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2011年8月31日水曜日

夏の葬式

 昨日 娘の嫁ぎ先の舅の葬儀をしました。曹洞宗の普齊寺と言うこじんまりとしたお寺で、猛暑の中とり行われました。
 参列者は、猛烈な日差しの中 わざわざお運びいただきまして恐縮の至りでありました。狭い本堂の中へギッシリと詰めかけた人の為に、冷房をガンガンと効かせて居ましたので、外は灼熱地獄、中は冷え過ぎで寒く、大変な葬式になりました。
 参列者の中から思わず出た言葉で「夏の葬式は地獄だね」と言うのはまさに其の通りです。とは言え 人間は死ぬ時期を選ぶことが出来ませんから、致し方の無い事ですが、然しながら自分の時には参列して下さる人達の事を考えて、春とか秋の気候の好い時に死ぬように心掛けたいものだと思いました。

2011年8月29日月曜日

紳助引退?

 島田紳助が引退を発表したのが8月23日です。其れでも未だテレビでは其の話題を根ほり葉ほりやって居ます。まるで 民主党の代表選挙なんかそっちのけです。この辺が日本のマスメディアのレベルの低さでしょうか?
 島田紳助の引退はハッキリ言って「偽装引退」です。暴力団との親密な関係と言ったって、それが引退の理由じゃないでしょう。
 本当の処は吉本との腐れ縁を断ち切って、独立したいのです。彼は吉本興業のドル箱です。然し 幾ら稼いでも吉本興業のピンハネが避けられません。其のピンハネの金額は相当な額になるでしょう。だから 独立してピンハネ分を自分の懐に入るならば・・・と 紳助チャンは考えたのです。
 とは言え吉本興業と袂を分かつ事は自殺行為です。それこそ<親密な関係にある>怖いオジサン達が手段を選ばずに攻撃して来て、如何に紳助チャン言えども、道頓堀のヘドロに埋められて仕舞うでしょう。
 そんな怖い吉本興業に円満な縁切りをする方法として、苦肉の策の引退劇です。涙を流して仲々の演技力でした。あの 好く深いオトコが簡単に引退なんかするものですか!!
 まぁ いっときホトボリが醒めるまでは静かにして居ますが、また 其の時が来ればジャ~ンと出て来て「独立宣言」をするのです。

2011年8月28日日曜日

舅 大往生

 娘の嫁ぎ先の舅が今朝早く亡くなりました。死因は癌でした。食道癌が全身に転移して、最後には肺に迄達して、医者からはもう時間の問題です、と 宣告されて居ましたのでみんな覚悟はしていました。
 先週の火曜日 お見舞いに行きまして、少し言葉をかけまして、微かに反応が有りましたが、其れが最後になりました。享年75歳でした。
 今年の初めに癌が見つかりましたが、脳梗塞の持病があり、その為に手術が出来ないという医者の話で、仕方なく抗がん剤と放射線に依る治療をして居ました。
 我が娘も嫁という立場から、献身的な介護をして居りました。中学校の教師と言う仕事で、学校には校長の御好意で、<介護休暇>をとらせて貰い、その休暇が終ると直ぐに夏休みで、夏休みが終わる寸前に舅が亡くなりました。
 人が死んでヤレヤレと言うのも不謹慎では有りますが、入院してかれこれ8カ月、周りには介護疲れが出始めて居ました。病院側も最善の手を尽くして呉れましたが、薬石効無く今朝早くのお迎えで昇天致しました。恐らく 天の神様・仏様が諸般の事情を考えて最善のお計らいをして下さったのでしょう。合掌!

2011年8月27日土曜日

民主党首選挙



 民主党党首選が公示されました。またもや総理が交代します。もうウンザリです。今の政治家達の中で誰が総理になっても代わり映えがしませんし、際立ったリーダーシップの発揮出来る人も、カリスマ性を持った人も見当たりません。
 更に 総理を選ぶシステムが問題です。国会議員が投票で総理を選ぶ訳ですから、当然立候補者は各議員の元に<清き1票の投票>をお願いに行く訳です。其の時 投票する側は、立候補者に色々な期待をします。其れは国民が望む政策とか、制度とは全然関係の無いもので、<大臣のポスト>とか<党の役員>と言う露骨な私利私欲に塗れた汚いもので、立候補者は其れを投票と引き換えに約束させられるのです。
 今まさに其の汚い駆け引きの真っ最中でしょう。此の写真の様にどす黒い雨に濡れて居る議事堂の内外で、候補者たちは私利私欲の亡者たちから、雁字搦めに約束をさせられて居るのです。此れではリーダーシップも、カリスマ性も国民の為の政策もヘチマも有りません。
 総理は 直接選挙で選ぶべきです。今の国会議員の質が悪過ぎます。

2011年8月25日木曜日

他力本願

 「他力本願」と言うのは、本来は親鸞聖人が唱えた<阿弥陀如来を一心不乱に信じ、「南無阿弥陀仏」を心の底から唱えれば、善人も悪人も阿弥陀如来の「本願力」に依って救われて、極楽往生出来る>と言うものだそうです。
 ところがこんにち その意味が勝手に間違えて伝えられ、<他人任せ・他人依存>の言葉として遣われて居まして、まるでエゴイズムの奨励見たいになって居ます。
 今度の東北大地震では、多くの命が失われ、街や家やインフラも津波に奪われて仕舞いました。そこで 自衛隊や地方自治体、多くのボランティアが救援活動にあたって居ます。そこでつい最近 静岡市役所から被災地の自治体へ、応援活動に派遣され行って来た、A氏の話を聞きました。
 A氏が言うには 被災地の復興ぶりには段々大きな差が出て来ている。つまり 自力で必死に復興努力をして、良くぞ此処まで頑張った!と言う人々と、大震災から5カ月経ったのに、未だに茫然自失で自力で何もしないでいる人々です。ボランティアの人達が、泥んこになり、大汗かいて自分の家の泥を掻い出したり、瓦礫の片づけをして呉れて居るのに、ただボケェーツと見て居るだけで、何もしないのだそうです。「どうして何もしないのですか?」と聞けば一言「被災者だから」と答えて平然として居たというのです。
 「それは違うでしょう!!自衛隊もボランティアも復興の手助けはしますが、飽くまでも復興作業の主役は被災者自身です。」とA氏が言ったら、物凄い剣幕で「他所者が余計な事を言うな!!俺達は爺さんの代から<他力本願>を教えられて来たんだ!」と言われました。
 それはヤッパリ違います。然し此の人達と議論をしても始まりませんから、せめて自力本願で復興して下さいと願いながら帰って来たそうです。

2011年8月24日水曜日

島田紳助



 お笑タレント島田紳助が突然引退するそうです。何でも暴力団との<親密なつきあい>が原因で、「此の侭では若い者に示しがつかん」と言うのが引退の理由の様です。
 でも 何だか眉唾ものです。第一暴力団との付き合いと言ったら、其れに抵触するタレントはウジャウジャ居て、其れ等がみんな引退したらタレント業界は空っぽになっちゃうでしょう。
 昔から此の業界は暴力団の闇の温床として誰でも御存知な世界です。田舎から何も知らずにポッと出て来て、気がついたら何時の間にか怖い暴力団の網の中に囲まれて居た。そして散々喰い物にされて捨てられて消えて行く・・・
 東京や大阪の繁華街で、タレントスカウトと称する人達は、本物の芸能プロのスカウトは殆ど居ません。街角でのスカウト活動はしないのです。そんな事をしなくても事務所の方に自分で売り込みに来る者が掃いて捨てるほど来るのです。
 島田紳助は吉本興業の下住みから叩き上げた数少ない成功組です。フジテレビのバラエティ番組で、たけし・さんま達とブレイクしまして、其れに続けとばかりに若手が大勢出て来ました。
 そして今のバラエティ番組⇒雛壇にお笑タレントを並べて、下らない・面白くない・内要の無いお喋りをさせてお茶を濁す番組を流行らせて仕舞いました。
 島仇紳助の引退で、これ等の番組も終りにして欲しいし、ダニの様に沸いて来たお笑タレントも、仕事を失って、みんな田舎に帰る時が来たのです。

