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2010年12月29日水曜日

矮小人間たち



 小沢さん 結局「政治倫理審査会」へ出る事に決めたらしいですね。全くもうオトナじゃ無いと言うかオトコじゃ無いですよ! ホント!
 散々「イヤダ!イヤダ!」と駄々をこねて置きながらなんですかいったい!此の侭では「民主党除名!」「証人喚問!」が恐ろしくなったのですか!結局は肝っ玉の小さい男だったのですね。
 菅さんも こんな人に対して何をビクビクしていたのでしょう?まるで逃げ腰だったじゃないですか! まぁトドの詰りはどちらも、此れと言った信念も、ポリシーも無く、自分の地位の保全と利益の追求だけが目指す所で、其の条件が変わればフラフラと流動しても恥じない人達でした。「政治家」と言う以前に「人間」としての価値を疑います。彼らが日本の政治のリーダーだとは・・・

2010年12月28日火曜日

年の瀬

 年末です。やれ大掃除だ、何だかんだと慌ただしい今日この頃です。日本人は新年を迎える為に何かと忙しく働きまわります。これは 日本の有史以来の文化ですから、素晴らしい習わしだと思います。普段はミニスカートで、太い足を丸出しのお嬢さんも着物を来て<初詣>の姿は日本ならではの好い風情では有りませんか!
 ところで 御近所の奥様の醒めたお言葉です。
「やれ 年末だ!新年だ!と言ったって、一月二日になれば普通の日じゃない!だから大掃除とか、おせちとか大張り切りでやる事はないわよ!!」 成程 仰せの通りです!。 でも やらないと何だか寂しくて・・・日本人ですもの・・・

2010年12月27日月曜日

春よ来い!



 北半球では世界中で大寒波来襲です。日本でも23日夜から今日まで4日間冷たい北風に吹き晒されどうしで、寒くて堪りません!。我が家は日本平の中腹の高台に有りますので、風の音が終日鳴り響きまして煩くて夜も眠れません。
 今迄此の様に風が吹くのは長くても二日間位で、此の様に四日間も休まず吹き捲るのは初めての経験です。尤も 我が家では風の音の被害で済んで居ますが、北陸や東北では猛烈な吹雪で大変な被害が出て居ると報道されて居まして、何ともお気の毒な次第です。
 ヨーロッパでも大寒波各地の空港が閉鎖になったり、欠航したりで大勢の人達が足止めになっているとか、北米でも猛吹雪で事故が多発して居て「非常事態宣言」が出たとか地球の北半球は大混乱です。兎に角 こう寒くては堪りません。早く春が来て欲しい!!

2010年12月25日土曜日

続ホンダのリコール

 ホンダのリコールの続きです。昨日 本田技研工業の本社へメールで抗議しました。何しろ六年間で三回もリコールですから此れで怒らない方がおかしいのです。
 だから 「これだけ顧客に不安を抱かせて、迷惑をかけた責任をどの様に取るのか!又 どの様に納得の行く後始末をする積りなのか!」を抗議したのです。余りにも顧客をバカにして居ますから。
 すると 矢張り本田技研の<苦情処理係(多分)>から電話が有りました。そして全回・前々回と同様で、唯々「申し訳有りません!」とテープレコーダーの如く繰り返すだけです。其の責任の取り方も、納得の行く後始末の仕方も、何も具体的な事は言わず、唯「申し訳有りません!」と繰り返すだけです。つまり<謝り倒し>と言う卑劣極まりない手法です。それで相手が怒って電話をガチャンと切れば其れでいい・・・そして 腹の中で「馬鹿め」とつぶやく・・・と言う作戦です。
 本田技研もこんな酷い手を使う様になって仕舞ったのです。多分 此の件は此の侭ほったらかしになるでしょう。酷いメーカーです。本田宗一郎が生きていたらさぞや嘆く事でしょう。

2010年12月24日金曜日

ホンダのリコール

 ホンダが又々リコールです。私が乗って居るフィットが三回目のリコールです。
 一回前は ブレーキランプが点灯しなくなる不具合で、ブレーキペダル下のリミットスイッチ不良が原因で交換しました。此れは私が発見して再三ホンダの本社技術部に直訴、3カ月後に漸くリコールにこぎ着けたものです。
 二回目は サイドブレーキのレバーが外れて仕舞うものでした。
 そして今回の三回目はヘッドライトの電気回路のハーネス不良で、ヘッドライトが点灯しなくなる、と言うものです。
 ホンダの製造技術が余りにもお粗末なので、もう言葉も有りません。以前のホンダには此の様な不祥事は有りませんでした。特に 其の技術陣は真剣に、謙虚に取り組む姿勢がありありと見えまして、自らの姿勢を低く、<未だ挑戦者に過ぎず>の心構えがありました。
 其れが 何時の間にか「吾輩は大手自動車メーカーなり!」と言う姿勢になり、奢り高ぶり今回の六年間で一機種三連続リコールと言う不名誉で無様な結果を招いて仕舞ったのです。
 フィットを購入したのは大失敗でした。<燃費が良い>と言う謳い文句につられて決めたのですが、こんなにリコールをされて、おまけに高速で力不足です。東名高速の長い上り坂で、軽自動車のターボ付きに抜かれて行くと言う情けなさで、この点をホンダに何度も訴えましたが、取り有って呉れません。仕方が無いので諦めました。ホンダも以前の三菱自動車みたいになっちゃいましたね!

2010年12月23日木曜日

シェーバー



 昨日は 先日貰ったエコポイントを利用して電気シェーバーを購入してきました。既に5~6年使用して居るブラウンのシェーバーが電池の寿命らしく、充電しても長持ちしなくなりまして、刃も一度交換したのですが、切れなくなりましたので、この際新調しようと決心した訳です。
 インターネットで大手量販店の<K電器>に¥9,500の良さそうな商品が出てましたので、其れを目当てに出かけました。
 ところが 行って見ると店頭の表示価格が¥12,000となっているでは有りませんか!型式もインターネットの物に間違いありません。店員さんを呼んで「インターネットの値段と違うじゃないか!」と聞きましたら、「少々お待ち下さい」と言って奥へ引っ込んで、大分待たされましたが帰って来まして「上司と相談しまして¥9,500いいです!」と言う答えでした。
 と言う事は 黙って居れば¥12,000で売るつもりだったんだ、と 其の遣り方にダーティーな感じを受けました。
 然し 品物はさすがブラウン。切れ味は素晴らしく、洗浄と充電が同時に出来ると言う優れ物です。

2010年12月22日水曜日

街の時計屋さん

 腕時計の電池交換の話です。昨日 大型スーパーのジャスコに行きまして、腕時計の電池交換を依頼しました。前回(確か3年前)も此処で交換して貰いましたので、何の疑問も持たずに行きましたが、いきなり「此のタイプの時計の電池交換は出来ません!」と言われて面食らいました。今迄何度かやって貰ったので、いったいどういう訳かと聞きましたら、どうやらこのタイプの時計の電池交換に失敗して、時計を破壊して仕舞って問題になったらしいのです。其れ以来此の手の電池交換はするなと上からのお達しが有ったのです。納得が出来なくて、色々言いましたが唯「もうしわけありません!」の一点張りでした。
 仕方なく 街の<昔ながらの時計屋さん>を訪ねてお願いしましたら、ニッコリ笑って直ぐにやって呉れました。作業時間はたったの二分でした。其の時計屋さんが言うのには「何も難しい技術が要る訳じゃ有りません。只 細目ネジなので丁寧に緩めて、締め付ければいいのですが、スーパーやデパートにはそう言う心掛けを持った人が居ないので、乱暴に扱ってネジ山を潰して仕舞って壊して仕舞うのでしょう」と言う事でした。更に此の時計屋さんが言うには「此の時計はSEIKOの40年程前の時計ですね。素晴らしいものです。今 これ程の時計を手に入れるのはかなりのプレミヤを付けないと買えません。こう言うものを大切にして下さるお客さんに出会うと嬉しくなります。此れからも永く大切にして下さい」
 確か此の時計は、東京に勤務していた当時、永田町の国会議事堂の売店で、定価八万円の物を二割引きの六万四千円で買った覚えが有ります。当時の値段ですから今じゃどれ位するのでしょう?其れ以来全然故障もせず使い続けて居ますので、かなりの思い入れが有りまして粗末には出来ないのです。だから <街の昔ながらのお店は本当に有り難いものだ!!> と再認識しました。

