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2012年1月30日月曜日

頑張れ!福士!


 福士加代子さん 昨日の大阪国際女子マラソン 頑張りましたが残念でした!新聞の前評判などでは圧倒的に強く、優勝候補ナンバーワンなんて言われてましたが、マラソンは何が起こるか分かりません。26キロ過ぎから徐々に遅れて遂に9位でのゴールでした。
 トップの天満屋 重友選手に遅れて行く時の福士さんの苦しそうで、悲しそうな表情がテレビの画面で映されまして、思わず「チョンマゲ 頑張れ!!」と叫んで仕舞いました。
 青森県北津軽郡の寒い地方の出身で、人一倍我慢強い性格です。女子には珍しく県立五所川原工業高校の機械科出身と言う経歴が有りまして、同郷には 大相撲の高見盛が居ます。凡そマラソンには全く縁の無い人でした。
 高校卒業後 ワコールに就職してから長距離走に頭角を現して、ご存知の通りの活躍をしました。そしてロンドンオリンピックに出場する為に、この大会に照準を合わせて努力をして来ましたが、誠に残念な結果になりました。
 後は 一万m、五千mのトラック競技に目標を代えて頑張るそうです。今度は此方で応援しましょう!頑張って下さい!!

2012年1月28日土曜日

乃公出でずんば


 自民党のみなさんが馬鹿みたいに気勢を挙げて居ます。然し 空しいですねぇ~ 此の人達に日本の政治を任せようと言う気にはなりません。
 今迄の失政のツケが一千兆円になろうと言うのに、其の原因の殆どを自民党の皆さんが作ったのに、其れでも厚かましくも「我々に政権を返して呉れ!」なんてよく言うヮ!マッタク!!
 先ず 其の責任の総括をして、今後の対策を国民の前に全部晒けて、謙虚に反省するのが順序でしょう。其れも無しに先ずは矢鱈と「解散だ!総選挙だ!」と 馬鹿の一つ覚えの様に叫んでも、国民は知って居ます。此の日本を<大借金まみれにして、アメリカの鼻息を窺ってビクビクして居る負け犬>にして仕舞ったのは、自民党なのだ!と言う事を。
 だから 今解散総選挙をしたら 自民党は歴史的大敗北をするでしょう。 かと言って 国民は民主党が良くて応援した訳ではありません。あの選挙の時には、民主党以外に選択肢が無くて、仕方が無いから一票を入れたのです。
 今度選挙をしたら 民主党も駄目、自民党も駄目で、何処に一票を入れていいのか困って仕舞います。
 何方か「乃公出でずんば 蒼生を如何にせん」とばかりに名乗り出て来てくれませんか!!

2012年1月26日木曜日

真言律宗

昨日の静大 湯の上教授の講義は「真言律宗」の話でした。この宗派は奈良西大寺流律宗の総本山として、こんにちの静岡県藤枝市に、765年称徳天皇の勅願により建立された「奇岩寺」として此の地域に広まった宗派でしたが、度々の火災に依って衰退していました。
 14世紀になり 叡尊と言う人が寺を再興するのに尽力し、其の弟子の忍性と言う人の代に大いに栄えこんにちに至ったとされています。
 昨日の話で 特筆すべきは、この「忍性」と言う坊さんの偉い事です。忍性さんは 理解力がやや弱く、お師匠さんの叡尊さんに「私は頭が悪く、お師匠様のお話を何べん聞いても理解出来ません。私は もう 修行を辞めた方がいいのでしょうか?」と聞きました。するとお師匠さんの叡尊さんは「お前は確かに頭が悪い。しかし実行力が有る。修行を続けなさい」と言われました。
 忍性さんは 困っている人達を助ける事を<無私>の心で全力投球しました。昔風の言い方で人別帳にも載せられない<餞民>の人達を救う活動をしたり、<ライ病患者>を救う為に自分の背中に背負って運んでやったりしたそうです。昔の、<ライ病>は傍に寄るだけで伝染し、一旦感染したら不治の病として恐れられて居まして、人里離れた山奥などに捨てられて死を待つと言われました。その様な人を、自分の背中に背負うなどと言う事をする勇気・度胸・慈悲深いこころを持った偉いお坊さんだったのです。
 あぁ こんな偉い政治家が今の日本に居たらなぁ~・・・と慨嘆するものであります。

