先週の授業で、宿題が出て居ました。それは「源氏物語の桐壺の巻」に、此の物語のモデルとなった人物と思われる人が、二か所出て来る。其の場所を来週までに調べて来なさい。其の時『指します』からみんなの前で答えて貰います。」というものでした。
これは大変だぁ!~と思いましたが、幸い答えは分かって居ましたけど、今日は指されませんでした。後部の方の席に座って居た女子学生が指されたのですが、チャンと正解を答えて居ました。
正解は、一か所目。桐壺帝が、桐壺の更衣の亡くなった悲しみに浸り、『明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の書かせ給いて、伊勢貫之によませ給える・・・』の部分に有る、「亭子院」と言うのが宇多天皇の事。伊勢は宇多天皇の七条の后に仕えた女流歌人。貫之は古今集の撰者です。
正解のもう一か所目。高麗から高名の人相見が来まして幼少の光源氏の将来を占うべく、皇居に呼び寄せようと思いましたが、『宇多のみかどの御いましめあれば』とあります。これは宇多天皇が皇太子(後の醍醐天皇)に譲位するにあたって「寛平御遺戒」と言うものを遺して、外国人を宮中に入れてはならない。と戒めたのです。
此の様に「源氏物語」に実在の人物が実名で出てまいります。此れに依って「源氏物語」が「歴史」を「準拠」 していると言って居る研究者が大勢居ます。其の内 四辻善成と言う人が「河海抄」と言う本の中で、59代宇多天皇ー60代醍醐天皇ー其の息子が3人居て、長男=61代朱雀天皇、二男=62代村上天皇、三男=臣籍降下して源高明となった。そして 源高明は、眉目秀麗、頭脳明晰で当時の実権の運営者の藤原家にとって「煙たい存在」であった。其の為に讒言に遭い九州の太宰府に流刑されました。この辺が、光源氏が臣籍降下して「源」の姓を貰ったのと、須磨・明石に流された事件と「準拠」されて居る、と言う根拠だと言うのであります。
2009年10月29日木曜日
源氏物語その4
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