昨日の考古学の話の続きです。
「何故 宮内庁が古墳の発掘調査を、頑なに拒み続けて居るのか?」と言う疑問を或る人にぶっつけて見ました。
◎A氏曰く「宮内庁の役人は、只ひたすら従来の慣習の侭、何もいじる事無く次の担当者に引き継ぐ事が、宮内庁及び皇室の御為だと固く信じ込まされていて、其の為に障害になると思われる事は、断固拒否する様に骨の髄まで叩き込まれているのだ。」
◎B氏曰く「宮内庁の役人は 皇室の歴史2600年間時間が停止したままで、其れを又 動かす事は恐るべきタブーで、其れは<パンドラの箱>を開けるに等しい事なのだ。」
成程 そう言う世界が今尚この世に存在するのですね!それで 皇太子妃雅子さまが体調をおかしくされたのは、こんな連中に取り囲まれて居らっしゃったからですね。
幼少期からロシアやスイスと言った海外で暮らし、ハーバード大学、オックスフォード大学で勉強されてピカピカの国際人である雅子さまに、コテコテの宮内庁の人達との葛藤では、多勢に無勢、さぞかし雅子さまは苦しまれたことでしょうし、今後も苦しみ続けなければならないと思いますと、何とかお助けできないものかと 余計な心配をして仕舞います。尤も 私如き一介の平民が出来る事は何も有りませんが・・・
2010年6月30日水曜日
考古学 其の続き?
2010年6月29日火曜日
考古学 其の11
今日の静大・滝沢先生の「考古学」は第11回 古墳時代でした。 古墳時代は3世紀の後半から7世紀迄の凡そ350年の時代と言われています。其の特徴は
・前方後円墳を頂点とする古墳の造営。
・首長居館の成立と集落形態の変化。
・生産技術発達。
・手工業技術の発達。
・馬匹利用の開始。
・文字の使用。
・日本列島に於ける国家の形成過程。
・日本の文明化。
以上の様に、日本と言う国家・文明が形成されて行く過渡期の目まぐるしい時代で有ったのです。此の時代に造営されたのが、有名な「仁徳陵(大仙陵)」古墳で、仁徳天皇の墳墓だと言われて居ます。其のお墓としての大きさは なんと<世界一>です。
現在は宮内庁の管理下に有って、一切立ち入りが禁じられ居り、考古学者の多くのが数々の疑問点を明らかにしたいから、「発掘調査許可」を申請しても宮内庁は何故か頑なに拒み続けているそうです。何か発掘されて、新しい発見が公表されては不味い事があるのかなぁ~!?と、勘ぐりたくなります。何しろ全長約500メートルの巨大なお墓です。本当に埋葬されて居るのは仁徳天皇だろうか?此の古墳を造営するのに、1日2000人で、約15年8カ月の労働力と時間が必要で有ったろう、と推定されています。 此の時代に其れだけの動員能力をと、財力が有ったとする権力者は、矢張り仁徳天皇くらいかな?と推測出来ますが、異論を唱える人もあり、真実は発掘調査をしなければ分かりません。
2010年6月28日月曜日
ドイツ やった~
2010年6月27日日曜日
ドイツのファンです!
ワールドカップサッカーも愈々決勝トーナメントに入り、佳境になりました。私は1966年のイングランド大会以来ドイツのファンになりました。
この大会の決勝戦はドイツ対イングランドで、物凄い熱戦で、2:2の侭で決着が付かず、延長戦になりました。此の時イングランドのはハースト選手が放ったシュートがゴールのバーに当たり、ほぼ真下に落ちました。ゴールラインを割ったのかどうか、が問題になり、西ドイツ(当時)は「入って居ない!」と主張しましたが、審判団が協議の結果「入った!」と判定されてイングランドが初優勝しました。其の時、線審がゴール横に居なかった事から、未だに疑惑のゴールと言われて居ます。地元のイングランドのフアンは勿論大喜びの大騒ぎでしたが、試合後インタビューに応じたドイツの監督は、冷静沈着に「あのゴールが入ったか否かは審判が判定した事だ。然し イングランドこそ、此のワールドカップのチャンピオンに相応しいチームであった」と讃えた態度が如何にも立派で、感動した事を覚えて居ます。此れこそ「ゲルマン魂!!」と言われる所以だろうと思います。ドイツよ! 今大会も頑張れ!!そして 今夜の因縁の対決を必ず勝って呉れ!!!
ラベル: ドイツのファンです!