2010年12月21日火曜日

幸運の財布



 昨日は静岡伊勢丹に行きましてお財布を買って来ました。兼ねてから目を付けて居た「ニナ・リッチ」の洒落たものです。
 買い物を済ませて店を出ようとしましたら女店員さんに呼び止められまして、何かと思ったら、年末恒例の福引きをして行って下さい、と言う訳です。元々籤運のいい方じゃ有りませんから、「どうせビリ等のティッシュだろう」と思って引いて見ましたら、なんと¥3,000の商品券が当たりました!
 よし儲かった!とばかり 丁度お昼でしたので、其れで妻と二人でイタリアンの昼食を頂きました。シーフードドリアとサラダとコーフィーを頂きまして¥800のお釣りが来ました。誠に美味しくてラッキーな一日でした。

2010年12月19日日曜日

エコポイント

今年の8月に冷蔵庫を買いました。其の時の「エコポイント」の商品券が一昨日届きました。もう申請してから4カ月になりますから、もう年内には届かないかな?と半ば諦めて居ましたが、年末になって届きました。
 然も 冷蔵庫を購入した時、K電器の担当者が「エコポイントは¥5,000分です」と言って居ましたので封筒を開けて見て、中から¥13,000分とクオカード¥500が出て来ましたので驚くやら嬉しいやらで、エコポイントの算定基準のいい加減さには如何にもお役所仕事と思いましたが、多い分には「まっいいか!!」と享受して置きました。

2010年12月17日金曜日

病院のハシゴ

 今日は病院のハシゴをしました。午前中は耳鼻咽喉科、午後は歯科です。いずれも定期健診で、耳鼻咽喉科は三カ月毎に、聴力検査をして貰います。時々聞えが悪くなったりしますので、定期的に検査をする方が安心ですのでやって貰っています。結果は正常でした。歯科は半年に一度歯の掃除をして貰います。生来 歯は丈夫な方で、虫歯は一本も有りませんが、歯周病とやらが怖いので、此処何年か前から定期的に通って居ます。歯科衛生士の方も慣れ親しんだ人で、実に丁寧に優しくやって呉れますから、ついウトウトと寝て仕舞いました。お陰で今日は鼻、咽、歯とスッカリ綺麗になりました。

2010年12月16日木曜日

戦場カメラマン

 「戦場カメラマン」を止めた 村田信一さん(47)の記事が今朝の朝日新聞に出て居ました。世界の戦場写真の被写体は、不幸と絶望で、其処には暴力の連鎖が続いて居ました。センセーショナルな写真に拘り、紛争やテロと言ったその地のごく一面にしかカメラを向けなくなって居た。攻撃を受けた民家に、同情した風を装って土足で上がり込み、嘆く住民を撮った。其の自分の姿に異和感を感じ、其れに気が付いて「戦場カメラマン」をやめた、というのです。村田信一さんは偉いですね。
 「戦場カメラマン」と言うと敢えて危険な場所で仕事をして居るので、まるでヒーローにでもなった様な錯覚に陥り、「ピューリッツア賞」目当てに<人道>よりも<衝撃的写真>の価値を強調します。最近 朝のテレビに出て、戦場の悲惨さをネトリネトリと喋って得意になって居るカメラマンが居ますが、此の村田さんを見習って欲しいものです。<報道関係者>の<特権意識・自分は選ばれた特別な人間>だと言う傍若無人な振る舞いが、どれだけの民衆・弱者を傷つけて居るかを謙虚に反省して貰いたいのです。

