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2007年8月31日金曜日

強情な車椅子

今日は定期健診に行って来ました。それ自体は何の問題も無くて良かった訳ですが、その時の目撃談です。

丁度救急車が入って来まして救急患者がストレッチャーで運ばれて来ました。心臓マッサージをしながらの搬送ですから一刻を争う状態と見て取れました。

それが丁度反対側から来た車椅子と衝突してしまったのです。緊急処置室までの通路は幅2メートルほどの広いもので充分すれ違いを出来るのですが、どう間違ったのかガチャンとぶつかってストレッチャーに車椅子がめり込んだ形になってしまったのです。

車椅子をバックさせれば直ぐ外れて問題無いのに、車椅子に乗ったお婆さんはガンとして退きません。病院中に響き渡る大声で「お前らがぶつかって来たんだ!!。お前らが悪い!!」と叫んで動きません。

然し 事は一刻を争う緊急事態です。救急隊の人はお婆さんを車椅子ごと持ち上げて除けると患者を緊急処置室に搬送して行きました。心臓マッサージを続けながら それに向かってお婆さんは「バカヤロー!あやまれぇー!」と怒鳴り続けて居ました。 私はそのお婆さんに「あやまるのは お前だろ!」と言ってやりたかったのですが、出来ませんでした。物凄く恐い顔をしてましたから・・・

2007年8月30日木曜日

沖縄は買わされたのだ!!

沖縄は返還されたのじゃなかったのだ。!!

30日付けで公開された外交文書で明らかになりましたが、あまりの事にビックリするやら、情けないやらで言葉もりません。つまり五億ドルで買取らされたのです!!。名目は資金供与と言う事で、1967年11月当時のジョンソン大統領が、佐藤栄作首相に「沖縄を返すから、五億ドルの資金供与をせよ」と執拗に迫ったと言うわけです。

こんな卑怯な話がありますか!! 元々沖縄は日本固有の領土です。それを戦争で強奪しておいて、あとで「五億ドルで買い取れ!」なんてこれ以上の卑劣はないでしょう。強盗と同じか、それ以上のワルです。越後屋もビックリです。!!

佐藤首相は、最終的にアメリカの理不尽な要求に応じてしまった訳で、当時の日本の外貨準備高は20億ドルしかない中から血の出る様な5億ドルを出したのです。 然も国民に内緒で・・・。

日本の外交が屈辱外交とか平身低頭外交と軽蔑されるのは当然です。特にアメリカから。

2007年8月29日水曜日

ネットカフェ難民!?!

厚生労働省の調査で、ネットカフェ難民が5,400人居るそうです。驚いた事に、20歳代の若い人ばかりじゃなくて50歳代の人が1,250人も居ると言うからビックリです。いったいどう言う人達でしょう。??

勿論 中には同情すべき気の毒な人も居るでしょうが、その他の人々は、此れまでの50数年間の人生をどんな形で送って来たのでしょう。 定職もなく、帰る家もなくカップラーメンを食べて、一泊¥1,500でジッとパソコンだけを相手に暮らす生活は、若しかすると気楽で楽しいものかも知れません。妻や家族の生活を心配しなくてもいいし、辛い仕事や、嫌な上司に気を使わなくてもいいし、昔はやった歌「ははルンペン呑気だねー♪」を思い出します。

ただ 其処にはネット犯罪などの陰湿な臭いがします。 人殺し・自殺・嫌がらせメール等の発生源になっているのも事実ですし、そんなエリアに50歳代の分別盛りの人間が20%も混じって居るとすると、呆れてしまいますが、その年代は三無主義と言われた団塊の世代とそれに繋がる世代だから、仕方が無いのかなぁ・・・(この言い方何処かで聞きましたねぇ)!?!

2007年8月28日火曜日

梯子を外された安倍晋三チャン



可哀相に 無理やり二階に上がらされて梯子を外されちゃった安倍晋三チャンです。小泉さんが遣りたい放題やってサッサと辞めちゃいましたから、自民党はボロボロの泥船状態でした。でも 誰かを無理やりにでもこの泥舟の船頭にしなければなりません。そこで選ばれたのがお坊ちゃまの安倍晋三チャンでした。なまじ能力があったり、ポリシーやフィロソフィーを持っているとジタバタと悪足掻きをして、却って自民党の傷口を広げるので、そんなもの何も無いお坊ちゃまの晋三チャンが選ばれて担ぎ上げられてしまったのです。つまり 晋三チャンなら、一人静かに泥を抱えて沈んでくれるだろう。と言うのが自民党幹部の老獪な作戦です。悪い奴らですねぇ!!

