Google

2007年11月30日金曜日

倫理カード???

防衛省が職員と自衛隊員約26万人に名刺サイズの自衛隊員倫理カードを配布し、常時携帯を義務付ける事を決めたそうです。

ラミネート加工されたカードの表面には「利害関係者との間の禁止行為」として「供応接待を受ける事」「遊技、ゴルフ、旅行を共にする事」などと八項目の禁止項目を列記。違反した場合の処分の基準なども記されている。

裏面には「利害関係者の定義」として「契約を締結している業者等」などと例を挙げて説明。「疑問があったら自分勝手に判断せず、各機関の倫理管理官に相談する事」としている。・・・・そうです。

これ まるで小学校の児童達が「ひとをいじめるのは、やめましょう」とか「みんな、なかよくしましょう」と言うレベルの事柄と同じじゃありませんか防衛省という国家公務員が、こんな程度のカードを持たされるとは・・・恥ずかしくないのか。!!
いっその事 また防衛省から総務省・防衛局くらいに格下げしたらいいでしょう。レベル低いんだから。!!

2007年11月29日木曜日

喪中はがき

本日 大急ぎで喪中はがきをパソコンで作りまして投函しました。これからお歳暮や年賀状の時期になりますから、皆様のご用意もありますし、それに間に合うように急ぎました。

考えて見ますに、義母は丁度いい時期?に亡くなってくれたわけです。義父が亡くなったのは12月29日でしたから、喪中のはがきを出すどころか、遠方の親戚(私達も含めて)としては大晦日の葬儀に出るのが大変でした。帰省ラッシュのど真ん中で、八方手を尽くしても切符は手に入りません。子供二人を連れて福岡まで立ちっ放しで行くのは子供達が可愛そうですし、まったく途方に暮れました。

結局 静岡から福岡までの1,000kmを車でぶっ飛ばしました。夜8時に家を出て、翌日の朝9時に到着して葬式に出席して、直ぐとんぼ返りして元旦の朝5時に家に帰り着きました。どうしても息子のサッカーの初蹴りに間に合わせる為でした。往復2,000kmを殆ど一睡もせずで走り通しました。若かったのですね。今思うと良い思い出ですが、体力と運転には自信が有ったから出来たと思います。

人は死ぬ時は選べませんが、出来る事ならば義母の様になるべく皆様にご迷惑がかからない時に死にたいものです。

2007年11月28日水曜日

徒然草

闘病中 する事がありませんので、読書をしました。長編を読む気力はありませんし、現代のケバケバしい表現のものも苦手ですから、久し振りに古典徒然草を読みました。これが七百年前に世捨て坊主が書いたものとは思えない程、現代の人間にグサッと来るものがありまして、今更ながら感銘した次第であります。

その中でも 第百四十二段からの抜粋・・・人が盗みや僻事(ひがごと→悪事)をするのは、その人の心になりて思えば、まことに悲しいからん親や妻子の為に恥を忘れてするのだ。されば、盗人を縛め、僻事をのみを罰するよりは、世の人が餓えない様に、寒さが凌げる様にして欲しい。人を苦しめて、法を犯させてそれを罪に問うのは酷である。人は困窮して罪を犯す。 だから世を統治する者は、奢り費やすのを止め、民を慰撫し農を勧進すれば下々も潤い、犯罪は減るだろう。衣食が足りていて、僻事をする奴こそまことの悪者である。!
まるで 今 話題の人々の事を言ってるみたいです。七百年前も今も 人間は全然進化してません。兼好法師はさすが鋭い。!!