2010年12月15日水曜日

ハンカチ王子



 「ハンカチ王子」斎藤祐樹君です。何より嬉しいのは、今朝の報道でNHKが、今年の大晦日の紅白歌合戦のゲスト出演を要請した所、キッパリ断ったと言う事です。思わず「斎藤君偉い!!」と快哉を叫んでしまいました。テレビは何かと言えば「テレビに出してやる!有り難く思え!」的な態度でアスリートであれ、タレントであれ<声をかければ喜んで付いてくる>筈だと思い込んで居る所が有ります。特にNHKは<誘えば靡く>のが今時の若者の<当然の生き様>と言う思い上がりが有ります。其れを見事に<軽く一蹴した>のですから此れぞまさしく快挙です。きっと大選手になるでしょう。

2010年12月14日火曜日

忠臣蔵

 今日12月14日は赤穂浪士47人が、吉良上野介邸に討ち入り「殿の仇」として討ち取った日だと言われて居ます。
 1702年12月14日 本所松坂町の吉良低には、赤穂浪士の襲撃を想定して清水一学・小林平八郎など手だれの用心棒を雇い、警護を怠り無かったのですが、大石内蔵助をを中心とするメンバーのチームワークの見事さに本懐を遂げられて仕舞ったのです。
 当時の民衆は四十七士に大喝采、忽ち大ヒーロー達になって仕舞いました。昔から日本は「判官贔屓」・「勧善懲悪」大好き人間の国ですから無理も有りません。
 困ったのは将軍綱吉です。殿中で刃傷沙汰に及んだ浅野内匠頭に対して自分が「切腹・お家断絶」の裁定を下したものの、其の家来達の快挙がこれ程の大人気を呼ぶとは「想定外」だったのです。
 仕方なく「有識者達」を集めて会議を開きました。すると 四十七士の助命嘆願が圧倒的でした。綱吉クン個人的には民衆の声を採用して<支持率>の上昇をはかりたい、然し そうすれば自分が下した裁定が誤りであったと認める事になって仕舞います。「困った!困った!ボクチャン悩んじゃう!」と綱吉クンが悩んでいる所へ、国学者<荻生徂徠>先生が登場して「断固切腹を命ずるべし! 恐れ多くも 幕府のお膝元で徒党を組み、大名屋敷に討ち入るとは言語道断、断じて許せません!!」と言う正論を唱えたのです。
 其れでも綱吉クンは「人気回復」に未練が有ったらしく、上野寛永寺の門跡 公弁法親王を訪ねて四十七士の処分方法を伺って居ます。
 法親王が仰るには「確かに 四十七士を助命すれば今の民衆の賛同は得られるでしょう。然し 将来 其の内の一人でも堕落して身を持ち崩す者が現れたら、残り全員の栄誉が駄目になって仕舞います。此処はこの時点で全員に切腹を命じてやるのが彼等の為になるでしょう」と言う事で、悩める綱吉クンも遂に切腹の命令を出したそうです。

2010年12月13日月曜日

逃げ菅



 菅総理が今年の漢字に「行」を選んだそうです。「修行」の行であり、「実行」の行であり、「行う」の行だと言うのですが、誰が信じますかねぇ~ 余りにも現実とかけ離れたものじゃ有りませんか? 私は「逃」と言う字が菅さんには相応しいと思うのですが・・・「逃げ菅」との異名を取り肝心な所から逃げ捲った此の一年、よくもいけしゃぁしゃぁと「行」なんて居ますね。尤も「逃避行」の「行」ですかな?

2010年12月12日日曜日

今年の漢字



 今年の漢字は「暑」に決まったそうです。今年の夏は猛暑で、農作物に悪影響が出た、とか世界各地で大変な暑さで苦しんだと言う事の様です。恒例の清水寺の森清範官長が「暑」と墨痕鮮やかに書きました。でも 私は「暑いの大好き人間」ですから今年の夏は大変幸せでした。あのジンジン暑い中で生活する楽しさは格別でした。人々が暑さにバテてグデェ~として居る時、嬉々として元気溌剌だったのですが、此の頃の寒さに意気消沈であります。毎度申し上げて居ります様に、私は体質的に低温が苦手でありまして、気温が10度Cを下回りますと、基礎代謝能力が低下して、食欲が無くなり、夜眠れなくなります。そして夏に比べて2kg程体重が減ります。ア~ァ早く春が来ないかなぁ~!またあの夏の暑さが恋しい!!