晋三チャンは期待通り、泥を抱えて静かに沈みつつあります。可哀相に!

さて 晋三チャンをまんまと沈めてしまえば、もう禊(みそぎ)が済んだと言うもの、「我こそは 自民党の救世主なり」と言って本当の悪い奴が踏ん反り返って出てくるでしょう。さぁそれはいったい誰でしょう。!?!

2007年8月26日日曜日

朝日新聞の後出しジャンケン

今朝 朝日新聞が首相へ贈る「五つの反省」と言う社説を掲載してますが、これは後出しジャンケンです。以前にも ブッシュ大統領がイラク攻撃を表明した時、小泉首相が「ブッシュを指示し、自衛隊を派兵する」言い切ったその翌日の社説で「イラク派兵に反対する」言いました。この時 何故ブッシュ発言にすぐさま反対の社説をしなかったのか 小泉首相が言明してしまってからでは、その価値は全然無いのです。ただ 「あの時本誌は反対したのだ」と言う後日の言い訳作りで、これも後出しジャンケンでしかないのです。
今回も 明日内閣改造を発表する、と言う土壇場にこの様な社説を出されても、安倍さんはどうする事も出来ないでしょう。国民の納得する様な人材を閣僚に登用すると言っても、今の自民党にその様な人材が居ますかもう 安倍さんは内心「なんで もっと早く言ってくへんかったんや あの大敗した時に言ってくれたらスンナリ辞められたのに・・・」と忸怩たる気持ちで居るでしょう。

安倍さんは 大敗した時 周りの取り巻き達に辞めない様に懇願され、また 栄光の安部一族からは辞めるなと言われ、特に女帝から「辞めたらいかんぜよ」と一喝を喰らって、本心は早く辞めて楽になりたい気持ちはやまやまなれど、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、四面楚歌の中を今日まで息も絶え絶えやっとたどり着いたのです。  然し 打つ手は無く八方塞りです。元来安倍さんは心身ともに強くありませんから・・・もっと酷い事になりそうです。!?!

2007年8月25日土曜日

美人長命!?!



芙蓉の花が咲いていました。この花 見た目はたおやかで弱々しい女性を連想させますが、意外にも強くて長生きするんですね。

昨日 故郷の悪友(ダチコウ)から、斉藤正子先生が亡くなられたと連絡がありました。享年89歳だそうです。 斉藤先生は 私の中学の国語の先生で、街中で美人の評判が高く、今の女優では高島礼子さんのかなりやつれた感じをご想像下されば良いと思います。と言うのも 先生は婚約者を戦争で亡くして、その悲しみが全身に溢れて居て、先生が居る処たちどころに真っ暗になるという人でした。口を開けば「死にたい」「死にたい」と繰り返し、昼間でもその姿は幽霊みたいで、生徒達は恐がっていたものです。

その先生が 89歳まで長生きされたのです。結婚されたと言う話も聞きませんでしたから、たぶん独身のまま生涯をおくられた事でしょう。昔は美人薄命と言いましたが「死にたい」が口癖で暗く無気力に生きた美人が天寿をまっとうされたのですから、人間の寿命とは解らないものです。

結局の所は 人間の寿命は神様がお決めになるのでしょう。

2007年8月24日金曜日

三井越後屋

三越と伊勢丹が合併します。三越と言えば江戸時代1673年、江戸日本橋本町(今の日銀新館あたり)で間口9尺(約3メートル足らず)の仮店舗をオープンさせた三井越後屋呉服店から、330年の歴史を経て来た我が国最老舗の百貨店です。

何と言ってもこの店の創業者三井高利(たかとし)と言う人が偉大でした。彼は伊勢・松坂の人で、52歳で江戸に来てこの店を立ち上げた訳ですが、当時の江戸の呉服・反物の販売は、店の者が見本品をお客の屋敷に持って行って見せ、注文を貰って後日商品を届けると言う屋敷売りで、その客筋の大名屋敷や大店などは既に前から有る大店が全て抑えていまして、三井越後屋の入り込む隙はありませんでした。普通ならここで尻尾を撒いて松坂に帰るところですが、三井高利は違いました。大名や大店ではなく江戸の庶民を客層にしようと考えたのです。

そこで その当時では、全く常識破りの新しい販売システムを考え出しました。「店前正札現銀無掛値」「小裂何程承候」つまり 店先にある商品は正札通り、いっさい掛け値をしておりませんので、いくら値切られても値引き出来ません。したがって現金でお買い上げ下さい。またご希望に応じて如何様にも切り売り致します。

