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2007年9月14日金曜日

天明の大飢饉

昨夜勉強した古文書の事柄です。

天明二年(1783年)から六年も続いた凶作で東北地方に起きた大飢饉の話です。正確な記録がありませんが、一説には餓死者は三万人とも十万人、いやもっと多いと言われてます。

文書には 動物・植物の食べられる物は食べ尽くし、しまいには人間の屍を喰ったと書いてありました。高山彦九郎(京都の三条大橋で御所に向かって平伏最敬礼をしている人)が現地の惨状を見て、死屍累々として誰も屍を片付ける者はなく、力尽きて死んだ姿のまま白骨化して放置されていて、まさに地獄とはこの様を言うのだと書いています。

餓死 一番苦しい死に方でしょう。10日から20日間くらい餓えに苦しみ続けて死ぬのですから、私の様な食いしん坊では、その辛さに耐え兼ねて発狂してしまうでしょう。想像もしたくありません。

そんな時でも、一人も餓死者を出さなかった藩があります。上杉米沢藩です。藩主の上杉鷹山(ようざん)は歴史に残る明君で、食料の備蓄をするだけでなく、大阪方面から藩の金を惜しげも無く投入して食料の確保をしたのです。これぞ理想的な政治と言うものです。判る!?!福田さん!!麻生さん!!

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