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2009年4月21日火曜日

万葉と平安

昨日 静大・岡崎先生の生涯学習・第一回講義がありました。「主題」は「万葉集の歌と平安期の歌の言葉と表現の違い」でした。第一番の天智天皇の歌と第四番の山部赤人の歌をそれぞれの元歌を例に揚げて分かり易く講義をして貰いました。
 第一番 天智天皇 「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」
 万葉集の元歌   「秋田刈る 仮庵を作り 我が居れば 衣手寒く 露そおきにける」
天智天皇の作歌の方は、天皇とも有ろう者が田圃に行って雨漏りのする苫屋で袖の濡れる様が実際には有る筈が無いので、此れは実体験の無い想像上の歌と思われる。
 元歌の方は 実際に農作業に携わる者の、冷たい露に濡れる晩秋の侘びしい情緒がすなおに歌われています。つまり 此の万葉歌の方が実体験に基づいた歌で、此れが「万葉風の表現方」と言える。
 第四番  山部赤人 「田子の浦に うち出てみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」
 万葉集の元歌    「田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にそ富士の高嶺に 雪は降りける」
両方の歌の違いを比べると、<白妙の>と<真白にそ>それに<雪は降りつつ>と<雪は降りける>ですが、<白妙の>も<雪は降りつつ>も実際には遠景の降雪の様子を見る筈も無く、山頂を想像しての表現である。一方 <真白にそ>と<雪は降りける>は具体的な表現で想像して詠んだ観念的な匂いは無い。
 つまり 万葉集の歌は、実体験的な表現方法であるのに対して、それから四百年後の平安期になると実体験より、想像的、幻想的、観念的になり、言葉遣いを巧みにして楽しむ様に変わって来たのでしょう。その後 何百年を経て 「侘び・寂」の世界になり日本の独特の文化へと発展して行ったのでしょう。 昨日の岡崎先生の講義は奥が深かったなぁ~!!

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