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2007年6月30日土曜日

さぁ 逆転勝ちするぞー!!


今日のソフトボールジュニアチームの試合です。最終回の攻撃に入る前、円陣を組んで監督からの指示を直立不動の姿勢で聞く選手達の真剣な表情を見て下さい。 監督から「君達は 負けたら悔しいか!?」 全員一斉に「ハイッ!!」「では逆転勝ちしようぜ!」 「ハイッ!!!」
結果は惜しくも逆転は出来ませんでした。

2007年6月29日金曜日

君がため・・・


君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな        第五十番  藤原義孝

あなたに逢うためなら死んでも惜しくないと思っていた命が、逢う瀬を遂げた今は、もっと長生き出来ればいいと思うようになりました。

まことに素直で純真な歌です。この藤原義孝は時の「摂政太政大臣の三男」で、今で言えば「総理大臣」より実力者の息子で、おまけに眉目秀麗(イケメン)、歌才も抜群と言う大変な男性でしたから門前には女性達の長蛇の列が出来たと言います(嘘です。当時の女性は今と違って奥ゆかしい人ばかりでしたから)

ところが・・・この藤原義孝は21歳で死んでしまいました。(誰です!?!ザマァミロなんて言ってるのは アッ!!私でした)

だから 自分の死期を知ってこの歌を詠んだとしたら、この歌の意味がもっと深いものになります。

2007年6月28日木曜日

朝ぼらけ・・・


朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらわれわたる 瀬々の網代木      六十四番 権中納言定頼 

今朝の朝霧です。 山道にかかった霧が切れ切れになって所々に街並みが霞んで見えます。何だか源氏物語の宇治十帖に出てくる「八の宮の山荘」から見た悲しい景色を連想します。目の前の木の下を小さな川が流れていて、その川音と蛙の鳴き声が趣きを添えていました。

2007年6月27日水曜日

花の色は・・・


花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに     第九番  小野小町

姿かたち はいつの間にか時を経て衰えて行く、いたずらに過ごして居る内に・・・全盛期は世界の三大美女と言われた小野小町も、美しさ故に傲慢だったのでしょう。有名な話 深草少将に想いを寄せられた時、「百夜通って来たらOKよ」と言ったので、少将は本気になって通い 九十九夜で病気になって死んでしまったと言う伝説があります。然し そんな傲慢な女性は幸せになれる筈がありません。老後 不幸になって乞食となり孤独の内に死んだと言われています。更に成仏出来なくて、後の世に在原業平が陸奥に旅をした時、彼女の骸骨からススキが生えているのを見ました。その骸骨は「痛い! 痛い!」と泣いていたと言う話が伝わってます。

写真は草薙神社の樹齢千数百年と言われている大楠の木です。この姿には気が遠くなる程の時間を感じます。

2007年6月26日火曜日

しのぶれど・・・


しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで        第四十番  平 兼盛 

恋の最高のものは忍ぶ恋ってヤツだそうで、アッシら俗物にゃー解りませんが、この歌の様に「密かに 密かに 想いを寄せて 胸が張り裂けそうに切ないけれども、この激しい気持ちが相手に届かずに・・・あぁー気が狂いそう」と言うところがおよろしいのだそうです。

鴨「あひるさん どうしたの!? ボンヤリしちゃって!」
アヒル「・・・うぅん なんでもない・・・ふぅー(溜息)!!」

2007年6月25日月曜日

リザーブプレーヤー


昨日 孫1(小4)のジュニアチーム・ソフトボール試合がありました。小雨の降りしきる中、小さな手で大きなボールを握って、重いバットを振って(振り回されて)懸命なプレーに可愛さイッパイと感動まで覚えました。 もっと一生懸命に頑張ったのはこの子達でしょう。彼らは一年生で、ジュニアチームと言っても未だ出番はありません。それでも先輩達を「ガンバレー!!打てぇー!!」と大声で絶え間なく応援していました。 感心した監督さんが、最終回に彼ら三人をピンチヒッターで出場させました。その時の嬉しそうで、緊張した顔が堪りませんでした。

2007年6月23日土曜日

有明の・・・


有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし          第三十番 壬生忠岑

平安時代 通い婚で暁とともに男は自分の邸へ帰らなければなりません。男女がともにすごした翌朝の別れを後朝の別れ(きぬぎぬのわかれ)と言うそうです。「夜が明けて帰らなくてはならない。逢いたくて逢って 愛し合ったのに 仕方なく帰る朝。朝なんか大嫌いだぁーーーーそんなに辛いのなら 其のまま居ついてしまえばいいのに・・・と思うのは 今の世に生きる俗物の考えでしょうか!?!。

2007年6月22日金曜日

わびぬれば・・・


わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ      第二十番  元良親王

今日は不倫がバレちゃって、もう自暴自棄の歌です。  元良親王の不倫相手は、こともあろうに時の実力者藤原時平の娘で宇多天皇の女御でした。さぁ大変もう駄目だぁ

しかも 元良親王はかねてから色好み・プレイボーイの悪評高き人でしたから・・・
もうこうなった以上 どうなっても同じ事じゃ ぼくは 身を尽くして破滅しても あなたに逢いたい 逢いに行くぞぅー どうにでもしてくれぇ!!
たとえ不倫とは言え、此処まで愛されたらご婦人方 どうします!?!

2007年6月21日木曜日

明けぬれば・・・


今日は 第五十二番 藤原道信朝臣

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

平安時代は通い婚でした。日暮れ時に男が女のもとを訪ね、夜が明けると男は自分の邸へ帰り、なるべく早く、女に歌をおくります。どれだけ早いか・・・。それが女に対する愛情のあかしでした。

この歌の意味は そのままです。夜が明けたら帰らなければならない。日が暮れれば又逢えると判っては居るのに、なお恨めしい気持ちだ・・・。
写真は今日の清水港の夜明けです。

2007年6月20日水曜日

をとめの姿 しばしとどめむ


今日は私の一番好きな歌です。百人一首第十二番 僧正遍昭

天つ風 雲の通い路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ

いい歌ですねぇ!!「をとめの姿 しばしとどめむ」此処が堪りません。多分女性にはこの感情はご理解頂けないでしょう!?!。僧正遍昭(そうじょう へんじょう)が出家する前の若い頃、毎年宮中で行われた五節の舞を踊る貴族の未婚の美しい乙女の姿を歌ったものですが、その美しさ 雅やかな様子が目に見えるようです。「雲の通い路」とは天女が天と地上を行ったり来たりする通り道の事で、舞っている乙女を天女に見立ててその美しい舞姿をもっと見ていたいから、天つ風よ 天女の通り道を塞いでくれ お願い・・・

この切なさ・・・堪りませーん。!!

2007年6月19日火曜日

テレビの責任


三色紫陽花です。それぞれが独特な美しさを競っていて賑やかでした。

今日も朝日新聞の「声」欄からです。

千葉県四街道市の小池さんのご意見。「コムスン・NOVAの不正行為」について、民放テレビ各局はここぞとばかりにその非を責め立てている。然し 彼らにも反省すべき事が全く無いと言えるだろうか!?! この二社には、大量のテレビコマーシャルと急成長と言う共通項があり、そこには相関関係があるのではなかろうか。テレビの影響力は大きい。スポンサーの不正行為を予知する事は困難かも知れないが、不正行為を働いた企業から巨額のCM収入を得て、結果的に規模拡大に加担した責任が有る と 事態を深刻に受け止めて欲しい!!。CMの健全性を保つ為にも、CM収入の一部を何らかの方法で社会に還元することも考えてはどうだろうか。」

至極 御尤もなご意見です。CM収入の一部を被害者救済資金にしてはどうでしょう!?!