2012年1月25日水曜日

熱烈歓迎


 中国ではお正月は旧暦で行われまして「春節」と言います。旧暦の為に毎年その日付がかわりまして今年は1月31日だそうです。中国の人達は「お正月」を盛大にお祝いしまして、日本の大型連休と言った所でしょう。此の頃の中国人の懐具合はリッチですから、お金をイッパイ持って海外旅行をする様で、さしづめ日本へ買い物ツアーに出かける団体さんも多い事でしょう。
 其れを当て込んで日本側も「熱烈歓迎!!」と息まいて居ますが、果して今年はいかがでしょう?あちらの経済も急速に落ち込んで来た様ですから、果して期待通りと行きますか?
 以前 東京のホテルで、中国人の団体さんとバッティングになった事が有りまして、ロビーで大声で喋るヮ、荷物はフロアーイッパイに占拠するヮで、そのお行儀の悪い事に大変迷惑しました。後で従業員に聞いたら、アメニティを持って行くのはいいとしても、枕や布団まで持って行っちゃうのには困ると言って居ました。此の頃では少しはマナーが良くなりましたかね?

2012年1月24日火曜日

河村名古屋市長


 名古屋市の河村たかし市長が陸前高田市を訪れました。昨年の東日本大震災で被災した陸前高田市の、市役所機能を丸ごと応援しようと、昨年五月から名古屋市の職員を27人現地に派遣して居まして、其の職員達を激励に来たのです。此の市長さんは 住民税の減税を提案したりして、仲々やります。名古屋氏は元々非常に保守的な土地柄で、新しい事をやろうとすると必ず足を引っ張る奴が居て、地方自治体の長は戦後の永きに亘り、平穏無事な地方自治をして来ました。其の為東京や大阪などの大都市からは<名古屋はおおいなるいなか>と謗られて来ました。確かに 名古屋市民は進取の精神に欠け、旧来の仕来たりに拘る傾向が有ります。
 そんな中にあって 此の河村市長の行った事は<大英断>と言えるでしょう。国会議員達も官僚達もみんな腰が引けて、全然手を汚そうとしません。みんな暖房の効いた暖かい部屋の中で、口先だけで「復興だとか援助」だとか叫んで居ても、本気で手を出す輩はいません。
 そんな中 河村市長の<大英断>に心から拍手を贈ります。

2012年1月23日月曜日

愛ちゃん お目出度う


 福原愛ちゃん とうとうと言うかやっと日本一になりました。 3歳で卓球を始めて20年 お母さんに特訓をされて、泣きながら練習をして居る幼い女の子の姿が未だ眼に浮かびます。涙をお母さんのジャージーの袖で拭きながら、それでも練習を続ける姿は可愛いやら、可哀想やら・・・それが単身中国に渡り、あの難しい言葉も覚えて頑張り、今では23歳 ようやく手に入れた日本一です。13回も日本一に挑戦して初めて手に入れた日本一です。 お目出度う!!!本当によかったね!!! 普通の選手なら 13回も挑戦して駄目だったらとっくに諦めて仕舞って居るでしょう。それを諦めず頑張って来たのが愛ちゃんの偉い普通じゃないところです。愛ちゃん お目出度う!!!

2012年1月22日日曜日

プロ野球の空洞化?