当時は 商品に正札を付けるなんて有り得ませんでした。全て商人と客の駆け引きで、然も支払いは盆暮れの掛売りですから、値段はその分のリスクを含んだものを商人側が旨く付けて居たのです。また 呉服・反物を客の希望通りに切り売りする、なんて破天荒と言うより無茶苦茶なアイデアでした。

ところが これが江戸庶民のニーズにヒットしました!!。 庶民には高価な呉服・反物は手が届きません。でも「掛け値なし」のリーズナブルな品物や、切り売りの品物は買う事が出来ます。元々ニーズが有りながら高価だったり、店側の高慢な商法に不満を抱いていた庶民が殺到したと言います。なかには評判を聞いて乗り換えてくる大名もあったそうです。

それから330年 今 三越はライバルの「伊勢屋丹兵衛」と手を組んで生き残りをはかろうと苦渋の選択をしました。三井高利はどんな思いをしてるでしょう。!?!

2007年8月23日木曜日

価値観の相違!?!

昨夜 ご近所の男性に出会いまして、少し愚痴を聞かされました。未だ50歳にならない彼は、手にコンビニのお弁当を二つ提げて、久し振りに降った小雨の中をトボトボと歩いていましたので、普段は余り親しく話した事は無かったのですが、その寂しげな後姿につい声を掛けてしまいました。

夫婦喧嘩をしたのですね。その原因は「価値観の相違」だそうです。奥さんは45歳くらい、子供は居ません。体形は所謂トドかアシカと言うオバサン体形。155cm 70kgの堂々たるものです。

問題は 彼いわく「妻は 朝から晩まで鏡の前に座って居て、炊事・洗濯・掃除を満足にしない。それに文句を言うと、ブンムクレで夕飯も作ってくれないからこの始末です」

何とまぁ お気の毒に・・・ それでは奥さんのご意見はと言えば「それは私とあなた(旦那)の価値観の相違です。私には化粧をする、と言う事は生活の中で最重要事項であって、その他の事柄なんか二の次・三の次です!!」だそうです。 そうですか価値観の相違ですか。

彼は更に続けて言いました。「朝 出かける時、顔を鏡に向けたままイッテラッシャーイ!夜帰ってきても同じ姿勢でオカエリー!です。コチラに顔も向けません」それを叱ったらこのザマだと、まさに夏の夜の小雨降る雰囲気にピッタリの姿で、コンビニ弁当をブラブラ振って見せました。そこには仕事をバリバリやって居る優秀なビジネスマンと賞賛されている男の悲しい・真実の姿がありました。

然し 奥さんの価値観は先ず置いといて、掃除や洗濯は生活の衛生上、優先順位をもっと上にした方がいいと思いますが・・・ そう言えば 私の妻がその奥さんの家に行った時、異様な臭いがしたそうです。余り掃除をしてないのでしょう。そして立派な三面鏡が居間の真ん中にドデンと有って、部屋中は足の踏み場もない程散らかしっ放し、食器や洗濯物は山積みなので不潔で、もう 二度と行かないと言ってました。

こんな 汚物に囲まれた異臭の中で、一日中鏡の前に座り続け、スナック菓子をムシャムシャ食べて、トドみたいになっちゃって、それでも価値観の相違を主張し続ける女が此処にいるのです。信じられません。

2007年8月22日水曜日

帰朝報告

今日 娘が子供二人を連れて来ました。昨日無事帰国したのでその報告に来たのです。私と妻にお土産のTシャツを持って・・・ それが意外と高価なのに驚きました。

第一声は「アメリカの食べ物は不味かった」でした。そして更に意外な事に値段が高いのに驚きました。当然量的には日本の二倍位あってとても食べきれない程ですが、味が不味いので残さず食べるのに苦労をした、と言ってました。それをアメリカ人は平気で食べて居たそうで、その他にも間食をのべつムシャムシャやってるので、二十歳前でも四人の内の三人がメタボちゃんです。

値段的にも、でっかいハンバーグに、フライドポテト、ソーダ飲料を花瓶ぐらいのバカデカイ入れ物イッパイで、$10と言いますから約¥1、200ぐらいでしょうか意外と高価です。不味いものを沢山、高い値段で食べさせられるなんて、そしてブクブクのおデブちゃんになるアメリカ人って可哀相ですね。