2007年6月18日月曜日

春過ぎて 夏来にけらし


春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香具山(はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あめのかぐやま)

 持統天皇が詠んだ歌です。百人一首の第二番に選ばれています。近頃 私は奈良・平安時代にはまっています。   福岡・京都と行って来たせいでしょうか 福岡は 大陸文化の入り口、京都はそれをシッカリと受け止めて、育てて立派な平安文化の華を咲かせた所ですからむべなるかなです。

帰宅して 図書館で面白い本を見つけました。「百人一首」面白いほどわかる本(望月光著)です。子供の頃から百人一首は知ってましたし、姉は百首全部を暗記してまして、よく読み聞かせをしてくれました。でも その歌が詠まれた深い意味や、時代背景は全く知りませんでしたので、それを子供でも解るように解説してあるこの本は目からウロコが落ちる如く面白くて堪りません。この百人一首を選んだ藤原定家の才能には改めて感服しました。   冒頭の歌は、奈良時代にはひらがながありませんでしたから原文の文字です。それに藤原定家が読み仮名を当てたものだそうです。後世 色々な人がこの読み方に異論を唱えたりしてる様ですが、やっぱりこの読み方が残ったのです。

春過ぎて 夏来にけらし

春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香具山(はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あめのかぐやま)

 持統天皇が詠んだ歌です。百人一首の第二番に選ばれています。近頃 私は奈良・平安時代にはまっています。   福岡・京都と行って来たせいでしょうか 福岡は 大陸文化の入り口、京都はそれをシッカリと受け止めて、育てて立派な平安文化の華を咲かせた所ですからむべなるかなです。

帰宅して 図書館で面白い本を見つけました。「百人一首」面白いほどわかる本(望月光著)です。子供の頃から百人一首は知ってましたし、姉は百首全部を暗記してまして、よく読み聞かせをしてくれました。でも その歌が詠まれた深い意味や、時代背景は全く知りませんでしたので、それを子供でも解るように解説してあるこの本は目からウロコが落ちる如く面白くて堪りません。この百人一首を選んだ藤原定家の才能には改めて感服しました。   冒頭の歌は、奈良時代にはひらがながありませんでしたから原文の文字です。それに藤原定家が読み仮名を当てたものだそうです。後世 色々な人がこの読み方に異論を唱えたりしてる様ですが、やっぱりこの読み方が残ったのです。

2007年6月17日日曜日

麗しき女性



嵯峨天皇の皇女 正子内親王の像ではないか?と思います。大覚寺の正寝殿に飾ってありました。
平安時代こんな美しく気品のある女性が此処に住み、御所車に乗って京都の街をゆったりと移動されて居たと想像すると、限りないロマンを感じて、現代の細かい事なんかどうでもよくなり、体の各部分が緩んでいきます。

2007年6月16日土曜日

生きて居ました!!



今朝の富士山です。気象庁が「梅雨入り宣言」すると晴れの日が続くと言うジンクスがあるそうですが、今日はその通りの朝になりました。まさにハズシの気象庁の名に恥じませんね。

下の写真は、いつもの公園に生息している鶏です。旅行に行く前(5/23)に木の茂みで発見しまして、帰って来てからは姿を見ませんでした。だから「ああ 可哀相に きっと何者かの胃袋に入れられちゃったのかな?」と密かに哀悼の意をもって居ました。ところがなんと居ました生きていました。場所は以前より少し移動してましたが、あのトサカの曲がり具合といい顔といい間違いありません。此処は獰猛な野良猫や野犬もカラスも居ます。この厳しい環境の中でよくぞ生きていてくれた!! 思わず叫んじゃ居ました。今朝は美しい富士山は見られたし、鶏クンにも再会出来て気分は最高です。!!

2007年6月15日金曜日

天龍寺



臨済宗 天龍寺派大本山天龍寺です。1339年 吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓国師を開山として建立した と言われています。尊氏は後醍醐天皇の敵方だったのに・・・自分の仕業に気が引けたのでしょうかそれでもその後600年のあいだ尊氏は朝敵の汚名をきせられました。

此処のお庭は美しい事で有名ですが、もっと驚いた事は、上の写真の「諸堂参拝入り口」を入ってすぐに目に入る下の写真「ツバメの巣」でした。庫裏の天井に大きな巣が有って、中には雛鳥が7~8羽、そして親鳥が拝観客の顔をかすめるようにしてセッセセッセと涙ぐましい努力で餌を運んでいました。尊氏の罪滅ぼしかな!?!