 阪神タイガースの和田監督です。巨人が杉内、ボールトン、村田と言う主力選手をトレードで獲得したり、中日が山崎を獲得して、今シーズンの戦力を補強して居るのに、阪神タイガースは全く補強のアクションをして居ません。阪神の坂井オーナーは「今年こそBクラスを脱出せよ!」と言っておきながら一方では「現場から補強の要請がないから、此方からは何も言う必要はない」と まるで他人事の様に言ってます。
 タイガースフアンが聞いたら泣いて起こる話です。所謂<虎キチ>にとってタイガースこそ命です。何時も仕事が終ってから阪神電車に乗って、タイガースの旗竿を担いで応援に行く格好は、最早涙ぐましいとさえ思います。来る日も来る日も負けて肩を落としながら、竿をかついで帰る姿は哀れと言うより、滑稽と思えます。此の姿を坂井オーナーは見た事が有りますか!?!
 小さな子供が お父さんに手を引かれて、泣きながら「お父さん タイガースは何時になったら勝つんでしょう?」と聞いている姿の可哀想な事を、「坂井オ=ナー知ってますか!?!」
 プロ野球は 大人から子供まで全国のファンに夢や喜びを与えるスポーツイベントです。サッカーやゴルフにファンを奪われたと言っても未だ未だメインイベントです。プロ野球のオーナー達は、此の大切なかけがえの無いフアンの気持ちを軽く見過ぎて居ます。今 自分達の球団が曲がりなりにも運営出来て居るのは、此のフアンの貴重な時間と貴重な浄財(入場料)で支えられて居ると言う事を忘れて居るのでしょう。
 ダルビッシュ投手を、1億1千万ドルでテキサスレインジャーズに輸出?して仕舞って、プロ野球関係者達は声を揃えて「よかった!よかった!」と喜んで居ます。然し こう言う逸材を育てて呉れたのは日本のフアンです。其れを大金に眼が眩んでアッサリ放出するなんて、此れでは日本のプロ野球は、メジャーリグのマイナー組織じゃありませんか!!其れではをお金を払って、声を枯らして、旗竿を振って一所懸命に応援して居る日本のフアン達が余りにも哀れです。
 此の侭では 日本のプロ野球は やがては一リーグ制に縮小され、終いには消滅して行きます。

2012年1月21日土曜日

奢る平家


 アメリカのフイルムやカメラの最大手コダック社が破産を申請しました。 嘗て ロシヤ革命を成し遂げた ウラジミール・レーニンは、「資本家は 自分の首を絞める縄までも売って居る」と皮肉を言いましたが、アメリカのコダック社が破産した事象は、まさにこの典型と言えるでしょう。
 コダック社と言えば、フイルム業界では超独占企業で、日本の富士フィルムや、小西六などは足元にも及ばないマンモス企業でした。
 其れが皮肉な事に、コダック社の技術員が開発した、フィルム不要のデジタルカメラが実用化になると、其れまでコダックの後塵をはいして来た世界中のカメラメーカーが、一斉にデジタルカメラにシフトしたのです。
 コダック社は 其れまでの業界でのポジションが、余りにも優位で有り過ぎたが為に、ついデジタルカメラへの商品の切り替えが遅れました。今まで見下し目線で相手して居たライバル達に負けて仕舞ったのです。デジタルカメラは<自分の首を絞める縄>だったのです。大河ドラマじゃありませんが「奢れる平家は久しからず」です。

2012年1月20日金曜日

厳冬

今年の冬はいつもより寒いと感じます。エルニーニョ現象の所為か、寒気が日本列島付近にドッカと居座り続けて居るそうで、秋田や新潟などの豪雪地帯では、例年の3倍の積雪で生活が大変だと言われて居ます。東京でも初雪が降って居るとテレビで報じて居ます。
 私は元来 夏型人間ですので冬は大嫌いです。寒いと体の基礎代謝が衰えて、食欲不振になり、夜もよく眠れません。従って夏に比べて体重が2~3キロは減ります。うんと食べればいいのにと良く他人に言われますが、食欲が全然わかないのです。そして「寒い!寒い!」と連呼して震えながら冬を越すのです。誠に情けない事では有りますが、もって生まれた性分ですから仕方が有りません。然し 此の寒い中 救急車のサイレンが頻繁に聞こえます。きっとご高齢の方が体調を崩されるのでしょう。あと二カ月の辛抱です。そうすれば暖かい桜の花が咲く春がやって来ます。頑張りましょう。

