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2010年7月31日土曜日

異常気象



ロシアでは 猛暑が続いているそうです。モスクワで昨日38.2度Cを観測、今迄の新記録だと言うことです。其の為 暑さに慣れて無いロシア国民には、熱中症が続発し、死者は数百人にのぼると言われます。
 また 森林火災が発生、民家1000棟以上が焼けて、25人の犠牲者が出て、なお燃えて居ると言います。プーチン首相は、現地へ乗り込み、消火活動を督励して居ますが、現地人の活動振りがモタモタして居るので、首相が激怒して、責任者の更迭を申し渡したそうです。
 モスクワと言えば、緯度的には札幌よりも遥か北にあり、38.2度Cなんて高温になるとは信じられませんが、余りの暑さに、酒を飲んで水浴びをして、溺死者が1000人以上も出たとか、此れも地球温暖化の所為でしょうか?

昭和天皇

 1945年8月15日 日本は連合国軍に対して、ポツダム宣言を受け入れ、<無条件降伏>をしました。そして 其の13日後の8月28日、僅か150名からなる占領軍先遣隊が無血上陸しました。連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ったのは、其の2日後の8月30日でした。そして 9月27日、敗戦国元首たる天皇は、マッカーサー元帥を訪問しました。此れは天皇の方から「マッカーサーに会いたい」と言われたからです。此の会見は前後11回に亘りました。
 其の会見の様子は、1955年の記者会見で、マッカーサーは回顧して居ます。重要なのは最高権力者マッカーサーが、少なくとも初対面の天皇に<鮮烈なる好印象>を抱いた事です。天皇から<自己弁護の言葉>を聞かされるとばかり思って居たマッカーサーの前で、天皇はこう述べたと言います。
 「私は、戦争遂行の過程で発生した全ての事態に全責任を負う。私は、日本の全指揮官と、全政治家の行動にも責任を負う。私の運命に関する貴下の判断がどの様なものにせよ、其れを下して頂きたい。私は 全責任を負うものである。」
 マッカーサーは此の天皇の言明に感動し、「私は 彼にキスしたい気持ちだった」と述懐して居ます。
 此の時点のアメリカの世論は、77%が<処刑を含む処罰要求及び天皇制廃止>でしたが、マッカーサーの尽力で<象徴天皇として、天皇制>が存続されたのです。
 <昭和天皇の人柄>が当時のアメリカ人の心を動かして、危うく2600年の伝統が絶たれるそうになったのを<自己弁護をせず><許しを乞わず>自然体で守ったのです。
 私は 昭和天皇は只の飾りだったのかな?と思って居ました。然し この原彬久の本を読みまして、改めて其の偉大な人柄を知らされました。 

2010年7月30日金曜日

負けて当然!

昭和16年(1941年)12月8日 吉田茂達が必死の戦争回避運動をしたにもにも拘わらず、遂に日米開戦の火蓋は切られたのです。
 永野護の「敗戦真相記」と言う著書に依れば、『日本軍部が、近代戦の実態を知らず、いたずらに我が民族の精神力なるものを過大評価すると言う、<宿命的な独断>に有って、某将軍の如きは「竹槍と握り飯とを以って米国を撃滅で来る。」と本気になって全国に演説してまわった。一方 米国側は、「いやしくも近代戦の何たるかを少しでもわきまえていれば、此の計算を知って居るに違いないから、戦争は起きる筈は無いと思い込んでいた』更に 『近代戦の勝敗は、「化学兵器」の威力とマネージメントの効率性で決まる。「化学兵器」の日米格差は言うに及ばず、マネージメントの彼我の隔たりは「化学兵器」の其れよりも深刻であった。例えば、工場に欠かせない熟練技術者を兵隊に出して仕舞って、<馬を洗わせたり、壕を掘らせたり>させる一方で、工場の能率が落ちたとなれば、今度は<壕堀りのうまい古参兵を工場に送って来る、と言う逆手を打つ、と言う此の手の事は枚挙にいとまが無い。そして更に<軍部の縄張り争い>だ。戦争資材の奪い合い、必要で有る・無しに拘わらず先陣争いで我がものにして仕舞う。機械部品は全て陸軍・海軍で共用出来ない仕組みになって居た。何故なら 陸軍が右ネジにすれば、海軍は左ネジにする、と言った具合で、実に下らない縄張り争いの齎した最低レベルの状態で、日本は戦争に負けるべくして負けたのだ』
 こんな酷い軍人達に、国の命運を任せて戦争をさせて仕舞ったのです。其の結果、東京、広島、長崎、沖縄で、何十万人もの犠牲者を出し、其の他でも多大な犠牲者が出て、正確な数字すら未だに把握出来ないのです。その未だ浮かばれない600万超の霊魂に向かって、どの様にすれば良いのでしょう。

2010年7月29日木曜日

必死の和平工作

太平洋戦争が開戦されて仕舞っても、吉田茂は戦争の早期終結の為に努力をして居ます。其の最初の切っ掛けは、開戦の翌年 昭和17年2月のシンガポール陥落でした。緒戦以来赫々たる戦果を挙げて来た日本軍は、イギリスのアジア生命線とも言うべきシンガポールを攻略しました。其処で吉田は此の時こそ好機と考え、天皇側近の一人 松平康昌(内大臣秘書官長)を通じて木戸(内大臣)に和平工作の計画を上申しました。木戸内大臣の意中は、「シンガポールが陥落した今こそ、和平工作の好機ととらえるべきである。」と言うものでした。其処で吉田は計画を立て、近衛公をスイスに派遣して和平工作を進める事を考えたのです。吉田からこの計画を聞いた近衛公は驚いた風でしたが、吉田は更に説きました。「海空からは甚だ危険ですが、朝鮮・満州からシベリヤ鉄道を利用すれば多少の困難はあっても、スイス迄行けない事は有りません。貴方はジュネーブで釣りでもして居て下さればいいのです。イギリス・オランダ・アメリカ各国との交渉は、私が奔り回ります」
 かくして吉田は近衛公の希望で、木戸内大臣に話を通す事になりました。そして 吉田は、近衛公をスイスに派遣する計画書を木戸内大臣に提出しました。然し 木戸内大臣は東条英機首相を恐れる余り、此の計画書を握り潰して仕舞ったのです。それで 吉田の折角の計画も敢え無く頓挫しました。
 しかし 吉田は諦めません! 次は戦争末期、今度は自分が命懸けでスイスに和平工作に行こうと言うものでした。つまり 敵軍の目に止まらぬ様に、潜水艦で吉田をスイスに運び和平工作をやろうと言う、奇抜と言うか杜撰と言うか凡そ用意周到とは言い難い計画でしたが、吉田は凄く乗り気で、「危険過ぎるから」と止める人が有りましたが、「死んだっていいじゃないか!!」と本気で言ったそうです。でも 潜水艦の手配が出来ず、此れも不発に終わりました。
 凄いですね!! 今時の政治家達に「国の為に死んだっていいじゃないか!」と本気で言える者が一人だって居ますか?選挙の票勘定ばっかりしている肝っ玉の小さい輩に、此の万分の一の気骨が有ればと思って仕舞います。