インフルエンザ

やっとインフルエンザが治りました。今回はあまり高熱は出ませんで、わりと苦しまずに済みました。

然し 今度は妻が疲れが出まして、臥せっております。何しろ 往復とも超満員の新幹線で、途中でやっと座席に座れた様ですが、大変な旅をして来たのでしたから・・・「お疲れ様でした!」

それにしても 昔から人が亡くなるのは時を選ばずと言いますが、丁度今年最後の連休とのバッティングで、その混雑も当然と言えるでしょう。指定席は勿論、グリーン車も満員で、子供づれが多い為に乗り降りに時間がかかって、小倉に到着が30分も遅れ、出迎えの人を困らせたそうです。

義母も96歳の天寿をまっとうしての大往生ですから、葬式も悲しみもなく、むしろお祝いムードだったようで、義兄も義姉もやれやれホッとしたでしょう。

皆さん 本当にご苦労様でした。!!

2007年11月26日月曜日

名医に叱られました!

風邪の状態が悪くなっちゃいました。 昨夜 色々な所に連絡を取る為に、電話をかけたり、かかって来るのを待ったりして、夜遅くまで起きていましたので、すっかり湯冷めしてしまい、凄い悪寒がして来て布団に飛び込みました。でも 一旦冷えてしまうと仲々温まらず、かなり長い時間ガタガタ布団の中で震えていました。

今朝6時頃 もう我慢出来ずに 尊敬する我が名医の所に電話したら「馬鹿もん!! 直ぐ来い!!」と怒鳴りつけられて 「ハイッ!!」とばかりすっ飛んで行きました。

結局 インフルエンザの初期症状らしく、すぐに抗生物質の注射をして貰い、この二日ばかりで発熱が無ければ大丈夫だろうと言うご託宣でした。診療は直ぐ済んだのですが、そのあとコッテリとお説教で油を搾られました。 「ハイ 以後気をつけます。センセイ」

2007年11月25日日曜日

雪山の遭難

十勝岳連峰で雪崩れに遭難、四人もの人々が亡くなりました。死者を鞭打つつもりは無いのですが、人はいつかは死ぬものとは言えども・・・山で遭難死するのは最悪の死に方だと思います。何しろ、多くの人に大変な心配をかけて、大金を遣って捜索隊をお願いして、挙句の果てに物言わぬ惨めな姿になって帰って来るのですから、家族・友人の悲しみは計り知れません。こんなに多くの人達に絶大な迷惑をかけて死ぬのですから、最悪の死に方だと言うのです。然も 自分で防ぐ事の出来ない不慮の事故などと違って、防ぐ手立ては充分あるのですから。人生で死ぬ事はたった一度しか出来ません。だからその「死に方」を一生に一枚しかないカードを切る心境で慎重に、大切にしたいものです。

それなのに この数日で2メートルも新雪が積もったと言う山にノコノコ登って行くなんて雪崩れに遭いに行くようなものです。聞けば山岳会のメンバーだそうですが、それにしては無謀な行動と言われても仕方がないでしょう。
私も 遥かな昔の11月、友人を御嶽山で亡くしました。その日も予想外の初雪が振り、視界を失った軽装の友人は非難小屋の数十メートル手前で力尽きて死んで居ました。その時の家族の悲嘆振りは言語に絶するものでした。その姿が今尚忘れられません。だから 「山で遭難死」と聞くと怒りを禁じ得ません。

2007年11月24日土曜日

未だ臥せっております。

外の天気はポカポカ陽気です。世はまさに行楽シーズン真っ盛りでホントによござんすネ。(ヤケクソです)風邪の状態が何とか回復方向ですが、まだチョットふらふらしますので、未だ床に臥せっております。昨日が最悪で、それでなくても呆けた頭がボーッとして「此処は何処?私は誰?」状態でしたが、今日は意識は何とかシッカリしてます。

妻が 母親の葬儀の為に福岡に帰省しておりますので自由気侭な一人暮らしです。だから シメタチャンスだこの際 若い女の子を引きずり込んで浮気の一つでもこいてやろうと悪心を起こしましたが、残念ながら体が言う事をききません。

諦めて 此のまま寝てましょう。

2007年11月23日金曜日

義母が逝きました

昨日 夕刻 福岡の義母(妻の母)が亡くなりました。 行年96歳の大往生でした。医者の見通しでは、年末かな? と言うものでしたから、年の暮れの超忙しい時だと困る、と義兄も言ってました。実は義父が亡くなったのが、12月の29日だったので、親類縁者一同大変でした。当時(20年前)は新幹線は「ひかり」と「こだま」だけで、本数もグンと少なかった為に、もう鉄道を諦めて30日の朝暗い内に自家用車に妻と子供二人を乗せて自宅を出て、福岡までひたすら走った覚えがあります。義母はその辺を気遣ったのかもしれません。

然し 生憎の三連休の初日で、指定席は全然ありません。そして 私は風邪を引いていて(誰です鬼の霍乱と言うのは)とても立ちっ放しで福岡まで行く自身はありませんので、取り敢えず妻が一人で行きました。尤も 春に元気な内にお別れをして来たので、今回はお許し頂きました。 義母の冥福を祈って 合唱。

2007年11月22日木曜日

風邪をひきました

不覚にも風邪を引いてしまいました。数日前 急に気温が低くなってその時やけに背中がスウスウすると思いましたが、どうやらそれで罹ったのです。

熱はそれ程ありませんで、昨日が38度、今日は37度と下がりましたのでインフルエンザではなさそうです。症状は咳きが出て、膝に力が入らず酔っ払い見たいになりましたが、今日は何とか良くなりました。

こんな時こそ読書と言う訳で、兼好法師の徒然草を久し振りに読みました。

つれづれなるままに日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつれば、あやしゅうこそものぐるほしけれ。

この書き出しで始まる700年前の鎌倉末期の作品は、本人も言っている通り暇でしょうがない時の「退屈ノート」ではありますが、当時の治安の乱れや、倫理観のこれ以上無い堕落ぶり等は現在の世の中がこれから向かう方向を暗示しているかの如くに思われてなりません。

2007年11月20日火曜日

黄色い霧



今朝見た富士山と駿河湾です。いつもの様に日が昇る時、海水温が気温より高い時に海から霧が立ち昇ります。真綿の様に真っ白な霧がフワリフワリと海風に乗って陸地の方に寄せられて行きます。

ところが 今朝の霧は 真っ白ではありませんで黄色でした。今までこの様な色の霧は見た事がありません。 近くに居たご婦人も「こんな霧の色は初めて見ました。永年この景色をみてるけど、見た事無いヮ。大地震でも来なきゃいいけど!?!・・・」と言って心配してました。何だか私も心配です。!?!

2007年11月19日月曜日

冬が来たぁー!!!



初霜です。今朝の気温は我が家の周辺で2.5度c寒ぅーい!!!

冬が突然にやって来るんだもん! 堪えるぅ!! ブルブルゥ!!、大体霜が降りるのは例年なら1月に入ってからなのに、未だ11月中旬で初霜なんて「聞いてないよー!」 と嘆けど・叫べど無情なるかな来ました冬将軍。

これから約4ヶ月の間、私は 寒さの為 仮死状態に近くなりまして、新陳代謝が衰え、鬱状態になります。何をやっても考えてもネガティブで、元々僅かしか無い知性と教養も働かなくなります。オー マイ ゴッド!!
春よ来い 早く来い!!(もう 今からかよっ!)

2007年11月18日日曜日

郷土文化の伝承



昨日の小学校の研究発表会で郷土文化研究で郷土に伝わる木遣りを唄いました。地元の年寄り衆が本格的に指導した木遣りを、大きな声で、晴れた秋空いっぱいに響き渡らせていました♪。子供達の歌声の美しかった事、いいものを聞かせて貰いました♪♪。

最近 子供と大人の断絶が問題視されてますが、こんな風に 昔から伝承されている芸能・文化を素直な気持ちで繋いでいくのは素晴しい事です。この企画をされた小学校の先生方に敬意を払います。(拍手)

