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2008年7月24日木曜日

名古屋 大空襲

丁度63年前の今日、名古屋大空襲がありました。その時 運良く奇跡的に生き残った人の話を後年聞いて、余りにも酸鼻を極める内容にその時は鳥肌が立ち、震えが来たのを思い出します。

その日(1945.7.24)アメリカのB-29爆撃機130機の編隊が名古屋の上空に飛来しました。「空襲警報」で愛知航空機 栄徳工場で女子挺身隊として働いて居た800人(1,000人とも言う)は防空壕に非難しました。然しB-29の編隊は名古屋の上空を通過して大阪方面に向ったので「空襲警報解除」になり、非難していた全員は防空壕から出て来て工場での作業を再開しました。

ところが B-29の編隊の内40機が何を思ったのか琵琶湖の上空から引き返して来たのです。慌てて「空襲警報」を鳴らしましたが間に合いません。そして避難出来ずに右往左往する女学生達の頭上にB-29は 298トンの爆弾を雨・霰と落としました。其処は阿鼻叫喚の地獄になり、何の罪も無い、純粋な乙女達はその殆どが一瞬にして死骸にされてしまったのです。ある者は抱きあい、ある者は水を求めて這いずり廻り、もがき苦しんで死んで行ったそうです。首を吹き飛ばされた者あり、内臓が飛び出した者あり、片手だけが転がって居て体が何処かに飛ばされてしまった者ありで、此の話をしてくれた人も、自分が果たして生き残ったのかさえ解らなかったと言います。

此の戦争を起した人達はこんな罪深い悪事をしたのです。A級戦犯として「死刑になった」としても、この罪は永久に消す事は出来ないでしょう。!!!

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