2012年1月19日木曜日

続 日蓮聖人

昨日の静岡大学 湯の上教授の講義は「日蓮宗」の二回目でした。宗祖日蓮聖人の厳しい教えと、人に優しい教えは良く分かりました。
 ただ 我が地元の富士宮であった創価学会の事件を想う時、日蓮宗の末端の出来事とは言え、余りにも酷い事だと呆れて仕舞いました。創価学会は、日蓮宗の支流の又支流の新興宗教団です。勿論 久遠の本佛の釈尊を根源として、絶対的「信」を持って「法華経」を信仰する日蓮聖人を崇拝する教団です。
 毎年 日蓮上人の慰霊塔が有る大石寺(富士宮市)を、全国の信者達が団体で、毎年一回お参りに訪れるのが恒例になって居りましたが、1991年 大石寺から創価学会に対し<破門>を宣告され其の恒例行事は取り止めになりました。
 街の人達の噂では 破門になった理由は 創価学会側は<教義の違いから来る論争>と言って居ますが、実は そうでは無くて信者達と坊主達のご乱行だったと、地元富士宮街の住民が証言して居ます。
 なにしろ 当時は何十台もの観光バスを連ねて大石寺へ来ます。そして参詣が済んだ夜はお楽しみの自由行動です。タクシーに分乗した信者達は富士宮のネオン街へと繰り出します。さぁそれから夜を徹した「呑や歌えのドンチャン騒ぎ」で、街中が創価学会の貸し切り状態です。
 最初の内は 信者達の宴会騒ぎで、街としても経済的な潤いは測り知れず有り難がって居ました。が 其の内 信者だけの騒ぎで収まらず、大石寺のお坊さん迄が参加する様になり、全国からは暴力団までが入り込んで、富士宮の街はさながら無法地帯になって仕舞いました。犯罪事件も頻発するようになり、街の住民から悲鳴があがりました。
 遂に堪りかねた富士宮市から、大石寺に自粛のお願いをしたのです。大石寺としても、寺への寄進・街への経済貢献を考えて、堪え難きを堪えて<教義論争>を口実に創価学会を<破門>にしました。それから富士宮の街は灯が消えて仕舞いまして、今やまるでゴーストタウンです。
 宗祖 日蓮聖人がこの話を聞いたらどう思うでしょうねぇ~

2012年1月17日火曜日

大震災

阪神淡路大震災 あれからもう17年になるのですね。朝からテレビで頻りと其の特集をやって居ます。此の震災には津波は無かったのですが、其れでも犠牲者は六千人余も出ました。押し潰された建物の下敷きになったり、火災で逃げられなかった多くの命が失われました。
 私は其の地震のあった翌年に神戸を訪れまして、其の時未だ空き地のまま放置して有る土地を見まして、震災の物凄い被害の状況を見て愕然としました。
 県庁の近くに犠牲者の慰霊碑が有りまして、膨大な数の名前を書いたプレートを見て思わず胸を締め付けられる思いがしました。東日本大震災では其の五倍の犠牲者が出たのですから、とても想像出来ない大災害だったのです。
 神戸では 其の時に色々な人に様子を聞きました。多く聴こえた声の内で、共通する二つの意見がありました。
 一つは 住宅建築の<手抜き工事>が被害を大きくした と言うものです。関西では其の時まで五十年以上も地震が来て居ませんでしたから、建築会社が基礎工事や、柱の太さなどを誤魔化して、「手抜き」をしたのだ と言われていました。其れで家屋の倒壊で下敷きになり犠牲者が多く出たと言う訳です。
 もう一つは 火事です。地震でガス管があちこち破損してガス漏れが有りましたが、其の対処がお呉れた為に大規模な火災が起きたのです。地震が1月17日の未明で、未だ暗いので人や物を探す為に火をす人が多く居て其れが引火して瞬く間に大火災となりました。火災から逃げようとしても、建物の下敷きで投げられなくて焼き殺された という無残な話を聞きました。
 あれから17年経ちました。阪神淡路大震災も、東日本大震災も、純粋に自然災害である部分は避けられない所ですが、それより人災と思われる部分が多くを占めているのには、何ともやりきれない思いです。