2010年12月11日土曜日

医者の間違い

 「医者の不養生」と言いますが、私のかかって居る先生は巷では評判の「信頼出来る先生」でした。・・・でした、と過去形なのは、此の頃先生の様子が少しオカシイのです。多分 大分お疲れではないでしょうか?
 私は少し血圧が高めですので、一年半程前から此の先生を深く信頼して、月に1度のペースで通院して、薬を処方して頂いて居りました。
 昨日 其の月一の通院をしましたが、診察が終わり、処方箋の出て来るのに1時間以上も待たされました。そして診察室の先生から連絡が有り「先々月の処方箋に間違いが有りました。先月も其の侭でしたので、誠に申し訳有りません。今回から改めます」ということで、此方としては大変不安になりました。要するに血圧を下げる薬として、A薬を一日2錠、B薬を一日1錠が正しい処方なのに、其のA・Bを逆に処方して居ました。特に健康に影響はありませんが、効果が弱くなります。申し訳有りませんでした。と 先生からクドクドと説明されましたが、既に2か月の間其の薬をん見続けて来た訳で、今更謝られてもどうしようもありません。
 そう言えば何カ月か前にも、随分薬が余りましたので、先生に言って是正して貰った事も有りました。どうも そのような事が最近続発しているらしいのです。
 医者が薬を間違えたら大変な事になります。仕方が有りませんから、別のお医者さんを探す事にしました。

2010年12月10日金曜日

寒波来襲!



 寒いですね!! ヨーロッパでは大寒波が来襲して居るようです。ポーランドでは氷点下33度Cになって、30人が凍死、チェコでは8人、リトアニアで5人、スロバキアで2人と、各地で出て居ます。其の殆どが酒に酔っ払って其の侭寝て仕舞った人とか、ホームレスの人達です。
 昔 冬に札幌に出張した時に聞いた事が有りましたが、すすき野辺りの飲み屋街で酔っ払って小用を催して、路地の奥に入り用を足して其の侭寝込んで仕舞って凍死する人が、年間に何人か出るそうで、其の酔っ払って凍死する時の気持ちのいい事は格別だ!と危うく死ぬ寸前まで言った人に聞きました。冬山で遭難して死ぬ時も多分そうだろうと其の人は言ってましたが、痛みも寒さも何も感じなくて、只安らかな眠気が全身を覆い尽くし、兎に角いい気持ちだったと言います。

2010年12月9日木曜日

言い訳病

 御近所にお住まいの奥様の話です。今年の順番で町内の組長になりました。所がソソッカシイ人で、何かと忘れたり、間違えたりが多くて色々苦情が来ている様です。
 一昨日も昨日も 消防団の寄付金を持って其の組長宅へ行きましたが留守でした。仕方なく昨夜三度目に行きましたらやっと在宅してまして、「三度も足を運んだ」と言いましたら、いきなり「子供の学校の用事で忙しかったとか、犬の散歩が大変だ」とか<言い訳>の言葉が機関銃の如く飛び出して来ました。此方は何もそんな事は聞いて居ないのに必死になって叫び続けるのです。
 其の時 思い出しました。サラリーマン時代、部下に少し注意しただけで、まるで引きつけの発作を起こした様に言い訳を喋り続ける男が居ました。此の男はチャンと一流の大学を卒業した優秀な人間ですが、子供の頃から親に厳し過ぎる育て方をされた為、常に<叱られる>と言う事に異常な恐怖感を持ち、瞬時に<言い訳>の対応すると言う悲しい習癖が身に付いて仕舞ったのです。勿論 其の<言い訳>たるや内容は支離滅裂で鳴り止むまで放置するしかありませんでした。
 此の奥さんも其の手の病気持ちの様です。きっと今迄の人生も、此れからの人生もこの空しい<言い訳の機関銃>を打ち続ける悲しい努力をして行く事になるでしょう。

