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2009年6月16日火曜日

弘法大師



昨日は弘法大師の誕生日とされて居る日でした。今から1235年前、四国の香川県善通寺市の佐伯氏に生れ幼名は「真魚」、幼時から神童の呼び声が高く、其の神がかり的優秀さを伝える逸話が多く有ります。
 804年 30歳の時、仏教の勉強の為、遣唐使団に希望して参加、嵐の為に船が目的地では無くて福州と言う所に漂着して、海賊と間違えられて拘束されてしまったのです。言葉が全く通じないから、手の施しようが無くて、遣唐大使が困り果てて居ると弘法大師が代わりに嘆願書を書いて交渉し、窮地を脱したと言われています。其の時の唐の役人は嘆願書の文面の見事さと文字の素晴らしさに感動したそうです。何しろ 後世 平安の三筆(嵯峨天皇・橘の逸勢・空海)の一人と言われた弘法大師です。
 806年8月に唐の青龍寺・恵果和尚から「遍照金剛」の称号を与えられ「密教」の経典を授けられました。此れは500人を超す現地の中国人を差し置いて、外国人である弘法大師に与えられたと言いますから 如何に弘法大師がずば抜けて優秀であったかが考えられます。
 他に 弘法大師が掘ったと伝えられる各地にある温泉、灌漑用水とか、まさにスーパーマンとしての活躍は我々凡人の想像を絶するものが有ります。実は昨年の四月、弘法大師の開山した金剛峰寺にお参りした時に、大師の入滅(生きたまま仏になった)の地を奥の院に拝観して来ました。苔むした鬱蒼たる気配に弘法大師の有難さを噛みしめた次第です。

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