2010年7月28日水曜日

敗戦記念日

まもなく65回目の8月15日敗戦記念日を迎えます。
 太平洋戦争の開戦前夜、日本の国内では「欧米討つべし!」一色に染まって居た訳では無かった様です。軍部が武力による脅迫的手段で、新聞・ラジオのメディアを利用したプロパガンダで、無智蒙昧な国民を戦争へと誘導したのです。
 然し 其の中に在って<何とか戦争を回避したい!>と願って居る人が居ました。それは 先ず昭和天皇です。其の時総理大臣になったばかりの東条英機に大命を下すにあたって「9月6日の御前会議(対米英開戦の決議)の決定を白紙に戻して、平和になる様、極力尽力せよ」と東条に伝えて居ます。然し「開戦」へと走る東条は、其れを無視しました。
 次に 吉田茂です。吉田は、東条内閣の外相東郷茂徳に、アメリカが提示して来た「ハル・ノート」が、まるで日本に対する最後通牒であるかの如く解釈されるが、其れは決してそうでは無い!彼の得意の英語で判り易く解読して東郷に示し、此のノートの左上には注釈が有り、其れには<交渉の基礎であり、決定的なものでは無い>と記されている、と説明して、東郷外相を説得するとともに、その足で米国駐日大使グルーと会いました。グルーは此れを聞いて「卓を叩いて語調も荒く」こう捲し立てました。「日本政府あれを最後通牒なりと解釈し、日米外交の決裂と吹聴しているが、大きな間違いである!!」
 吉田はグルーの申し入れを受けて「グルー・東郷会談」を東郷に迫りますが、東郷は言葉を濁してグルーに会いませんでした。結局 東郷には東条英機首相の圧力が効いて居て、吉田茂の「開戦回避運動」は空しく終り、12月8日「真珠湾攻撃」と言うルビコン川を渡って仕舞ったのです。そして哀れな日本国民は、何も分からず何も出来ず、600万人もの貴い命を奪われて仕舞ったのです。

2010年7月27日火曜日

考古学 其の15

今日の静大 滝沢先生の「考古学 第15回」は、今年前期の最終講義でした。それで今回は、今迄の講義に就いて、生徒達からの質問事項に対して先生が答える、と言うものでした。先週の抗議の際に、質問票の形で提出されたものを巧く纏めて、其れに答えながらの講義する、と言うさすが大学の先生だけあって、上手に纏められて居ました。
 其の中でも、特に面白かった質問は「一般人が<遺跡・遺物>を発見したら、何がしかの報酬が貰えますか?」と言うものでした。
 先生の答えは「残念ながら何も貰えません!また 発見した遺物は自動的に国や、地方自治体の物になります。もし 発見した土地が自分個人の所有で有っても、それは矢張り国や地方自治体の所有物になります。以前 テレビの番組で、<徳川幕府の埋蔵金発掘>と言うのが有りましたが、あれも、もし発見出来たとしても、国の所有物になります。それを『俺が見つけたから』と言って<ネコババ>すると<遺失物隠匿罪>と言う犯罪になります。」でした。
 余計な事ですが、もし埋蔵金が見つかったらどうなって居たでしょうね!?!

2010年7月26日月曜日

敗戦・総括

まもなく65回目の「敗戦記念日」が来ます。あの戦争は何だったのか!?!
 初めから勝つ見込みの全くない、そして始め想像した以上に無残な結果をもたらした戦争を、「無条件降伏」して以来65年経った今、私達は重大な忘れ物に気が付いて居ません! つまり 敗戦国家として、「あの戦争の総括を未だにして居ないのです!」確かに連合国に依る極東軍事裁判で、A級戦犯を始めとする戦犯達の処刑・処罰をされましたが、其れを以って我が国の政治家達も、有識者達も、マスコミも、国民達も「あの戦争の総括」が終った、と思って仕舞ったのです。そして其の後 個々には戦後の総括を取り上げた人達は居ましたが、国家的なものとしての総括を未だに為されて居ないのです。
 だから 今尚 中国や韓国、東南アジア諸国から、日本が何時また戦争を始めるか分からない!不気味な国としてのイメージを払拭出来ないと疑われて居るのです。何しろ日本は<勝てる見込みの無い相手に戦争を仕掛ける>と言う馬鹿な国ですから・・・巣年前 北朝鮮系出身の在日の人に衝撃的な事を言われて、非常に驚きました。「金正日が恐ろしいとか、北朝鮮が恐ろしいとか言いますが、日本の方がよっぽど恐ろしい!何しろあの馬鹿な戦争を国民一丸でやって仕舞ったのだから。そして其の事を、なし崩し的に時間と共に風化させようしているのだから・・・再発防止策も無く、其の為の総括もせず!」
 其の<馬鹿な国>になって仕舞った要因をトコトン総括する事が、また其れを正しく認識する事が国家として重要な事であり、其の認識が有る事を、内外に公称する事が対外的な信頼を得る道ではないでしょうか! 近隣諸国から見れば、日本には未だ「大和魂」と言う悪臭漂うゾンビが潜んでいると思われて居るのです。

