今日の静大岡崎先生の講義は「萬葉集」から「源氏物語」にどの様に繋がって行ったのか?と言う論拠に就いてでした。
「源氏物語」の浮舟から、先週の「大和物語」の摂津に住む菟原処女(うなひおとめ)の悲劇を詠んだ「萬葉集」にまで遡り、田辺福麻呂、高橋虫麻呂、大伴家持と言う歌人が菟原処女と、その彼女に想いを寄せた男二人に成りきって悲劇を詠んだ詩を照会して頂きました。
「萬葉集」以前から既にあった物語を、紫式部が「源時物語」の浮舟の巻に引用したと、後世言われて居有る訳です。
然し 「大和物語」の主人公の三人はみんな死んで仕舞いましたが、浮舟は死ぬつもりで宇治川に身を投げても、助けられて死なずに済みましたし、浮舟に想いを寄せた二人の男、薫と匂宮は死ぬ積もりは全然無くて、其の後 どの様に過ごしたかは分かりません。その辺りは作者の紫式部は平安貴族のドライで自分勝手な生き様に嫌気がさして居たのでしょうか? 同じようなシチュエーションでも、物語作家の明らかな意図が見えます。
2011年7月5日火曜日
源氏と萬葉集
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