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2010年4月20日火曜日

黄門さまと考古学

静岡大学の滝沢 誠先生の講義「考古学」の第二回が有りました。今日のテーマは「考古学のあゆみ」です。
 発祥の地は矢張りギリシャです。16世紀ルネッサンスの高まりとともに、ギリシャ・ローマ時代を対象とした古典研究が盛んになり、遺跡・遺物の研究が始まりました。此れが「古典考古学」と言われるものです。
 それから 体系化が始まり、ウインケルマン、トムゼン、モンテリュースと言う学者達の研究に依り様式に依る分類、形式学的研究法と進展して来ました。
 これ等は 西洋諸国での考古学の発展の経緯ですが、我が国でも独自の研究、進展をさせる努力をした人達も居ました。
 古代は所謂伝承に尾ひれを付けた程の程度で、例えば「常陸の国風土記」(713年)の那珂郡大櫛にある貝塚は、ダイダラボッチと言う伝説の巨人が、海の貝を掘って捨てた跡等と言った類のものでした。だから 遺跡・遺物は超人的なものと言う認識でした。
 其れを 「考古学的な手法」で初めて古墳を発屈した、と言われるのが水戸黄門様 水戸光圀だそうです。黄門様は 1692年、今の栃木県で発見された「上車塚」と「下車塚」を発掘しました。此れは1676年に発見された「那須国造」の名前を明らかにする為でした。黄門さまは水戸藩主と言えども、那須藩は他藩ですから、ちゃんと丁寧に手紙を出して了解を取り、そして発掘完了後は記録を取った後に埋め戻し、周辺に松を植えて整備迄して居ます。此れが黄門さまの偉い所でしょうか。其の作業の責任者と言われたのが佐々木助三郎・助さんだそうです。

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