2010年7月24日土曜日

取り扱い説明書



去る7月21日 遂に地デジテレビを買いました。シャープのLED-AQUOS亀山モデルが一番評判がいいと言うので、其の32型と20型を各1台づつです。そしてDVDプレイヤーも1台ついでに購入しました。
 其れ等が昨日の午後届きました。夫々据え付け・配線・調整をして貰って、チャンと正常に写りましたので、「御苦労さまでした!」と言う事でお引き取り頂いたのですが、其の時 其れ等の「取扱説明書(各320ページ)」を3冊も置いて行きました。其れを今朝から読んで居りますが、もうクタクタです。どうしてあんな面倒な印刷物を拵えるのでしょう? お客様に問題無く使用して貰う為に、懇切丁寧に回りくどく説明が書いて有りますが、此れをスラスラと読んで理解するには相当な知識能力が無いと不可能です。メーカーが自己満足の為にややこしい機能をいっぱい付けて「さぁ使って下さい!」と言っても、此れを全部完璧に使いこなせる人が果して何%いるでしょう? 全く迷惑千万です。もっとシンプルな製品を作って欲しいと思います。

2010年7月23日金曜日

淘汰されるテレビ

昨日 テレビを買って来ました。一番サービスの良い条件を出して呉れた「コジマ」で買いました。其の事を妻が隣の奥様に話しましたら、ボロカスに言われたと言ってました。つまり こうです。『テレビと言う物の存在意義は今や殆ど無いに等しい!「ニュース」と「天気予報」位しか見る価値が無い!だから 新しいテレビなんか買うのはナンセンスだ!』
 確かに 此の奥様の仰る通り、今時テレビの為に大金を投じる価値があるか?と言われると一言も有りません。テレビと言う物は、器体の価値よりも、放送する内容の方が重要で、まいど申し上げますが、現在の放送内容の品格の劣悪さ、発想の貧困さ、アナウンサーは噛み通しで未熟過ぎて見て居られません。 
 昨日も「コジマ」で 「ワールドカップサッカービの時、テレビが売れましたか?」と聞きましたら「意外と売れませんでした」と言う返事でした。もう殆ど地デジテレビが行き亘ったのかも知れませんが、或いはテレビ離れが進んで居るのかも知れません。
 其処の所に テレビ業界の皆さんは全く危機感を感じないのでしょうか?今日も相変わらず間抜け面をした男女のアナウンサー・タレント達が、わが身に降りかかって居る火の粉に気が付かない顔をしてテレビに出て居ますが、馬鹿ですねぇ~「あんた達!もう直ぐ其の世界から消されるよ!」

2010年7月22日木曜日

スウエーデンって?

 「スウェーデンは理想郷ではない」今日の朝日新聞の「声」欄の投稿で読みました。投稿者は、スウェーデン在住の小学校教員 フス 恵美子さん(39)です。其の内容は
 『毎年一時帰国するたび、日本で、福祉大国としてスウェーデンが語られる事を苦々しく思って居ます。 税金は高く、「高負担」は確かですが「高福祉」は疑問点も多く、日本よりも遥かに優れた社会と言う見かたには賛同できません。
 「将来への安心から貯蓄が不要」と言うのも、誤った解釈です。国民の多くは不安を抱えて居ます。年金は物価や税金の高さからすれば充分な額とは言えず、銀行は「将来年金では暮らせません。若い内に蓄えましょう」と積立預金を呼び掛けています。然し 月5万円のパート収入ですら三分の一を税金で持って行かれ、最高税率25%の消費税、住居・光熱費・医療費・保育料も高く、普通の家庭ではお金が残りません。国民の多くは<可処分所得が少ないから貯金出来ない>のが現実です。
 若者の犯罪増加、就職難、麻薬や性病の蔓延、更にフルタイム労働で疲れ切った母親、冷凍物ばかりの夕食、此れが理想郷でしょうか?』
 我々は遠く離れたスウェーデンを、素晴らしい国と思って居ました。つい先日も、菅さんが消費税を10%にする様な事を言って参議院選で惨敗した時、テレビで某ニュース解説者が、スウエーデンの事を恰も素晴らしい国で、将来に全く不安が無いから、貯金なんか必要無い!そう言う国が理想の国だ!!何て言ってまして、私達はテッキリ信じて仕舞う所でした。此の「フス 恵美子さん」の投稿を見て、現地の正直な姿を知る事が出来ました。他人の話はよく聞いて見るものですねぇ~

2010年7月21日水曜日

考古学 其の14

 昨日は 静大・滝沢先生の考古学の講義第14回が有りました。今年度上期の授業は此れで来週の一回で終了です。其の跡は愈々学生諸君にには地獄のテスト週間が待って居ます。暑い中 諸君!頑張りたまえ!!
 扨 今回のテーマは
 1.遺物の整理と保管。
 2.遺跡の保存と活用。
 3.整理の方法。
 4.今後の課題。
 以上の4点でした。此の内 遺物の整理と保管に就いては人海戦術に依る、大変な時間と費用を要する事では有りますが、此れは後世の為に誰かが辛抱強く遣らなければなりません。人類の先輩達からのメッセージを地道に拾い集めて整理して行く作業です。
 此れはいい考えだと思ったのは、明治大学の安蒜(あんびる)教授の考えで、遺跡を「花畑」にする、というものです。遺跡を只発屈して囲いをして、<立ち入り禁止>にして置いても、雑草が生えたり、ゴミが溜まったりします。そこで 遺跡の周りに綺麗な花を植えて、<お花畑>にして自由に入れる様にすると、花に誘われて人が集まって来て、雑草を採ったり、ゴミを拾ったりする様になって、遺跡の保存と活用になる、というものです。埼玉県の<さきたま公園>などで成功例があるそうです。成程 行政の発想では、保存と言うと何でも<立ち入り禁止>みたいに、禁じる事ばかり考えて、<活用する事>は思いつきません。この辺はさすが大学の先生の発想で、仲々いい考えでは有りませんか!!

2010年7月20日火曜日

100年の日立

今年 日立製作所が創立100年になるそうです。明治末期 茨城県の片田舎で、日立鉱山の機械を修理する目的で、小平波平と言う人が、職人たった10人と始めた工場が、こんにちでは、グループ総員36万人のマンモス企業になりました。
 其のマンモスが 大きくなり過ぎて身を持て余して苦しんで居ます。昨日の朝日新聞には、「100年の日立 再生なるか?」と言う特集記事を載せて居ます。
 リーマンショックの大波で、製造業では戦後最大と言われる7,873億円の純損失を出し、昨年末のアブダビ首長国の原発建設競争で、鳩山前首相まで協力要請したのに、より強力な官民一体の韓国勢に敗れました。
 子会社が1000社を超す組織が大き過ぎて、文字通りマンモスとなって、意思の疎通や、連携が取れなくなって居る事が問題だ、と言う声が有ると言われて居ます。
 其の中で、現社長の中西宏明氏は、強気で 「組織が大きい事は悪い事じゃ無い。ただ 社員が 大きいが故に自己保身に奔り、失敗が有っても<俺の所為じゃ無い>と思って仕舞う事だ」と語っています。が どうも今の日立には <俺の所為じゃ無い>と言う輩が大勢跋扈して居そうな状態に見えます。

2010年7月19日月曜日

女教師の自殺

今朝の朝日新聞に、静岡県 磐田市の24歳になる女性教師が自殺をした、と掲載されて居ました。悲しい事に、生徒達が荒れて先輩教師に相談したら、「悪いのは生徒じゃ無い!悪いのはお前だ!お前の授業が悪いから荒れるんだ!」と言われたり、生徒の親たちから苦情を言われたり、で追い詰められて「誰も助けて呉れない!」と言い残して24歳の若い命を自ら絶ったのです。
 「お前が悪い!」と言った先輩教師は「悪いのは子供ばかりじゃ無い!子供を変えたければ自分が変わらなければ、と言う事を言った」と弁解してます。周囲の先輩教師達も、「もっと話を聞いてあげれば・・・」とか、「其処まで思い詰めて居るとは見えなかった」などと言ってます。
 後からでは何とでも言えます。此れは「後出しジャンケン」と同じ事で、後から至極尤もな言い訳をするなんて卑怯です。勿論 本人の力不足の面も有ったかも知れません。それなら其処を指導・アドバイスをするとか、又 其の学校には、学年主任とか、教頭とか、校長、教育委員会と言った然るべき役割の組織が居る筈です。其れなのに自殺をするまで追い詰めて仕舞って何をか況やです!!
 此の朝日の記事には其処の所の人達のコメントは載って居ませんが、人が一人孤立して自殺にまで追い詰められて居る状態に有りながら、誰も気づいてやらないなんて!これでは「無気力・無関心・無責任!の団塊の世代」と同じじゃ有りませんか!!

2010年7月18日日曜日

値切り倒し!

遂に我が家のテレビの寿命が来た様です。スイッチを入れてから画像が写って安定するまで大分時間が掛かる様になって仕舞ったのです。勿論 我が家のテレビは地デジ対応では有りません。だから来年の7月まで何とか騙し騙し引っ張ろうとしましたが、どうやらこの辺が年貢の納め時らしいと思われます。
 とは言え 昨今のテレビ番組の下らない事、余りの駄目さ加減には呆れて仕舞います。芸の無いお笑タレントや、ギャルタレントを、安いギャラで集めてダジャレ混じりのコメントをさせて、お茶を濁す番組制作が、恰もテレビの常道で有るかの如き状態に、テレビ業界の終末を見る気がするのです。其れでいっその事、テレビなんか要らない!と決心しようとも考えましたが、生活に必要な気象情報とか、地震に関する情報とか、最近は災害から身を守るのに、矢張りテレビは重要な情報源になりますので、思い切って此の際テレビを買う事にしました。
 扨其処で、今日は電機量販店のハシゴをしました。32インチのテレビと、台所用の20インチのテレビ、そしてDVDレコーダーの3点一式を購入する、と言う条件で、3件を回りました。 先ず「ノジマ」次に「コジマ」そして「ヤマダ電機」の順です。
 最初に思い切った値段を提示して来たのは「ヤマダ電機」でした。客に対する対応が丁寧で、説明も親切だったのは「コジマ」です。値段的には若干高めでしたが、商品の御届け搬入、据え付け、配線、古いテレビ2台の引き取り、を全部無料でやります!と言う条件は「ノジマ」が提示しました。
 其処で 「ヤマダ電機」に対して「ノジマ」の搬入、据え付け、配線、2台のテレビの引き取り条件を言いましたら、「本来は、配線・リサイクルは有料ですが、この際当社もサービスやります!」と言う訳です。普通は其処で手を打ちますが、ドッコイそうは行きません。其れで又今度は「コジマ」へ行って「ヤマダ電機」は<当方の条件を全部飲んで先程の値段にする!>と言ってるよ!と言いました。
 さすがに「コジマ」の担当者もウ~ンと唸って「上司と相談して来ますので、少々お待ち下さい」と 待たされる事約30分「お待たせしました。仰る通りに致します!然しこんな厳しい値段は全国何処にも出して居ません!!どうぞ外部には出さない様にお願いします!」と言う事で目出度く商談成立しました。

2010年7月17日土曜日

夏来にけらし



百人一首 第二番 持統天皇の御歌 「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ
天の香具山」
 やっと梅雨が明けました。あの嫌なジメジメこっこの梅雨が太平洋高気圧に追いやられて、漸く重い腰を持ち上げて日本列島から離れて呉れました。それにしても毎年繰り返される豪雨の被害はどうにもならないのでしょうか? 気象庁は、「激しい雨に依る河川の増水、土砂崩れには、厳重に注意して下さい」と言うだけで、別に何もしてくれません。
 「厳重に注意しろ、と言われたって、何をどうしたらいいのか分かりませんし、無力な我々一般市民にはどうする事も出来ないのです。そして 只 ウロウロする内に土砂崩れが起きたり、洪水が来たりして、貴い命が失われたり、大事な財産が水没したりして、悲劇が毎度の様に繰り返されるのです。
 奈良時代 持統天皇が、平城宮から香具山に白い衣がイッパイ干してある様子を御覧になって、「あぁ 夏が来たのだなぁ~」と詠みました。今ならさしずめ民家のアパートのベランダに、やっと訪れた晴れ間を待ち兼ねたとばかりに、Tシャツが処狭しと干されて居る様子でしょう。私の大好きな夏です!!

