司馬遼太郎のエッセイ集「司馬遼太郎が考えた事」の中で日本の歴史上の事柄に就いて度々鋭い指摘をされて居ます。その中でもメディアの能力と責任に就いてです。
『先ず 古くは明治時代、日露戦争の時、当時のメディアと言えば新聞しか無かったが、其の新聞群の<情報収集能力><分析能力><報道能力>は、極めて稚拙であり、其れ等の無能力な為に、その後に起こした「太平洋戦争」へ大間違いの方向へ国民を誘導して仕舞った。
当時既に、イギリスの新聞タイムスは、日本とロシアの戦力部分析を正確に取材して居り、「日本は この戦争に勝つかもしれないが、ロシアの主力を殲滅する事は出来ない。」と報道して居る。所が 日本では其れ等の重要な情報の取材も、分析も、報道も出来て無かった。其れでロシアと言う大国と戦争をしたのだ。更に 其の間違えたままの状態を維持して欧米列国と第二次世界大戦へと突き進み、推定600万人超もの犠牲者を作り出したのだ。』
<あやまち>と言えば余りにも大き過ぎる<あやまち>です。<無能力・怠慢>と言えばとても許せない大罪です。
こんにちのメディア(テレビ・ラジオ・新聞・インターネット等)の活動振りは果して如何なものでしょう?芸能・エンタメ・スポーツ等、安易な材料、大衆受けをばかり狙った方向に奔り、本来のメディアの有り方からずれた方向に行ってませんか!?!
2010年5月26日水曜日
メディアの能力と責任
投稿者 不老愚 助光 時刻: 16:01
ラベル: メディアの能力と責任
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