大覚寺です。説明をされた坊さんは実に弁舌爽やかで見事な説明でして思わず聞き惚れてしまいました。それを要約しますと、空海が遣唐使に随行して二十年で「真言密教」を勉強して来る筈が、空海は聡明の余り、たった二年で会得して帰って来てしまったのです。「二十年」でと言うのを「二年」ですから「国命違反」です。空海が罰として福岡に留め置かれた後、赦されて上京した時、幸運にも時の嵯峨天皇に拝謁する事が出来ました。嵯峨天皇は空海に会ってその人品骨柄の優秀さに驚くとともに肝胆相照らす仲となり、真言密教に深く帰依して、空海に高野山に真言密教の総本山を建立する事を許可したそうです。
下の写真は、平安の三筆と言われた 空海 嵯峨天皇 橘逸勢の内の一人 嵯峨天皇の真筆の「般若心経」が収められた「勅封心経殿」です。説明のお坊さんは「実は私も実物を見た事はありません。何しろ六十年に一度だけの御開帳ですから」私も字には余り自身が無いので、せめて写真でもいいから嵯峨天皇の文字を拝みたいものと思い、お坊さんに質問しましたら「此処にはありません。東京の博物館に写経と絵があります」とのご返事でガッカリでした。大覚寺の正式名称は旧嵯峨御所大覚寺門跡で、真言宗大覚寺派の本山、いけばな嵯峨御流の総司所です。
2007年6月13日水曜日
大覚寺
投稿者 不老愚 助光 時刻: 15:31
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