2010年7月16日金曜日

続 竹中平蔵

昨日 竹中平蔵の批判記事を書きましたら、早速同調の御意見を頂きました。どうやら以前には正規社員として働いて居られたのに、目下の所臨時の派遣社員として、転々と職を求めて居られる中年の男性の様です。其の方の御意見は・・・
 「竹中平蔵は、和歌山の靴屋の子供です。其の家業でお分かりの様に、彼は部落民です。そして子供の頃は体が小さくて、訥弁で毎日の様に苛められて居ました。其の反動で、成人した今 日本人への復讐の為に政治家や、マスコミに接近して国民を混乱に陥れようとした居るのです。」
 まぁ 彼が部落民か否かの確証は兎も角、確かに略歴を見ると、彼の実家は和歌山市の下駄屋となって居ます。昔は部落の人の商売は「靴屋・鞄屋」「肉屋」と言った処が多かったのです。江戸時代に徳川幕府が「士農工商」の四階級を定めたのですが、其れに入らない階級を「餞民」として、一定の部落に集合定住させました。「罪人」「無宿人」など「人別帳」に載らない人々です。それがこんにち迄延々と残って居て、特に芸能人には其の多くの人達が活躍して居るそうです。勿論 此の人達は「部落民」である事をバネに頑張って居られるのえ、我々凡人とは根性が違います。だから成功されて居るのでしょう。
 或いは 竹中平蔵もそんな強いバネを持っているのでしょう。特に自分の意見が攻撃された時のあの反論する姿には、何か独特な激しさが見えますが、ひょっとするとそんなバネが働くのでしょう。

2010年7月15日木曜日

見苦しいぞ平蔵!

日本振興銀行の前会長木村剛が逮捕されました。金融庁の立ち入り検査を妨害した、として銀行法違反の容疑です。此の日本振興銀行は、2002年 小泉内閣当時、竹中平蔵が、今回逮捕された木村剛を日銀から引っ張って来て立ちあげたものです。だから 本当の悪者は、竹中平蔵なんです。
 竹中は、森内閣の時 低迷する経済の対策に手詰りで困って居た処へ、「IT産業は500万人の雇用を創出する!」何て唱えたから、単純で阿呆の森総理が飛び付いたのです。処が ふたを開けて見ると500万人の雇用創出どころか、其れに倍する失業者を出す大リストラ時代を創出したのです。
 其処を追及されると竹中は、早口で矢鱈と横文字を並べた言葉で議論の焦点をはぐらかし、すり替えて、まるで自分が正しいかの様に聞える方向に議論を持って行って仕舞うのです。流石 慶応義塾の先生で、弁論の正否は兎も角、まことに達者であります。
 だから 2006年9月に小泉総理が退陣するまで、実質的に自分を支えて呉れた
木村剛が、逮捕されるに至った要因の大半は竹中平蔵に有るのです。当然 司直の手は竹中に伸びるでしょうが、奴は 例の早口の横文字で精一杯の言い訳をして罪を逃れようとするでしょう。
見苦しいぞ!平蔵!!

2010年7月14日水曜日

考古学 其の13

 昨日の静大・滝沢先生の考古学第13回の講義は、「埋蔵文化財の調査」に就いて、其の現状と、問題点のお話でした。
 1.埋蔵文化財調査の現状。
 ・埋蔵文化財とは、土地に埋蔵されている文化財で、此れは1950年制定の「文化財 保護法」で保護されている。
 ・周知の遺跡とは、周知の埋蔵文化財包蔵地として、「文化財保護法第57条の2第1 項」に基づいて「遺跡地図」を作成。
 ・この調査には二通り有って、
 ◎1学術調査。そして◎2緊急調査とあり、◎1学術調査は、学者や専門研究員に依る もので、さほど問題は無いが、◎2の緊急調査は大変な問題が有る。つまり此れは大き な宅地造成とか、道路の建設などをやろうとしたら、其処に遺跡が有ったと言うケース で、その土地の発掘調査が終るまで工事を中断しなければならない。然も 其の調査に 要する莫大な費用は「工事の原因者負担」が原則だが、此れには明確な法的根拠は無い 。だから しばしば大問題になる。
 2.埋蔵文化財調査の問題点。
 上記の要因に依って発生した象徴的な大問題は、目下開催中の平城宮蹟に有った「長屋 王邸跡」の保存問題です。此処に「そごうデパート」の建設計画があり、此処を発掘調 査して保存をしようとしたが、当時はバブル景気の最盛期で、文化庁で此処を買い取り 保存をしようとしたが、そごう側の提示した言い値が300億円、文化庁の用意出来る予算が4 0億円で、話にもならず泣く泣く断念した。其の結果 此の貴重な「長屋王邸跡」は破 壊され消滅して、其の跡に「そごうデパート」が建設された。皮肉な事に、その後「そ ごうデパート」は、経営不振で倒産したが、これは「長屋王の祟りだ」と囁かれた。
 此の様に 遺跡には昔の他人の怨念とか、様々な因縁が有るのですね。

2010年7月13日火曜日

恐ろしきパウル君



予言タコのパウル君 素晴らしいじゃありませんか!! 8試合全部的中です!!此の素晴らしい能力を、もっと何かに役立てる事は出来ないものでしょうか!?!
 誰ですか?「株の値上がり予測とか」直ぐ銭儲けを考える人は? パウル君に言われちゃいますよ!「好かんタコ!!」って。

2010年7月12日月曜日

参議院選挙



参議院選挙が終わりました。予想通り菅さんが負けました。其の負け方が、「消費税」を唐突に言い出して、説明不足とか、言葉が足り無かったとか言ってますが、「選挙に消費税」はタブーだと言う事を忘れて居たのです。菅さんらしいチョンボですね。過去二人の総理大臣が選挙に「消費税」を掲げて退陣に追い込まれて居ます。
 菅さんは、選挙が終わってから「消費税」に言及したら国民から「卑怯者!!」と言われるのが怖くて選挙前に言い出したのでしょうが、其れなら其の言い方、事前の段取りとか、此の「消費税」と言う爆弾が<ソフトランディング>出来る様な丁寧な根回しをしてからにすべきでした。其れを藪から棒に言い出して、おまけにライバルの自民党案に相乗りすると言う工夫も努力も全然なし、と言う馬鹿さ加減では此の勝負は初めから負けですよ 菅さん!!
 私は 昨日 雨の中を投票に行きました。そして みんなの党の河合純一候補に投票しました。此の人は全盲の中学教師です。此の人の頑張り・努力に感動して、何とか当選して欲しいと願って投票しましたが、残念ながら次点で落選しました。でも 此の人の方が菅さん!アンタよりよっぽど政治家に相応しいョ!!

2010年7月11日日曜日

無気力な選挙

今日は参議院議員の選挙投票日です。 然るに 我が住む街には選挙運動期間中に選挙カーが全く来ません。スピーカーで何事かを連呼しながら走って来るのは<廃品回収車>だけで、それ以外は何も来ない静かな街です。勿論 有権者は沢山住んで居ますし、静岡市の住宅街の一角ですから、立候補者にとって選挙運動をして無駄になる様な地域では有りません。時々<空き巣に入られた>とか <振り込め詐欺が有った>とかで、「御注意!」の回覧板が回って来ます。独居老人が多く済んで居て、わりと小金持ちで、シッカリ貯め込んで居ると評判のお年寄りが多く、外回りの銀行員の上得意先です。
 確かに 街全体が死んでまして、清水駅前の商店街は、シャッター商店街どころか<無人商店街>になってます。店の入り口が開いてるので、中を覗いてみると真っ暗で、店番は居ないし、「御免下さい!」と声をかけても誰も出て来ません。何度か叫んでやっと奥の暗い所から出て来た高齢の御婦人が、「何の用?何しに来たの?」と言わんばかりの顔をするのです。コンビニは相次いで閉店をするし、パチンコ屋の倒産もドンドン出るし、いったい誰がこんな無気力な街にして仕舞ったのでしょう?
 おまけに 全然選挙カーのあの騒音が全然聞こえないと言う事は、いったいどうした事でしょう?「この辺の有権者なんて頼りにならない!」と思われているのか、あてにされて無いのか実に静かです。候補者も、有権者も無気力のカタマリです。
 確か去年の衆議院議員選挙の時も静かなものでした。マスコミの報道では静岡市は激戦区で、あの小沢さんも応援に来たりして居ましたが、本当に此れでいいのですかねぇ~?

2010年7月10日土曜日

キレるおばさん

 「キレルおばさん」此の頃のニュースで キレルおばさん達の起す事件が頻繁に報道されます。 以前には思慮の浅いキレ易いオジサン達の起した事件が殆どでしたが、此の頃ではオバサン達や、お嬢さん達迄がキレ易くなって、この辺迄男女平等?になって来たのでしょうか?
 其れだけみんな心のゆとりが無くなって来たのでしょう。今までなら我慢出来たり、許せたりした事が出来なくて、他人を傷付けたり、殺人を犯して仕舞うと言った追い詰められた精神状態になり易いのでしょう。
 以前目撃した事ですが、某デパートで、エレベーターに車椅子の70代のお婆さんが載って来ました。そして5階で降りる時、エレベーターの出口付近の高齢の男性がボケーッと立って居まして降りられません。其のお婆さんは「すいません 居ります」と一声かければいい処を、「ボケッと突っ立ってるんじゃねえよ!バカヤロー!」と怒鳴りつけるや否や、車椅子ごと体当たりを喰らわしたのです。其の侭押し出される格好で降りた二人は、エレベーターの外でパシッ!と言う音がしましたが、扉が閉まって仕舞って見えませんでしたけれども、多分 怒った男性がお婆さんにビンタを見舞ったのでは無いかと思います。あのお婆さんの言動は酷過ぎました。でも 今迄 彼女の周辺の人達が此の傍若無人を容認して来たのでしょう、きっと反省して無いでしょうね。

2010年7月9日金曜日

予言タコ パウル君



 「予言タコのパウル君」は ドイツ西部のオーバーハウゼン水族館で飼育されて居ます。 此のタコのパウル君 サッカーWカップの、ドイツの対戦相手との試合結果をズバリ予言して見事全部的中させ、一躍人気者になりました。
 処が 先日のドイツ対スペインの試合を「スペインが勝つ!」と予言して、それが的中した仕舞いました。
 怒ったのはドイツのサポーターです。ドイツが負けたのは何もタコのパウル君には責任は無いのですが、負けた怒りが治まらないドイツ人達は、「パウル君をサラダにしてしまえ!!」とか「丸焼きにしろ!!」と騒ぎ立てました。まるで中世ヨーロッパの「魔女裁判」みたいです。
 一方 勝った方のスペインでは、パウル君のお陰で勝てた!と大喜びですが、ドイツ人が怒りの余り、パウル君を殺して食べて仕舞うんじゃないか!?と、心配して、ドイツに助命嘆願して居るそうです。
 タコ一匹の事で、ドイツと、スペインで大騒ぎして居まして、何とも微笑ましいと言うか、平和だなぁ~と思います。未だパウル君には、三位決定戦の結果予言と言う大切な任務が残って居ますので、其れがとても興味深いですね。

