Google

2008年12月14日日曜日

忠臣蔵



今日は今から305年前の元禄15年12月14日、赤穂浪士47人が本所松坂町の吉良上野乃介低に討ち入りをした日とされた日です。此の日は良く知られています様に雪が降りしんしんと冷えて静まり返っていた夜とされていますが、実際は新暦の1月30日の快晴の夜であったそうです。 見事 主君の仇を討って悲願を遂げる事が出来た訳ですが、事件発生(松の廊下刃傷)以来の2年余に於ける赤穂藩士達の苦労話は余りにも有名で、アメリカの第26代大統領セオドア・ルーズベルトは英訳したこの物語の愛読者だったそうです。

当初 此の仇打ちに参加しようとした赤穂浪士達は120人とも200人とも言われていますが最終的に残ったのは47人だったと言う事から思いますに、それが如何に苦難に満ちたものであったかが計り知れます。脱落者の主な人は大野九郎兵衛で、此の人は大石内蔵助に次ぐ家老で石高は1000石、真っ先に脱落して悪役の筆頭にされて仕舞っています。

然し 実際の処は もし大石内蔵助の本体が、吉良上野乃介の討ち入りに失敗した場合、吉良が米沢藩に逃げ込むのを迎え撃つ為に備えて山形の板谷峠に潜伏して居た。そして 大石達の討ち入りが成功して吉良の首を挙げたとの一報を聞いて静かに自刃して果てたた。と言われていて其処に大野の墓があります。「討ち入り」と言う派手な舞台には上がらず、控えに回ってその役割を果たしながら、後日 誤って悪役にされてしまった大野九郎兵衛は気の毒な役回りです。誰か 彼の事を物語にして汚名を払拭してあげる人は居ないものでしょうか?

0 件のコメント: