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2007年8月10日金曜日

被爆者の手記

毎年 八月になると、日本列島は辛く悲しい過去の傷を思い起こします。八月六日の広島、九日の長崎へ原爆投下。そして十五日の敗戦です。

広島に原爆を投下したB-29爆撃機エノラ・ゲイは2003年12月 ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に復元展示されています。そして説明文には「アメリカが広島・長崎に原爆を投下した事で、人類に平和がもたらされ人類は救わた」とありまして、あくまでも原爆投下は正当化なものとして大多数のアメリカ人に信じられているのです。それに対して日本政府は一片の抗議もせず、ニヤニヤ追従外交しかしいていません。小池さんも多分その事は言えないでニヤニヤして帰って来るだけでしょう。

だいぶ以前 広島で被爆された男性の手記を読みました。余りにも凄惨で、悲しくて忘れたくても忘れられません。その方は当時小学校一年でした。そして この手記を書いて暫くして亡くなられたそうです。

「あの 八月六日 朝八時十五分 学校で朝礼が終わり、校舎に入ったトタン空がピカッと光り物凄い音と風が起こり自分は廊下の壁に叩き付けられて気を失ってしまった。気が付いたら校舎はなくなってガランとした廊下だけが残っていたが、そこには無数のけが人が運ばれて来ていて、身動きも出来ない状態だった。激痛に呻く声・泣き叫ぶ声がいっぱい聞こえてこれこそ地獄だと思った。校庭には屍骸が山と積み上げられていて、廊下で死んだ人もそこへ引きずって行ってその山に積み上げられた。自分の隣に、小さい女の子を抱っこしたお母さんが居て、女の子が「お母さん 痛いよう」と泣くけど、どうする事も出来ず、ただ抱きしめてやるだけだった。その内 その子は声が小さくなり、声を出せなくなった。それでも激痛に耐えられず、手足をバタバタさせるので、廊下を叩き、トントン トントンと音がした。その音も やがてトン・・・トンになり、パタッと止んだ。死んだのだ。自分は動かぬ体を必死で捻じ曲げてその子と母親の方を見た。すると 母親はその子をシッカリと抱きしめ、廊下の壁にもたれたまま死んでいた。焼け焦げた顔にひとすじの涙をこぼして。」

この手記を読んだ時 怒りと悲しみが猛烈に湧上るのに耐えられませんでした。どんな方便を弄しても原爆投下を正当化出来るものではありません。
エノラ・ゲイというのは原爆を投下したB-29のニックネームで、機長のP・ティベッツ大佐の母親の名前を付けたそうです。そして それを誇らしげに展示して「お陰で人類は救われた」なんて信じているアメリカ人は何時かきっともっと酷い目に逢うでしょう

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