2007年8月21日火曜日

娘 無事帰国



昨日 夕方 娘が無事帰国しました。引率の女子学生を全員無事に連れて・・・
昨日の13時ごろ成田に着いたとメールが入った時、ホッとして体中の力が抜けてしまいました。孫1・孫2に電話したら「ヤッター」と大喜びでした。
 娘が アメリカに出張する事が決まった時、孫1(小4)は「どうしてお母さんが そんな遠くに行かなきゃならないの!?!」と言って泣いたそうです。孫2は事態の詳細が理解出来なくてボンヤリしてたといいます。
だから 彼らの喜びは大変なもので、昨夜は孫1・2ともお母さんにベッタリくっ付いて「川の字」になって寝た事でしょう。

2007年8月20日月曜日

飛行機事故

今日は娘がアメリカから帰国する予定です。引率した20人の女子高生・中学生とともに・・・私は世界一の臆病者ですから心配です。親バカってやつで、娘の事は勿論、同行の女子学生達が全員無事に帰れます様にと毎日祈らずには居られませんでした。

それが 今日のお昼のニュースで飛行機炎上とテレビの画面に出たのです。一瞬 肝がつぶれました!!。

よく見れば 那覇空港で中華航空機が炎上したと言う事で、然も 全員無事との事。一先ず安心しました。 が 娘や生徒達が無事帰ったと聞くまでは心配です。

飛行機は必ず落ちるのです。あの100トン以上もある金属の塊が空中に浮くなんて信じられません。それはきっと何かの錯覚だとしか思えないのです。つまりは奇跡なのです。だから いつかは必ず墜落する・・・と私の臆病な根性が疼き続けるのであります。只々全員無事に帰って来ます様にと祈るのみです。

2007年8月19日日曜日

北海道 ボロボロ・・・

北海道と言えば、かつては夏場の観光地のメッカであった筈です。それが年々人気が下降してきたのですが、その原因は 物価が高い・客扱いがぞんざいで無愛想・数々の偽装事件等があります。
北海道のセールスポイントは広大な景色と食べ物なのに、その肝心の食べ物の偽装事件がこんなに繰り返されては北海道のイメージダウンは深刻で、立ち直るには相当な努力と時間がかかるでしょう

2000年の雪印乳業:ブドウ球菌事件。
2001年の雪印食品:牛肉偽装事件。
2007年のミートホープ:牛肉偽装事件。
2007年の白い恋人:大腸菌事件、賞味期限偽装事件。

一説には 此れだけじゃない未だ他にもある。と言いますが、こんなに繰り返されるとそうかも知れないと思わざるを得ません。下手をすると北海道産の食品は危なくて何も食べられないと言うレッテルが貼られてしまうかも知れません。果たして北海道の人々がその危機感を持っているのでしょうか? もし持っていたらこんなに問題を繰り返さないでしょうが・・・

2007年8月18日土曜日

猛暑日のサイクリング





16日 富士山の麓 田貫湖へサイクリングに行って来ました。連日猛暑日と言われてましたが、標高700メートルだからきっと平地よりも涼しいだろうと想定してまいりました。

ところが 此れがとんだ想定外猛暑も猛暑・大猛暑でジリジリ・カンカンの直射日光に降参でした。レンタサイクルを一時間借りましたが、普通なら孫達は、私が「もう時間だよ、止めようよ」と言っても「モット乗るぅ!」と言うところ、さすがにあの猛暑で、「もう駄目ぇ!脳みそが煮えるぅ! 頭蓋骨が焦げるぅ!止めよう!」と、一時間を20分も余らせて降りちゃいました。

堪らず ホテル休暇村へ行ってカキ氷を食べましたが、その冷たくて美味しい事、口に入れたらジューッ!と音がしたのじゃないかと言うほどでした。

2007年8月17日金曜日

孫 来襲!!


毎年恒例の「孫1・2のお泊り」です。今年は二人のお母さんがアメリカに出張中ですから、どうするのかな?と思ってましたが、例年通りに大きな荷物を背負ってやって来ました。トタンに普段は静かな我が家が騒音の坩堝と化します。特に孫2(小1)は「おじーちゃん!・おばーちゃん!・おにーちゃん!」と囀りっ放しで、よく体力が続くなぁと感心します。この猛暑日で家の中には居られませんから、ゲームセンター・ファミリーレストランと冷房の効いた所を渡り歩いて帰宅しましたら、二人がゴソゴソと何かを出しました。見たら 勉強のドリルです。

母親が、アメリカへ出かける前に買って「私が帰るまでにチャンとやっておきなさい!!」と厳命しておいたらしいのです。オーォ感心と言うか可愛そうと言うか!?!・・・「学校の宿題は」と聞いたら「もうとっくにやっちゃったもん」だそうです。ワタシャ一言もありません。

