作家 水村美苗さんの「日本語が亡びる時」と言う本が出版され、その書評を読みました。
水村さんは 12歳の時、父親の仕事の関係で渡米、その後イエール大学院でフランス文学を専攻、帰国後1992年日本の近代文学の古典が片隅に追い遣られている状況に就いて以下の様に言って居ます。
『アメリカに馴染めず、ひたすら日本の小説を読んで、古きよき日本への憧れを溜め込んで育ちました。そのあたりの事情は、2番目の小説に書いてありますが。
それだけに、1980年代に帰国しましたら、現代の日本語と日本文化の変化に驚きました。僭越な言い方ですが、総じて平板に、幼稚になったという気がしました。近代日本の文化遺産である近代文学の古典は倉庫の片隅に追いやられ、その価値に気づくこともしないで、アメリカの後追いばかりをしている。最初に書いたのが漱石の絶筆を書き継ぐ『続 明暗』だったのも、思えばその現状に対する反動でした。』
そして更に 『グローバリズム と言えば製品や金融の事ばかりでは無くて、言葉も例外では無い。それは 何でもかんでも英語を遣うと言う「英語優位」と勘違いしている日本人が多い。』
誠に同感です。むかし 作詞家が歌詞の言葉に詰まると適当な(いい加減な)英語を使って誤魔化して居ました。其れを平気で歌っ居た薄っぺらなシンガーソングライターが居ました(今も居ますが!)
つまり 折角 「美しく上品な響きの有る日本語」が身近の有るのにどうして大切にしないのか? 私(助光)に言わせて貰うなら、あの 英語の下品な響き!! 特にアメリカ人のWASUPの女性が発するネットリとした厭らしい音としか言い様の無い、酷い言葉は聞くに堪えられません。例えば クリントン国務長官の演説を聞いて見なさい。とても人類が発する言葉とは思えませんよ。
まぁ 兎に角 水村さんが言わんとする処は「英語を勉強する前に、日本語を大切に、シッカリと使いこなせる様に勉強しないと勿体無い」と言う事です。
2009年2月20日金曜日
水村美苗さんの本
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