2010年6月26日土曜日
覇者たちの凋落
イギリスの新聞「フィナンシャル・タイムズの報道より、
『イングランドがアルジェリアやアメリカに圧勝することを期待するのは、大英帝国の復活を期待するようなものだ。にもかかわらずファンは、それを期待している。この事態がいかに不幸か。ウェイン・ルーニーが口にした通りだ。ケープタウンで、ピッチを打ちひしがれて離れるルーニーは、テレビカメラに向かってこう言った。
「自分のファンにブーイングされて嬉しいよ。サッカー・ファンの皆さんにね」
サッカー・ファンは、自分たちの期待を修正すべきだ。見方をこう変えればいいのだ。しぶといイングランドは強大なアメリカを抑えて、アルジェリアに勝ちそうになった?? そう思えばいいのだ。もっとひどい展開だってあり得るのだから。イタリヤ、フランスをみれば分かるだろう。』 イングランドは、サッカー発祥の誇り高い国。フランスは前回準優勝の国。イタリヤは前回の優勝の国。
これ等のザマを見ると 最早 サッカーの伝統国と言われるこれ等の国々の時代は終ったのでしょうか? フランスは、移民出身の選手と、他の選手や監督、役員との反目・差別が原因で一致団結出来ない事が惨敗の要因だったそうです。イタリヤやイングランドは、国民の過剰な期待が重荷になっていたと、報道されてます。日本はやっとの事で予選を通過したのですから、もう 此れ以上の期待をするのは止めましょう。もう 赦してやりましょう。
氷川清話 其の3
氷川清話 其の3 「政治家の秘訣」 政治家の秘訣は、他には無いのだよ。「ただ正心誠意」の四文字しかないよ。「道に依って起ち、道に依って座すれば、草もうの野民でも、此れに服従しない者は無い筈だよ。ところで見なさい、伊藤さん(伊藤博文総理)の政治は如何だい、僅か4千万や5千万(当時の日本の人口? 有権者の数?)足らずの人心を収欖する事の出来ないとは、なんと歯痒いではないか!!この「政治家の秘訣」を知らないのだよ。或いは知って居ても実行出来ないのだよ。
此れは 100年以上前に、勝海舟の言った言葉です。今の政治家どもに聞かせて遣りたいですね。尤も 聞かされても実行出来ない輩ばかりでしょうけど・・・
政治家ってのは、100年経っても全然進歩も成長もしてませんね。ねぇ菅さん! 他の皆さん!!「正心誠意」ですよ!!「誰です!!分かんない振りして恍けて居るのは!!」
2010年6月25日金曜日
氷川清話 其の2
「氷川清話 其の2」今日は人物評論の第二段、「一万円札の福沢諭吉」です。勝海舟が此の人をどの様に評価して居るのかが、興味深いものが有りました。と言いますのも、福沢は、明治維新の時、みんなが命を懸けて戦っている最中に、自分だけ本を抱えてウロウロ逃げ回って居た、と言われて居ました。おまけに黙って逃げ隠れをすればいいのに、「こんな事で命懸けで戦う奴は馬鹿だ!ワシはそんな事はしないよ!」などと言って居たと言うのです。そして 維新の戦いが済んで、世の中が落ち着いた頃に出て来て、大きな顔をして、遣米使節団に潜り込んだり、「学問のすすめ」「やせ我慢の説」と言う本を書いたり、慶応義塾大学を作ったりして、明治の文化人の先端気取りで居ました。
勝海舟は勿論、自分の命を懸けて維新を戦った人間として、こんな福沢を快くは思って居なかった筈です。そんな福沢が、「やせ我慢の説」を出版する前に原稿の写しを勝海舟に送って来て、「内容を批判・反論されたい」と言って来ました。内要と言うのは、勝海舟や榎本武揚が維新の時の進退を攻撃したものだったのです。
其処で勝海舟は「批評は人の自由。行蔵は我に存す」と言う返事をしてやったのサ。つまり 「勝手に出版・公表しろ! 然しお前に何が分かるんだ!! 唯 百年の日本を憂うるの士は、まさに斯くの如く成らざるべからず!!」だ。何時の時代にも、要領よく世渡りをして、名声だけをチャッカリ手に入れる嫌な輩が居るもんですねぇ!勝海舟にしてみれば、福沢諭吉の如き奴なんかが何か言っても「片腹痛いヮ!」ってな処でしょう。
2010年6月24日木曜日
氷川清話 其の1
「氷川清話」は「明治維新」の事を勝海舟(1823~1899)が実体験談として、赤坂氷川の自邸で語った事柄を聞き書きしたものです。その言葉には何の飾り気も無く、明治維新前から維新後約30年間を、歯に衣着せず、私情もまじえず「俺が海舟と言う号を付けたのは、象山の書いた「海舟書屋」と言う額が良く出来て居たから、其れで思いついたんだ。と言った調子で始まり、全く屈託の無い江戸弁で、つい 面白くて読んで仕舞いました。
特に面白いのが人物評論。明治維新の時に実在して活躍した人物達を、勝海舟の視点から率直な意見を述べて居ます。