2007年11月17日土曜日

お茶の研究発表会





今日は 小4の孫の研究発表会がありまして、見学に行ってきました。

茶畑の一年間の農作業から、刈入れてから製茶して、製品としてお店に並ぶ迄 を実に細かく丁寧に調査して、表や絵、紙芝居やグラフにして発表してました。
紅茶にも沢山の種類がある、とか 緑茶も手揉みと機械揉みがあって、手揉みの方が美味しいなどと、仲々意味の深いところまでの発表でした。最期の結びで、今まで お茶を簡単に考えて居ましたが、大変な手間をかけて出来て居る事が良く判りました。これからは、もっとお茶を大切に飲みたいと思いました。と まことに有意義な発表でした。

2007年11月16日金曜日

アメリカの天使



レナちゃん 1歳です。 いつもの公園に居ました。  あんまり可愛いので、思わず近付いて「こんにちは」と言いましたら「Hi!!」と言った様な?・・・つぎに「写真撮ってもいい?」と言ったら また「Hi!!」と言いました。そばでママが優しい目をして微笑んでいました。本当に天使のような可愛い子です。

この子が 大きくなった時、どうぞ世界中が何も問題の無い幸せイッパイの地球であります様に・・・

2007年11月15日木曜日

女子バレー・絶望!?!



いつもの公園の池に鴨たちが帰ってきました。いよいよ寒い冬が近付いて来ました。嫌だなぁー!?!

女子バレー キューバに負けちゃいましたね。 戦前から勝てるとは思いませんでしたが、我が敬愛するメグチャンが一所懸命頑張ってるし、何とかして北京に行って欲しいし、テレビやゲスト達が番組を盛り上げようとして「勝てる勝てる」と無理な事を言うし、で 負けるだろうと思いながら、つい見てしまいました。イケエェー ウテェー と年甲斐も無く大声を上げながら・・・でも ヤッパリ負けてしまいました。 敗因はひとつレシーブの差です。キューバのあのボールを拾おうとする執念は日本チームの及ばない所でした。前からつくづく感じている事ですが、日本チームに一番欠けているのはレシーブ力です。どうしてかと言えば、レシーブの練習は辛く、苦しいので嫌だからです。この嫌な事を選手達に強制的にやらせるには、強力な指導力とカリスマ性が必要です。大松博文監督のような。残念ながら 今はそんな監督は居ません。だから 北京に行くのは無理でしょう。!?!

2007年11月14日水曜日

サブプライムローンで大損害!!



パグ犬です。このパグ君 仲々の役者で、カメラを構えると必ずこのポーズをとって、歌舞伎の役者みたいに見栄を決めてくれます。「音羽屋」!!

昨日 悪友(だち公)が来て、ひとしきりボヤいて行きました。 聞けば 株で大損したらしいのです。大手証券会社の営業マンに勧められて、退職金を全部突っ込んで買った株が大暴落、元値の半分になっちゃって、老後の事が心配で夜も寝られない と言う訳です。五つの銘柄を「絶対に値上がりが望めて堅いから・・・」と勧められて買ったんだけど、この所のプライムローンとドル安と原油高のトリプルプレーの影響で、見る見る内に五つとも転落の詩集になりにけりでした。下がり始めた時に、営業マンに言ったそうです「大丈夫か?この辺で止めた方がいいのじゃないか?」と。然し 営業マンは「大丈夫ですよ! 今に又上がりますよ!」と繰り返し言うのでツイ信じてしまった結果が・・・トホホホホとこの写真のパグ君の様な顔をして嘆いてました。

今 こう言う人がケッコウ沢山居るんじゃないでしょうか? 私は元々無くすものは有りませんから気が楽です。

2007年11月13日火曜日

世界の株暴落



今朝の頬かむり富士山です。毎日 嫌なニュースばかり聞かされて富士山も堪らないのでしょうか?

