「日本人を殺した」と言う物騒な題名のドキュメンタリーを昨夜見ました。NHKで午後9時からの番組で、見ながら「見るんじゃ無かった!」とか「此れは意外な発見だ!」などと万感交々の思いをしました。
あらすじは 先年86歳で亡くなった、元太平洋戦争の沖縄上陸作戦に参加させられた、米軍海兵隊員を父に持つ男性のドキュメンタリーです。
その父親が 戦後の六十余年間 <後悔と自責の念>に苦しみ続けて亡くなったのは何故だろう?と言う疑問に対する答えを探して沖縄を訪ねるのです。
その父が 沖縄の戦場から持ち帰って永年大切に保管して居た、日本兵の遺品をもとに父親を苦しめたものを探して行くのです。<父が 夜中に突然大声を出して喚いたり、泣き叫んだり>するのは<何か深い訳があるに違いない>然し<父は固く口を閉ざして絶対に話そうとはしない>。此れが彼をして沖縄に行く事の動機になりました。
先ず彼は アメリカに住む元海兵隊員で、父と同じ部隊に居た人で現存の人達を一人一人丹念に訪ねて、当時の模様を訪ねますが、殆どの人が面会を拒否され、辛抱強く説得してやっと何人かに面会が叶うのです。其の人達の話に共通する事は、<英雄的な自慢話>では無く、<余りにも悲惨で、話したくない>と言う事でした。「やむを得ず女子供まで殺した」「真っ暗な闇夜に突然子供が襲って来た」「恐怖の余り機関銃を滅多矢鱈と打ち捲った」と言った酸鼻を極める話ばかりでした。
彼は もしかして父は沖縄で、女子供を虐殺して、その自責の念に責め苛まれて居たのか?と考え遺品を持って沖縄に行きました。
其処では更に衝撃的な事実に直面します。「沖縄では民間人でも 捕虜となって恥辱を受けるなら死ね」と骨の髄まで叩き込まれて居て、各自に自決用の手榴弾を渡されて居た事。十四歳の少年まで兵隊に召集されて其の殆どが戦死して居た事。読谷村の丘に横穴を掘って日本軍の基地にして、最初は民間人の女子供も一緒に隠れて居ましたが、食料が無くなると、日本兵は民間人を穴から追い出したのです。アメリカ軍にビッシリ包囲された中へ、手榴弾を一個づつ持たされて。其処で元海兵隊員が<話したくない>事柄が起きたのでしょう。其処には累々と女子供の屍が横たわって居たのでしょう。
彼は 父が夜な夜な魘された訳を納得がいったのです。アメリカ人があの戦争で、<自責の念に苛まれる>なんて事は全く無い、と 私は今迄思って居ました。然し こんな人達が居たのです。其れも六十有余年経ったこんにちまで。昨夜は新しい発見をしました。
2011年6月20日月曜日
日本人を殺した
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