2012年1月16日月曜日

他力本願

浄土真宗の開祖 親鸞聖人は<他力本願>を説きました。此れは「善人」は極楽往生をするけれども、「悪人」極楽往生出来ないのか?と言う疑問に対して応えた言葉です。
 人間は 一生 <清く正しい行い>だけで生き続ける事は出来ません。例えば生きる為に魚を殺し続け無くてならない漁師、動物を殺さなくては生活出来ない猟師など、様々な生業の人達が、親鸞上人に「どうすれば自分達が救われるのでしょうか?」と必死に救いを求めた事に対して応えました。
 <他力本願>阿弥陀如来をひたすら信じ、「南無阿弥陀仏」と心の底から唱えれば、善人も悪人も救われて極楽往生出来る。つまり 阿弥陀如来の<力>=他力 を信じて願えば=<本願>が叶えられる と言う事です。
 最近では此の<他力本願>と言う言葉が誤って解釈されまして、<他人の力ばかりに任せて、自分じゃ何もしない事>を言うマスコミ報道も見られますが、本来の意味は違います。其の所為か 昨今の政治家は、何かと<他力本願(間違った意味の)>を振り回して困ります。

2012年1月14日土曜日

捨て石大臣


田中直樹防衛大臣 大変な時に大変なポストに就きました。 奥様の田中真紀子さんが言って居ましたが、「本当に大変なポスト」です。
 言わずと知れた「沖縄の米軍基地問題」です。鳩山元総理が「米軍基地を沖縄県外に移す」と声高に宣言してから既に四年余になりますが、一向に進展しないばかりか、寧ろ後戻りして居ます。
 結局 元々出来もしない約束を鳩山さんは気軽に宣言して仕舞い、最早ニッチもサッチも行かなくなって仕舞ったのです。然し 当時としては時の総理大臣として、沖縄県民を歓喜させようと目論んで上げた花火が不発になって仕舞ったのですから、沖縄県民ならずとも怒りは当然の事です。
 然し 第一に 沖縄の米軍基地は本来、米国を防衛する最前線の基地なのです。日本を防衛する為の基地では有りません。其処を日本政府は勘ちがいさせられているのです。いざ一旦緩急有る時には、沖縄は米国本土を防衛する為の防波堤の役割にするつもりです。日本の防衛なんか米国の念頭には有りません。「日米安全保障条約」と言う架空の約束事に騙されて、日本の国民の莫大な税金を遣って米国本土を守って居るなんて何と馬鹿な国でしょう!?!
 日本の政治家はなんてお人よしでしょう? 極めつけは中曽根康弘です。米国のレーガン大統領に煽てられて「日本列島をアメリカの浮沈空母とお思い下さい!」と とんでもない事を演説して仕舞いまして、寧ろアメリカ側が面食らって仕舞いました。驚くのは其の時、日本のマスコミが一言の異も唱えず沈黙して居た事です。時の総理がまるで気が狂ったか?の如き演説をして居るのに、沈黙したままとは、余りにも無責任です。
 「日米安保条約」とは此の様に不平等な条約なのです。つまり 日本政府は此の不平等な状態を是として居ますから、沖縄の基地問題を腹を据えて米国と談判しようなんて最初から其のつもりは無いのです。
 だから 田中直樹防衛大臣は、単なる捨て石にされるでしょう。かわいそうに・・・

2012年1月11日水曜日

日蓮上人

今日の静岡大学 湯の上教授の講義は「日蓮宗」のお話でした。日蓮宗は日蓮上人を開祖とする「南無妙法蓮華経」を唱える宗派です。
 日蓮上人は1222年今の千葉県の生まれで、最初は天台宗の比叡山延暦寺に学びましたが、直ぐに「法華経」こそが唯一の仏陀の教えである、と確信し、1253年三十一歳のときに「日蓮宗」を立宗宣言をしました。
 そして 時の幕府のお膝元である鎌倉で、辻説法をしたり、民衆を救うのは「法華経」だけである。と言う建白書を幕府に提出したり、と 激しい布教活動をしたので有ります。
 日蓮上人は激しい性格の人で、弁舌さわやかで舌鋒鋭く宗論をすれば、反論する相手を完膚なきまでに説き伏せて仕舞うと言う、容赦無き戦いをしましたので、鎌倉幕府に警戒されまして、伊豆に流されて、さらに佐渡に流される迫害を受けたのです。
 一方で 日蓮上人の教えは民衆に受け入れられまして、鎌倉末期から戦国時代にかけて爆発的に信者を増やしていきました。其のポイントは「無妙法蓮華経」を唱えれば厳しい修行をしなくても誰でも救われる、また「女性も救われる」、「おとこの所業は全ておんなの力なり」と言う民衆に分かり易く、女性に喜ばれる教えを説いて行ったからです。

2012年1月10日火曜日

嘘つき小沢


 小沢さん 四億円の金の経緯弁明に一所懸命です。「偶々 手元に有った」等と見え透いた言い訳に、秘書が四億円の始末を勝手にやった、だから自分は承知して居ないとか 凡そ常識では考えられない言い訳を繰り返して居ます。
 誰が考えても此の金には「不正な臭い」がします。ましてや「偶々有った」とはよくも惚けたものです。代議士は 金が喉から手が出るほどに欲しがって居る癖に、其の金を秘書に任せていたから「自分は承知して居ない」なんて嘘もいい加減にしろ! また「自分は天下国家の事を考えて居るから政治以外の事は考えた事は無い」とは可笑しくって腹の皮がよじれてしまうワイ!
 自民党に居た当時 金権政治の塊と言われた田中角栄を師と仰ぎ、其れを真似て政界を泳いで来た男が、「金の事は秘書任せ」だなんてよく言うワ マッタク! 嘘つきめ!

2012年1月9日月曜日

大地震の予測


 地震予知 東海大学の地震予知研究所 長尾年恭教授が、「これから30年~40年以内に、1800年~2000年に一度と言う巨大地震が必ず起きる。其れは 東日本大地震を遥かに上回る大変なものになる。」と 言って居ます。
 四国から静岡にかけて其の地震が過去に起きた痕跡が残っているいて、四国の海岸には約6メートルもの深い堆積土砂が地質調査の結果発見されているそうです。
 それは今から1800~2000年前に起きた地震に依る津波で埋まった土砂で、土砂が6メートルですから津波の高さは其の数倍に登ったと推測されます。
 それに 今回の東日本大震災で、地殻変動が起きて、其のストレスとして堪ったものが四国から静岡沿岸に有るから、其処で今後30~40年以内に必ず大地震が起きると予測できると言う訳です。
 此の話で思い出すのは 昭和60年代 東大の地震研究所教授の溝上恵先生です。先生は「今すぐにでも東海大地震が発生して、静岡県~愛知県沿岸は大災害に見舞われる!」と言う意見を発表しまして、静岡県は大パニックになりました。
 静岡県では 毎週の様に溝上先生をお招きして「大地震対策講演会」を開きました。その度に先生のお泊りになるホテルは静岡市内一番のホテルのスイートルーム、夜は静岡市一番の料亭の宴会でドンチャン騒ぎ、そして高額の講演料を貰って新幹線のグリーン車でお帰りになりました。
 それから二十有余年になりました。あの時の「地震対策講演会」は何だったのでしょう? 今では防災訓練をしても気の抜けた様なもので、誰も真剣になりません。東大教授と言う肩書で、タダで飲み食いをされて高額なお金をかけて何の役にも立ちませんでした。其れ以来<学者・専門家>と言う者は全く信用出来ません。今回の原発事故でも<学者・専門家達>はなんの役にも立たず、其の馬脚を露呈して呉れました。 本当に酷いものです。