西郷隆盛から、坂本龍馬、他諸々の大勢の人々迄実に面白く語って居ます。特筆すべきは「恐ろしい人物二人」と題して、西郷隆盛と横井小楠を挙げて居ます。西郷は「江戸城無血開城」を勝海舟とたった二人で談判して成し遂げた相手です。「其の人間の大きさはとても計り知れない程の大きい男だった」と言って居ます。横井は肥後(熊本)出身の儒学者で、海舟に言わせると「外国の知識なんかは俺には及ばないが、其の思想の高調子な所は俺が梯子を懸けても及ばないとしばしば思ったよ。」
「土佐では坂本龍馬と岩崎弥太郎だ。坂本龍馬は俺を斬りに来た奴だが、仲々の人物さ。其の時俺は笑って受けたが、何と無く冒しがたい威厳が有って、よい男だったよ」
坂本龍馬が俺に「先生 しばしば西郷の人物を称せられるから、拙者も行って会って来るによって添え書き(紹介状)を書いて下され」と言ったから、早速書いてやった。
坂本が薩摩から帰って来て言うには「なるほど西郷と言う奴は、分からぬ奴だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と言ったが、坂本も仲々鑑識の有る奴だったよ。
この本を読んで居ますと、まるで小柄で眼光鋭い胆力の据わったお爺ちゃんの勝海舟が、目の前にチョコンと座って話して呉れて居る様な気持になりまして、楽しくて堪りません。話題も凄く豊富で、昔の日本人論から、当時の内政論やら、尽きる所が有りません。暫く此れを読み進みながら、私なりに面白いと思った所をピックアップして、続編を書いて行きたいと思います。
2010年6月23日水曜日
W杯の悲劇
フランス敗退!! Wカップ南ア大会で、フランスの一次予選での敗退が決まりました。何しろ 一つも勝てなかったのですから、予選敗退もやむを得ないでしょう。
然し どうしたのでしょう? 前回の準優勝国ですよ。 大分 監督と選手の間でトラブルが有った、とか言われて居ますが、フランス人の特性として、言いたい事を何でも言って遠慮もエチケットもわきまえないのですから、一度騒ぎだしたら治まらなかったのでしょうか?
以前には プラティニと言った中心になる選手が居て、ドッシリと構えて全体をまとめて居たのに、今回はそう言う人物が居なかったのでしょうね。フランス人サポーター達は治安の悪い国へ、多額のお金を使って応援をしに行ったのにさぞかしガッカリでしょう。
日本チームはどうでしょう? 中心になる人物が居ますか? 川口?中沢?其れとも遠征に出発直前になって「進退伺い」をした岡田監督?・・・心細いですねぇ~
サッカーと言う「狩猟民族」から発祥したボールゲームは、逃げ回るボールと言う獲物を11人で追い回し、ゴールマウスと言う罠に蹴り込めば良いと言う単純明快なものです。綺麗なパス回しとか、華麗なプレイなんか要りません。兎に角猛獣の様に獲物を追いかけ、情け容赦無く攻め立てればいいのです。丁度ポルトガルと北朝鮮のゲームの如く。
北朝鮮チームの皆さんは、帰国したら金正日総書記からどんな罰を受けるでしょうか?可哀想だけど仕方が有りません。其のまま亡命?・・・かも知れませんね。
2010年6月22日火曜日
考古学其の10
「歴史と文化」考古学 其の10
今日の滝沢先生の考古学は愈々クライマックスの「弥生時代ー農耕社会の成立」です。日本で始まりは「水田稲作農業」の始まりが、大陸からの渡来人に依って九州北部から始まったとされて居るのが、紀元前4~5世紀だと従来は言われて来ました。 然し その後 年代測定の技術が進歩するに従い、もっと古い時代に遡るのではないか? つまり 炭素14年代法では紀元前900~750頃。AMS法だと紀元前800頃だと言われて居て、子らは未だ決着が付いて居ませんが、いずれにしても従来の説よりも500年位遡る傾向のようです。
さて 此の弥生時代のハイライトは、農業技術の発達に依って、人口が飛躍的に増えた事です。そして 農業の発達で増えた収穫量を巡って<奪い合い=戦争>が起きる様になったのです。此れはどうも日本だけの事では無さそうで、中国大陸でも、ヨーロッパ大陸でも同様に、農業の発達が戦争を引き起こして来た歴史が有るようです。
考古学から見た「戦争」の証拠」として、佐原 真先生著「日本・世界の戦争の起源」・環濠と逆茂木 (愛知県朝日遺跡など)
・武器の発達 (弥生中期以降の大型化・重量化)
・戦傷者の存在 (福岡県隈・西小田遺跡など)
・防御集落 (環濠、防壁)
・武器の発達 (鉄製武器の登場、殺傷能力増大)
これ等の遺跡からの出土品に依って人類の愚かさは「弥生時代」に、それも食糧を奪い合うと言う所に原点が有った様です。其れから3000年経っても未だやってます。「人類は馬鹿ですねぇ~!!!」何時かきっと滅びるでしょう!