2007年6月14日木曜日

一休さん


一休さんです。大覚寺への参道入り口近くにありました。食事処の店頭に居て「おいでやす」とお客様の呼び込みをしてました。テレビアニメでご存知の様に、一休さんと言えば後小松天皇の御楽胤で叡智の優れたお方ですが、食堂の呼び込みをさせるとは・・・!?!

実は 大覚寺へ行く道を間違えました。足に自身がありましたので、JR山陰線の嵯峨嵐山駅から歩いて大覚寺まで行く事にしまして「♪あるこー♪あるこー♪わたしはぁ元気ぃー♪」と言う訳でドンドン行きましたら、道を間違えて「化野念仏寺」まで行ってしまいました。(いくらなんでも遠過ぎるなぁ?)と思って、丁度そこに観光バスが居ましたのでガイドさんに聞きましたら「あら大変!この道は違いますよ! 今来た坂道をズーッと下まで下がって、信号を左に曲がればすぐですよ」 エーッ!!ドヒャーッ!! この日は暑い日でした。いっぺんに全身から汗が吹き出たのであります。 それを見かねたガイドさんが「丁度このバスは下まで行きますから、そこまで乗せてあげましょう。内緒ですよ」と女神様の様なお言葉を賜りまして「感謝感激雨霰」冷房の効いた素敵なバスで下まで送って貰いました。そうして有難く、目出度く大覚寺に到達致した次第でありました。

2007年6月13日水曜日

大覚寺




大覚寺です。説明をされた坊さんは実に弁舌爽やかで見事な説明でして思わず聞き惚れてしまいました。それを要約しますと、空海が遣唐使に随行して二十年で「真言密教」を勉強して来る筈が、空海は聡明の余り、たった二年で会得して帰って来てしまったのです。「二十年」でと言うのを「二年」ですから「国命違反」です。空海が罰として福岡に留め置かれた後、赦されて上京した時、幸運にも時の嵯峨天皇に拝謁する事が出来ました。嵯峨天皇は空海に会ってその人品骨柄の優秀さに驚くとともに肝胆相照らす仲となり、真言密教に深く帰依して、空海に高野山に真言密教の総本山を建立する事を許可したそうです。

下の写真は、平安の三筆と言われた 空海 嵯峨天皇 橘逸勢の内の一人 嵯峨天皇の真筆の「般若心経」が収められた「勅封心経殿」です。説明のお坊さんは「実は私も実物を見た事はありません。何しろ六十年に一度だけの御開帳ですから」私も字には余り自身が無いので、せめて写真でもいいから嵯峨天皇の文字を拝みたいものと思い、お坊さんに質問しましたら「此処にはありません。東京の博物館に写経と絵があります」とのご返事でガッカリでした。大覚寺の正式名称は旧嵯峨御所大覚寺門跡で、真言宗大覚寺派の本山、いけばな嵯峨御流の総司所です。

2007年6月12日火曜日

ようやく京都に来ました





福岡での日程を消化して、京都に到着です。 久し振りに姉と再会してその元気さに安心しました。姉の自宅は車折神社の近くですから、そこからすぐ近くの嵐山に行きました。

外人女性が人力車に乗ってましたので声をかけたらポーズをとってくれましたが、丁度有名な料亭「吉兆」の前でした。お昼の食事でも一人¥60,000以上と言う「吉兆」です。そのあと 「美空ひばり記念館」の前を通ったら・・・何と閉館になっていました。時代は移り入場者が減ってとうとう閉館に追い込まれてしまったようです。私達「ひばり世代」にとっては真に寂しい事です。

2007年6月11日月曜日

九州国立博物館

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太宰府天満宮に隣接する「九州国立博物館」です。
福岡市は大陸からの玄関口ですから、古代からの文化の伝わり方が豊富な展示品を見て興味深々で、広い展示室中を無我夢中で歩き回りかなり疲れました。
特に興味を引かれたのが、興福寺の阿修羅像のレプリカで、本物ソックリに出来てました。
もう一つは志賀島から出土した「金印」のレプリカです。本物は福岡市立博物館にあるそうですが、本物と寸分違わず出来ていて「漢倭那国王」と刻印して金ピカに光っていましたのでつい古代のロマンを感じて、売店でお土産品の小さいのを買って来ました。それが下の写真です。
さて 気が付けば目が廻りそうな空腹状態でした。そこで 姪の案内で福岡市内荷戻り、愛宕神社の近くにある食事「よひら」で豪華な「四季の会席」をいただきました。食事は美味しいし、景色はいいし大満足で御座いました

