昨日 江戸時代(天明・寛政年間)の理想の政治家と言われた「松平定信」の事を書きましたが、其の時代と現代とは実に好く類似したものが有ります。
「松平定信」が老中として登場する前、老中として幕府の実権を握って居たのは「田沼意次」でした。田沼はの経済政策は『商品・貨幣経済』を奨励して、「特権株仲間商人」と結託して<冥加金・運上金>を徴収して幕府財政の増収をはかったと言われています。其の結果 商人が絶大な力を持ち、米をはじめとする生活必需品の値段をつり上げ、飢饉で餓死者が出て居るのに<米の買い占め>をして、値段を吊上げて暴利を貪り、此れ見よがしに贅沢三昧の生活をする奴が出ました。
一方 農民達は 余りにも厳しい年貢の取り立てに堪らず、<間引き><人身売買><逃散>と無力な百姓達は散々苦しめられた挙句に<暴発・一揆>に奔るしか無かったのです。そして 農業を捨てて、目的も無く江戸に出て来まして、無宿者の仲間に入ったのです。其の為に耕作放棄地が一杯出来て、農業生産力が極端に墜ちて仕舞ったのです。其処へ天明の噴火や暴風雨と言った災害でたちまち食糧不足・大飢饉になったのです。そして江戸では 何も生産しないで消費ばかりする人口が爆発的に増えて、<強欲商人>と<無宿者>が集まる江戸の町は最低に治安が悪い、首都になって仕舞ったのです。
田沼政治は、此の様に人口が集中する江戸に日本全国六十余州の問題を集めて、大爆発を起させる役割を果たして終焉を迎えたのです。
そして 田沼意次が失脚した後、松平定信が登場して「寛政の改革」を断行するのです。今の世の中も、東京に人が集まり過ぎです。それも 何も確たる目的も、ポリシーも無く、只「東京と言う繁華な所」にしがみ付いて居るだけの人々達です。それが 失業者・フリーター・ホームレスと、最低線スレスレの生活をしながら、其れでも東京にしがみ付く哀れな人生を送って居ます。地方には耕作放棄地が驚くほど沢山有ります。何故でしょう?
2010年3月25日木曜日
何故?東京に?
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