2010年6月20日日曜日
臆病者達め!
惜敗だそうです。昨夜のワールドカップのオランダ戦の事です。テレビで見る限りでは<惜敗>と言うより<完敗>に見えましたが・・・
相手は横綱ですからもっと思い切った攻撃を見せて呉れるかな?と儚い期待をして居たのが空しく破れました。
昨日 全国で行われたテレビ観戦大会に、参加された人達へのインタビューが朝日新聞に載ってましたが、一番印象に残った共通の言葉は「勇気がない!」でした。「日本チームは何時もここぞと言う時に、失敗を恐れて、力が抜けて仕舞う!」と言う厳しい御意見です。<29歳の女性の御意見> 昔の日本男児は、いざと言う時、「乾坤一擲!」「火事場の馬鹿力!」という物を発揮する恐ろしさを秘めて居ましたが、今の若い男は失敗の怖さを恐れるあまり力が抜けて仕舞うそうです。情けなさ過ぎて言葉も有りません。いったい何処が惜敗なものですか! 相手が大柄な男ばかりのチームとは言え、思い切って中央から突っ込んで行けばチャンスも生まれようというものの、バックパスばかりして、突撃しようと言う勇気ある男は居ませんでした。
この試合を見たデンマークチームは、さぞや安心したでしょう。こんな臆病者集団のジャパンサッカーに、勢い付いて襲いかかって来るでしょう。
2010年6月19日土曜日
こむらがえり
此の四日間 夜中寝て居る時に「こむらがえり」に悩まされて居ます。あの激痛は経験の無い人には分からないでしょう。ベッドの上で、足を抱えて唯々激痛が引いて行くのを待つ、情けない時間を過ごす我が哀れな姿は、日頃どんなに偉そうなポリシーもフィロソフィーも振り回した所で、そんなもの空しさの限りで、「こん畜生!!助けてくれ!!」とあらゆるお呪いと言うか、兎に角 この苦痛から逃れたい一心で、歯を食い縛り、声を忍んで叫んで居ります。
昨日 循環器のお医者さんに相談しましたら、「たぶん 先日の耳鳴りの治療で飲んだ薬の所為で、カリュームが不足したのではないか?」と診断されました。
「カリュームを補うにはどうすればいいですか?」と聞きましたら、「遼黄色野菜を茹でずに生で食べるのです。」 又々生野菜です!!「生野菜は毎日イッパイ食べて居ますが・・・」と言いますと、「カリュームは 水に溶けやすいので、薬で水に溶けてしまったのでしょう」と言う事でした。
仕方が無いので、生で食べられるサラダホウレンソウを買って来まして壁ました。又々野菜との地獄の戦いが始まりました。地獄ジャァー!!!トホホホホ!
2010年6月18日金曜日
野菜大嫌い!
私は「野菜大嫌い人間」であります。今から5年程前、血糖値(ヘモグロビンH1G)が7.0を超えまして、「此れはヤバイ!此の病院の栄養管理士を紹介するから、直ぐに相談しなさい!!」と言う事になりまして、「野菜を毎日350g食べなさい!奥さんも協力して下さい!」と厳命されて仕舞った次第です。
それから毎日地獄の生活が始まりました。大きなボールに山と盛られたキャベツ。レタス・ニンジン・トマト・セロリその他諸々の生野菜を、砂を噛む思いで食べさせられて居ります。ドレッシングをかけても、塩をかけても、元々大嫌いなものですから「不味い」のです。そして 幾ら噛んでも嚥下出来ません。何時まで経っても口の中に残ってあの嫌な味が口中イッパイを占領して堪えられないのです。
幾ら体にいいからと言っても、此の堪え難い不味いものを毎日無理矢理食べて何処が体に良いのでしょう? お陰でヘモグロビンH1Gは5.8になりました。
其処で私は決心しました。<もし 私が癌になって、もう余命幾ばくも無い>となったら野菜は一切口にしません。肉ばっかり食べて思いっきりメタボになって死んでやるんだ! 医者が何と言おうと、女房が何と言おうと自分の好きなものを好きなだけ食べて、死んでやるぅ~!!イッヒッヒッヒ・・・
2010年6月17日木曜日
やはり京都でした!