2011年8月23日火曜日

なでしこジャパン



 なでしこジャパンが、岡山県の美作市でオリンピック代表決定戦に備えて、合宿練習を始めました。其の人気の凄い事たるや、4年前同地で合宿した時の観衆がたった70人だったのが、今回はその500倍の3,500人だそうです。美作市の総人口が35,000人ですから、人口の1割が集まった計算です。
 ワールドカップで優勝して、国民栄誉賞も授与され、此れだけ人気も盛り上がって仕舞って・・・此れではオリンピック予選でコテンとコケル訳には行かなくなりました。さぞかし大変なプレッシャーでしょう。
 スポーツと言う勝負事は、水ものです。特にサッカーは11人の選手をはじめ、控えの選手、スタッフの総力で戦う競技です。必ず誰かがアクシデントに見舞われて、全体のコンディションを崩します。其れ等を考えて、余り騒ぎ過ぎるのは彼女達には可哀想ではないでしょうか?
 美作市は、江戸時代初期の剣豪 宮本武蔵誕生の地です。武蔵は生涯六十余度の真剣勝負をして一度も負けて居ないと言われて居ます。其れには勝つ為の周到な準備がされて居からです。
 なでしこジャパンも、いま其の準備をしている処です。静かに見守ってやりましょう。

2011年8月22日月曜日

る・く。る



 静岡駅の傍にある「子供科学博物館<るくる>」です。此処には色々な面白い実験とか、フランス式積み木あり、ゲームが有り、一日中子供達が遊べるようになって居ます。
 入場料は小学生までは無料、大人は¥500で、昨年 孫達が水戸から帰省した時に連れて行きましたらスッカリ気に入りまして、今年は静岡に来る前から<るくる>に行くんだ!と凄い張り切り様でした。会員登録もしてポイントカードまで持ってます。
 然し 楽しんで遊べるのは小学生の低学年から、高学年くらいで、幼児には少し無理な様でした。其れでも幼児を連れたお母さん達の5~6人の集団が、子供達を勝手に遊ばせて、自分達はお喋りに夢中な人達には迷惑しました。子供達が「ママ!」「ママ!」と言ってお母さんに寄って来ると「煩いわね!あっちへ行って遊びなさい!」と追っ払います。追っ払われた子供は途方に暮れてワーワー鳴き叫びますが、お母さん達はお喋りに夢中でとり合いません。泣き疲れた子供は母親が自分を無視して居るのに気付いて、床にゴロリと寝そべったり、ウロウロ動き廻ったりして何処かに行って仕舞いました。でも 此のお母さん達は、此処の常連らしく全く慌てません。「ワーワーキャーキャー!」と喋り捲った挙句 いつの間にか引き上げて行きました。子供達は大丈夫だったでしょうか?

2011年8月21日日曜日

台風の帰省



 息子が孫三人を連れて帰省して来ました。孫1(小6男)孫2(小3男)孫3(三歳女)と息子夫婦で、日頃ヒッソリとした我が家はまるで超大型台風が来た様な大騒ぎになりました。
 勿論 一番賑やかなのは孫3で、丁度三歳の誕生日が昨日でした。兎に角 自分が居並ぶメンバーの中心として、常に話題のセンターに置かれて居ないと御機嫌が悪いのです。何か別の話をして居ると「何?どうしたの?」と話しに割り込んできて、納得のいく説明が無いとトコトン喰い下がって来ます。
 一昨日の夜 我が家に到着しまして今朝10時頃帰りましたが、まぁ其の間ピッタリくっ付かれて「此れは何?」「どうやるの?」「やって見せて」と全く休むことなく、まるで機関銃の如く責め立てられました。余り煩いので一休みしたいとトイレに隠れても、「おじいちゃん何処?」と家中捜し回られて遂に見付けられて仕舞います。癪に触りますが、あの天使の様な顔でニコッとされますとついフニャフニャデレ~ッとなって仕舞うのであります。
 女の児のお相手をするのが斯くも疲れるもにとは・・・私も妻も今は放心状態で動けません。「来年は、もう呼ぶのは止めようね!」と言いつつも 又 夏が来ればいそいそと迎える支度をして居るでしょう。馬鹿ですねぇ~!


