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2009年7月31日金曜日

高貴なお姫様

昨日は静大・岡崎先生の「百人一首」最後の講義でした。
題詠 「忍ぶ恋」
 八十九番 式子内親王  「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらえば 忍ぶることの よわりもぞする」
意訳<わが命よ絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長えていたならば、堪え忍ぶ心が弱まって、人目につくようにでもなったら困るから>
 命が絶えるなら絶えてしまえ!此の激情!何と言う激しい情念でしょう? 問題は式子内親王と言う高貴な御身分の女性が、こんなに激しい「忍ぶ恋」をなさるチャンスがあるのでしょうか?と言う素朴な疑問を持って真面目に研究をした人が居ます。
 確かに内親王といえば天皇の皇女ですから、(実際に後白河天皇の第三皇女)高貴中の高貴なお嬢様ですから、宮中の奥深い所におわしますので、外部の若い男性の姿を見るチャンスも殆ど無いのでは・・・そして 此処は私の愚考で有りますが、こんな高貴な神々しいお姫様がこの様な「忍ぶ恋」などと激しく、狂おしく、生臭い事に身を焦がすなんて有ってはならない、と言うよりそんな事をして欲しく無いのでありますが、其処は高貴なお姫様と言えども人間でありますから、あっても仕方がないのでしょう。
 そこで 渡部泰明さんと言う研究家は、「此の歌は、式子内親王が、男になったつもりで男の激しい「忍ぶ恋」の悶々たる耐え難い気持ちを詠ったのだ」と、研究結果を発表してますが、私の個人的願望としては、やっぱり式子内親王が有りの侭のお姫様として、苦しく、耐え難い胸の内を詠んでしまって「おお恥ずかしや」と頬を赤らめて居る姿を想像すると楽しいではありませんか!!

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