京都駅の中に有るホテルグランビアです。入口のロビーに上るエスカレーターが、ライトアップされて如何にも「高級ホテル」と言う雰囲気でした。京都に在住の姉が全ての手配をして呉れましたので、パンフレットで見る限りでは、とても私如きが気楽に泊まれるレベルでは有りませんでした。何しろ 龍馬ブームに加えて、平城遷都1300年イベントにバッティングしましたので、京都市内のリーズナブルなホテルは満員で、此のホテルの最上階の特別室しか開いて無かったそうです。お陰で もう一生のうちでも出来ないリッチな経験をさせて貰えました。
京都と言うと大抵は中国、韓国、東南アジア、ヒスパニック、黒人などの団体が、大騒ぎをしながら泊まって居るものですが、此処には居ませんでした。外人は白人ばかりで、朝食時も静かに上品にして居りました。
さて 翌日の目的は「清明神社」です。「清明神社」は平安時代の陰陽師で、嵯峨天皇から花山天皇、など五代の天皇に仕えた人です。父は安倍保名、母は狐の葛の葉だと伝えられ、西暦921年1月11日~1005年9月26日迄の85年の生涯であったと言われて居ます。
当時の平安時代は、病気とか天災等は、悪霊・厄病神の祟りと思われて居ました。これ等の祟りの元を清明の呪術を以って払い除けて、天皇や多くの人々の命を救ったと言う奇跡の人です。
我が家では 妻の病気や手術・私の体調不良等、昨年から続いて居りますので、以前から一度お祓いを受けたいと思って居ましたので、此の度念願が叶って行って参りました。きっと霊験あらたかだと思います。
2010年6月16日水曜日
時速300キロの世界!
のぞみの客室乗務員のお嬢さんです。笑顔の可愛い素敵な人でした。つい写真を撮らせて下さいと言ったら快く応じて呉れました。
「時速300キロの世界は怖くないですか?疲れませんか?」なんて馬鹿な事を聞いて仕舞いましたが、にっこり微笑んで「慣れて居ますから・・・」と言うお答えでした。さすがはプロですねぇ!本当に我ながら阿呆な事を聞いて仕舞って恥ずかしくなりました。でも あのすれ違う時の風圧振動とか、トンネルに入ったり、出る時のショックは凄いものです。近くの席に赤ちゃんを抱っこしたお母さんが居ましたが、其の赤ちゃんが、其のショックの度にピクッとするのを見ると相当なものだと思い、可哀想に思いました。
だから 此の客室乗務員の御仕事は大変だなぁと感じた次第でした。
ラベル: 時速300キロの世界!