2011年8月19日金曜日

日本の将来



 福島の子供達が、経済産業省の官僚達に、辛い毎日の生活をさせられて居る現状を訴え、そして此れからどうなるのか?と 質問をしました。官僚達は 矢鱈と難しい単語を並べて子供達を煙に巻こうとしましたが、純粋な心の子供達は、誤魔化されません。
 橋本伽耶(13)さんから「官僚の皆さんは、私達子供の質問して居る意味が解って居ないのですか?」「今度今回と同じ話し合いの場が有りましたら、もっとハッキリ答えられる人を出して下さい!」と此処まで言われて居ます。
 此の官僚達と話し合った子供達は「何と言う頼りない大人たちだろう?此れでは原発も、政治も信用できない。」と大いに落胆して仕舞った事でしょう。然し 此れでも東大を優秀な成績で卒業して、国家公務員試験に合格した超エリート官僚です。其れが此のザマですから日本の将来は暗いですねぇ~

2011年8月16日火曜日

お盆



 お盆です。日本にはお盆に死者の霊を弔う素晴らしい習慣が有ります。其の起源はお釈迦様の十大弟子の目連と言う人が、死んで地獄に落ちた自分の母を救う為、お釈迦様の教えに従い、沢山の供物を備えて供養した、その為に母は救われたと言う故事に倣ったものだと言われて居ます。
 日本には推古天皇の時代(西暦604年)に中国から伝わり、先祖の霊を供養すると言う風習がこんにちまで伝わって居ます。
 ただ こんにちではご先祖様のお墓参りよりも、レジャーの為のお盆休みと言う感覚の方が強くなって仕舞い、さぞかしご先祖様も苦笑して居られることでしょう。

2011年8月15日月曜日

続 敗戦記念日



 「続 敗戦記念日」 昨日に続き8月15日に思う事を綴ります。昨日書いた池上・加藤対談で、二人が言う「太平洋戦争で、我々は<被害者>だけではなく<加害者>である」と言う意見には大いに賛成です。私達は二発の原爆と無数の爆弾・焼夷弾で犠牲になった非戦闘員と、戦場で戦死した兵隊達を併せて600万人とも言われる戦争犠牲者を思う時、その余りにも悲惨な死に、思わず戦争の<被害者>として仕舞います。
 確かに 600万人の内の多くの人達は、抵抗する手段も無く、自分の意志に反して唯々諾々と死出の旅に送りだされて仕舞ったのです。もっと長生きをして幸せな生活をしたい!と切実に願いながらも、人間の作り題した<大量殺戮兵器>で何ものにも代え難い命を奪われて仕舞いました。
 事此処に至るまで 果して此の戦争を防ぐ方法は無かったのでしょうか? いや ありました!。其れはNHKを始めとする大新聞が、世界から正確な情報を集め、欧米の軍事力と日本の軍事力の差を冷静・客観的に比較して、正直に報道して居れば、此の戦争が如何に無謀なものかを多くの国民に知れせる事が出来たでしょう。軍部は半ば発狂状態でしたが、マスコミ全部で連帯して<不利な戦い>を国民に知れせるべき責任が有ったのです。勿論 其れは命懸けの大仕事です。然し マスコミは其れを避けて寧ろ<戦争礼賛>に回りました。此処に歴史的大罪が有るのです。
 戦後66年経ったこんにち 未だにそれはどのマスコミも総括して居ません。此れが 日本のマスコミの本質です。

2011年8月14日日曜日

敗戦記念日

 今年も8月15日に「敗戦記念日」がやって来ます。あの戦戦争に就いて池上彰さんと東京大学大大学院の加藤治子教授が対談をして居ます。
 1945年8月15日に日本は戦争に負けました。そして日本国民はみんな一斉に「戦争被害者」になりました。果してそれでよかったのだろうか? と言う視点から此の対談は始まって居ます。
 日本軍は フィリピンを始め、東南アジア各地で完膚なきまでに叩きのめされて、沖縄には上陸され、おまけに広島と長崎に原爆を投下されて、無条件降伏をさせられたのです。それでもこの現実を国民にはひた隠しにして、我が軍は連戦連勝と国民をだまし、未だ戦争を続けようとして居たのです。此の酷い<大日本帝国軍隊>は、昭和天皇の英断が無ければどうなって居たか判りません。 此の現実を隠す、国民に知られたくない事を隠蔽する姿勢が、当時の大日本帝国軍部と、東京電力福島原子力発電所のやり方と、相通じるものが有り、恐ろしさを感じると言うのです。
 明らかに敗色濃厚で、B-29 爆撃機が毎日飛来して、東京・大阪・等の大都市を焦土にされても尚「日本は戦争に負けない。神風が吹いて必ず勝つ」と言い続けて、女子供老人まで駆り出して竹槍を持たせ、米軍の上陸で<本土決戦>に備えさせたあの時の大本営発表と、未だに放射能を垂れ流し続けて居るのに「原発は安全です」と言い続けて来た政府・官僚・電力会社とは同じではありませんか!!
 対談で二人は あの戦争でも、福島原発でも自分達は<被害者>では無くて<加害者>なのだ と結論付けて居ます。つまり あの軍部の暴走を許して仕舞った事、原発の建設を容認して仕舞った事、これ等を体を張って止められなかった事・・・勿論 此れは今だからこそ言える事では有りますが、当時<戦争反対>を唱えて命を落した勇敢な人達が大勢居られたと聞きました。なのに此れがどうしてもっと大きな運動として発展しなかったか?と言えば 其れはNHKラジオと大手新聞が口を揃えて<戦争礼賛>を唱えたからです。
 それも こんにち迄のマスコミの<原発礼賛>と同じです。66年前にあれ程酷い目に遭って居ながら、マスコミは進歩してません。

2011年8月11日木曜日

人・物・金

 佐賀の小城羊羹で全国的にも有名な増田羊羹が倒産したそうです。倒産の原因は、結婚式場などを含めたショッピングモールの経営維持が重荷になり、遂に力尽きたと言う事の様です。全国の地方各地で、企業拡大の為に色んな投資をして失敗、倒産に追い込まれる例が後を絶ちません。其の共通する要因は<人材不足>です。
 個人経営で 社長の目が届く範囲で小じんまりとやって居る間は無難に成り立って居ますが、少し小金も堪ったし、もっと大規模な会社にしたい、と思って規模拡大を図りますと、トタンに息切れがして勢いが続かずに敢え無くバタンキューと言って仕舞うのです。
 何故だろう?と大抵の失敗者は考えても判りません。其れは 資本主義の三原則を知らないで、金さえ有れば企業経営なんて簡単に出来る、と 酷い勘違いをして居るからです。 つまり
1.人=人材。2.物=商品・仕入れ先。3.金=資本。と言う順番で真っ先に必要なものは人=経営・管理・カリスマ性を持った人材です。そしてもし100人の会社を経営したければ、10人の優秀な部下が必要です。人間が一人で管理できるのは10人が限度だと言われて居ます。余程優秀な能力を持った人でも精々30人迄です。処が 其の優秀な人材を10人集めるのは並大抵では有りません。
 結局 人在が集まらず、社長が孤軍奮闘して疲れ果てた挙句に倒産して仕舞うのです。昔 OA機器用の小型モーターを発明した人が居ました。20世紀最大の発明と言われて、日立・東芝・三菱と言った大手からその特許を買いたいとオファーが有りましたが、全部断り自分で勧業電機と言う会社を興して、全て自分でやろうとしました。物は素晴らしい商品が有ります。金は銀行が幾らでも貸しますと言って来ました。然し肝心の人=人材を集める能力が有りませんでした。で 莫大な借金を残して台湾か何処かに逃げて仕舞ったと聞きました。それ程人材の獲得は容易な事では無いのです。特に現在の日本は、歴史的な人材枯渇時代ですからねぇ~!