2007年8月15日水曜日

敗戦記念日



今日は敗戦記念日です。今更言うまでもなく、あの忌まわしい暴挙が大量の血で以って終わりを告げた日です。

その悲しむべき事実は、後世に言い伝える為に、テレビドラマや映画に作られていますが、余りにも多く、多岐に亘り、とても全てを伝える事は無理でしょう。それだけあの太平洋戦争のもたらした被害は甚大で、日本国民が物心両面に受けた禍根から立ち直るには100年かかるでしょう。敗戦で自信を喪失した日本人は極端に自虐的になり、自己否定→日本文化の否定→アメリカの盲目的崇拝をして、今尚 わけも解らずアメリカの物真似をしています。もっと日本古来のいいものを大切にしなければいけないのに・・・だから この悪癖が無くなるには未だ40年はかかるでしょう。

安倍総理までが「戦後レジュームからの脱却」なんて言ってます。戦後レジュームって何ですか!?!何故脱却しなければいけないんですか!?!ひょっとすると本人も解って無いのかもね

2007年8月14日火曜日

左利き

昨日8月13日は左利きの日だそうです。全然知りませんでした。なんでも左利きと言うこの世の少数派の左利きにご理解をと言う主旨の日だそうで、色々な日があるもんです。

実は 私も左利きです。私の実家は田舎の古い家でしたので、それはもう大変でした。左利き→カタワ(言葉が不適切で御免なさい)扱いを受けまして、お箸なんか左で持とうものなら罰としてご飯を食べさせて貰えませんでしたし、勿論 鉛筆も全てが右手でないと駄目で、人知れず劣等感に悩まされたものです。

でも 良くしたもので、小さい時からその様に仕込まれますと自然に右手で上手に出来るようになるもので、大人になってから恥をかかずに済みました。

つまり この世のあらゆる物事は全部右利き用に作られています。文字も、正式なお席の料理も、お茶席も、活け花も、楽器も、みーんな右利きの人が楽に出来るように作られています。 つまり 所詮左利きは少数派なんです。

昔はもっと酷かった様です。「左利きの女は嫁にするな」なんて言われて、強制的に矯正されましたが、それでも治らない頑固な者は女郎に売られたって言います。そう言えば 年配のご婦人の左利きは、今まで一人も出会った事はありません。たぶん かなりのご苦労があったでしょう。

一説には 人間は、生まれた直後はみんな左利きで、成長するにつけ右利きになって行くのだ。だから 成長しても左利きのままの人は成長過程に何か故障があったから、カタワだ(又々御免なさい)と言う論法です。 ええ ええ どうせワシャカタワですよ!!

然し 此の頃 堂々と左でお箸を持ったり、字を書いたりする若い女性が矢鱈と目に付きますが どうしてでしょう!?!

2007年8月13日月曜日

蝉の一生



我が家の庭 鉢植えノアロエにとまって精一杯の声を張り上げるクマゼミ君です。アロエのエキスを吸って栄養がいいのか物凄い鳴き声で、命果てるまで鳴き続けるでしょう。次の命につなぐまで、文字通り必死に・・・必死に声が枯れて力が尽きるまで・・・クマゼミ君 きっと 君の命はつながるよ

2007年8月12日日曜日

我が家の福の神


我が家の福の神 蝙蝠のバロン君です。去年の11月初めに来てくれまして此処に住み着いています。蝙蝠には福を呼ぶと言う言い伝えがありますので、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり男爵」からバロン(男爵)と名付けて毎日言葉をかけて親しんでいます。とは言っても餌や水は全部自己調達だし、昼間は一日中此処にジッとおとなしくしてますから、真に手のかからない「いい男!?!」です。日没になると、食事や子孫繁栄の為の諸努力のために外出して、朝 夜明けとともに帰宅して定位置に鎮座まします。

彼が来てから我が家にはささやかながら「幸運」に恵まれています。妻の持病が治ったり、娘や息子が出世したり、義母が元気になったりで、みんな彼の持って来てくれた幸運のお陰だと思っていつも感謝しています。

此の頃 来た当初よりも一回り大きくなった様です。毎朝 起きた時に「お早うバロン君」と声をかけると小さな目をクリクリッと動かして応えてくれます。可愛いくて堪りません。彼にいったいどんな生活が有り、どんな世界があるのか解りませんが、連日の暑さにもかかわらず毎日たそがれ時になると何処かへ出かけて行きセッセと働いて帰ってきます。