2010年6月15日火曜日
考古学 其の9
考古学「歴史と文化」 今日のテーマは愈々「縄文時代」です。過去に於いて縄文時代と言えば、暗く貧しい時代と認識されて来ましたが、最近では、色々研究された結果どうも其れは違うらしいと考えられ出しました。
遺跡から発掘された食物のゴミ(動物の骨・貝殻等)等から彼等の食生活の豊かさが、意外な程我々の認識を超えた者である事が分かって来ました。
先ず 食物の獲れない冬場をのり切る為の、貯蔵方法として、土器の甕を利用して土中に保存するとか、魚や動物の肉は煙で燻して燻製にする等の知恵は既に縄文時代の遺跡から其れ等が発掘されて居ます。
此の事から 縄文人は「定住生活」を始めた事が考えられます。つまり 石器時代の様に食べ物を求めて何時も彷徨い続けて来た時代から、安定した場所に定住して生活出来る方法を手に入れた訳です。其れが今から11,500年前で、丁度地球が氷河期から温暖化した時点だそうです。
当然 人口も増えて、大勢の人達が集団で生活をする様になり、其の集団を支配する支配層と、被支配層に分別されて、其処に格差社会が生じました。そして集落どうしの争い⇒戦争と今日の人類の見苦しい姿が出て来ました。アメリカ西海岸では、其の時からインデアンの中に奴隷が存在したと言いますから、アメリカと言う国は一万年前から既に差別社会の国だったのですね。
2010年6月14日月曜日
博多の結婚式
12日 博多で行われた親戚の結婚式に行って、昨日無事に帰宅しました。以前の結婚式は、披露宴のセレモニーで新郎新婦の友人代表が延々と聞かされて、特に新婦の友人代表の思い出話を涙ながらに聞かされるのには、辟易した物でしたが、今回は其れも無くて、簡単にテンポ良く進められまして助かりました。きっとあれは最近ではやらなくなったのでしょう。とてもいい傾向です。
式はキリスト教徒では有りませんが、キリスト教会式でした。神前結婚式や、仏前結婚式よりは簡便だからでしょう。此れも 今流行りのやり方なのでしょう。新郎も、新婦もどうぞお幸せに。
新幹線は疲れました。静岡から名古屋までひかりで、名古屋から博多まではのぞみで行きました。時速300kmの世界は、恐ろしくて異常な緊張の連続でした。何しろ車窓の外を見れば猛スピードで飛び去る景色に恐怖を感じない訳にはいきません。勿論 衝突したり、脱線転覆したりは可能性としては極めて低いでしょうが、所詮コンピュータで制御して居る訳です。其の信頼性は100%では有りません。今迄大事故が発生し無かったからと言って安心は出来ませんが、一旦乗って仕舞ったからにはもう諦めるしか有りません。博多に就到着した時にはもう疲労困憊で、天神の繁華街迄は行きましたが、何もせずに帰って来て仕舞いました。其れでも JRでは時速500Kmのリニアモーターカーを作ると言ってます。そんな物が果して必要でしょうか?唯の技術屋の自己満足に過ぎないのじゃないでしょうか?
2010年6月11日金曜日
2010年6月10日木曜日
2010年6月9日水曜日
居眠り菅さん!?!
「居眠り菅さん」が首相に成っちゃいました。大丈夫でしょうか???昨日の記者会見を見ても此れと言って具体性の無い、内容の乏しいものでした。記者達の質問も何だか核心を避けていて、どうも予め質問内容をなるべく「穏便なもの」と約束させられていたのか、其れとも記者達に鋭く突っ込む勇気が無いのか大変歯がゆく感じました。
例えば「財政再建」「普天間問題」等は まるで鳩山さんが辞めた事でリセットされたとして仕舞って居ます。
そして 今度の内閣のキャッチフレーズと言えば、150年も前の「奇兵隊」を持ち出して、「奇兵隊内閣」と言ったのには呆れて仕舞いました。あの時代は長州藩も、江戸徳川幕府も堕落の極みに有って、為政者の態を為してない末期的状態の中から生まれて来た「ならず者部隊」です。菅さんのセンスたるやこの程度でしょうか?こんなキャチフレーズを持ち出されては国民は堪りません。ましてや自分では高杉晋作気どりです。チャンチャラ可笑しいとしか言いようが有りません。高杉晋作もあの世で苦笑して居るでしょう。
菅さんは 東京工大を卒業しても在日韓国帰化人(旧姓は韓)の為に就職が出来ず、旧日本社会党の市川房江さんの「使い走り」をして居ましたが、忘れ物の失敗ばかりで市川さんを困らせたそうです。
其の人が今や総理大臣 いったい何が出来るのでしょうか?大丈夫でしょうか?菅さんよ!会議中に居眠りをするなよ!!
2010年6月8日火曜日
考古学 其の8
今日は 静岡大学 滝沢誠先生の考古学「歴史と文化」の第八回の講義が有りました。今日のハイライトは二つ、其の一つは捏造事件です。
2000年11月に発覚しったもので、宮城県上高森遺跡で、とある有名な先生が次々と今迄の通説を覆す発見をしました。所が 其の発見は、33か所中の30か所が捏造だった事が判明したのです。バレるきっかけとなったのは、其の先生が、ある日の早朝、コッソリと宿舎を抜け出して問題の遺跡発見現場に行きまして、遺物を埋めて居る所をビデオに撮られて仕舞った事です。
其れまで 此の先生の発見した事物は、日本の人類の起源を其れまでよりも数千年も遡ると言われる程の大発見で、考古学界が大激震に見舞われた程でした。此の先生は何が目的で斯様な事に及んだのか? 結局は単なる功名心、売名行為、或いはライバル先生への対抗意識だったのでしょうか? 学者先生にもこう言う人が居たのですね。お陰で一時的に考古学を専攻する学生が減って仕舞ったそうです。そして営々と永年真面目に積み上げて来た研究成果も一旦御破算にしてやり直す破目になって、其の御苦労はさぞ大変な事でしたでしょう。
第二のハイライトは 後期旧石器時代(3.5~1.6万年前の最終氷期寒冷期)に 地球の平均気温が現在よりも6~8度低く、海面が凍結して15~20mも下がったと言われて居ます。だから 日本列島はアジア大陸と陸続きだったと考えられます。其の時 マンモスや、オオツノシカ、ナウマンゾウと言った大型哺乳類が大陸から移動して来て、其れを追って人類も移動して来た と 考えられて居ます。
富士山の麓の愛鷹山麓に発見される遺跡には、其の時 大型哺乳類を捕獲する為の罠(落とし穴)が数多く見つかる事です。
何しろ 旧石器時代の事です。石器で穴を掘るなんて事は大変な作業です。鉄の器具が作られるのは遥か以後の3世紀頃ですから、3万年も昔にそんな大作業をするには勿論大勢の人手を要したでしょうし、其の大勢を指揮監督する指導者が居た事でしょう。日本人の祖先は其の昔から組織力に恵まれた民族と言えるのでしょうか?。或いは 組織に支配され易いのでしょうか?
2010年6月7日月曜日
ガメツイ奴
テレビのコマーシャルを見て居ますと、コマーシャルに出演して居るタレントが極一部の人に偏っている様です。清史郎君、遼君、女性では万田さん、野際さんという所でしょう。別に 他の宣伝価値の有るタレントが居ないのかも知れませんが、それにしても偏り過ぎて居て、どのテレビ画面に切り替えても「また此の人が出てるのか!!」とウンザリして仕舞います。
清史郎君にしても、遼君にしても未だお金の本当の値打ちは分かって無いでしょうに、今からザクザク稼いで大丈夫かな?と余計な心配をして仕舞います。昔 テレビの売れっこ子役が、成人して売れなくなり、遂には落ちぶれ果てて暴力団紛いに身を落としたニュースを見た事が有ります。
此の子の親達は どの様に其処の所を管理教育しているのでしょう?「金は稼げる内に稼ぎ捲れ!!」とばかりやらせて居るのじゃ無ければいいのですが・・・きっと 親がガメツイのでしょう。
確か 中国古来の言い伝えだと思いますが、「天は 人それぞれに相応しい大きさの財布を持たせて生まれて来る」と言います。だから 其れ以上にお金を稼ごうとすれば「破滅する」そうです。今迄 数えきれない人達が「破滅」しました。田中角栄、江副浩正、其れにホリエモンと、蟹は自分の甲羅の大きさに併せて穴を掘ります。一升ますにはどう頑張っても一升しか入りません。其処の所の限度を弁えて御両親が上手に本人を指導しなければ破滅するでしょう。でも ひとたび有頂天を味わって仕舞ったから、手遅れかも知れません。可哀そうに・・・
2010年6月6日日曜日
弱すぎるジャパンサッカー
ジャパンサッカー 弱過ぎます。イギリスのメディアの格付けでは、出場32チームの内で31位だそうです。ビリは北朝鮮で、所謂ブービーって奴です。
どうして こんなに弱くなって仕舞ったのでしょう? <監督><選手><組織の運営方法>? こう言っては何ですが、あのドーハの悲劇の時の方が今よりモチベーションが有って、選手達の眼がギラギラ輝いて居た様に思います。当時のオシム監督は何とか世界に追いつこうと必死の形相が見えました。所が 今の岡田監督は「もう既に自分は世界レベルの監督なんだ!!」と慢心した表情が見え見えで、何かと言えば負けた時の言い訳ばかりが上手になりました。丸きり官僚の仕事を真似ています。
