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2011年11月9日水曜日

鉄舟寺


 今日の静岡大学 湯之上先生の講義は「久能寺縁起」についてでした。久能寺は 元は現在の久能山東照宮(今年国宝に指定された)の有る山の上に有りました。戦国時代 武田信玄が此処を駿府攻略の為の城塞にする為に、寺を現在の静岡市清水区の移しました。
 寺の開山は其れよりも古く、推古天皇の時代に、久能忠仁と言う人が、山中に金の千手観音を発見して、此処に草堂を建てて安置、「補陀落山久能寺(ふたらくさんくのうじ)」と名付けました。
 其の後 江戸時代を経て大火に逢ったりして、殆ど廃寺になって居ましたが、明治時代の始め、旧幕臣の山岡鉄舟が尽力してこんにちの場所に再建されまして、寺の名前を鉄舟寺として立派に残って居ます。
 久能山東照宮の方は、江戸時代の始め、徳川家康が「自分が死んだら、鎧兜を着せ、西に向かって埋葬せよ。徳川幕府を倒そうとする者は、西の方から来る。其れを自分が守護する。」との遺言に基づき其の通り埋葬されましたが、三代将軍 徳川家光の時に僧天海の勧言で家康の遺体は日光に移された、と言われて居ますが、発掘調査がされて居ませんので、未だに久能山に有る、とか日光に有るとか言われて居て、ハッキリ分かりません。

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