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2009年2月11日水曜日

小和田教授の最終講義2

北条早雲の出自をめぐって

北条早雲と言えば「何処の馬の骨とも判らぬ奴」として小説等に書かれて居る人物です。確かに何処からか来て、今川家の支城の興国寺城(今の沼津当り)に居て、伊豆の守護・上杉顕定が眼の届かぬ隙に簒奪し、更に関東公方の足利家の混乱に乗じて瞬く間に伊豆を平定してしまいました。(1493年)
 然し 伊豆は山ばかりで平地がありません。そこで 二年後の1495年に平地が多く、人口も多い西相模の小田原に眼を付け、当時小田原城に居た大森藤頼に接近して、信用させた後で騙して小田原城を奪ってしまったのです。
 それで 北条早雲・斎藤道三・松永久秀を「戦国の三梟勇」と言って悪者にされて居るのです。然し 戦国の昔では「下剋上」は悪でも何でも無くて至極当たり前の事だったのです。
 さて その北条早雲の出自は諸説ありまして、本名は伊勢新九朗ですので、その伊勢氏を調べますと、福井の伊勢氏、京都の伊勢氏、岡山の伊勢氏の三氏が有力です。私は其の内で諸文献を調査の結果、岡山の伊勢氏だと考えて居ます。
 そして 其の事で現地に行った時、地元の皆さんはもう欣喜雀躍、なにしろ静岡大学教授文学博士小和田哲男先生のお墨付きを頂いた訳ですから、第三セクターの地元鉄道の駅に其の名を付けて残そうと言って「早雲の郷」と言う駅を作ってしまいました。もし 将来、新説が出て「別の所の方が正しい」と言うことになったらどうしよう?と責任を感じて居ます。

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