Google

2009年8月15日土曜日

終戦の日



今日は64回目の終戦の日です。一昨年 鹿児島県の知覧町の「特攻平和祈念館」を訪れた時の事を思い出します。その時は涙無しでは見られませんでした。二十歳そこそこの前途洋々の若者達が「生きて帰るな!」と言う無茶苦茶な命令を受け、「神風特攻隊」として此処から出撃して行きました。そして二度と帰らなかったのです。どんな気持ちで飛び立っていったのでしょう? 離陸してすぐ目の前に見える開聞岳に翼を三度振って最後の挨拶をして、的艦目掛けて突っ込んで行ったと言われています。純真無垢の若者達は、「自分達の死が国の為になる」と信じて出撃して行きました。が 無駄になってしまいました。その殆どが 的艦の砲撃に撃墜されたりして、目的を果たせずに貴重な命を散らしてしまったと言われて居ます。余りにも哀れではありませんか!いったいこの責任を誰が、何時糾弾したのでしょう?戦後はその責任をA級戦犯に押し付けて、実際に計画をして実行命令を出した当時の軍の参謀達は狡猾に立ち回って罪を免れて居ます。

日本が失った最大の財産は、此の特攻攻撃で大正生まれの優秀な人材が、殆ど戦死してしまった事でしょう。残ったのは狡猾に逃げ回って生き延びた中曽根康弘とかカスばっかりです。だから 戦後の日本が社会的にも、政治的にも嘆かわしいばかりの状態に有る原因は、此の人材枯渇の所為です。「三無主義と言われる団塊の世代」出現も此の世代の所為です。だから 日本が戦後を完全に復興出来るには、あと36年(通算100年)かかるでしょう。

0 件のコメント: