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2008年5月15日木曜日

源氏物語 その2

紫式部は藤原道長の妾だった!?!
 紫式部が源氏物語の時代設定を、自分の曽祖父中納言藤原兼輔の時代にしています。その時代は 醍醐天皇の御世で、物語に登場する桐壺帝は醍醐天皇がモデルだと推定されて居ます。その時は 政治の実権が天皇にあり、天皇をはじめとする皇族達の理想の時代で有ったわけです。
 ところが 藤原一族が、自分の娘を天皇の后に入内させて皇太子を生ませ、その皇太子が天皇の座に着くや、自分は天皇の外祖父として政治の実権を握り天皇を只の飾り物にしてしまったのです。つまり 摂関政治と言われるもので、その最たる権力者が藤原道長(ふじわらのみちなが)でした。
この物語は 天皇を無力にしてしまったが故に起きた悲劇の女性「桐壺の更衣」の登場から始まります。
「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に・・・それ程に高貴な家柄の出身ではないのに、帝に華々しく寵愛されている更衣がいました。」この桐壺の更衣が生んだ男の子が光源氏です。それを嫉妬した女御更衣達に虐め貫かれて遂に病気になって死んでしまうのです。その時 帝に実権が無いばっかりに彼女を救ってあげられなかった・・・つまり この物語は藤原摂関政治を厳しく批判したものなんです。
 その時の最高権力者は藤原道長でした。その権勢たるや並ぶ者なく、彼の有名な歌「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたる事も 無しと思えば」と我が世に敵なし、恐いもの無しの状態でした。
 ところが不思議な事に、紫式部のパトロンは 藤原道長だと言われています。だから 自分を厳しく批判した物語を書いた紫式部を罰するどころか、紙や筆を用立ててやるなどと応援しているのです。当時 紙は貴重品で、特に身分の高い極一部の人しか手に入りませんでした。それで 藤原道長はその権力を利用して、紙をふんだんに手に入れて紫式部に与えるだけでなく、筆も供給したり、人を沢山派遣して作品の清書を手伝わせたりしてるのです。
 それで 南北朝時代に出来た系譜集「尊卑文脈」に紫式部は藤原道長の妾だったと書かれているのです。何れの世の権力者も女の人には弱かったのですね。!?!

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