2012年1月7日土曜日

人材枯渇時代


 消費税論議 とうとう政府の不始末を国民に負担させて仕舞おう、と言う議論が始まります。国民としては何の責任の無い話に負担を強いられるのは、甚だ迷惑千万です。第二次大戦が敗戦に終って以来ズ~ッと政権を任されて来た自由民主党が、高度成長期以来、確たる将来へのビジョンも無く、唯成り行きまかせに行って来た政策の垢が、堪りに堪ってもうどうしようもなくなったのです。
 勿論 その様な無定見な政治家達に任せ切って来た国民にも大きな責任が有ります。だから 消費税が上がるのには誠に辛いものが有りますが、無能・無策の自民党に任せッ切りだった責任は逃れられず已む無く容認せざるを得ません。
 然し その前に公務員の削減や、国会議員の削減とか、国民の納得いく政治をして欲しいものです。与党の民主党が、消費税や社会保障費の一体改革を、真剣に議論しようと野党の自民党や公明党に呼び掛けても「先ずは解散しろ!」ばっかり叫んで、真剣に話し合おうと言うテーブルにも着こうとしません。
 自民党の長老の森喜郎氏でさえ「この国難の時 話し合いのテーブルに着くべきだ」と言ってます。第一 自民党の谷垣総裁も、石原幹事長も今解散して総選挙をしたら、勝てると思って居るのでしょうか? とんでもない心得違いです。選挙民の政党離れが著しい昨今 自民党も、民主党も共倒れになるでしょう。何しろ両党とも悲しいばかりの人材不足ですから・・・ひょっとすると 大阪の橋下市長が出て来るかの知れません。

2012年1月6日金曜日

偉大な監督


 1972年のミュンヘンオリンピックでバレーボール金メタルの全日本監督 松平康隆さんが亡くなられました。12月31日夜12時だそうです。年が代わる其の時にお亡くなりになった劇的な人生です。享年81歳でした。
 ミュンヘンオリンピックの当時 全日本チームを徹底的に鍛え上げ、世界から「マツダイラサーカス」と言われたアクロバティックなレシーブや、時間差攻撃とかAからCまでのクイックスパイク、そして一人時間差攻撃など、こんにち当たり前の様に行われて居る攻撃パターンのアイデアは、みんな松平さんの考え出したものでした。
 それで 平均身長で10?も大きく、パワーも凄い世界を相手にスピードとテクニックで勝ち、事にオリンピック金メタルを獲得したのです。
 其の時の優勝インタビューで松平さんが言った「天の時 地の利 人の和 のお陰で勝つ事が出来ました」と言う言葉は今尚忘れません。
 其の8年前の東京オリンピックで全日本の女子チームが優勝して「東洋の魔女」と持て囃されて居ました。男子チームの監督として悔しい思いを噛みしめた事でしょう。また 愛する一人息子を登山の遭難で亡くし、悲しみのどん底から立ち上がっての優勝ですから、万感迫る思いから出た言葉でしょう。 また一つの偉大な墓標が立ちます。 合掌!!