世界の株が暴落しています。アメリカのサブプライムローンの失敗が原因ですが、それを更に被害甚大にしたのが、アメリカ中の金の亡者達の軽挙盲動です。投機家と称する禿鷹達は血眼で儲け話を漁り、謀略・欺瞞の限りを尽くして跳梁跋扈しています。そこには当然の事で、モラルも人情などは無く、あるのは儲けた勝者と、損した惨めな敗者だけです。

何しろ アメリカは、人工のたった5%が富裕層で、国の富を独占しており、政治を動かして居るのです。残りの95%の人達は、たとえ1セントでも多く稼いで少しでも豊かな暮らしをしたい、と 日々喘いで居る訳ですから、言うなればアメリカは国全体が欲望の坩堝です。だからエゴイズムの塊になり、世界に迷惑のタネをばら撒いているのです。

日本の大手証券会社も、このサブプライムローンの尻馬に乗っかって、大損害を被ったらしいけど、馬鹿ですねぇー!!

2007年11月12日月曜日

諏訪湖・おみわたり



中央高速の諏訪湖サービスエリアから見た諏訪湖です。  湖面の色が、目に滲みるほど蒼く此処の売店のおばさんが言ってました。「今日ほど綺麗に蒼く見える日は珍しいですよ」そこで私が「此の頃 諏訪湖が凍結しなくなって、おみわたりが見られなくなったそうですね」と聞いたら「そうなんです。暖冬の所為です」とため息混じりに言ってました。

地球温暖化の影響が此処にもありました。

2007年11月11日日曜日

県立大学の学園祭・骨密度測定





今日は静岡県立大学の学園祭がありました。この学園祭はわりと人気で、大いに繁盛してました。
此処の看護学部で、毎年恒例の骨密度測定をしてますので、私達もやって貰いました(下の写真)。その結果はかなり良好で、私が25歳の年代に比べて96%、60歳の年代比106%、妻は88%、105%で、二人とも、とっても優秀ですと先生に褒められました。

続・松本城



松本城を見学している小学生達にボランティアの方が説明されてました。その説明がまことに上手で明解でしたので、つい傍聴させて貰いました。

その要旨 この城は 元々は戦国時代の末期、この地の豪族小笠原氏が此処に館を構えたのが始まりだと言われています。然し それは未だ今の様に天守閣は無くて、堀をめぐらした内に館が集まった程度のものでした。それを現在の様な天守閣を設け、城下町の整備をしたのは、石川数正・康長父子で1594年の事でした。これは 豊臣秀吉が、徳川家康を江戸に移封した時に、将来 家康が謀反をして大坂に攻め上ってくる事を想定して、中仙道の押さえとして石川数正を配置したのです。

この天守閣を建てるのには、大変な苦労がありました。それは 地盤が軟弱で、其のままでは高い建物は建てられないからでした。そこで 当時の技術者は、地面を15メートル程掘り、そこに太い松の木でイカダを組み、その上にシッカリと礎石を敷いたのです。その後4百年 今日までその姿を保っています。当時の技術の凄さが改めて感じられます。尤も 戦後少し傾いたので修復しましたが・・・この天守閣は凡そ1000?あります。それが今尚チャンと建ち続けている事を考えて下さい。説明を聞いている小学生達は、まことに熱心にメモを取りながら聞いていました。その様子を見ながら何処かの高級マンションの鉄筋が百何十本も抜けていたと言う話を思い出しました。抜けていたと他人事の様に言ってますが絶対に嘘です。意図的に抜いたに違いないでしょう。現代の技術者は昔の人に比べて酷すぎます。

2007年11月10日土曜日

蕎麦



長野駅構内の立ち喰い蕎麦屋です。信濃路は 月と仏と おらが蕎麦 と言うくらいですから、蕎麦は何処のお店で食べても美味しいのですが、私としましては断然お勧めなのが、この長野駅の立ち喰い蕎麦小菅亭です。此処のかけ蕎麦(¥300?)は絶品です。

