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2008年5月16日金曜日

源氏物語その3

紫式部は一人じゃなかった!?!
 紫式部は 本名も 生没年すら正確なところはわかっていません。 でも源氏物語の作者であると言う事は、彼女の残した紫式部日記にその記述があるので間違いは無さそうです。また 父は藤原為時と言う学者官僚で、兄弟よりも漢文の覚えが良い聡明な女性であった事。藤原宣孝と言う父親くらいも年上の男と結婚して、賢子と言う一女を産んだ事、そして夫と死別したあと、藤原道長の娘彰子(一条天皇の后)の教育係として出仕し、そこで源氏物語を書き上げたと言われています。
 然し 何しろ千年も前の事ですから、謎も多くて、色々と異論を唱える声もあります。
だから 私は勝手に想像を逞しくして推理しました。
 第一に あの膨大な物語を女性一人で書ける筈が無い。平安時代の女性は、お屋敷の奥深い所に引き篭もって居て、外出は勿論、外部の人間との接触は殆ど無いのですから、物語のネタになる情報の収集が極めて困難だったでしょう??。

あの四十人もの女性と、光源氏の秘め事の一部始終をどうやって集めたのでしょう??。到底 深窓の女性一人の仕業とは考えられませんから、誰かが 大勢の手先(パパラッチ)?を使って情報収集をして、それを紫式部と言う名のプロジェクトが纏めたのじゃないか!?! その黒幕が藤原道長だ!!と推理するのです。
 第二に あの長時間に亘る物語ですが、最初はもっと短いものを、と考えて書き始めたものが、意外と大好評で読者から「もっと書け!!もっと書け!!」と矢の催促で、ついついファンに押されて四十一帖(幻)まで書いたけど、もう疲れてイヤになっちゃって、此処で光源氏を死なせて終わりにしたのです。
 然し 未だファンの熱い声援は止みません。仕方なく若くリニューアルした紫式部チームが四十二帖(匂宮)から五十四帖(夢浮橋)までを書き足したのではないでしょうか?? その五十四帖も尻切れトンボで終わっています。「もう駄目ネタ切れだ。ヤーメタ!!」ってなところでしょう!?!

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