2007年6月10日日曜日

太宰府天満宮





太宰府天満宮です。門を出て来るのは此処に併設されている幼稚園の児童たちです。下の写真は同じく天満宮経営の遊園地です。平日のせいか人影も見えません。

昔訪れた時とは様変わりしました。何十年も前は、深い緑に囲まれた静粛な神社でしたけど・・・

太宰府天満宮と言えば 学問の神様菅原道真公をお祀りしてあります。九世紀 宇多天皇の御世、天皇の覚えめでたく右大臣にまで出世したのですが、醍醐天皇の御世になり、左大臣藤原時平に讒訴されて太宰府に左遷され、不遇の内に亡くなりました。その後 醍醐天皇の皇子達や藤原時平の子供達が次々と病死したり、清涼殿に落雷があって多数の死者が出るなどの出来事が続いたので、これは菅原道真公の祟りだと言われるようになりました。後になって無実の罪である事が判って復権が認められ、京都の北野に天満宮として祀られたのですが、いつの世にも権力の傍にあって人を陥れる悪い奴は居るものです。

道真公は こんにちの太宰府天満宮の多角経営ぶりをどの様に感じていらっしゃるでしょう?

2007年6月9日土曜日

(続)南蔵院



お釈迦様の涅槃像の胎内中心あたりに鎮座まします仏舎利だそうです。南蔵院が長年にわたり、ミャンマー、ネパールなどの子供達に医療品などの援助を続けて来たお礼に1988年、ミャンマー国仏教協会より、お釈迦様、阿難様、目連様の三尊様の仏舎利の贈呈を受けたものです。 涅槃像の胎内を通ってこの仏舎利を拝むと悩み事、雑念が払拭されて気持ちが楽になると聞きました。

謂われたとおりにして、出口に来て見ますと本当に肩や背中が軽くなりまして、気持ちがスーッと明るく楽になりました!。いえ 決して錯覚ではありません!。お疑いのお方はぜひ一度ご自分でお試し下さい。

2007年6月8日金曜日

南蔵院





お釈迦様の涅槃像です。全長41m・高さ11m・重さ約300トン。 下の写真は この涅槃像の内部で、四国八十八箇所のお寺の本物の砂が床下に埋め込んでありますから、此処を歩いて通過するだけで四国八十八箇所をお参りしたと同じ功徳があるそうです。

福岡県篠栗にある「高野山真言宗別格本山 篠栗四国総本寺 南蔵院」と言う弘法大師に由緒のあるお寺です。此処をお参りすれば四国八十八箇所に行かなくても高野山にお参りしてもいいと言うご案内がありました。まことに有難いお寺であります。 そして この両脇の広い部屋に納骨堂があります。その総数は判りませんでしたが、現物を見せて貰いました。丁度銀行の貸し金庫の様な形状になっていて、高いもので500万円、一番エコノミータイプで50万円だそうです。無論永代供養料付です。  妻と「これいいなぁ!!」と言って「未だ 一番エコノミーの空きはありますか?」と案内係りの方に聞きましたら「今なら若干の空きがあります。ご予約はお早めにどうぞ」とのお答えでした。未だ予約する気にはなりませんでしたので取り敢えずカタログだけ頂いて来ました。

このお寺の宗旨は真言宗ですが、納骨は何宗でもかまわないそうです。ご興味のおありの方は下記URLからどうぞ・・・

http://www.nanzoin.com/  南蔵院

2007年6月7日木曜日

ホテルみたいな病院



これはホテルではありません。老人介護病院です。正面玄関には素敵に洒落たフロントとロビーが有って、喫茶室・レストラン・そして喫煙室までありました。お見舞いに来た家族達もゆっくり寛げる空間が演出された素晴しい病院と言うより「介護ホテル」と言った方が相応しい所です。これでは一年以上も入院待ちになるのも尤もでしょう。 私も こんな所なら将来入院したいものだなどと思ったりしたものです。 

