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2011年8月9日火曜日

五山の送り火

 「五山の送り火」 京都のお盆の風物詩で其の起源は平安時代とも、江戸時代とも言われ、公式の記録は無く、明確なところは判りません。
 其の「五山の送り火」に 大分市の芸術家藤原了児氏が、陸前高田市で大津波に遭い、多くの犠牲者と伴に倒れた松を送り火として焚いては・・・と 提案しました。
 京都の大文字保存会の松原公太郎理事長も、其の意を汲んで計画を受け入れることにしました。ところが 京都の住民達から<福島原発の放射能>が怖いと激しい苦情が出ましたので、放射能を検査した処<放射能の検出はナシ>との検査結果でした。 其れにも拘わらず京都市民からの苦情や非難が治まらず、已むなく松原公太郎理事長も「中止」せざるを得ませんでした。
 折角集めてメッセージを書きこんだ大切な松の木の薪は、地元陸前高田市で8月8日犠牲者の迎え火として焚かれたそうです。
 其れにしても京都人の頑固な冷酷さ・排他的さは桓武天皇の平安遷都以来、1000年の昔から変わって居ませんねぇ! 今の京都は歴史的遺産をネタにした、観光客だけが頼りの街です。なのに此の傲慢な態度はどうでしょう? これでは 京都が大地震とか大災害に遭っても何処も誰も救援して呉れないでしょう。

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