2011年8月10日水曜日

続 五山の送り火



 「続 五山の送り火」です。陸前高田市で被災した松で拵えた薪を「五山の送り火」として焚く計画を、根拠の無い放射能汚染を心配した市民の苦情で、一旦は中止を決定したのですが、其れに対して連日500件を超す非難や苦情が寄せられまして、再度実行する事になりました。
 京都五山送り火連合会の田中博至会長は、陸前高田市にもう一度松の薪を送って貰う事にして、「メッセージの書かれた元の333本の薪は、既に地元で焚かれて仕舞いましたが、今度の薪にも被災者の思いが込められています。鎮魂の心を籠めて丁重に焚きます」と言って居ます。
 此れを聞いた全国の子供達から「初めからそうすればいいのに・・・」と笑われるでしょう。京都のオトナ達は何とケツの穴が小さいんだ!(御免なさい つい生まれも育ちも下品なもので言っちゃいました)
 以前 京都の市長が言ってました。「京都は 此れと言った産業が有りません。観光が街の唯一の収入源です。だから 修学旅行で来て下さる小・中学生、一般の観光客の皆様を大切にしなければ街は滅びます」此の精神です。此の精神で「おおきに!」と 観光客を迎えて下さい。
 京都のタクシーや、ホテルの従業員は大変親切です。其れだけ競争が激しいからでしょう。その一方で先斗町や祇園では未だに「一元様お断り!」と言う世界が有ります。<所謂エリートだけの限られた世界>を作り、其処を保持したいというノスタルジックな願望は、京都を孤立させるだけではないでしょうか?

2011年8月9日火曜日

五山の送り火

 「五山の送り火」 京都のお盆の風物詩で其の起源は平安時代とも、江戸時代とも言われ、公式の記録は無く、明確なところは判りません。
 其の「五山の送り火」に 大分市の芸術家藤原了児氏が、陸前高田市で大津波に遭い、多くの犠牲者と伴に倒れた松を送り火として焚いては・・・と 提案しました。
 京都の大文字保存会の松原公太郎理事長も、其の意を汲んで計画を受け入れることにしました。ところが 京都の住民達から<福島原発の放射能>が怖いと激しい苦情が出ましたので、放射能を検査した処<放射能の検出はナシ>との検査結果でした。 其れにも拘わらず京都市民からの苦情や非難が治まらず、已むなく松原公太郎理事長も「中止」せざるを得ませんでした。
 折角集めてメッセージを書きこんだ大切な松の木の薪は、地元陸前高田市で8月8日犠牲者の迎え火として焚かれたそうです。
 其れにしても京都人の頑固な冷酷さ・排他的さは桓武天皇の平安遷都以来、1000年の昔から変わって居ませんねぇ! 今の京都は歴史的遺産をネタにした、観光客だけが頼りの街です。なのに此の傲慢な態度はどうでしょう? これでは 京都が大地震とか大災害に遭っても何処も誰も救援して呉れないでしょう。

2011年8月8日月曜日

原爆と原発



 <原爆と原発> 8月6日66回目を迎えた「広島原爆の日」に、66年前広島で被爆して、今年福島で原発事故で被爆して広島に避難して来た男性の、絞り出す様な言葉がテレビで放送されました「私にとっては 原爆も原発も同じものです」。<広島と長崎>では私達は<被害者>です。然し<福島>では<加害者>です。
 何故ならば あの原発を建設する時、私達は<原発給付金>を目当てに、建設工事の誘致を乞い願い、露骨なまでの運動をしたじゃありませんか!執拗なまでに国会議員を追いかけ回し、「センセ!センセ!」と夜討ち朝がけをした県知事・県会議員・市長・町長その他諸々を挙げての活動の結果、獲得した給付金で「身分不相応なハコモノ」等を目イッパイ建てて、挙句の果てに3.11の事故が起きたら態度を一変して、まるで原発を<悪魔>の様に言い放って居ます。そしてすまし顔で<被害者の椅子>に座って、今度は「保障!保障!」と叫んで居ます。
 確かに 原発は「国会議員・官僚・電力会社」が結託して<安全神話と言う偽情報>を捏造しました。然し 其れに伴う<給付金>と言う甘い蜜に群がって行った浅ましき輩が大勢居たのも事実です。そして其の群がる無智な人達の為すがままに看過した私達も、責任を免れません。だから私達も<加害者>であります。
 これから何十年か先、今の幼児たちに放射能の影響が出て、癌などを発病したらいったいどう責任がとれるでしょう? 原発と言う<カネの成る木>に群がり寄った見苦しい行動の所為で、此の幼児達は塗炭の苦しみに喘ぐ事になるのです。