然し 此処でも人手不足らしく「看護士募集」の貼り紙がしてありました。

2007年6月6日水曜日

元気な義母


義母(妻の母 96歳)です。この通り大変に元気でした。今回の旅の目標はこの顔を見た瞬間で達成されました。 去年の四月に行った時には今にも死にそうな様子で、意識朦朧、眼も開けられない状態でした。その時 義兄も「もう間も無く死ぬバイ」と言ってまして私達も覚悟をして帰ったものです。

それが 今度行って見たら義兄は「これでは百歳まで生きるだろう」と言ってましたが、まったくそのとおりだと思って安心しました。その訳は、今年の初め転院して、病院が新しく明るく設備も、医者も、看護士も優秀である事です。去年はこの病院が満室で、今年やっと空きが出来まして転院したのが良かったのでしょう。更に男性の看護士が何人か居て、明るくキビキビと働いている雰囲気も好感が持てました。義姉(妻の姉)が「喪服を誂えたのに無駄になった」と言ったのでみんな大笑いでした。

2007年6月5日火曜日

新幹線 その2

昨日の続きで新幹線に就いてもう少し言いたいので書きます.

5/27静岡10:14発ひかり405号新大阪行きで出かけました。切符を買う時に窓口のお嬢さんに「禁煙席を希望」と言いましたら「禁煙席は満員です」とのお応えでしたので、「エッ!まさか!?」と不思議に思いました。

乗車して見て解りました。修学旅行の団体様とバッティングでした。仕方なく喫煙車に乗りましたが、モウモウと物凄い煙で閉口しました。 きっと街中でも禁煙の場所が多くてタバコを伸び伸び吸えないので、此処ぞとばかりに喫煙してるのでしょう。

修学旅行と言えば 我が娘が中学の教員をしてまして、毎年修学旅行の引率係りをさせられています。行く先はお決まりの京都で新幹線で行きます。そこで男子生徒から「先生揺れが激しくてオシッコするのが難しいっす。!」とアピールされるそうです。「じゃぁ 和式トイレで座ってやれば」と言ったら すなおにそうした所、立ち上がる瞬間にガタンと来てヒックリ帰った奴が居たとか!?!

どうしてあんなにスピードを出すのでしょう!?! 時速300キロなんて出さなくてもいいのに・・・ 窓の外を見ていると景色がブッ千切られ飛んで行く恐怖感に堪えられません。もう怖くて怖くて!・・・恐らく人類が地上スレスレで感じるスピード感の極限では無いでしょうか!?!

だれじゃぁー こんな物作った奴は!!!

2007年6月4日月曜日

時速300キロの恐怖


一昨日の夜 無事と言うより息も絶え絶えやっとの思いで帰宅しました。行った先々で大歓迎を受けまして、目イッパイ引き回されて疲労困憊、とは言え相手様は夫々精一杯のご好意・御持て成しですからお断りも成らずご好意に甘えてきました。然しながら寄る年波には勝てません。昨日は一日パソコンを開く元気も無く、まるで仮死状態で今日やっと開きましたら、宣伝・出会い系・エッチメールが750通も来てましてガックリでした。  仕方がないのでボチボチ整理して行きます。

写真は新大阪発「ひかりレイルスター463号」の車内です。グリーン車ではなく普通車ですが、全部二人掛けでユッタリとしています。山陽新幹線には有りますが、何故か東海道新幹線には有りません。何だか凄く不公平だと思います。

然し 乗り心地は大変悪く横の振動が激しくてひっくり返るんじゃないかと真面目に恐怖を感じて博多に着くまで緊張の連続でした。横に乗っていた女性なんかゴーゴー大イビキで寝てましたがいい度胸だと感心しました。500系の車両は速度を上げてバランスを取る為に車体を軽くしたり、安全に工夫をされているそうですが、そのために乗り心地の方は相当犠牲になってますね。 博多駅で降りた時は膝がガクガクでした。アァー疲れた!?!