。全て商人と客の駆け引きで、然も支払いは盆暮れの掛売りですから、値段はその分のリスクを含んだものを商人側が旨く付けて居たのです。また 呉服・反物を客の希望通りに切り売りする、なんて破天荒と言うより無茶苦茶なアイデアでした。

ところが これが江戸庶民のニーズにヒットしました!!。 庶民には高価な呉服・反物は手が届きません。でも「掛け値なし」のリーズナブルな品物や、切り売りの品物は買う事が出来ます。元々ニーズが有りながら高価だったり、店側の高慢な商法に不満を抱いていた庶民が殺到したと言います。なかには評判を聞いて乗り換えてくる大名もあったそうです。

それから330年 今 三越はライバルの「伊勢屋丹兵衛」と手を組んで生き残りをはかろうと苦渋の選択をしました。三井高利はどんな思いをしてるでしょう。!?!