2011年8月5日金曜日

高校球児の母



 今日の朝日新聞「声」欄に 高校球児のお母さんの投稿が載って居ました。此のお母さんは千葉県君津市の美容師をなさって居る人で、母子家庭で働きながら息子さんを育てて来られたお母さんです。息子さんは高校球児でピッチャ―。今年の県大会は回戦敗退でした。息子さんの夏も終わり、<背番号1>のユニホームを最後の洗濯をしながら思わず涙が零れたそうです。そして息子さんが頑張った証しとして、わざと少し汚れを残して置いたと言うことです。
 親心ですねぇ!恐らく今頃の全国には此の様なお母さん達が」無数に居らっしゃるのではないでしょうか?
 此の方は 母子家庭と言う大変な環境の中で、息子さんに思う存分野球に打ち込めるように、と 必死に頑張って来られたお母さんですから、其の想いもひとしおでしょう。ユニホームの洗濯だけじゃ無く、遠征、合宿、野球用具の購入と親としてのバックアップは、さぞかし大変だった事でしょう。経済的な事もさることながら、遠征・合宿等は親の当番が決められて居て、仕事を休んで出て行かなければなりません。ましてや<背番号1>を着けたピッチャ―とあればとても抜けられません。此のお母さんのご苦労の程が思いやられます。きっと息子さんは立派な大人になるでしょう。

2011年8月4日木曜日

三首脳更迭



 3首脳更迭 海江田経済産業大臣は、経済産業省の松永和夫事務次官、寺坂信昭原子力安全・保安委員長、細野哲弘資源エネルギー庁長官の三人の更迭をしたと発表しました。
 事故発生以来凡そ5カ月に渡り、事故処理のモタツキやら、ヤラセやら数々の信頼失墜に及ぶ不祥事に<何を今更!>と 国民は呆れて居ます。もっと素早く厳しく出来なかったのか!?とさえ思います。どうしてこんなに処分に時間が掛かったのか不思議でならないのと同時に、我が国の役所仕事の根回し・段取りの愚かしさを実感します。
 先ず 3人の退職後の天下り先の準備です。其れから退職金の支払いを、国民の反感を呼ばない様な形にする根回しです。何しろこれ程の失敗者達に対して、目玉の飛び出る程の大金を払うのですから、勿論国民の税金です、批判噴出は必至でしょう。
 そして後任人事ですが、此れはもう<なりたがり>がギッシリ居ます。国家公務員となって、これ等のポストが一挙に三つも同時に空くと言うチャンスは稀有の事です。此れは大変な出来事ですから、経済産業省内は蜂の巣を突いた様な大騒ぎが、目に見える様です。さぞや見苦しい漁官運動が展開された事でしょう。そんなこんなで斯様な長時間を要したのです。

