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2010年11月8日月曜日

鉄の功罪

 司馬遼太郎のエッセイ「この国のかたち」の中から、<鉄>と言うテーマの興味深い文章です。この作家の独特の捉え方で、鉄が人間に与えた功罪を考察しています。功罪と言っても人間の勝手な利用の仕方で<功>になり、<罪>にもなるのですが・・・
 まず <功>から、鉄の或る程度の規模で始まったのは、紀元前2000年頃と思われます。中央アジアのヒッタイト人が、製鉄ををしたと言われて居ます。それが1500年と言う永い時間をかけて西はヨーロッパ、東は中国へ伝えられたと考えられて居ます。
 それぞれに伝わった鉄は、先ず農機具の改良に役立ちました。短冊状に作られた鉄片を、薄板にして鍬や,鋤の刃先に嵌め込んで使ったのです(鉄鞘ケ)。此れに依って畑の土を深く掘り起こす出来るようになり、農業生産力が飛躍的に向上しました。即ち 食料の増産が出来て、人口が爆発的に増え、更に農業生産が発展した、と言う訳です。
そして 好奇心旺盛な人間は、此の鉄を使って色々な道具を発明して、其れが文明となり、各種の工業生産も発展して高度な機械を作り、船や飛行機と言った輸送機械を作って21世紀迄止む事無き発展をして来ました。此れは全て<鉄>のお陰です。
 一方で <罪>の方は、 愚かな人間は<戦争>を始めました。最初は潤沢に採れた他国の食料を略奪しようと言う素朴な悪だくみでしたが、武器に<鉄>を使う事を考えると、其の殺傷能力が格段と上がり、戦争の規模も恐ろしいばかりに拡大して行ったのです。其の武器の開発競争も止まる所を知らず、とうとう核兵器まで作って仕舞いました。
 鉄を使う事の<功と罪>、何だか<罪>の方が比べ物にならない程大きい様に思います。人間は何と言う愚かな生き物でしょう。この先 どう言う恐ろしい物を発明するのでしょう?

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