2012年1月5日木曜日

医者の一言

「医者の一言」 私の妻が昨年11月末から酷い湿疹で苦しまされました。近所の開業医に診て貰いましたが、其の時の「医者の一言」が、医者に有るまじきものでした。「此れは治りませんよ! 気長に此れと付き合って行くしかありません」と言って 塗り薬をイッパイ出してくれました。
 其の薬をセッセと塗りましたが一向に痒みが止まりません。此の医者はどう言う訳か大繁盛で、朝九時に電話予約で診察を申し込んでも、やっと順番が取れるのが夕方の七時・八時と言う有様です。そんな思いをして診て貰いに行って「あの薬が効きませんので、もっと聞く薬を下さい」と言いましたら、其の医者曰く「だから言ったでしょう! 此の湿疹には この薬を塗って我慢するしか無いんだよ!」とまるで叱り付ける様な言い方をされました。
 然し 日毎夜毎に迫りくる痒みには堪え難いものが有りまして、遂に昨日 静岡市内の赤十字病院に飛び込みました。そして妻は診療して下さった先生に、「医者には 治りません。気長に塗り薬を塗って我慢しなさい。と言われました。でも 此の辛さはもう我慢出来ません!どうか治して下さい!」と必死に訴えました。
 其の先生は 妻の話を聞いてから言って呉れました。「今や 癌でも薬で治ります。私が一カ月で治してあげましょう。キチンとこの薬を飲んで一カ月後に又着て下さい。其の開業医の先生が何と言ったか知りませんが、気にする事は有りませんよ!」此れを聞いた妻が、診察室から出て来た時の顔は「まるで地獄に佛に出逢った」様な顔をして居ました。
 医者は患者に対する一言で病気を治しもすれば、悪化もさせるのです。そんな初歩的な弁えの無い医者が大威張りで居るのは困ったものです。

2012年1月3日火曜日

箱根駅伝


 新春恒例の箱根駅伝 往路は二位に五分以上の大差をつけて東洋大学が優勝しました。其れにしても東洋大学の柏原選手の箱根の山登りは凄いものが有りました。苦しそうな表情で山道を登って行きましたが、其れでも区間新記録で、早稲田大学に五分以上の差ですから、此の選手の底力はまさに凄いの一言に尽きます。
 福島県出身で 震災に遭った故郷の人々を思い、自分が頑張れば皆さんの励みになると唯ひたすら前を向いて走ったそうです。男ですねぇ! 狙い通りの区間賞で復路の選手に余裕を持たせる走りをしました。 其の計画通り、復路も余裕の走りで一度も首位を譲る事無く総合優勝しました。東洋大学お目出度う!!

2012年1月2日月曜日

沢 選手


 なでしこジャパンの澤選手は昨夜NHKテレビで水泳の北島選手と対談をして居ました。其れを見て 此の選手はサッカー選手であるだけでなく、人間としても素晴らしい人であると大いに感服しました。なでしこジャパンを率いて、世界一になったリーダーとして此の人ならではと思う言葉を聞かせて貰いました。
 「サッカーチームでは 鮫島・近賀・熊谷と言うディフェンダーは気の毒だと思います。ミスをしたら直接失点に繋がるからです。然し 其のミスはフォワードのミスから繋がって来て、ディフェンダー迄来て、難しいクリヤーをしなければならない局面になって居るのです。相手に攻め込まれて、失点の危険に曝されながらのクリヤーは、本当に難しいプレーで、猛烈な勢いで攻め込んでくる相手を避けながら、無理な体勢の侭確実にクリヤーしなければならないのです。失敗すれば失点に繋がりディフェンダーが責められます」 其の事を、沢選手は「気の毒だ」と言って居るのです。
 沢選手は 自分のプレーの事だけじゃ無く、チームの一番後ろで支えているチームメイトの事まで細やかに気遣う優しい心根が有るのです。 此の人が居てこそ なでしこジャパンが世界一になれたのもむべなる哉と感服した次第であります。

2012年1月1日日曜日

謹賀新年


 新年 明けましてお目出度う御座います。今年もブログに雑文を書きますので宜しくお願いします。昨年は大震災・原発事故・集中豪雨災害と振り返るのも忌まわしい年でした。恐らく何十年・何百年に一度と言う恐ろしい災害の年になりました。其のお陰で みんなの絆がシッカリと結ばれて、<私達は 決して弱くは無い>事をb認識させて貰いました。
 その分 今年は穏やかなよい年になります様に また皆様のご多幸を祈ります。