Google

2011年12月26日月曜日

クリスマスイブ

「飲み会」 最近の若い人は酒を飲まない人が多い と聞きました。理由は様々ですが、最も多いのが<会社での飲み会>が減った事だそうです。不況の所為で飲み会の予算が無くて忘年会を始め、新人歓迎会とか、転勤者の歓送迎会と言った、各種の飲み会がされなくなったようです。更に 最近若い社員が会社の飲み会を嫌う傾向が有ると言います。上司から「飲みに行こう」と誘われると露骨に嫌な顔をして断られる事も珍しくないそうです。
 私達の若い頃には、上司からのお誘いが有れば光栄の至りとばかりに、喜んでお伴をしたものですが、最近では 誘ったら「今日は予定が有りますから・・・」とか何とか言ってサッサと帰って仕舞うのです。
 先日のクリスマスイブなんかバーやキャバレーをハシゴして、終電に乗り遅れるなんてザラでしたが、今の若い人は、ケーキを買って女房・子供の元へ大急ぎで帰るのが定番の様です。夕方になると奥さんが子供に会社に電話をさせて「パパ! 今日は何時に帰るの?」なんてするからパパは大デレデレになっちゃってもう・・・幸せでケッコウですな! 今年は丁度三連休になって宜しゅう御座いました。然し それでパパは楽しいのでしょうか?
 私の若い頃 友人に聞いた話では<絶対に友人に聞いた話ですぞ!> クリスマスイブの夜 人事不省に酔って、翌朝目が覚めたら或るホテルの部屋で寝て居ました。ビックリして飛び起きて身繕いをしてフロントに行きますと、「昨夜は若くて綺麗な女性と御一緒でした。其のお方は既にお発ちになりまして、お勘定も戴いて居ります」と言う事でした。彼は 其れが誰なのか?分かりません。必死に考えましたが矢張り分かりません。
 後日分かったのは それは悪友たちが仕組んだジョークで、そんな女性なんか居なくて、悪友がフロントに討ち合わせたフィクションで、慌てふためく彼を見て大笑いする、クリスマスイブの悪戯でした。

2011年12月23日金曜日

天皇誕生日


 今日は天皇誕生日です。78歳になられてお元気なご様子です。最近では何かと体調を崩されて心配ですが、先ずは慶賀の至りです。
 天皇の公務と言うのは 一年三百六十五日年中無休で、昼夜を問わず勤め続けなければならない訳ですから おもえば大変な激務で、我々如き平民の様に「ちょっと二日酔いだから」とか「疲れたから」と言って休めません。
 外国の要人が表敬訪問で来られたりすれば、例え胃の具合が悪くても、笑顔を絶やさずしつこい料理も食べなければなりません。もし晩餐会を断れば相手国の国民から何と言って非難されるか分かりません。どんな不愉快な事が有ってもいっさい顔には出せません。
 此の様な大変なお勤めを生涯しなければならない人生は、とても大変ですが、かと言って辞める事は出来ません。辞める為には死ななければならないと思えばお気の毒です。天皇陛下頑張って下さい。

2011年12月22日木曜日

日本復興

漸く年賀状の印刷が出来ました。今年の年賀状の文言、は余り明るいものは少し遠慮しまして、やはり「絆」を主題にしたものにしました。
 大震災 そして原発事故と今年の三月十一日から全てが此の事柄に尽きました。未曽有の大震災と原発の事故は、私達の如何に無力であるかを思い知らせて呉れました。私達は「文明の利器」に頼り過ぎ、其の有り難さをもっと謙虚に認識して日頃の生活をするべきでした。其れを疎かにしたばっかりに、恐らく何百年に一度と言う大災害に見舞われたのです。
 そして 改めてお互いが助け合い、励まし合う事の大切さを思い知ったのです。其れを「絆」の一文字に表わして頑張りました。これ程 現代の日本人が美しい努力をした事は近代稀ではないでしょうか!?!(尤も 今尚自己保身に必死の大会社のお偉いさんとか、政治家さんが居て嘆かわしいです事が・・・)
 来年も 此の日本人の美徳を大切にして国の復興に努力しましょう!!!

2011年12月20日火曜日

キムジョンウン氏


 今 世界で一番緊張して居る人 キムジョンウン氏です。何しろ 超独裁者の後継者にされて仕舞ったのですから・・・
 親父さんも、お祖父ちゃんも独裁政権の絶対君主として、相反する勢力を、弾圧に次ぐ弾圧をして、其の犠牲者は数知れず、流れた血の上に一族の繁栄を築きあげて来たのですから、恨み骨髄の怨念が渦巻いているでしょう。
 軍隊の長老達が、ジョウンウン氏を取り巻いて保護すると言われて居ますが、果して何処まで信頼しきれるものか大いに疑問です。みんな我が身や、家族の事が心配です。いざとなればジョンウン氏の事より自分の家族の方が大切です。今までなら金正日が強権発動して自分達を保護して呉れましたが、ジョンウン氏には未だその強権発動をする能力が有りません。自分の身は自分で守るしかありませんから、背に腹は代えられずジョンウン氏を放り出して逃げだすかも知れません。
 そうなったらと・・・ジョンウン氏は想像して、背筋がゾォーッとして居る事でしょう。軍隊の若者達、国民の若者達の積もり積もった不満の標的にされちゃうでしょう。

2011年12月19日月曜日

金正日の死


 金正日総書記が亡くなりました。マスコミは大ハシャギで此のニュースを伝えて居ます。<北朝鮮は果して今後どうなるのか!?!>と言う事で、どのテレビでも、その道の専門家・消息通と言われるコメンテイターを総動員しての特集番組です。
 そして 尤も興味が有るのは、金正日が金日成の後継者になる時に、ライバルを抹殺して来た訳ですから、その恨みが爆発する、また 北朝鮮の食糧事情は最悪で、金正日一族の贅沢ぶりに対する庶民の反感、その他諸々の庶民・軍隊の若手達に堪りに堪っている不満が、此の期に爆発するのではないか?と どの専門家も言いますが、然し 誰一人として決定的な事は言えません。
 それ程 北朝鮮の情報が入って来て居ないのか、情報の収集が難しいのか分かりません。此れだけ情報ネットワークが発達して居るのですから、マスコミはもっと詳しい情報を流して欲しいものです。

2011年12月16日金曜日

続 迷惑メール

其の後 未だ迷惑メール攻撃は続いて居ます。今朝も11通が届いていました。内容は「出会い系」から「儲け話」まで様々です。
 昨日一日途絶えて居ましたので、もう諦めて止めたのかと思ったら、昨夜もあの<努力>をして居た様です。全く 呆れながらも感心します。
 今はやりの呟きブログでも同じ事をやって居るでしょうね。 とすれば いったい此の人は何時寝て、何時食事をして居るのでしょう? 無論仕事なんか持ってないでしょう。時間を持余して、する事も無く、話し相手も無い全く「孤立無援」の人間でしょう。然も 生活は親の丸抱えで、其の親は子供がこんな事にうつつを抜かして居るのも知らないで・・・ 文面を垣間見れば<女>になり済まして居ますが、多分<男>でしょう。こんな寂しく情けない馬鹿な事にエネルギーを遣うなんてのは<女>じゃありません。女は合理的ですから・・・
 きっと 世間から疎外された「引きこもり男」でしょうね。親は泣いて居ますよ。

2011年12月15日木曜日

南京事件


 12月13は中国に於ける旧日本軍が起こした「南京大虐殺事件」から74年になる、として中国で祈念式典が行われました。
 此の事件は 1937年南京を占領した旧日本軍が、中国兵と南京の一般市民を、戦闘行為だけでなく、正当な理由も無く大量に殺害した、と言われている事件です。
 中国側の言い分では 兵士と民間人を併せて33万人と言って居ますが、当時の南京の人口は20万人ですから、これは嘘です。当時 第3者の調査機関の作成した、スマイス報告書に依れば其の実数は33,470人となって居ます。然し未だに其の時の中国人犠牲者数を33万人と中国側は主張して居まして、酷いのは一千万人以上とは報道して居るメディアも有ります。俗に言う中国の「白髪三千丈」と言うヤツです。
 事件の発端は 中国側のゲリラ作戦です。「便衣兵」と称する非正規兵(ゲリラ)が南京市民に紛れて日本兵を襲う作戦に出たのです。彼等は軍服を脱ぎ、市民と同じ服装で突然攻撃して来る訳ですから日本兵は、其の攻防に忙殺されて大混乱になったと言われます。
 其処で 中国兵と民間人の区別がつかないので、日本兵は自分の身を守る為に、怪しき中国人を攻撃したのです。然も 日本兵が南京に入った時、夥しい数の中国軍服が街中に脱ぎ捨てられて居ました。此れが日本兵の警戒心を煽りました。
 斯様な条件の下で発生した南京事件です。其れを正しく報道されない侭こんにちに至って居ますし、日本政府の外務省は何故中国の過剰報道に抗議しないのでしょう? 兼ねてより日本の全ての外交が、弱腰・工夫不足と言われるのは、此の様に相手国の間違いを正すべき努力を怠って居るからです。

2011年12月14日水曜日

忠臣蔵

今日は播州赤穂の浪人が、江戸本所の吉良上野介邸に討ち入り、見事 吉良上野介の首を討ち取った日と謂われて居ます。元禄十五年(1702年)十二月十四日(現在の暦では1702年2月10日未明)漸く夜の明け始めるころやっと吉良を発見、首を取り主君の無念を晴らしたと言うドラマチックな話は、其れから300年以上経ったこんにちでも色褪せる事無く語り継がれて居ます。
 此の話は 元禄時代と言う平和で退廃的な時代で、徳川幕府の政治に対する庶民の不満・ストレスが溜まった処に発生した集団テロ事件だったのです。
 だから幕府としても此れを利用して庶民の不満のガス抜きにしたのです。時の幕府の最高実力者 老中 柳沢吉保は彼等テロリスト達の動向を早くから把握して居り、大石内蔵助を始めとする主要メンバーが、江戸に集結して着々と準備をして居る事を、手に取る様に知って居たと思われるふしが有ります。と言うよりわざと討ち入りをし易い様に、吉良の屋敷を警戒厳重な江戸城近くから、警戒が手薄な本所松坂町に移住させて居ます。
 ですから「打ち入り成功!」の一報を聞いた時、柳沢吉保は「快哉なり!」と 手を打ったと伝えられて居ます。ガス抜き成功です。
 勿論 江戸庶民達の喝采・喜びは物凄く、赤穂浪士を英雄として讃える声は大変なものであったでしょう。幕府内からもかなり「助命嘆願」も有りましたが、然し 天下の御法度で「集団テロ事件」「凶器準備集合罪」で全員切腹になりました。

2011年12月13日火曜日


 今年の漢字 「絆」と決まりました。毎年恒例の京都の清水寺 森 清範貫主が墨痕鮮やかに「絆」の一文字を書き上げました。
 今年は天災・人災の大被害の発生した年でした。其の被害に遭われた人達に救いの手を差し伸べた「絆」。逆に 自分を正当化する事だけに「一所懸命」な電力会社や、専門家達、政治家達。
 今年は 日本人を暖かい「絆」を持った殆どの人達と、権力欲と金欲しか念頭に無い極一部の人達とハッキリと顕在化されました。
 「絆」を持った暖かい人達の優しさ・慈悲深差は、神様や仏様にも劣らぬありましたが、権力と金に執着した見苦しい阿修羅どもは、今尚 自らの醜態に気付かず、己の欲の向かう処しか見えません。お釈迦さまも、キリストさまも、モハメッドさまも、人間達が斯様に醜態を演じ続ける様では、最早救いようが無いのかも知れません。

2011年12月12日月曜日

スパムメール

目下のところ悪質な「スパムメール」に迷惑して居ます。多い時は1日に150通も来ます。一々対応して居るのは面倒ですが、通常のメールと混在して居ますので、一括消去が出来ません。
 其れも ハンドルネームを見る限りでは、少なくとも4~5人が関与して居ると思われます。今年の10月頃から始まりまして、今月に入って仕業が激しくなりました。
 最初は<Tomorrow>、次が<HAPPY>,そして<情報.com>更に<ナッツ>です。特に酷いのは<ナッツ>で、<nuts>、<☆ナッツ☆>、<■ナッツ■>、<□ナッツ□>、など手を替え品を替えてやって来ます。
 此方はメールリジェクト機能を駆使して、受信拒否設定をしても、直ぐ次にネームを替えて攻撃してきます。物凄い努力ですのでホトホト感心します。今まで7ツのネームに拒否設定をしましたが、未だ新しいネームを用意して続けて来て居ます。
 余程暇なんでしょう。でも 此れは所詮「イタチゴッコ」ですから、相手がくたびれて諦めるまでやる気でしょうが、本当にごくろうさまです。その涙ぐましいばかりの努力に敬意を払いますし、其れをもっと他の事に傾注すれば、素晴らしい事柄を成し遂げられるのに・・・もったいない。

