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2008年12月1日月曜日

ゼロ系新幹線



ゼロ系新幹線の姿が消えて行きました。ひとつの想い出の彼方に行ってしまうのです。此の車両に特別な思いが有る人はおそらく全国に沢山いらっしゃるでしょう。私もその一人です。

私が 大阪支社から東京本社に転勤した時 開通したばかりの新幹線で赴任しましたが、其の時は、東京に転勤すると言う希望と一縷の不安を抱えて乗り込みました。真新しいホームや車両の塗料の匂いが矢鱈に記憶に残ってます。当時の新大阪駅は随分と辺鄙な所に有って周囲には何も無く景色が寂しくて、こんな所に駅を造って大丈夫かな?なんて余計な心配をしたものでした。やはり淀川を渡るのが大変な工事になるので今の所に駅を造ったのでのです。此の辺に大阪の深刻な悩みがあります。

東京に赴任して一番ビックリしたのが東京の女性の優しく親切な事でした。大阪では女子社員に「お茶を下さい」と言っても「自分でやったらええやん!!」と一蹴されてしまいましたが、東京では黙って居てもお茶が出て来ました。恐る恐る女子社員に「お茶を有難う」と言いましたら「どういたしまして」とニッコリされてしまいました。此のゆとりの差です。此のゆとりの差です。其の時これは大阪の負けだ!!と瞬間的に感じましたが、やはりその通りになりました。当時は必死に大阪は東京に負けまいとして頑張って居ましたが、今や東京と大阪は全く比べ物になりません。大阪で辛うじて頑張って居るのは芸人と橋下さんだけですネ。

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