過去 何回か訪れて、何軒もの蕎麦屋を食べ歩きをしました。確かにみんな美味しいお店ばかりでしたが、共通しての問題は二つ、先ず店員さんが無愛想な事。作家故司馬遼太郎「街道を行く」と言うエッセイの中に書いている通り、「蕎麦屋に入ったが、そこに居る店員が注文を聞きに来ない。声をかけたらナチスドイツの将校の様な顔で睨まれた」と言う怖ろしい光景描写がしてありますが、本当にその通りの経験を私も何度かしました。特に善光寺の仲見世に有る店屋に共通した現象でした。それとながい事待たされるのです。

だから 信州の蕎麦は食べたいけれど、お店に入るのが嫌でした。 然し 偶然 時間が無くて立ち寄った長野駅のこのお店(随分昔で、何年前か忘れました)の、おばさんが親切で、愛想が良くて、早くて、おまけに美味しいのでビックリしました。それからは、もう絶対に此処で食べる事にしました。たとえ車で行った時も、わざわざ駅東口の地下市営駐車場(30分無料)に入れて蕎麦をたべて、善光寺さんにお参りして、帰りに又寄って「又来たよ」と言ってかけ蕎麦を食べて帰路につくのです。

あのおばさんは御健在で溢れんばかりの笑顔イッパイに「気を付けて帰るんだよー!」と送ってくれました。

おばさんも元気でねぇー!

2007年11月9日金曜日

松本城



松本城です。善光寺にお参りして松本に泊まりました。翌朝 前日とは打って変わって目映いばかりの快晴のもと見学してきました。

この城は 戦国時代初期、小笠原氏が築いたのが創めと言われているそうです。凡そ500年の歴史になりますが、今の天守閣は豊臣秀吉の命令で、石川数正が関東の押さえとして配置された時に築きました。

実際に登って見ると階段が急な事と、六層になった各床面は非常に狭くて、精一杯詰め込んでも30人くらいで六層みんな集めても精々150人位しか入れません。だから いざ合戦となって、篭城戦をしてもたった150人では大した戦力にはならないでしょうに・・・

それより もっと判らないのは、こんな不便な建物で、どうやって生活したのでしょう。食料や水を地上から運び上げるのは大変な事だったでしょう。それよりトイレはどうしたのでしょう。 疑問を持つと聞かずには居られない性質なので、堪らず係りの人にききました。その人は誠に親切な人で、ニッコリ笑って答えてくれました。「此処からやります」指差されたところは銃眼でした。敵が石垣をよじ登って攻めて来た時、鉄砲や弓矢、そして石や汚物などを落として防ぐ穴です。「お姫様達も 此処からやったんですか」と恥を顧みずに聞けば「エェ・・・たぶん・・・」と苦笑してました。悪い事を聞いてしまいました。

と言うのも フランスのベルサイユ宮殿には来客用のトイレが無かったと言う話を思い出したからです。  昔 ベルサイユ宮殿で舞踏会があると宮殿の中庭がトイレに早変りしました。貴族のご令嬢達は、普段から運動不足で、ダンスを踊るとトタンに自然現象に襲われて、堪らず中庭に駆け込んで本懐を遂げたのです。その時 先客の偉大な遺品?を踏まない為に開発されたのがハイヒールだそうです。

日本のお城の方が未だましですね。!?!

2007年11月8日木曜日

善光寺



信州の善光寺に行って来ました。国宝 善光寺本堂です。今年は 現在の本堂が再建されて三百年記念の年です。 昔から 牛に引かれて善光寺まいり とか 信州は 月と仏と おらが蕎麦 で有名なお寺で、平日でしたが仲々賑っていました。 名物のお戒壇めぐり(ご本尊の安置された瑠璃壇下の真っ暗な地下回廊を通り、中程に懸かる極楽の錠前に触る事が出来ると、神仏のご本尊と結縁する道場)に入り、真っ暗の中を恐る恐る進んで、やっとの思いで極楽の錠前を思いっきりガチャガチャ触って出てきましたが、恐怖で汗ビッショリになってしまいました。きっと霊験あらたかではないかと信じてます。

善光寺の御開山は642年皇極元年 本田善光(ほんだよしみつ)卿が、この地に一光阿弥陀如来をお祀りしたのが始まりだそうです。それで あらゆる宗派を超越したお寺で、誰でもお参り出来るところから賑っているのでしょう。

次に お蕎麦ですが、その事についてはこの次のブログに書きます。

2007年11月5日月曜日

小沢一郎さん・・・不可解?

