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2009年11月19日木曜日

源氏物語 其の6

今日の岡崎先生講義は「源氏物語と長恨歌の関係」でした。
 長恨歌は 昔の中国・唐の時代の詩人「白楽天」が、玄宗皇帝が楊貴妃の魅力に溺れ、政治を疎かにした為に、国が乱れ反乱が起きた故事を詠った漢詩です。
 桐壺の巻で、帝が桐壺の更衣を溺愛する余り、<楊貴妃のためしも、ひきいでつべくなりゆくに・・・>と、「源氏物語」の冒頭に此の「長恨歌」を引用して、何やら悲劇的で不穏な導入部を展開します。
 当時の女性は、ひらがなの読み書きは普通に出来たのですが、漢字は男性しか学んで居ませんでしたから、女性が漢詩の読み書きはおろか、その内容を著作の中に引用するなんてとても出来る芸当ではありませんでした。だから紫式部は特異な存在でした。彼女の父親の藤原為時は漢学者で、息子に漢文を教えて居ると、傍で聞いて居た彼女の方が先に覚えてしまい、「此の子が男だったら・・・」と父がため息をついたと言う逸話が残って居る程の才女でした。
 長恨歌は 七言、百二十行からなる大作で、玄宗皇帝が美女を求めて国中を探した事。そして楊貴妃と言う絶世のを見つけて、其の魅力に溺れ、政務を執ることを怠るようになた事。昼も夜も四六時中楊貴妃を傍らに侍らせて、後宮の美しい官女は三千人にも及ぶが、其の三千人に分け与えられる皇帝の寵愛も、楊貴妃一人に集中して仕舞った事。そして 楊貴妃の一族はお陰で沢山の領土を賜り、諸侯の待遇を受けて、我が世の春を謳歌して居ました。 が 当然 後宮の官女達をはじめ、世間から羨望の反感をかって、反乱軍の為に楊貴妃は討たれてあえない最期と遂げたと言う物語が長恨歌です。
 皇帝が楊貴妃を溺愛した悲劇と、藤壺帝が藤壺の更衣を溺愛した悲劇が相通じるものが有りまして、紫式部は其処にヒントを得て「源氏物語」を書いたのではないでしょうか?

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