2010年12月8日水曜日

海老蔵・駄目蔵



 市川海老蔵の無期限謹慎が決まりました。日頃からのかれの言動を知る人からは「当然だ!!」との声が聞かれます。第一に親の市川団十郎の躾が甘過ぎます。「成田屋」と言う金看板に甘えて来たツケが回って来たのです。如何に必死になって守って来た伝統でも、蟻の一穴から脆くも崩れ去る事が今回の事件で良く分かります。此れから成田やの当主団十郎は、八方手を尽くして(金を使って)不肖の息子の尻拭いをしなければなりませんが、所詮は当の本人の海老蔵に全く其の自覚が有りませんから、難しい事になるでしょう。
 歌舞伎の世界で生活して居る大勢の皆さん達は、其れは其れは厳しい戒律の中で永年修業をされて来てこんにちの栄華を築いて来られたのですから、こんな不埒な海老蔵を簡単に許す気持ちにはならないでしょう。
 事件当日 予定されて居た記者会見をスッポカシて飲みに行って喧嘩になり、殴られて怪我をした・・・もう其れだけで「成田屋」の御曹司は失格です。自分の地位や生活はいったい誰が支えて呉れて居るのか!と言う自分の存在基盤の認識が全く無い、33歳になっても子供と同じです。然も結婚したばかりだと言うのに・・・女房はいったい何をして居たのでしょう?
 「自分は絶対に相手を殴って居ない」といっているようですが、多分詭弁でしょう。現場には海老蔵以外の血痕が残って居たのですから。間もなく事の真相が明らかになるでしょうが、そうなれば海老蔵は「梨園」からの<永久追放>と言う事になるかも知れません。そうしないと善良な全歌舞伎フアンが承知しないでしょう。

2010年12月7日火曜日

くたばれ!グルメ番組!

 此の頃のテレビはグルメ番組ばかりです。此れは製作費が安上がりで安直にできるから、テレビ会社の手抜き番組造りにはもってこいだからです。
 然し 人間は「食べる」と言う事にどう言う感覚を持って居るのでしょうか?特に此の頃は、若い女性が恥ずかしがりもせず、人前も憚らずに大きな口を開けて食べて居ます。「食べる」と言う事と「排泄する」と言う事は全く背中合わせの事柄で、古来日本人は人前でするのは恥ずべき事とされて来ました。
 其れが敗戦後 下品極まりない米兵が大挙上陸して来て、傍若無人な振る舞いをして、其の真似をした日本人が物を食べるのに全く「慎み」が無くなり、人前で食べるヮ、歩きながら食べるヮと酷いマナーになって仕舞いました。誠に嘆かわしい次第です。
 フランスでも18世紀末には、所も人目も構わずオシッコやウンコをしたそうで、有名なヴェルサイユ宮殿には女性用のトイレがなくて、日頃から運動不足なお姫様達が、舞踏会で動き回った挙句に催した「便意」に堪りかねて、宮殿の中庭で人目構わず大音響とともに「発射」に及んだと言う大らかな話が伝えられて居ます。「便秘解消」でスカッ!としたお姫様達はさぞいい気もちでしょうが、後始末をさせられる従僕達は堪えられなかったでしょうね。
 そんな野生の欧米人を見習って仕舞った日本人は本当に情けない限りです。其の内に人目構わず「排泄」をするお嬢さんが出て来なければいいですが・・・せめて「食べる時」くらいは日本人らしく品良く慎みを以ってして欲しいと切望する次第であります。矢鱈とオーバーに「美味しい!」を連呼したり、一口頬張った瞬間に「ウ~ン!」と唸ったり、そんな美味しい物がこの世に存在する筈が有りません!!テレビで放送する<美味しいもの>は殆どが嘘です。如何に番組の為とは言えあんまりです。此れ以上視聴者を騙し続けるのは止めて下さい!!!