「もう いいから 今すぐ帰って来い!! さもないと 日本中のサッカーフアンを救い様の無いないどん底に突き落とす事になる。貴様に其の責任をとる能力があるのか!?!4戦全敗 したら 日本に帰って来るな!!其の覚悟が無ければ今すぐ監督を已めて帰って来い!!」 莫大な税金と大人からチビッ子まで集めた金を遣っての恥さらしだ。
ラベル: 弱すぎるジャパンサッカー
2010年6月5日土曜日
耳鳴り
実は こんな弱音を吐きたく有りませんが、今私は猛烈な耳鳴りに苦しんで居ります。
丁度 耳の中でヘリコプターが飛び交っている様な、其れが時々ジェット機になったり、フト止んでみたりと、誠に激しいので有ります。
勿論耳鼻科の名医と評判の先生にも見て貰いました。先生が言うには「耳鳴りに効く薬は残念ながら今の所無い」そうです。だから唯ひたすら耐えるしかないと言う何とも情けないお見立てです。兎に角 耳鳴りと言う奴は逃げられません。寝ても覚めても頭蓋骨の中で暴れ捲るのです。原因はストレスで、昨年から妻の入院騒ぎやら色々有りましたけど、自分がそんなに弱い人間だなんて思いたくもありませんでした。
一つの方法としては、「音楽を聞きなさい。静かで優しい 例えばモーツアルトの曲を1日4~5時間位効き続けて、耳鳴りの音を忘れて仕舞うのです」
其処で 早速 家電センターに行きまして高性能のヘッドホーンを購入して来ました。今 其れでモーツアルトを聞きながらパソコンを打って居ます。
名医のご指示ですから信じて頑張るつもりです。もう1~2週間もすれば治る筈だからと・・・その言葉を信じましょう。
2010年6月4日金曜日
禁煙の思い出
禁煙をしてからほぼ11年になりました。今では殆ど何も感じなくなりましたが、禁煙してから5年間ほどは矢張り夢にまで見ました。
私は所謂ヘビースモーカーって奴でして、1日80本ぐらいは吸って居りました。それが 特に何も切っ掛けが有った訳では無いのですが、ある日突然止めたのです。最初は面白半分と言うのでしょうか、1時間我慢して見て、イケルな!よしもう1時間!てな具合で頑張りまして其の日とうとう寝るまで我慢出来ました。
翌朝 何だか頭が軽くて「アレッ!」と感じまして、「ヨシッ!今日もやれる所迄やって見よう!」 そして又1日と尺取虫が一歩一歩枝渡りをするように繋いで行きまして、気が付けば1週間になって居ました。
面白いもので この1週間の我慢が何とも我ながら愛おしくなりまして、「斯く鳴る上は 行く所まで行ってやれ!」でした。
そして 挫折寸前まで 何度も何度も行ったり来たりの連続でやっと此処まで来ました。 思えば タバコを吸いはじめたのは20歳の頃です。其の時 丁度急性盲腸円で緊急入院しまして、手術直後でも偶々知り合いだった看護婦さんに無理を言ってタバコを買って来させて吸って居ました。勿論医者に見つかれば大変な事でした。
それが 今ではタバコ無しで生きて居られます。夢の様です。
2010年6月3日木曜日
鳩ポッポチャン 黄疸?
鳩ポッポチャン やっと幸夫人の御許しが出て辞められる様になった様ですね。辞めるについては幸夫人の相当激しい抵抗があったと聞きますが、ママの「由紀夫ちゃんもういいよ!」の一声で漸く幸夫人も諦めたそうです。
この写真を見ると まるで黄疸症状が出て居る様な真黄色な顔色ですから、下手をすると此れは大変な健康状態なのかも知れません。
兎も角 辞められて良かったのでしょう。
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2010年6月2日水曜日
鳩ポッポチャン堕ちた!
鳩ポッポチャンが墜ちました。本人はどうやら未だ未だやりたくって堪らない様子だったみたいですが、ドン小沢から引導を渡されたようです。総理大臣としては見苦しい姿です。でも 適当な後継者が居ません。困ったもんです。国民はどうしたらいいのでしょう?
ラベル: 鳩ポッポチャン堕ちた!!
2010年6月1日火曜日
考古学 其の7
今日は 静岡大学 滝沢教授の「考古学」歴史と文化の第7回講義が有りました。
今日のテーマは
1.予備調査
一.分布調査 一定の地域内の遺跡内を、ひたすら下を向いて歩いて調査する。
二.遺物の表面採集や、地表面に残る遺構の痕跡をもとに遺跡の位置や範囲、所属時期 を調べる。
三.遺跡分布図、遺跡台帳を作る。
2.測量調査
3.地中探査
4.試掘調査
5.それから本調査に移る。
此処までの段取りが大変な忍耐と努力に居る作業を必要とする訳ですが、人類の誕生か らこんにち迄の永い足跡を少しでも正確に後世へ残す為には、先人たちの並々ならぬ苦 労が有ったのだと感じ入りました。例えば 埋め立てられた土の、微かに色が違うだけ でも、其処に年代の違いを見極めて、キチンと仕分けて後世に正しく伝えようと言う地 道な努力と言うものの大変さが、良く分かりました。