静岡大学の岡崎真紀子先生の教えで、源氏物語の事が少し分かって来た様な気がします。 以前には源氏物語と言うと、光源氏と言う「女たらし」が身分と権力に物を言わせて、偶々美しい容姿に生まれついた事をいい事に、で次々に女をものにする「とんでもないワル」の物語だと思って居ました。そして 其の物語を書いたと言う 紫式部とは 女の癖に「何と言う助平で、慎みの無い人間だろう?」と思い込んでいました。
所が 今度 岡崎先生の授業を受けまして、色んな本を読んで勉強してみましたら、源氏物語が、奥の深い含蓄の有る物語であると思う様になりまして、 紫式部と言う人の事も これは「ただ者では無い」と思える様になりました。
生年は973年、没年は1014年と推定され、父は藤原為時で漢学者、兄弟は兄(弟とも言われて居る)と妹だと言われて居ます。「紫式部日記」に依れば、司馬遷の「史記」を父に教えられて居た兄よりも、傍で聞いて居た彼女の方が先に覚えて仕舞い、父は「此の子が男であったら・・・」と言ったという話が残って居ます。当時の女性としては珍しく漢学を本格的に学んだ様で、此の事が源氏物語を他の物語と違ったものにし、後世まで読み継がれる一因だったのでしょう。
其の才女振りが認められて、当時の絶対的独裁者藤原家長の娘(彰子)が、一条天皇に入内した時、其の女房として宮廷に勤める幸運に恵まれたのです。つまり 紫式部は、当時の女性としては超エリートで、藤原家長と言う歴史に残る強力なスポンサーの援助の元で情報の収集とか、資材(用紙など 当時としては貴重品)を心置きなく使って あの 偉大で膨大な源氏物語の作成が可能だったのです。
やはり 紫式部は歴史的天才だったんですね。
2009年11月8日日曜日
紫式部
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