この人は、1991年に海部内閣が総辞職した時、時の自民党副総裁金丸信から「お前(総裁を)やれ!」と言われ辞退しました。更に 実力者の渡部恒三・渡邉美智雄・宮沢喜一等からも強く説得されたにもかかわらず固辞したのです。

その理由は、「自分は今49歳で若すぎる。自民党には自分よりも年上で、口煩い人達が沢山居て、とても努めきれる自信がない。!」というものでした。情けない男です!。今思えば この時 彼が辞退してくれて好かったと言うところでしょうか。!?!

そして1993年 自民党を離脱、新生党で細川内閣、羽田内閣の成立に加わり、また分裂して自由党を結成。又々1998年今度は自民党と連合して小渕内閣に加わり、1999年分裂。2003年に今度は民主党に参加して2006年に代表就任。誠に忙しい人です。

変説漢と言うべきか 「居るべき場所の定まらず」のジプシー男って奴で、或る時はAと組んで直ぐ喧嘩別れして、今度はBとくっ付き又別れ、次にCと言う具合にクルクル廻るスクエアダンスじゃないっ!!もう国政の場から去るべし!!

2007年11月4日日曜日

秋は夕暮れ・・・



この夕焼けは、清少納言の枕草子の一説を想い浮かべます。

秋は夕暮れ 夕日のさして 山の端いと近うなりたるに 鳥の寝どころへ行くとて 三つ四つ、二つ三つなど 飛び急ぐさえあわれなり・・・

どうして 秋の夕暮れはこんなに寂しいのでしょう? 春も 夏も 夕暮れはあるのに・・・

2007年11月3日土曜日

孫の誕生祝



昨日 孫1が10歳の誕生日でした。それで誕生祝いを何にするか随分と悩みました。

何しろたいていのオモチャは持ってますし、学用品もこれと言って欲しい物は無いらしいし・・・

そこで思い出したのが、先日食べて美味しかった新宿さぼてんのコロッケです。きたあかりの味が本当に美味しくて これだっと言う訳で家族4人分で16個買って持って行きました。

大喜びしてくれました!!。

2007年11月2日金曜日

ポール・ディベッツ大佐



この人 ポール・ディベッツ大佐、92歳で昨日亡くなったそうです。この写真はB-29爆撃機エノラ・ゲイに原子爆弾リトルボーイを搭載して広島に投下する為に出撃する所です。

そして 1945年8月6日午前8時14分、広島に投下、一瞬にして10万人もの何の罪も無い人々を殺した人です。

彼は 三年後 長崎を訪れて、街の様子を見て、「地面が曲がってしまっている」と言ってショックを受けたのですが、それでも「原爆を投下したのは、戦争を早く終結させる為に正しかった。それで 多くの命が救われた」と言って終生、自分の行為を正当化していたそうです。

アメリカ人の大半が、今でもその考えと同じです。だから スミソニアン博物館の野外展示場にエノラ・ゲイを復元展示して、「原爆投下によって、世界が平和になり、多くの命が救われた」と碑に書いてあります。これに対して日本政府も、マスコミも一声も上げないのは情けない限りです。!!!

po-ru/

2007年11月1日木曜日

今年の文字・・・予想



今日から11月です。早いもので年の瀬ももう直ぐです。毎年 清水寺管主が恒例の「今年一年を現す文字」は「偽」ではないかと予想します。

これだけ商品の偽装が相次いで発覚したり、厚生労働省・防衛省などの偽装工作が発覚したので、今年の文字は偽だと思います。嫌な文字です。