2011年12月10日土曜日

千波湖の黒鳥


 水戸の千波湖の黒鳥です。水戸市の真ん中に位置する所に美しい千波湖が有りまして、市民の憩いな場所になって居ます。其の周辺をジョギングをしたり、ウオーキングをする人達が沢山居ます。
 そして この湖を住み家にする水鳥達も沢山居まして、鴨や白鳥に交じって黒鳥も居ます。随分人間になれて居まして、餌をねだって集まって来ます。
 それが 2年ほど前に、心無い人間(子供らしい)に突然襲われて殺される事件が有りました。だから鳥達も人間を恐れて暫くの間は近付きませんでしたが、今回行った時はもう慣れたのか、ユーモアたっぷりの歩き方で、ヒョコヒョコ寄って来ました。そして人間達の与えるポテトチップスを喜んで食べて居ました。
 街には道路などに大震災の傷跡が残って居ましたが、千波湖の周りは穏やかでした。

2011年12月8日木曜日

水戸へ行って来ました


 水戸の息子の処へ行って来ました。昨夜 つつがなく帰宅しました。水戸は朝晩の冷え込みがやはり静岡に比べて寒く、夜の街歩きには厚めのコートが必要でした。
 JR水戸駅南口に 新しいショッピングセンタービルが完成して居まして、昨年訪れた時に比べて一層明るく華やかになって居ました。
 3.11大地震の時の爪痕が所々に残って居まして、其の激しさ・恐ろしさが想像出来ました。宿泊したホテルも被害に遭ったと言う事で、今年の九月までの半年間は閉鎖状態だったと聞きました。今ではすっかり修復された建物を見て、さぞや大変な復旧作業だったのだろうと思いました。
 震源地からかなり離れた水戸でさえ此の被害ですから、福島・宮城・岩手といった震源に近い所は想像を絶するものだったと、今更ながら恐ろしさを改めて感じました。
そんな所から 不撓不屈の精神で再び立ち上がろうと頑張って居る皆さんの強さ・逞しさ、そして助け合う優しさは、日本の歴史に残るでしょう。



お陰さまで息子一家は 皆無事でした。

2011年12月5日月曜日

水戸へ

今日は此れから水戸の息子達の所へ行って来ます。一応7日に帰る予定ですが、成り行き次第でその辺は未定です。
息子夫婦と二男一女の孫達に逢えるのが何より楽しみです。では 行って来ます

2011年12月1日木曜日

破戒坊主

昨日の静大 湯の上教授の講義は「禅宗」に就いてで、大変面白く拝聴しました。
 禅宗が日本に渡来したのは平安時代の初期と言われて居ます。そして日本から多くの僧が勉強・修行の為に中国に渡りました。
 十三世紀になると逆に中国から日本への渡来僧が、記録に残っているだけで29名も居ます。恰も十三世紀は渡来僧の世紀と言える程頻繁に禅僧が来ました。そして 様々な文化(良い事も、良くない事も)伝えて呉れたのです。
 禅宗には厳しい戒律が有ります。<魚>などの生き物を殺して食べてはいけない。<酒>を飲んではいけない。と 言われて居まして、犯せば<破戒行為>として<破門>と言う罰則が有ります。
 処が 中国の禅僧達は其処に抜け道を作りました。
  魚===水咲花
  酒===般若湯
 と言う隠語を作りまして、白昼堂々と飲み喰らって居ました。
 其れを日本から、真面目に禅宗の修行に遥々海を渡って行った純真無垢な少年達が見て、度肝を抜かれる思いだったでしょう。
 「悪歌は良歌を制す」で悪い風習は忽ち世に広まります。が然し 日本に帰国した留学生たちは、中国での其の「悪習」に染まる事無く、まじめに修行をして来たと言いますから(なかには多少染まって来た奴も居たでしょうが)、当時の日本人は真面目だったんでしょうね。エライ!エライ!