感心な男です。

2007年8月11日土曜日

パパとお散歩


今朝は 昨夜の熱帯夜の所為もあって、公園に来た皆さんは寝不足で不機嫌なご様子でした。「もう 暑くて眠れなかったぁと口々に仰っりながら大アクビ連発です。その中で 全く元気イッパイの子供達が居ました。 土曜日で パパがお休みなのでしょう、一緒にお散歩の嬉しさを全身で現しながら走り回っていました。その様子をお許しを得て撮らせて貰いましたが、「撮るよー」と言ったらサッとパパの所に集まっちゃいました。親子ですねぇ

2007年8月10日金曜日

被爆者の手記

毎年 八月になると、日本列島は辛く悲しい過去の傷を思い起こします。八月六日の広島、九日の長崎へ原爆投下。そして十五日の敗戦です。

広島に原爆を投下したB-29爆撃機エノラ・ゲイは2003年12月 ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に復元展示されています。そして説明文には「アメリカが広島・長崎に原爆を投下した事で、人類に平和がもたらされ人類は救わた」とありまして、あくまでも原爆投下は正当化なものとして大多数のアメリカ人に信じられているのです。それに対して日本政府は一片の抗議もせず、ニヤニヤ追従外交しかしいていません。小池さんも多分その事は言えないでニヤニヤして帰って来るだけでしょう。

だいぶ以前 広島で被爆された男性の手記を読みました。余りにも凄惨で、悲しくて忘れたくても忘れられません。その方は当時小学校一年でした。そして この手記を書いて暫くして亡くなられたそうです。

「あの 八月六日 朝八時十五分 学校で朝礼が終わり、校舎に入ったトタン空がピカッと光り物凄い音と風が起こり自分は廊下の壁に叩き付けられて気を失ってしまった。気が付いたら校舎はなくなってガランとした廊下だけが残っていたが、そこには無数のけが人が運ばれて来ていて、身動きも出来ない状態だった。激痛に呻く声・泣き叫ぶ声がいっぱい聞こえてこれこそ地獄だと思った。校庭には屍骸が山と積み上げられていて、廊下で死んだ人もそこへ引きずって行ってその山に積み上げられた。自分の隣に、小さい女の子を抱っこしたお母さんが居て、女の子が「お母さん 痛いよう」と泣くけど、どうする事も出来ず、ただ抱きしめてやるだけだった。その内 その子は声が小さくなり、声を出せなくなった。それでも激痛に耐えられず、手足をバタバタさせるので、廊下を叩き、トントン トントンと音がした。その音も やがてトン・・・トンになり、パタッと止んだ。死んだのだ。自分は動かぬ体を必死で捻じ曲げてその子と母親の方を見た。すると 母親はその子をシッカリと抱きしめ、廊下の壁にもたれたまま死んでいた。焼け焦げた顔にひとすじの涙をこぼして。」

この手記を読んだ時 怒りと悲しみが猛烈に湧上るのに耐えられませんでした。どんな方便を弄しても原爆投下を正当化出来るものではありません。
エノラ・ゲイというのは原爆を投下したB-29のニックネームで、機長のP・ティベッツ大佐の母親の名前を付けたそうです。そして それを誇らしげに展示して「お陰で人類は救われた」なんて信じているアメリカ人は何時かきっともっと酷い目に逢うでしょう

2007年8月9日木曜日

GPS!?!

DSCN4711-8-9-fujisan.JPG

昨日くらいから朝の富士山が見られる様になりました。本当に嬉しい事です。でも もう赤とんぼが飛んでいました。そう言えば昨日が立秋でした。いつの間にか季節は粛々と巡りつつあります。

ところで 早朝散歩をしていると、携帯電話で話ながら歩いているひとをよく見かけます。朝の5時ごろなのにいったい誰と話して居るのだろうと 余計な事ですが疑問に思っていました。一度疑問を持つと答えが解るまで気になって夜眠れなくなりまして(そんな漫才がありました)歩く好奇心と異名をとる私としては堪らず、とうの本人に聞いて見ました。

答えは「嫁から 今何処大丈夫 と聞いてくるんです。 それで 今 公園に居るよ。大丈夫だよ と答えてやるのです。 おそらく嫁は電話を切った後、チェッと舌打してるでしょう」と温和なお顔に似合わずキツイ事を仰いました

