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2007年12月14日金曜日

赤穂浪士

今日は「赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした」と言われている日です。正確には元禄十五年十二月十五日未明(現在の新暦では一月三十一日)四十七人の赤穂浪士が、本所松坂町の吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首級を挙げ、見事本懐を遂げたと言う有名な事件です。

事の発端はご存知の通り、江戸城の松野廊下で、浅野内匠頭が突然刀を抜いて吉良上野介に斬りかかったものです。浅野が何故吉良に斬りかかったか それは浅野が吉良から数々の虐め・嫌がらせを受けて堪忍袋の緒が切れた と 言われて居ますが、その後の研究ではどうもそうではないらしいのです。

専門の精神科医の著書に拠れば、浅野内匠頭は統合失調症(精神分裂症)らしいと推察しています。と言うのも吉良上野介が浅野内匠頭を虐めたと言う資料が見つからないし、浅野内匠頭が普通の神経の持ち主なら、殿中で刀を抜けば身は切腹・家は断絶と言う御法度は充分承知してた筈ですから・・・そうなれば300人の家臣達が路頭に迷い、後世に汚名を残す事になります。武士は何よりも名を惜しむ人間ですから、考えられないのです。だから浅野内匠頭は発作的に刃傷に及んだと考えるのが妥当なところでしょう。

吉良上野介こそいい迷惑です。四十七人の武装集団に討ち入られて殺された挙句、300年以上の後世に悪者の汚名を残されて、毎年暮れになるとドラマや映画やお芝居で上演されるのですから堪りません。吉良上野介の地元では仲々評判の名君だったのです。だから 此処では「忠臣蔵」のお芝居は上演されないそうです。

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