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2011年4月19日火曜日

萬葉集 2

 今日の静岡大学 岡崎先生の講義は、「萬葉集の冒頭に収録されている詩の第一番と第二番の就いてでした。萬葉集は、七世紀の半ばから、八世紀の半ばまでの約百年間に及ぶ年月の内に詠まれた詩凡そ四千五百首を二十巻の本に纏めた日本最古の詩集です。此の膨大な詩集は、老若男女・身分は天皇から名も無い平民の作品を集めて居て、一体誰が此の大変な編纂作業をしたのかは分かって居りません。問題はこの詩集の冒頭に誰の詩をを持って来るかと言う事で、其れに依ってこの詩集の編纂者の意図する所が判ります。
 扨 第一番は雄略天皇(在位457~479)の詩です。
「籠もよ み籠持ち ふくしもよ・・・」(美しい籠と美しいヘラを持って菜を摘んで居る娘さん あなたの家と名前を教えて下さい。私は 此の大和のくにを支配して居ます。私の名も家も教えましょう)
 此の当時は 男が女に「名前を聞く」と言う行為は「求婚」を意味して居て、女が其れに応えて名前を教えるのは「求婚を受け入れる」と言う重大な事になります。つまり此の詩は雄略天皇が菜摘をしている娘に求婚をした詩です。そして求婚が成立すればその娘と親と親戚一同を自分の支配下に入れ、勢力の拡大を図るのです。
 源氏物語の光源氏が滅多矢鱈に女を口説き捲り、手を付け捲るのには其の当時の勢力拡大活動と言う男子たる者の悲しい(?)宿命があったのですねぇ~
 扨 第二番は舒明天皇(593~641)の詩です。
「大和には 群山あれど とりよろう 天の香具山 登り立ち・・・」
 舒明天皇が天の香具山に登って国見(国内情勢を視察)した時の詩です。大和には多くの山があるけれどとり分け美しい天の香具山、その頂上に立って国見をすると国原にはあちこちに竈の煙が立って素晴らしい国だ。舒明天皇は天智天皇と天武天皇の父親で、未だ壬申の乱の前の平和な時代でした。

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