そうかGPSとして使っているのか 内心では 往生を願いながら・・・

2007年8月8日水曜日

続・娘の渡米



以前にご紹介しましたニワトリ君です。とうとう公園に居ついてしまいました。散歩に来る誰となく餌をやったりしますので、彼にしては真にケッコウな住環境でしょう。特に好物はカッパエビセン、飲み物はアルカリイオン水だそうです。

昨日 我が娘は、女子高生・女子中学生20名を引率してアメリカ合州国・キャリフォーニヤ州・ストックトン市に出発しました。

このメンバーは 静岡市主催の英語スピーチコンテストで優秀な成績を収めた上位20名で、何故か全員が女子です。男子は何をしてるんでしょう。

出発にあたって 送る言葉として 自分の身の安全を第一に、生徒達の安全は第二とせよ。帰って来てからどんなに批判・罵詈・雑言を浴びようとも身の安全が第一じゃ。安倍さんを見なさい。 「判った」と言って行きました。

2007年8月7日火曜日

娘 渡米

渡米と言ってもストックトンと言う「ド田舎」なんです。おそらく名前を聞いた事のある人は少ないでしょう。カリフォルニヤ州にありますが、ロスアンジェルスやサン・フランシスコの様な大都会とはかけ離れた凄まじいばかりの田舎だそうです。

アメリカは今 あらゆる所が壊れてきてます。何もかもガタが来て重病なのに、未だ あの1960年代の栄光のアメリカ、強く誇り高きアメリカのノスタルジヤから醒めきれず、する事なす事失敗ばかりなのに、自分の衰えを認めたくないから去勢を張り続ける哀れな国です。

そもそも1960年に始めたベトナム戦争がアメリカの凋落の始まりでした。この戦争は、軍隊同士が戦うものではなく「軍隊とゲリラ」と言うハッキリと実態の見えないものを相手にアメリカは戦う破目に陥ってしまったのです。勿論 後ろでソ連・中国と言う共産主義国がベトコンを操っている事は判ってますから、アメリカとしても後へは引けません。軍事力の総力を投入し、15年の歳月と7万5,000人(一説には10万人と言う)戦死者を出しながら 屈辱的な敗北を喫したのです。

それでも懲りずに、アフガニスタン・イラク・等で同じ失敗を繰り返しています。もうバカとしか言えません。  ジョン・F・ケネディ以降アメリカは人材不足が深刻です。それ以来の大統領はろくな者が居ませんからね。

日米安保条約日本が攻撃された時、アメリカが助けてくれるなんて本気で信じられません。アメリカは他国を本気で助ける力はもうありません。だから アメリカなんかにベッタリとくっ付いて居たら酷い目に逢います。日本はアメリカと適度な距離を置いて言いたい事はハッキリ言うべきです。!!!

2007年8月6日月曜日

広島 原爆の日

1945年8月6日午前8時15分 アメリカの爆撃機B-29に拠って原子爆弾が投下されて、何の罪の無い老人・婦人・子供達が一瞬にして10万人の人が殺されました。その後 放射能による後遺症などの発病で亡くなった人を加えると20万人の人々が亡くなったと言われています。みんな原爆で殺されたのです。それなのに「それも 仕方がなかった」と言って防衛大臣を辞めさせられた人が居ました。それも長崎と言う被爆地出身の人です。バカですねぇ防衛大臣ですよ何を考えているんでしょう!?!。

今朝のテレビを見て、8時15分 広島で黙祷を奉げている時間です。その様子を放送しているのはNHKだけでした。民放は全部無視で、酷い所では芸能ニュースをワァワァ騒いで放送していました。呑気ですねぇ!!これでは防衛大臣が「仕方がなかった」と言っても「仕方がない」のかな!?!

2007年8月5日日曜日

清水みなと祭り



昨日・今日と清水みなと祭りです。こんな可愛い子が総踊りの隊列を組んで踊ります。宇崎竜童作曲の「みなとカッポレ♪」や「よさこいソーラン♪」を精一杯踊る姿はそれはもう可愛いの一語です。

でも 困るのはオバサン連です。汗と化粧品の入り混じった悪臭を猛烈に放ちながら、「ヤァーッ」とか「オォーッ」と野太い胴間声を思いっきり張り上げて踊る姿はとても正視に堪えません。会場を我が物顔で踊り狂い、行く所敵なしです。その勢いに押しやられて今迄参加してきた女子高生連や、女子中学生連が参加を取りやめてしまいました。 サビシイーィ!! もう来年は行くのをやめます。

