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2007年11月11日日曜日

続・松本城



松本城を見学している小学生達にボランティアの方が説明されてました。その説明がまことに上手で明解でしたので、つい傍聴させて貰いました。

その要旨 この城は 元々は戦国時代の末期、この地の豪族小笠原氏が此処に館を構えたのが始まりだと言われています。然し それは未だ今の様に天守閣は無くて、堀をめぐらした内に館が集まった程度のものでした。それを現在の様な天守閣を設け、城下町の整備をしたのは、石川数正・康長父子で1594年の事でした。これは 豊臣秀吉が、徳川家康を江戸に移封した時に、将来 家康が謀反をして大坂に攻め上ってくる事を想定して、中仙道の押さえとして石川数正を配置したのです。

この天守閣を建てるのには、大変な苦労がありました。それは 地盤が軟弱で、其のままでは高い建物は建てられないからでした。そこで 当時の技術者は、地面を15メートル程掘り、そこに太い松の木でイカダを組み、その上にシッカリと礎石を敷いたのです。その後4百年 今日までその姿を保っています。当時の技術の凄さが改めて感じられます。尤も 戦後少し傾いたので修復しましたが・・・この天守閣は凡そ1000?あります。それが今尚チャンと建ち続けている事を考えて下さい。説明を聞いている小学生達は、まことに熱心にメモを取りながら聞いていました。その様子を見ながら何処かの高級マンションの鉄筋が百何十本も抜けていたと言う話を思い出しました。抜けていたと他人事の様に言ってますが絶対に嘘です。意図的に抜いたに違いないでしょう。現代の技術者は昔の人に比べて酷すぎます。

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