奈良県明日香村教育委員会の発掘調査で八角形の古墳と分かり、大化の改新で知られる中大兄皇子(天智天皇)の母、斉明天皇(594~661年)の墓と有力視される牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)で、従来の斉明天皇陵として宮内庁が管理して来た陵は、どうも斉明天皇陵ではない可能性が出て来ました。然し宮内庁は其の事を相変わらず簡単に認めようとしません。
第37代斉明天皇(594~661)は第35代皇極天皇と同一人物の女帝で、第34代舒明天皇の妻です。一人で二度も天皇の位に就いた(重祚)女帝で、天智天皇と天武天皇を生んだ母親です。
当時の皇族の於かれた環境は、蘇我氏を始めとする豪族たちが勢力を誇り、天皇家に取って代わろうと虎視眈々と狙われて居た時代でした。
その中で 天皇家の血筋を守ろうと夫と、我が子達を体を張って守った女として孤軍奮闘した烈女の姿が偲ばれます。
そして 息子の中大兄皇子(天智天皇)が、母の悲願の大化の改新を成し遂げたのです。
2010年9月11日土曜日
斉明天皇陵
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