2010年7月8日木曜日

自己治癒力

「自己治癒力」 人間には軽い病気や怪我を、自分の力で直す能力があります。其れを神様が人間に与えて下さっているのです。然し 此の処 薬や医学の発達に依って其の力が衰えて来た、と言うより其れに頼り過ぎて人間本来の「自己治癒力」が退化して来たのかも知れません。
 扨 只今 私は此の「自己治癒力」というものをシミジミ有り難く感じて居ります。其れは昨年の9月11日午後6時、自宅付近をウオーキングして居まして、突然 何もキッカケも無いのに普通に歩いて居て転倒しました。手足の擦り剥き傷の痛みよりも、何も無くて転倒した!事がショックで、精神的なダメージから慌てました。
 早速 耳鼻咽喉科の有名な先生の所に行って、三半規管の異常を調べて貰ったり、総合病院の神経内科で、脳のCT検査や、MRI検査をして貰ったりしましたが、異常は見つかりませんでした。そして 其の後遺症として、普通に歩く事が出来なくて右足を引きずる様になっちゃいました。結局 精神的なものが原因ですから、自分では普通の歩き方をしようと意識すると尚更<変な歩き方>になって仕舞うのです。 又 周りから其れを指摘されるとギクリとして、余計に意識過剰になるのです。
 其れが 2~3日前 右足の感覚が僅かでは有りますが戻って来ました!! 今までは歩いて居て<まるで他人の足で歩いて居る様な>感じでしたが、右の爪先に靴の重さが感じられると言うか、微かにスニーカーの運びが分かる様になり、「アレッ!?! 此の感じは!?!」と久し振りの感覚に驚いて嬉しくなりました!!
 可笑しなもので、其れまで酷い耳鳴りがしたり、イライラとして妻に八つ当たりしたりして居ましたが、此の右足の感覚の戻りと同時に其れ等が不思議と無くなって行きました。未だ完全に とは言えませんが、もう 此処まで来ればあとは時間の問題でしょう。  『お医者さんでも 薬でも治らなかった症状が「自己治癒力」と言う神様が与えて下さった力のお陰で此処まで回復出来たのです。心から感謝して居ります。神様 有難う御座います』

2010年7月7日水曜日

考古学 其の12

 昨日の静大 滝沢先生の「考古学 歴史と文化 第12回」は、<歴史考古学>に就いてでした。<歴史考古学>と言うのは=同時代の文献資料が残る時期を対象とする考古学の事です。
 我が国の最古の現存文献と言うのは、「古事記」と「日本書紀」で、凡そ八世紀頃の物です。其れ以前、5~7世紀の物は残念ながら残って居ません。七世紀に聖徳太子が作らせたと言われる文献も有ったと言われて居ますが、残って居ません。結局古代の6~7世紀の歴史考古学は、断片的に残っている資料・遺跡を拾い集めて紡いで行くしかないのです。其の遺跡には、古代~近代まで、次の様な様々に分類される沢山のものが有ります。
 ・政治遺跡 都城、官衙、城館、城下町
 ・宗教遺跡 寺院、神社、経塚、磐座
 ・住居遺跡 一般集落、港町、城下町、門前町、宿場町
 ・埋葬遺跡 火葬墓、中世墓、近世墓
 ・生産遺跡 水田跡、窯業跡、製鉄跡、製塩跡、鉱山跡
 ・交通遺跡 駅家跡、道路跡、港湾跡、鉄道跡、戦争遺跡、戦場跡、防空壕跡、特攻基  地跡
 これ等膨大な資料・文献から、古代人~近代人のメッセージを読み取って行く作業は大変な努力を必要とする訳です。其処に考古学の楽しさ・苦しさが有るのでしょう。

2010年7月6日火曜日

サッカーの監督

今年のWカップは、優勝候補と言われた国フランス・イタリヤ・イングランド・ブラジル・アルゼンチンなどが早々と敗退して仕舞って拍子抜けです。ブラジルのドゥンガ監督や、アルゼンチンのマラドーナ監督は、母国のファンから相当強い批判を浴びせられてお気の毒と言わざるを得ません。
 以前 高校サッカーの監督を永年おやりになって、全国優勝もご経験になったお方に苦労話を伺った事がありました。其れに依れば
 『サッカーの監督・コーチは、試合のキックオフのホイッスルが鳴ったら、もう何も出来ません。いくら大声で叫んでも選手には聞えませんし、たとえ聞えて居ても監督の意思が正しくは伝えられません。試合前のミーティングで、細々と指示をしても、選手達は其の時は聞いて居ても、ゲームが開始されて仕舞うと、ボールを追いかける事と、相手チームのマークに忙殺されてスッカリ忘れて仕舞います。
 試合が済んでから 「あの時 何を言われたか?」と聞いても殆ど覚えて居ません。だから 試合前や、ハーフタイムに色々と指示を出しては居ますが、それは日頃の練習で繰り返し繰り返し言い聞かせて、身に浸みこんで居る事を想い出す様にさせて居るに過ぎません。まして 大事な試合の異常な緊張感の中で、俄かに思いついたアイデアをやらせようとしても出来る訳がありません。』
 つまり 試合の結果は全てが監督の責任ではない!と言う事です。特にWカップの様に俄かの寄せ集めチームでは、監督が納得の行く迄充分な指導訓練が出来たのか? ましてやブラジルとかアルゼンチンと言う世界的プレーヤー達を寄せ集めてのチームで、我が侭の塊みたいな猛者ばかりの集団を預かったドゥンガ・マラドーナ両監督はさぞや大変だったでしょう。おまけに成績不振で非難轟々です。本当に御苦労さまでした。

2010年7月5日月曜日

夏は来ぬ♪



 今日の最高気温は32度C これぞ夏です! 此の暑さが私にとっては最高の季節なのです。お陰で体調はすこぶる好調です。夜はグッスリ眠れますし、食欲も旺盛です。此の処悩まされて来た耳鳴りも、何だか収まって来た様な気がします。此れから九月一杯は誰が何と言っても私の季節であります。
 お日様がジリジリと地面を焼き、紫外線がカァーッと肌に食い込み、蝉がジンジン鳴いて、深呼吸をすると熱い空気が肺にドッと入って来て、其の暑さで体の奥から汗がドッと噴き出て「あぁ~熱い! 夏だ! 嬉しいなぁ~!」と喜び溢れる夏です。
 夏が苦手な人は、「暑くて夜は眠れなくて、食欲が無くて夏バテだぁ~!」なんて嘆く方もいらっしゃいますが、私なんか夏大好き人間ですから嬉しくて堪りません。

