昭和天皇に隠された妹君が居た!と言う本を読みました。 文春文庫 著者は河原敏明 2002年11月10日発行です。 此の著者は、皇室のジャーナリストとして、永年取材を続け、皇室関係者に多くの人脈を持つ人だそうです。
其の本の前書きに「双子を産んだ母親は、畜生腹と言って蔑視される。とくに男女の双子は前世における情死者の生まれ変わりと言われ・・・江戸時代には双子を恥じ、恐れてただちに踏んだり絞め殺す風習がおおかった・・・<平凡社 世界大百科辞典> 二十一世紀のこんにちでも俗信に依る悲劇はまま有るようだ」と非常にショッキングな内容で書きだされています。
大正天皇と貞明皇后の間には 昭和天皇・秩父宮・高松宮・三笠宮の四人の子供が居ました。然し三笠宮は糸子と言う女の子と双子だったと言うのです。それが 前述の俗信の為、公式には女子誕生の件は宮内庁の計らいで密かに隠ぺいされてしまいました。 三笠宮は大正4年12月2日で、其のさいのお産要員の女官、当時の侍従、侍医、他元皇族、華族など延べ百人に及ぶ関係者に取材の結果、此の事柄に確信を得た、と書いて有ります。
そして 此のお方は、その後 京都の円照寺の山本静山門跡として、平成7年4月12日まで存命で、80歳の天寿を全うされたと言います。著者は四度ご本人にお逢いして其の事を直接尋ねたのですが、静山門跡は終始沈黙してお答えにならなかったそうです。双子として生まれたばかりに悲劇の人生を送られた内親王として、宮内庁も今は内々ではみとめて居ると聞きます。
2010年3月4日木曜日
山本静山門跡
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