2010年12月6日月曜日

防災訓練

 昨日12月5日 町内の防災訓練が有りました。静岡市ではどう言う訳か防災訓練は12月と言う一年中で最も慌ただしい時に行われます。理由は判りませんが、たぶん役所の担当者が自分達の都合の好い適当な時期を決めたのでしょう。お陰で市民は迷惑です。其の所為か年々参加者が減りまして、特に若い人達の参加が殆ど見られません。
 静岡では渕上某なる地震博士が「今すぐ起きても不思議は無い!」と言って我々を恐怖のどん底に陥れてから既に40有余年が経ちますが、此の処 まったくそんな話は有りません。
 今では あの渕上某と言う奴は、あの話をネタに全国各地をVIP待遇で講演して廻り、高い講演料を稼ぐ為の「ガセネタ」だったのじゃないか?と真面目に囁かれて居ます。
 静岡市でも 東海大地震で高さ10メートルの津波は来たら、人口の約半分の30万人が死ぬと言われて居ます。それで津波危険地域と言われた地域から引っ越しをした人達、そしてその地域でアパート経営をして居た家主さん、散々脅かされて耐震工事をさせられた人達の被害は甚大です。
 こんな酷い恐喝をしても何も罪にならないのでしょうか?あの渕上某センセは今頃は何処で如何して居るのでしょう? もし姿を見付けたら捕まえて市中引き回しの上、酷い目に遭わされた人達に竹鞭で1回づつ思い切り叩かせてあげたいと思います。

2010年12月5日日曜日

20x3=80?

 昨日某スーパーでの出来事です。きゅうりの陳列台の所で、ご高齢の男性がしきりと首を傾げています。何だろうと傍に行ってみますと、「きゅうり1本¥20」とかいてあります。問題は其の後です。「1本¥20の後に 3本¥80」と書いて有りました。それで その男性が首を傾げて居たのです。そして其の事を誰も変だとは気付かずにきゅうりを買って行きました。
 単純な間違いでしょうけど、念の為レシートを確認しましたら、間違いなく1本¥20になって居ました。
 不思議な事ですが、あんまりにも堂々と間違えて居ると、誰も其れが変だと思わない事って有ります。昔 東京勤務をして居た時、中央線で東京駅を出て、次は「神田」と言う時に車掌さんが「次は東京!」と車内アナウンスをしました。それが余りにも堂々と自信満々で、誰も其の事に気が付きませんでした。乗客も慣れたもので、黙ってそれぞれの目的地に行きました。

2010年12月4日土曜日

ウィキリークス



 ウィキリークスに依る情報漏洩はニュースになってます。然し アメリカでは「情報漏洩」と言ってもそれ程驚く事はありません。何しろ情報を売って商売にして居る連中が居ますから。大分前 アメリカの国防総省長官が「最近軍事機密が漏れて困った事だ。全員くれぐれも注意する様に!」と言う社内文書をトップシークレットとして廻した所、其の日の夕刊に全文が掲載された、と言う事が有って長官が開いた口が塞がらなかったと言われて居ます。
 最早アメリカでは、国防総省でも、何処でも最高機密情報は<高値で売れる国>として普遍化して居ますから、ウィキリークスが誰から情報を入手したか?誰が情報を漏らしたか?なんて事を詮索してもナンセンスです。彼等は 母国並びに国民の安全等より、銭儲けの方が大事ですから「売れるものは何でも売れ!売って銭儲けをするのが生きる道なのだ」此れがあの国の国民の唯一の正しい生き延びる術なのです。
 クリントン国務長官だって、ウィキリークスを本気で調べ上げて罰するつもりはありません。唯 立場上激怒するジェスチュアはして居ますが、アメリカ政府の高官ですら情報を売って銭儲けをして平然として居るのですから、所詮は<イタチごっこ>です。我々日本人は言う<モラル>とか<信用>とか言うセンスはもともとアメリカ人には無いのです。ジョージ・ワシントンやリンカーンの時代には有った様ですが、其れは昔の話です。其の国の人間と「安全保障条約」を結んで言いなりになって日本人は悲しいですねぇ~