2010年7月4日日曜日

ドイツのサッカー



ドイツがアルゼンチンに勝ちました!! 然も 4-0の大差で!!快勝です。バンザァ~イ!!! 
 正直なところ 相手が世界最強と前評判の高いアルゼンチンですから、如何にドイツでも苦戦をするだろうと思って居ました。其れがこの快勝です!! 
 試合運びはドイツの思惑通りで、機先を制する事で、アルゼンチンの焦りを誘発させ、更に焦りを呼んだのは2点目の得点です。此れで王者アルゼンチンは滅茶苦茶になりました。ドイツは<勝ちに行くサッカー>をしました。敵のゴールを目掛けて<前へ!!>兎に角<前へ!!>と突進したのです。此れです!此れが<ドイツのサッカー>で<ゲルマン魂のサッカー>なのです。そして世界最強と言われたアルゼンチン粉砕したのです。
 つくづく思いましたが、<日本にこの勇気が有ったら>と。今日の朝日新聞の小田邦彦さんの「パラグアイ戦日本代表分析」を読んで本当に其の通りだと思わされました。
 <消極>+<粗さ>=<無得点> 「つながり悪くバックパス多用」 攻撃が消極的。パスもつながらないーーー決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で、日本の戦いぶりにそう言う印象を持った人も多かったはずだ。実際 スカウティングデータを提供する「プロゾーン」の分析を見ても其の通りだ。
 ◎前方へのパスの割合は 48.8%
 ◎バックパスの割合は  23.5% (デンマーク戦19.5%)(オランダ戦19.6%)(カ メルーン戦17.8%)
 此の通り パスがつながらないので、球を獲られるのが怖くてバックパスで逃げるプレーがこんなに多くては勝てる訳が有りません。だから<消極的なプレー>と言われて、相手チームは安心して戦えたのです。逃げるサッカーばかりして居て、見てて腹が立ちました。
 東大のメディア論の水越教授は、「PK戦負けで終わった16強と言う微妙な結果を、ハッピーエンドのストーリーに纏め上げ様とする強い力を感ずる」
 サッカー関係者の皆さんは、今から、<消極的サッカー>の汚名返上の努力をして下さい。日本中のサッカーフアンの為にお願いします。

2010年7月3日土曜日

氷川清話 其の4

勝海舟が百年前「氷川清話」の中で大変含蓄のある事を言ってます。
 『◎其の1<個人の百年は国家の一年> 個人の百年は、国家の一年位に当たるものだ。それゆえに、個人の短い了見を以って国家の事を急ぎたてるのは良くない。
 ◎其の2<古今の差なく東西の別なし> 人間は始終同じ事を繰り返して居る。今から古(いにしえ)を見るのは、古から今を見るのと少しも変わりは無いさ。
 ◎其の3<今の大臣は先輩の尻馬> 今の大臣(政治家)達は理屈ばかりが巧くなって、実際に剣光砲火の下を潜って心胆を練り上げた者は居ない。だから 少し異論を出されると直ぐ様変節する。つまり先輩の尻馬に乗って居るだけで、自分独自の信念を持って居ないのだ。
 ◎其の4<改革は公平に>行政改革というものは、よく気を付けないと弱い者虐めになる。そして大きい者から初めて、小さい者は跡にするのが良い。言い換えれば改革者が一番に自分を改革するのだ。』
 今から 凡そ100年前に 勝海舟が此の様に考えて居たのです。今の政治家たちの無能振りを鋭く言い当てて居ます。何と人間は進歩も成長も無いのでしょう!!と言うよりあの鳩山さんや、菅さんを見て居ると、其の100年前の人達よりも退歩して居るのじゃないか!?と さえ思っちゃいます。 

2010年7月1日木曜日

PK戦



PK戦 此の残酷なシステムはとても見るに堪えません。何か別の方式は無いのでしょうか!?! 例えば 代表五人でジャンケンをする・・・とか(駄目かな?)代表五人で駆けっこをして上位3人迄に入った人数の多い方が勝ち・・・とか。睨めっこで勝ち残った奴が多い方が勝ち・・・とか、くすぐりっこをして我慢出来た奴が勝ち・・・とか(駄目ですよね)
 兎も角 誰か選手の父親が言ってましたが、「どうか息子の所まで順番が回って来ません様に、と祈ってました」と、此のコメントは親なら誰しもおもうでしょう。「もし 息子に順番が来て、外して仕舞ったらどうしよう?」「そして 其の為にチームが負けて仕舞ったら・・・」
 駒野選手の親御さんは、今の胸中如何ばかりかと、察するに余りあります。『駒野がPKを外したので負けた!』とは新聞にも、テレビにも一文字も出て居ません。が あれだけ繰り返し繰り返し何度も画面に出されたら、日本全国 或いは全世界の人達の網膜に強く焼き付けられて仕舞ったでしょう。勿論 一番苦しんで居るのは駒野選手本人です。周りの人から慰められたり、励まされたりする度に益々辛くて堪らない気持ちになります。
 「何で自分が・・・」とか色々と後悔の嵐に苛まれて苦しんで居るでしょうが、此の様な破目にされた責任はこの写真に載って居る全員に有るのです。前後半と延長戦を走り回って結局1点が取れなかった情けなさと、岡田監督の岡崎ら攻撃陣の投入遅れの判断ミスが、此の様なPK戦に縺れ込む要因になったのです。そして 駒野選手がスケープゴードにされて仕舞いました。だから 駒野選手を慰めるジェスチャーをしたりして、恰も責任を駒野選手一人に押しつけて仕舞って居ます。酷いじゃないですか!!岡田さん!!
 ジャパンサッカーは世界から称賛されたのですから、そして予選リーグも予想外の頑張りで突破できたのですから、「良くやった!!御苦労さん!!」と言ってあげましょう。