2011年8月3日水曜日

押し出しサヨナラゲーム



 <押し出しサヨナラ負け!> 高校野球は 勝っても負けても全責任は監督にあります。それは 高校野球では、監督に絶対服従で、明らかに監督の指示が間違って居ると分かっても、選手には異を唱える事は出来ません。そんな事をすれば自分の選手生命はおろか、高校生としての前途をも失う事になりかねないからです。それ程 高校野球に於ける監督は、絶対的独裁者です。
 大阪の甲子園高校野球地区予選は、優勝候補大本命の大阪桐蔭高校が、ダークホースの東大阪大学柏原高校に球史に残る「最悪」の負け方をしました。
 一時は6対1と圧倒的なリードをして、其のまま桐蔭高が勝つだろうと誰しも思ったでしょう。実力的にも其れが順当な展開でした。 が 奇跡(?)は此処から始まったのです。
 コツコツと点を稼ぎ、8回には遂に6対6の同点に追いつき、9回の裏 守る桐蔭高の西谷監督の指示で満塁策をとったのです。其処でピッチャー中野君が、痛恨のデッドボールを投げて仕舞い、「押し出しサヨナラゲーム」となった訳です。
 負けた大阪桐蔭高校の西谷監督は「残酷なゲームをさせて仕舞った」と言って居ますが、其の通り酷過ぎる内要の試合です。5点差を追い付かれるまで何も有効な手を打たなかった監督の全責任です。いくらチーム力に差が有ると言っても<勝負事は下駄を履くまで判らない>と言う鉄則が有りす。明らかに今回は監督の油断が敗因です。泣き崩れる選手達の可哀想な姿を、西谷監督は生涯忘れてはなりません。そして自分の未熟さを謙虚に反省すべきです。押し出し死球を与えて仕舞った中野君の胸中は、いかばかりかを思い遣るべきです。彼はもう野球をやめて仕舞うかも知れません。其の責任の重さを西谷監督は判って居るのでしょうか?
 東大阪大柏原高校の選手や応援団は、欣喜雀躍 手の舞足の踏む処を知らない喜び様で、こんな痛快な事はないでしょう。

2011年8月2日火曜日

地震警報

 昨夜11時58分に駿河湾を震源とする震度5弱の地震がありました。丁度一番いい気持ちで寝て居る時に意地悪な地震です。さいわい我が家にはさしたる被害も無く、静岡県全域にも被害の情報はありませんでした。
 ただ問題は ガタン・グラグラと来たのが11時58分。そして携帯電話に「地震警報」が入ったのが12時00分でした。グラグラと揺れてる最中に「地震警報!強い揺れに警戒して下さい!」と言われても、もう既に2分前に地震が来て仕舞って居るのですから、警戒もヘチマも有りません。<P波を捕えていち早く地震情報を出す>と言う自慢のシステムはどうしたのでしょう?
 いったい何の為の警報なのか気象庁の仕事振りを疑います。此の処の気象庁の各種予報の精度が悪くなって来ているので、誰も気象庁を信用しなくなります。そして気象庁の出したいい加減な予報の所為で大災害・大被害が出るのではないかと心配するのです。此の様な予報なら出さない方がいいのではありませんか!?!此れでは原子力安全・保安院と同じでは有りませんか!<天気予報>は気象協会と言う下請けに丸投げして責任逃れをして、年間733億円もの国民の税金(平成21年度実績)を遣い、顕著な進歩が見られない気象庁の怠慢ぶりに強く怒りを感じます。

2011年8月1日月曜日

臆病者

 私は 自他共に認める「臆病者」です。この世の森羅万象あらゆるものが恐ろしいのですが、特に人間が怖いのです。中でも取分け怖いのが<借金取り>と言う人間が怖くって、時々夢に出て来て魘されるのであります。
 実際に<借金取り>に追われた経験はありません。が 夢の中では誠に具体的で、鮮明な形で現れて私を追い詰めるのです。例えば何故か超高層ビルの屋上で、あと一歩で転落寸前!「アァ~ッ!もう駄目だ 助けてぇ~!」と言う所で目が覚めたり、大勢の槍を構えた武士に囲まれて、「ワァ~ッ!」と突き殺される場面とか、色々絶体絶命のシーンが展開しまして、その際に決まって私に向かって「金返せぇ~!」と叫ぶのです。
 勿論 私は借金をした覚えはありませんので、夢の中で必死に声を振り絞って「待って呉れ!私は借金をして居ない!話せば判る!」と叫ぶのですが、全然声が出ません。そして「ワァ~ッ!!」と叫び声を挙げて目を覚まします。最初は隣の部屋で寝て居る妻がビックリして起きて来ましたが、最近では慣れたもので、「又か!」と言う訳で特に驚きもしません。
 ただ 私としては毎度こんな夢で魘されては困りますので、色々な人に相談しましたが、みんな笑って居るばかりで、まともに聞いて呉れる人は居ません。何方か何か言い対処法をご存知の方ありましたら、教えて下さい。もっと別の楽しい夢を見られる方法とか、綺麗なオネエチャンが出て来る夢とか・・・<コラコラァ!>