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2010年5月16日日曜日

なんくるないさぁ~

 5月15日日は沖縄が本土復帰をっした記念日です。1972年5月15日から38年になります。然し 大手新聞各社共此の事を殆ど大きく報道して居ません。どうしてでしょう?
 沖縄が本土復帰して間もない頃、本土から多くの中小企業が沖縄に進出しました。政府等の奨励策も有って、みんな競い合って行きました。が どう言う訳かみんな直ぐ戻って来て仕舞いました。訳を聞くと口を揃えて同じ事を言いました「沖縄県人は信用出来ない!酷い目に逢った!!」其の内の一人、私の友人に詳しい話を聞いて分かりました。
 歴史と文化が大きく違うのです。本土の人間 <倭(やまと)>は「弥生式稲作民族」です。此れは 籾撒きから、田の水張り、雑草取り、と収穫まで八十八の工程を年間スケジュールを決めて、集団で作業を分かち合い、手抜きせず、助け合い続けなければなりません。其の為に厳しいルールが有って、其れを一人が怠慢で脱落すると一村が全滅の危機に瀕する事有るのです。だから脱落者には<村八分>と言う激しい制裁が加えられるのです。其れでも 冷害・天災などで悲惨な目に逢う事も少なからず有りました。そして 倭の歴史は、2,700年続いてこんにちまで来たのです。
 沖縄は違います。沖縄はポリネシアンです。だから 生きる為に<倭の様な厳しいルールの集団で、死に物狂いの努力>をする必要が無かったのです。
 それで 本土からの進出企業が、「正規の品質の、正規の数を、正規の納期通りに作って納める様に」幾ら指示しても出来ませんでした。不良品が出ても、納期が遅れても、夕方になると誰も居なくなり、社長が探しにゆけば、既に酒を飲んで踊って居る始末で、工場に戻って仕事をつづける様に言っても笑って「なんくるないさぁ~」と相手にされない状態だったそうです。
 つまり 此処に大いなる誤解があったのです。ポリネシアンに対して、倭の厳しい文化・風土を無理矢理押しつけた事が、斯様な問題をおこして、大きなしこりを残して仕舞ったのです。
 恐らく 今の日本国民の多くに其の時の<大いなる誤解>が心に残って居るのかも知れません。 

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