2010年12月2日木曜日

街の情景2

 「街の情景2」東京駅と上野駅の感想です。乗降客数で言えば新宿駅の360万人が圧倒的なトップですが、東京駅は113万人で7位、上野駅は62万人で15位です。
 新宿駅の乗降客は其の殆どが通勤客で、仕事に向かう人達が、毎日此処を通過して会社に行ったり、電車を乗り換えたりする目的の人達でしょう。それにしても毎日・同じ時間に360万人の人間が同じ目的の為に移動して居るなんて恐ろしくなります。万一事故とかテロとかが有れば一挙に100万単位の人達の命が危険に曝されるのです。
 東京駅も 通勤客も大勢居ますが、矢張り旅行客も多いでしょう。特に<東海道><東北><信越><上越>の各新幹線が、発着する14番線以降のホームが有るコンコースの雑踏は、自分の目的の列車を探して乗るのに大変な苦労を余儀なくされます。逆に 山手線・京浜東北線に乗り換えるのにも一苦労です。そんな時<田舎者>の悲哀をシミジミ感じて仕舞います。
 実は 此の夏 水戸に住む孫(小五と小二)が、二人だけで電車に乗って静岡迄来ました。「勉強の為に」と言う訳で父親の指導の元、無事に新幹線で静岡迄到着しましたが、二人の顔を見るまではもう大変心配でした。小五の兄貴が「大丈夫!行きます!!」と言ったそうですが、今思えば 勇敢にも良く来たものだと感心しました。
 上野駅は 此処何十年来殆ど変りは有りません。相変わらずうす暗く、汚い地下道や、低い天井は如何にも東北への玄関口にふさわしい雰囲気です。昔 年末になると夜行急行「十和田」で田舎に帰る人達が、銀座三愛の紙袋等を下げて、寒いホームに行列を作って居た風景を思い出しますが、今でも其の侭の空気が漂ってます。然し 今では取手・土浦辺りまで高層マンションが立ち並び、乗降客も62万人と、全国の15位だそうです。
 車窓から東京の街を見れば、建ち並ぶ高層マンション・建設中のマンションに、益々人口の増える様子を見て「いったい大丈夫かな?インフラは?治安は?」と真面目に心配になりました。知事は売れもしない小説書きに夢中だし、大丈夫かな?ホント!!

2010年12月1日水曜日

水戸の情景




 「街の情景1」先日言って来たばかりの水戸市の情景を、感じたままに書きます。穏やかに晴れて気温も温暖でしたので、誠に結構な旅行日和でした。
 水戸市と言えば日本三大庭園の「偕楽園」です。第九代藩主の徳川斉昭は、藩校「弘道館」で勉強に疲れた藩士や、一般庶民も偕(ともに)楽しむ園と言う主旨で造園されたと言われて居まして、日本で唯一入場無料の庭園です。春には有名な梅園の梅の花や桜の満開の美しさは素晴らしく、昔の人の心が現代に明瞭に引き継がれて居ます。
 水戸藩の初代藩主は徳川家康の11男の徳川頼房公、二代目藩主は黄門様で有名な徳川光圀公です。水戸藩に徳川家が入る前は、佐竹義宜の領地でしたが、関ヶ原の戦いで佐竹は徳川家康に味方をしなかったので、秋田に転封されて仕舞いました。其の時 佐竹は悔し紛れに水戸の美人を根こそぎ秋田へ連れて行って仕舞いました。其れで「秋田美人が沢山」出来上がり、水戸には美人が居無くなって仕舞ったそうです。然し其れは今から400年も昔の話、今では水戸には美人がイッパイ居ました。
 次に有名なのが「納豆」です。最近テレビで「くめ納豆」と言って頻りに宣伝してますから、お土産店で聞いて見ましたら、「お土産店では売って居ません。普通のスーパーで売って居ます。お味は普通の納豆です」と言う事でした。駅前広場には写真の様に「納豆」の立派なモニュメントがありました。
 それから 気が付きましたが、駅前の繁華街には、杖をついた高齢者や、体の不自由な人の姿を全く見ませんでした。静岡市の街では高齢者や、体の不自由な人達が一杯居て、街をウロウロして居まして歩き難いのですが、水戸の街ではみんな速足でドンドン歩けました。言葉も早口で声も大きく、街中が活気に溢れて居る様に感じました。