2007年8月4日土曜日

有明の月



ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる        第八十一番 後徳大寺左大臣

台風が来る前の穏やかな朝 ホトトギス・鶯・コジュッケイそれに蝉達が精一杯鳴いている朝空に、ポッカリと有明の月が浮かんでいました。

平安貴族は 暁にホトトギスの鳴き声を聴くのが風流とされていました。夏の夜 ひと晩中徹夜で待ち続けたところ、やっと暁になってホトトギスのひと声を耳にした、あわててそちらを見たらその姿はなくて、ただ有明の月がかかっているだけ・・・残念!!と言ったところでしょう。

2007年8月3日金曜日

NHKの受信料

今日の朝日新聞「声欄」に NHKの受信料について至極ご尤もなご意見が載ってましたので紹介します。

浜松市 大矢 領一さん

「例えば 小腹が空いてレストランに入り、トーストを食べたとしましょう。勘定を頼むと、フランス料理のフルコースと同じ料金でした。ビックリして店の看板を見ると、「NHK]と書いててあります。受信契約によって料金を支払う事が決まっている店なのです。こんなお店で納得して料金をはらえますか。 NHKの受信料は携帯のワンセグを見ても一世帯分の料金です。一方 三世代同居の世帯で、居間にハイビジョンの大型テレビがあり、祖父母や夫婦子供達の部屋にそれぞれテレビがあるとしても、これも同じ一世帯分の料金です。つまり デパ地下の試食とフランス料理のフルコースと同じ値段と言うような不公平感です。 またアナログとデジタルでは情報量に違いがあり、画質も雲泥の差があるのに同じ料金と言うのは納得出来ません。」

全く同感です!! 大体NHKは独善的で自分勝手で視聴者の実情を殆ど把握してません。「地デジにすれば画質が良くなり、情報量も格段に増える」だから有難く思えそして それに要する費用はお前達自分で負担せよ。

そんなの頼んでません 「ビールを注文したのに、フランスの何とか言う高級ブランデーを持ってきて、さぁ勘定を払え。と言うのと同じで、これでは新宿二丁目の○○バーと同じじゃありませんか

NHKはチャンネルが多すぎます。BSと総合をふくめて5チャンネルは無駄が多すぎて、番組制作能力が追いついていません。特に此の頃では「御好評につき再放送」なんて勝手にやってますが、あれは手抜き仕事です。
NHKは一つのチャンネルで充分です。チャンネルを四つ減らした分で大リストラをやって受信料を現行の四分の一にすればいいのです!!!。

2007年8月2日木曜日

夏は、夜。



夏は、夜。月のころは、さらなり。闇もなほ。 蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。

ご存知 清少納言の枕草子・一段です。此の頃 政治家の先生方が色々と無粋な事ばかりしてくれまして、不愉快で暑苦しいので少しは精神の癒しを・・・と掲げてみました。写真は昨年行った土肥温泉です。如何ですか少しは涼を感じて戴けましたか 未だ足りませんか ではもう一つ三十四段から・・・

七月ばかり、いみじゅう暑ければ、よろづの所開けながら夜も明かすに、月の頃は、寝おどろきて見出すに、いとおかし。・・・ 七月はいまの八月、あんまり暑いので家中開け広げて寝ていたら、月が出て明るさに驚いて目を覚ましてしまった。・・・風流ですねぇ!

2007年8月1日水曜日

安倍さん 頑張れ!!!

赤木農水相が辞任しました。また 安倍さんへの批判が強まるでしょう。「遅い! なんでもっと早くクビにしなかったんだ!!」選挙結果を見て、赤木農水相が批判に耐えられず今頃コソッと辞表を持って来るまで待ちの姿勢しか出来なかった安倍さんに、マスコミ・各アナリストは勿論、野党や与党からも批判が喧しくなるでしょう。

安倍さんは元々体力も気力も強くない人です。偶々祖父に岸信介・佐藤栄作をもって生まれて来た運命で、本人の好むと好まざるとに関わらず、気が付いたら総理大臣に担ぎ上げられて居たのですから、先の選挙で大敗した時、辞めたいと一番思ったのは安倍さん本人だったでしょう。ところが辞めさせてはくれません。 早々と「続投宣言」をさせられて二階に上って、梯子を外された状態になっちゃったのです。

今 安倍さんは四面楚歌です。然も 母親は岸信介の娘ですし、奥さんは森永製菓のご令嬢で誇り高き人々ですから家庭に帰っても愚痴や泣き言を言える雰囲気ではないでしょう。だから 安倍さんは公私ともに八方塞です。体力も気力も強くない人が此の侭では・・・!?!

安倍さん 頑張れ!!!